~北の端の小さな村パゴスに住む男の子の物語~
また冬がやってくる北の端にある小さな村ここパゴスの冬は長い。綺麗に色づいた木々の葉はその色合を楽しむ間も無いくらい瞬く間にヒラヒラと舞い落ち、北からの冷風に舞い上がる。
そしてすぐに冬がやってくる、美しくも冷たい氷と雪に閉ざされた真っ白な冬。
すべての音がその白い世界に消えていく、白の世界に1人取り残される永く冷たい冬が……
「父さん、今年の冬も精霊の森の小屋に行くの?あそこは禁じられた谷で人が入っちゃいけないってユキばぁが言ってたよ」
「ユキばぁに小屋について話したのか」
父さんは途端に声をあらげアドニスをにらみつけた。
「話してないよ」
話せるわけがないじゃないか。
5才の冬に母さんと生まれてくるはずだった妹を亡くしてからずっと冬の間だけ暮らしてきたあの場所が村に伝わる精霊の森の奥、人が踏み入れてはいけない禁忌の谷クリュスタロスにあるなんて……
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母さんは子供心に美しい人だった。まるで精霊が間違えて人として生まれてきてしまったかのような、透ける様に白い肌と寂しく儚げな雰囲気をまっとっていた。
容姿どおり病弱で寝ていることも多かったが、元気な時は一緒に森の花畑をおとずれて、僕の遊ぶ姿をはんなりとした儚げなでも幸せそうな笑顔でずっと見守ってくれていたその姿を今でも時々夢で見る。
そんな母さんに赤ちゃんができたのが、僕が5才になろうという春だった。体力のなさゆえに父さんは産むことに反対したが、母さんは絶対にアドニスの妹を産むのだとゆずらなかった。
母さんは、お腹の子が僕の妹であるとなぜか確信していた。そして命を宿した母さんの顔は今まで以上に美しく優しさに満ちていたのだが……
その年の冬はいつもより寒さが厳しく村の蓄えも十分ではなく母さんは妹を産むと間もなくかえらぬ人となった。産み落とされた妹もまたあまりに小さく弱く、僕らは見ているだけでなにもしてあげることが出来ないままたった1日でその生命は消えてしまった。
涙さえ凍えるような寒く暗く長かった冬の日々を、氷の刃で心を刺されているかのような痛みと共に過ごした後、この北の大地にもやっと柔らかくおだやかな束の間の春が訪れた。
母さんの笑顔のような暖かな日差しが差し込む春の日、僕は父さんと母さんが好きだった精霊の森に母さんと妹の散骨をするため向かった。
真っ白な遺灰が春風にのって飛ばされゆくのを、冬の間魂が抜けてしまったかのように過ごしていた父さんはぼんやり眺めていた。やがて大柄な体格に似あわず大声をあげ泣き出すと飛んでゆく灰を追うように森の奥へ奥へと歩みだした。僕も泣きながら父さんを追って行ってたどり着いたのが禁忌の谷クリュスタリス一年中雪の残る深い谷だった。
ひとしきり泣いた後父さんは真っ白な雪で大小二つの十字架を作り谷の入り口にたてるとその前にひざまずきしばらくの間ただ黙って祈りを捧げていた。
その日から父さんは毎日時間を見つけては森の奥クリュスタロスの谷に出向き岩を積み上げ土で固め、遠目には小さな岡に見える小屋を冬前までに完成させた。
それから、父さんは冬になるとクリュスタロスの小屋にこもり毎日母さんと妹の雪像を作って暮らすようになった。
村の家からは一つ一つ母さんの暮らした思い出の品が消え、代わりに森の奥の小屋には母さんの洋服、使っていたコップ、フォーク、編み物の道具といった思い出の品の他、妹へのピンクのフリルのドレスや愛らしいお人形などの新しい贈り物が増えていった。
そう、けっして使われることのないいつまでも真新しいまま飾られてゆく贈り物たちが……
春から秋は村で少し寂しくとも普通の暮らし、冬はクリュスタロスで母さんと妹の物であふれた僕だけがどこかに取り残されてしまっているかのような真っ白で父さんがいても孤独な... ... どこか空虚な世界。
そういつだってどこまでも白くなにも無いかのような空虚さがその場所には付きまとっていた。
そんな真っ白の世界で僕が長い年月を暮らせたのは、ノエルがいたからだ。ノエルはある日突然僕の前にあらわれた手のひらにのるくらいの雪玉にみえるそれは新雪をまとったようにほわほわしていて、青く澄んだ二つ目でじっと僕を見つめてきた。
前触れなく時々現れては、離れてこそこそ見つめ気づくと消える
いつしかその雪玉をノエルと名付け冬の間はいつ現れるともわからないノエルを待つのが僕の日課になった。
不思議とノエルは父さんには見えないようだったが、僕は気にしなかった。父さんはいつだってクリュスタロスではただ母さんと妹の雪像作りにしか興味がなかったから... ...
