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機械仕掛けと護衛の王  作者: 杉下 徹
終章  凡俗
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5-9(終)

「あっ、やっと戻ってきた」

 病院から外に出るべく、ロビーに顔を出した瞬間、嬉しそうな声に迎えられる。

「待ってたのか、ノーラ」

「まぁ、どうせやる事も無いからね。待ってれば、すぐ二人きりになれるかな、って」

 照れもせずにそんな事を言うノーラに、俺も笑みを返す。

 おかしな話だが、あれほど実際に会うまではノーラについて考えるだけで苦しんでいた俺が、ノーラと顔を合わせているとやけに落ち着く。

 きっと、こちらの方が本来、俺がノーラに抱くべき感情なのだろう。波長の合う相手でもあり、思い出を共有する幼馴染であるノーラを、俺は人として好いている。

「どうする? このまま工場に戻る?」

「いや、少し散歩でもしてこう。いいか?」

「もちろん、望むところだよ!」

 肩が触れるほどの距離で並び、病院を出て街へと歩き出す。幼い頃には手を繋いだりもしていたが、流石に互いにそれを提案する事も無い。

「しかし、ノーラは変わらないな」

「そう? 胸とか腰とか、昔よりは出るとこ出たと思うんだけど」

「ハッ」

「笑い飛ばすのはひどくない? せめて否定してよ!」

 直接顔を合わせるのは幼少期以来になるノーラの外見は、俺の記憶にあるものとほとんど変わりない。それどころか、俺が身体的に成長した分だけ、むしろ幼くなったようにすら見えた。

 わずかに丸みを落としたものの、まだ幼さの色の強い顔立ち。身長も伸びてはいるのだろうが、記憶の中では同じくらいだった視線の高さは、今の俺より頭半分ほど低く、常にこちらを見上げるようになっていた。

「シモンは、結構変わったよね。なんか、雄臭くなった」

「なんだその汚い表現」

「汚くないよ、褒めてるの」

 ノーラから見た俺は、やはり変わっては見えるのだろう。男女間の第二次性徴の差、と一言で片付けるわけではないが、少なくとも俺とノーラで外見が大きく変化したのは俺の方に違いない。

「どうだった? この数年は」

「どう、って言われても……まぁ、楽しかったよ。辛くはなかった」

「そうか、それは何よりだ」

 離れていた時間を思い出話で埋めるには、俺はノーラのこれまでを知りすぎている。あくまで文面のやり取りだが、それでもその期間の概要を掴めるくらいには、ノーラからの近況報告は頻繁に送られて来ていたのだから。

