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第七話 契約

 目の前いっぱいに広がる鮮血。それを見てようやく愛実は自分に何が起こったかを理解した。しかし、それはあまりにも遅かった。急に体中の力が抜け、自分の体を巡る、それが吐き出された生温い血だまりの中に倒れる。

 ――なんで私はここにいるのだろう。なんで倒れているのだろう。何かしなければならないことがあったはずだ。

 彼女は考えを巡らすが、全身を貫く激痛がそれをさせない。掌を浸す血が暖かい。愛実は思考を放棄した。唐突に訪れた死に、体を任せる。断末魔のように、鮮血に波紋が走った。





 ――愛実が来た。それで? それでどうなった? 本当に愛実なのか? 倒れたような音が。本当に愛実なら。助けなきゃ。でも、どうやって?

 沙羅は息をするのも忘れていた。脈拍は早まり、顔は青ざめている。千笑のほうが心配そうになって皿を見上げる始末である。ようやく沙羅は千笑の視線に気づいた。千笑の両肩に手を置く

「いい、千絵ちゃん。ここから静かに逃げて」

「沙羅さんは……?」

「愛実を助ける。……いい? 落ち着いて、冷静に。大丈夫だから」

反芻するように繰り返す。まるで千絵にではなく、自分に言い聞かせるように。肩に置かれた手の指先までも心細げであった。その様子を察してか、千笑は頷き、裏口に向かっていった。沙羅は静かに深呼吸をし、千笑とは逆の、つまり怪物の方へと――


 「うわぁっ!? 見、見つかった!」

 沙羅が足を踏み出そうとした時に響いたそれは、聞きなれない女の声だった。沙羅は足をひっこめ、物陰から顔を少し出した。人が倒れている。間違いない。愛実だ。血を流している。

 助かるだろうか。いや、そんなことを考えるより、まず愛実を助けなければ。沙羅は意を決し、駆けだした。

「た、助けてくれ!」

 再び、その聞きなれない声がした。思わず声の主を探してしまう。そこには異様な光景が広がっていた。愛実を攻撃したらしい怪物が、愛実への興味を失い、虚空へ向けて腕を振り回している。怪物が腕を振るうたび、謎の声が悲鳴を上げている。殺気を孕んだシャドーボクシング。形容するなら、そんな奇行を繰り広げていた。


 ふと、怪物が視界の隅に沙羅を捉えた。体を翻し、ゆっくりと沙羅の方向に歩み寄る。沙羅はそんな怪物から目を逸らすことなく、前進を続ける。愛実のほうへ。怪物は立ち止まって右手を振り上げ、歩き続ける沙羅が自分の間合いに入るのを待った。




 「起きろ、おい、そこの、起きろってば」

愛実が死の淵から意識を取り戻した。耳元で何か、囁いている。沙羅ではない。浅葱でもない。

「誰……?」

「誰でもいいだろ」

問いをつっけんどんに返し、声は続けた。

「なあ、お前、このまま死ぬのと悪魔と契約して生き地獄に飛び込むの、どっちがマシだと思う?」

「え……?」

「早くしろ、時間がないんだ。それにこのままだとお前のお友達も殺されるぞ。いいから早く!」

ぼやけた視界で声の主を探す。人の気配はない。


 ふと、視界に小さな黒い物体を捉える。蠅だ。信じがたいことだが、この虫が声の主らしい。

「……幻覚、走馬燈……?」

「バカ、本当に死ぬぞ!」

一寸の虫が声で愛実を揺り動かす。感覚を失いつつある両手に、ありったけの力をこめて、頭を起こす。それが愛実にできる精一杯であった。


「契約って……」

「はぁ? 何て?」

「教えて。契約ってどうすればいいの?」

一拍置いて、蠅らしき生き物は嬉しそうな声で答えた。

「契約か。お前の望むもの、捧げるもの。それを念じて、アタシを受け入れればいい。」

「捧げるもの……?」

「そう。契約はギブアンドテイク。お前の力になってやる代わりに、アタシも何か報酬がないとね。例えば……アンタの命を捧げる、なんてどうよ? 今のアンタは死ぬのを待つだけ。でも、契約でアタシの元にアンタの命がいけば、少しばかり生きることができるかもしれない」

それを聞いて愛実は小さく頷き、目の前の奇妙な怪物に手を伸ばした。

「そうそう、アタシの名はベルゼブブ……って呼ばれてる。まあ、お互い長い付き合いにしようじゃないか」



 幽体離脱、というものがある。主に就寝中、自分の意識が肉体を離れ、眠っている自分を眺めている、そういう体験をすることがあるらしい。愛実には経験がなかったが、そういうことがあるらしい、ということは知っていた。

 その幽体離脱に似た現象が、愛実に起きていた。意識は肉体に結びついている。しかし、意識が命じていないにも関わらず、手足が勝手に動く。右手に何か重いものを引きずって、イカのような怪物に歩み寄った。怪物は目の前の獲物、沙羅に気をとられ、気づく様子はない。


 何者かの接近にようやく気付き振り向く怪物。しかしそれより一瞬早く、愛実は右手の獲物――大鎌――を両手で高く振り上げ、今まさに怪物の頭めがけて振り下ろそうとしていたのだった。

 頭に深々と刃を突き立てられた怪物は、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。その向こうに、沙羅の驚愕の表情があった。

「め、愛実……?」


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