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そうやって10年の月日が過ぎた。今ではノエルは僕の肩や手にのってくるようになっていたが、長くはさわれない。ノエルは暖かいところでは雪玉と同じように溶けてしまうようだった。
「ノエル、僕はいつまで冬をこのクリュスタロスですごすのかな?おまえに会えるのは嬉しいけどそれでも時々ものすごく侘しくなるんだこの場所では」
「ミュー」
「ありがと、なぐさめてくれるんだね。それにしても父さん今日はやけに帰りが遅いよね。久しぶりに見に行ってみる?谷の奥へ?」
「ミィ」
クリュスタロスは一年中雪が残る。奥へいくほど凍るように寒く両壁を氷で囲われた谷となる。その奥の谷間で父さんは毎冬、毎日のように通っては母さんと妹の雪像を作っては壊しを繰り返していた。
小さい頃は父さんについて行って近くで雪遊びをしていたのだが成長するにつれ父さんについて行くことが億劫になりだんだんと足が遠のいて、気づけばここ一、二年間奥の谷間には一度も訪れていなかった。
もう、数日で今年の冬も終わりをつげ春が訪れるはずの時期ではあったが、谷の奥地にいくにはきっちりとした防寒対策がいる。もこもことした茶色の毛皮のコートを着込んで手袋、帽子を身に着けてから手作りの持ち手以外が氷で出来たトランクにノエルをいれて、僕は数年ぶりのクリュスタロスの奥へとむかった。
手を広げれば触れる両脇を青白い氷の壁に挟まれた狭い道を通り抜け開けた場所に出ると、そこは記憶のなかにあった場所とは一変していた。夕日が沈みかけたラベンダー色の空のした細く道が30メートルほど作られ、道以外の辺り一面に雪で作られたのであろう手のひら大のエーデルワイスに似た花か覆っていた。そして細い道の先に円型の広間が作られその広間の中央に雪ではなく氷で作られた像があった。生きていたころの母さんにそっくりなかぎりなく透明な氷の像とその隣に母さんによく似た女の子のこちらも氷で作られた今にも動きだしそうな像が。
そして父さんは……、母さんの氷像の手をとる形で広間にひざまずき凍り付いていた。
「と、父さん、どうしてこんな。いったい何があったの」
父さんの肩にさわろうとした手には手袋越しでも感じ取れる冷たく固い氷にふれた。父さんは両手で氷像の母さんの手を包むようににぎった姿のまま薄く透明な氷に覆われていたのだ。
茫然としたままどれくらいの時がたったのだろう、いつの間にか夕日はすっかり沈み父さんの側にしゃがみ込むようにうずくまった僕の傍らにはトランクから抜け出して心配そうなつぶらな瞳で僕を見上げるノエルがいた。
「ああ、ノエル……ぼ、僕はどうしたらいい?」
返事はきたいせず思わずつぶやいたボクに向かってノエルは、「ミュ」と短く鳴くとクッルと背を向けぴょこぴょこと離れてゆく。
「待って、ノエル。僕を一人でおいて行かないで」
追いかけようと顔をあげ立ち上がるとすぐそこほんの数メートル先に青白く光る美しい女性が立っていた。
ノエルはその女性の手のひらに飛び乗った。
「貴女は人?」
「やはりアドニスには私が見えるのですね。私は人の世界で冬の女王と呼ばれる者。今はその魂のみの存在」
「冬の女王?誰でもいいです僕の父さんが大変なんだ、助けて下さい」