「シモンは? 私に会えなくって寂しかった?」

「まさか、会えなくてホッとしてたよ」

「またまたぁ、強がっちゃって」

 冗談に混じえた本音は、無事に笑い飛ばされる。

「俺は、まぁ普通だな。可も無く不可も無く、それなりにやってた」

「楽しかった?」

「人並みに。中の上くらいかな」

「シモンがそういうなら、きっと楽しかったんだね」

 ノーラの方も、詳細に具体的な経歴を要求しては来ない。だが、おそらくその理由は俺からノーラへの理由とは正反対だ。

「今、俺の行ってる学校の名前、知ってるか?」

 そう、思っていた。

「リニアスでしょ? リニアス高等学園。それがどうかしたの?」

「それ、いつ知った?」

「いつって、シモンから……」

 ごく自然に語りかけた口が、ピタリと止まる。

「昨日、工場で状況を聞いた時、くらいが妥当だったな」

「……あっはっはぁ、そうだねぇ」

 思えば、おかしな話だ。

 工場でのノーラの俺への第一声は、『久しぶり』だった。あの場に俺がいた事に驚きもせず、まるで会う約束をしていたかのように、再会を懐かしんで見せたのだ。

 おそらく、ノーラは以前から俺の事を、その通う学校を知っていた。俺が一度も伝えた事が無いのにもかかわらず、だ。

 だから、再会の時、驚いたのは俺だけで。ノーラは最初から、あの場所に俺がいる事を知っていた、いや、そうなるように仕向けていたのだ。

「なぁ、ノーラ」

「な、何?」

 謝られるよりも先に、口を開く。

「ごめん、悪かった」

 紡ぐのは、謝罪の言葉。

「な、何が?」

 わけもわからず戸惑うノーラを前に、ただ頭を下げる。

 これは、俺の中の一つの始末。だから、ノーラには悪いが、理解してもらう必要もそのつもりも無い。

「いつまで予定が空いてるかわからないけど、その間くらいはノーラのやりたい事に付き合ってやるよ」

 俺は、これまで意識してノーラから距離を取ってきた。ノーラとの差を疎み、出来る限りそれを悟られない為に、なるべく情報を明かさないようにしていた。

 だが、それは意味の無い事だった。ノーラは俺について自分で調べ、そして辿り着いていたのだから。そこまでしてくれる幼馴染を、もはや遠ざけておく事はできないし、したくもない。叶うならば、これからはただ一友人として、ごく自然にノーラと接したい。

「うーん、よくわかんないけど、お言葉には甘えさせてもらおうかな」

 予想通りの反応。首を捻りながら、それでもノーラは嬉しそうに詰め寄って来る。

 だから。

「それじゃあ、やっぱりまずは、久しぶりに一戦交えよっか」

 その先に続く言葉も、予想できたはずだったのに。



「結局、戻って来ちゃったね」

 カウス従器工場の従者詰所、その二階にある訓練場で、ノーラと向かい合う。

「そうだな」

 場所は、どこでも良かった。ただ、それは俺達の都合であり、実際に街中で従器を振り回したりなどしたら、それだけで騒ぎになるのは自明の理で。ノーラが一種の有名人である事もあって、人の目を逃れるにはこの場所が一番都合がいい。

「本当に、久しぶりだね」

「ああ、全くだ」

 互いに従器の待機状態は解いているものの、まだ構えを取らず直立のまま。

 常の棒状を取らせた俺の従器、それを握る手は、不思議と震える事もなく落ち着いている。対するノーラは、昨夜と同じく翼を象った従器を背中から広げる。

「シモンは変わらないね」

「ノーラは、随分と変わったな」

「まぁ、色々あったからね」

 幼い頃には見た事も無い特異な従器の形状は、ノーラの従者としての変化を如実に示している。なら、それとは対照的に、基本の型のまま、あの時のままの俺はどうなのか。

「じゃあ、とりあえず、やろっか」

「ああ、そうだな」

 回数はとうに数えるのを止めたほど、かつて繰り返したやり取り。

 俺とノーラの関係は、むしろこちらが主だったと言ってもいい。従器を、戯れを無くして、俺達の関係性は成り立たなかった。

 だから、もしかしたら、この戯れを最後に、俺達の距離は離れていってしまうのかもしれない。もしそうなったとすれば、きっとその方が互いにとって良いのだろう。

「「……っ」」

 動いたのは、ほぼ同時で。

 俺の直線の刺突を、ノーラの翼が面で受ける。そのまま従器を絡め取ろうと変形し始める翼の包囲を、思い切り振り抜いた一閃で切り裂いて逃れる。

「やるねっ」

 だが、直後の一瞬は、明らかに隙だった。

 複雑に絡み合い翼の形を取ったノーラの従器は、切り裂かれたように見えても、実際は各部位の連結が解けただけに過ぎない。損傷を与えたと言えるのは、端から端へと切り落とし、部位を完全に本体から引き剥がしてようやくだ。

 俺が従器を引き戻すよりも先、すでに元の形を取り戻したノーラの翼の一振りが、俺の身体を目掛けて放たれる。

「……ぇっ?」

 躱せた。

 その事実に、俺自身が一番驚いていた。

「っらぁっ!」

 従器の反動で後ろに飛んだ俺を、ノーラの翼が更に追ってくる。

 先程よりも細長く変形し、射程を伸ばしたそれを、だが俺は受けられる。受け止め、三つに分かれた翼の全てを弾き飛ばす事すら出来る。

「とぅっ」

 しかし、その間に詰め寄っていたノーラの回し蹴りに、従器の防御は間に合わない。一応左腕を盾にしたものの、衝撃を殺しきれず押し込まれる。

 更にノーラの攻勢は止まらず、槍のように一点に収束した翼が容赦無く左から押し寄せる。受け止め、その勢いを活かして右後方に飛ぶも、読んでいたように右腕を掴み引き寄せられ、腹部への掌底を喰らう。

