第六話 逢魔が刻
一人で帰路を歩いていた愛実は、途中に寄ったスーパーで浅葱と合流して、二人で帰り道を歩いていた。浅葱は両手に買い物袋を、愛実は圧力鍋が入った大きな箱を抱えている。
「すみません愛実、手伝っていただいて……」
「いえ、気にしないでください。この鍋は何に使うんですか?」
愛実の記憶している範囲では、浅葱がこのような大きな買い物をしたことはほとんどなかった。珍しいものでも見るように、浅葱の抱えている大きな段ボール箱を眺めていた。
「何にというわけでは……商品券の期限が近くなっていて、丁度前から気になっていたものがあったので……そういえば沙羅は一緒ではないのですか?」
「沙羅の学年は短縮みたいですよ、聞いてなかったですか?」
浅葱はやれやれ、とでも言いたげに小さくため息をついた。その様子を見た愛実は曖昧な苦笑いを浮かべる。
「いえ……なら、先に家に着いているでしょうか」
「そうですね。そうだ、今日のお夕飯はどうしますか? 今日は依頼がないので時間がとれそうですけど」
「早速ですが、鍋を使ってみましょう。白菜があったので、リゾットにでもしましょうか。これで簡単に作れると聞きました」
「楽しみです! お手伝いします!」
二人が管理人室のドアを開けると、中はもぬけの殻だった。名前を呼んでも小さくこだまが帰ってくるだけ。沙羅の返事はない。ふと愛実が応接間に目をやると、机の上に業務用のファイルが置きっぱなしになっていた。すぐ側にはジュースの入ったコップとくしゃくしゃになった相麻探偵事務所の名刺。愛実は今日ほど沙羅の無精に感謝したことはなかった。急ぎ足でテーブルに駆け寄り、ファイルを手に取った。
「庵樹……これって今朝……」
開かれていたのは千笑の父親の依頼を受けたときのレポートであった。そこには今千笑の住所も記載されていた。愛実の予測は一つ。
愛実が振り返ると、そこには狼狽しきった表情の浅葱が立ち尽くしていた。
「浅葱さん、ここで待っててください。沙羅を迎えに行きます。もし私から電話があったら警察に連絡してください」
固い表情のまま機械のように何度もうなずく浅葱を置いて、愛実は一人部屋を飛び出した。
静まり返った部屋に、ガチャリと鍵を開ける音が響いた。閉まったカーテンから夕焼けの光だけが差し込む薄暗い一軒家に、相麻沙羅と庵樹千笑は忍び込んだ。
「へえ、本当に裏から入れるんだ……」
「はい、家族だけの秘密の裏口みたいなものです」
「本当、すぐだからね……もしバレたらなんて言われるか……」
「はい……!」
家全体を包むひしひしとした殺気に体を強張らせながら、足音を立てないように二人は歩き出した。千笑にとっては住み慣れたはずの我が家であった。それが、こんなに怯えながら進まなければいけないとは夢にも思わなかった。
「ひっ……!」
千絵が小さな悲鳴を上げた。廊下には大きな血だまりがいくつもできていた。その飛沫が壁など至る所に打ち付けられ、家族の凄惨な最期を物語っていた。
「お父さん……お母さん……慈郎……!」
「……帰ろうか、千笑ちゃん」
沙羅が屈んで、千笑の顔を覗き込む。千笑は顔をくしゃくしゃにしながら頷いた。
二人が裏口のほうに足を向けた瞬間、後ろの方でヒタヒタと歩くような音が響く。沙羅は即座に千笑を抱きかかえ、物陰に隠れた。何者かと二人の間には何もない。まっすぐな廊下を突っ切れば鉢合わせになってしまうだろう。
顔を出して様子を伺うことはできない。ちらと見えた限りだと、人型をしているようだが、背は異様に高く、腕は歩くと床を擦るかと思う程に長かった。おぞましい悪寒が沙羅を襲い、沙羅は身を震わせた。
二人に迫る生命の危機を知るはずもなく、愛実は沙羅を探して夕暮れの町を駆け抜ける。視界に一軒家が入る。迷うことなく入口目指して駆けだして、扉を開けた。
「沙羅!」
彼女の視界に飛び込んだのは、イカと人が融合したような、泥色の奇怪な怪物であった。
怪物は突然の訪問者に驚いた様子を見せたものの、すぐに我に返り、右手を振り上げた。
「……え?」
目の前で起きていることが理解できない愛実。体が凍り付いたように動かず、呼吸のひとつも、瞬きの一つも許されなかった。