「アドニス、貴方のお父様は貴方のお母様の魂と共鳴してとらわれてしまった。今私に出来るのは、ここで貴方のお父様が完全に氷像と化してしまわないよう少しばかりの力を貸すのみ。貴方がノエルと共に中央の王都に出向き王と四季の剣を連れ帰ってくるのです」
「あ、あの意味がよくわからないのですが……?」
「ええ、ですが今は詳しく説明している時間がありません。ノエルあなたに器を」
冬の女王は手のひらの上のノエルをそっと少女の氷像に近づけた。
それと同時に青白い光に氷像がつつまれるそして、
「やっと話ができるわね、アドニス。いいえ、お兄ちゃんと呼ぶべきかしら」
「うわっあ、氷像が……ししゃべった」
「説明は、このノエルに頼みます。アドニス、貴方はノエルを連れ今すぐ王都へ向かうのです」
冬の女王は懐から小さな玉を取出しノエルに渡す。
「谷を出たらこれで、私がゆけないから少し遅いのだけれど半月もあれば王都までゆけるはずです」
「はい、任せて下さい。女王様」
「ちょ、ちょっと待ってください王都へって今からこの氷像のノエルを連れてですか?半月で着くことも信じられないけど、もう春なんですクリュタロスの谷を出て王都なんかに向かったりしたら氷でできた像なんてあっという間に融けてしまう」
あせって言いつのった僕に、冬の女王は美しい笑顔をむけた。
「アドニス、優しい子ですね。心配せずとも大丈夫です。私が王都の四季の塔(Le quattro staigion)にもどらぬ限り春はやってこないのです。そして今私はここを離れるわけにはいきません。春の女王にも使いの精霊をだしました。だから今しばらくは大丈夫です。冬は続きノエルが融けてしまうことはありません。だから急いで、貴方のお父様とそれからこの世界が完全に凍り付いてしまう前に四季の剣と人の子の王をここへ連れてくるのです」
「さあ、お兄ちゃん早く早くう」
雪玉ノエルと同じ青く澄んだ目の氷像の少女は戸惑う僕の返事をまたずに雪の華に囲まれた細い道を精霊の森に向かって駆け出した。
「えっ、ちょっとまって」
「今はダメ、後で話す時間はちゃんとあるから早くついて来て」
僕は仕方なくノエルに促されるまま月明かりに照らされてほのかに青白く輝く彼女の背中を追いかけた。
途中、クリュスタロスの谷の小屋によりリュックサックに保存食とわずかな着替えを詰め込み微かに白み始めた空を気にとめることなく僕らは精霊も森と谷の境にたどりついた。
いつもならそろそろ春を迎えはじめ雪の合間から顔を出しているはずの黄色い花もなく森はまだ真っ白な雪と、木々の枝から垂れ下がるつららが朝日を反射してキラキラと輝く冬の森の様子のままだった。
「えい」
ノエルが女王から渡されていた玉を雪に覆われた地面に向け投げるとそれは内側から光を放ち氷で出来た馬車となった。
「わぁ、ノエルでもこれじゃぁ……どうやって……」
その馬車には、あるべきものが欠けている。
「う、馬は?」
「今呼ぶからまって。ピー」
ノエルが高く澄んだ音色の口笛を吹くと一瞬の風がおこり目の前には、
「う、馬?」
真っ白な馬の姿をした二頭のその頭上には長い一本の角がはえていた。
「ユニコーンよ、これで半月で王都まで行ける。本当はペガサスの方が早く2、3日で行けるけどあの子たちは女王に呼ばれた時以外あらわれてくれないの。さあ乗って。」
こうして僕はノエルと共に風のように駆けるユニコーンの引く氷の馬車に乗って四季の塔(Le quattro staigion)のあるという王都を目指すことになった。