「ちぃっ」

 呻く暇も与えず、更に打ち払いに来た翼を、今度は真っ向から弾き飛ばす。同時に翼の複数部位が刃に変形してこちらを狙うが、俺も従器から棘を生やし、刃の全てを撃ち抜く。

 彼我の距離を詰め切り、すでに上蹴りの姿勢に入っているノーラは、一先ず無視。その翼を真っ二つに引き裂くべく、側面を刃に変えた従器を全力で振り抜く。

 ノーラの従器の翼がその中程から分離し、奇妙に蠢きながら床へと落ちる。俺はその一部始終を、蹴り上げられ、宙を飛びながら目にしていた。

「……これは、私の負けかな?」

 無様に床に倒れ伏した俺を見下ろしながら、ノーラがそう呟いた。その右腕は突きを放つべく後ろに引かれ、拳の直線上には盾となった俺の従器があった。

 それが、限界だった。

「そんなわけ無いだろうが」

 身体中が痛む。それはこの感情の直接の原因ではないものの、たしかにわずかな苛立ちを俺に加えていた。

「でも、従器は完全にイカれちゃったし。もう、ここから私に勝算なんて無いでしょ」

 それは、ノーラが手を緩めたからだ。蹴り上げからの連撃を続けていれば、少なくとも俺は無事では済んでいない。

 もっとも、実戦でもない戯れでそこまでする必要は無く、そして実行しなかったからには、やれば出来た、などと言うわけにもいかない。そういう理屈なら、なるほどその部分だけは頷けないでもない。

「俺が、ノーラに勝てるわけが無いだろうが!」

 しかし、問題はそんなところではない。

 俺は、認めたのだ。諦めたのだ。

 あの時、俺の前でその翼を振るったノーラに、完全に知覚の追いつかない一撃に、もはや幼馴染の少女は絶対に俺の手の届かない存在となってしまったのだと知ったのだ。

 おかしかったのは、最初から最後まで全て。そもそも今の俺は、ノーラと従器を交える事すら叶わないはずで。そこまでの実力差がありながら、勝敗が紙一重にまで緊迫する事自体があり得ない。

「……ふふっ、あはははっ!」

 心から、可笑しそうな笑い声。意味のわからないそれに、苛立たない自分に腹が立つ。

「シモンは、私を買い被り過ぎだよ」

 やがて、落ち着きを取り戻したノーラは、ゆっくりと語り始めた。

「私は、自分がシモンより上だなんて思った事は一度も無い。もしシモンがそう思ってたんだとしたら、それはきっと、先入観のせいだよ」

「そんな事――」

「昔から、私はシモンに勝つためだけに努力してたんだから」

 ノーラの言葉を、遮る事ができない。

 俺は、まだ心のどこかでそれが真実であってくれと願っていたから。

「強くなる為じゃない、私の目標はシモンに勝つ事だけだった。シモンに勝つための技術を磨いて、シモンに対して最強の自分を目指した」

 それが本当だとしても、それでやっと条件は俺と同じだ。そして、同じであっても、最初の一度を除いて、かつての俺はノーラに二度と勝てなかった。

「でも、今はもう違うんだ。……だから、負けちゃったんだろうね」

 悔しそうに笑うノーラの事が、俺にはわからない。

「お前が本気でやったなら、俺に負けるわけがない」

「今の私は、全力で戦ったよ。ただ、王石を使ってないだけで」

 思考が、一度止まる。

 あの夜、そして今、ノーラが王石を使用していたかどうかという条件は、たしかに思考から完全に抜け落ちていた。王石が従器の性能を飛躍的に高める事は、面の男で十分に理解していたのに。

「まぁ、残念だけど、そういう事。だから、買い被り過ぎなんだって」

 そういう事、なのだろうか。あの時のノーラは、王石により強化されたもので、それを除いたノーラの実力は、俺とそれほど変わりが無い。そんな事があり得るのだろうか。

 混乱している、流されそうになる。だが、ここで流されては、俺の決断は、ノーラに勝つ事を諦める決意は何だったのか。

 全身の痛みは、頭の痛みに掻き消される。その痛みは、頭にそっと置かれた手の温かさに一瞬にして消えていった。


「また、強くなったね、シモン」


 ただ、その言葉だけが。

 最も欲していたものを与えられた喜びに、それまでの全てを忘れ、俺はただ頷いていた。


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