4-13
自由時間だからと言って、別に皆で別れて行動する必要は無い。むしろ、特に観光地というわけでもない余所の街を一人でぶらつくくらいなら、学友と雑談でもしながら時間を潰した方が楽しめると考えるのが普通だろう。
「……いないか」
しかし、現実に今の俺はこうして一人で街を歩き回っている。それも、不自然に見えないギリギリのラインで周りを見渡しながら、だ。
別に、迷子になったというわけではない。リーダーとして堂々と解散を宣言して、半ば納得のいっていない様子の皆を置いて飛び出しただけだ。
「っ……違うな」
自分と同じくらいの年格好の少女を視界に捉え、顔を確認して意識から消す。別に、ナンパ相手を探しているわけではない。
実際のところ、今の自分の行動について、俺も良く理解してはいない。この辺りにいるというノーラの姿を探している、というところまでは間違いないだろうが、実際にノーラを見つけた場合、声をかけるのか隠れるのかもその時にならないとわからない。どちらを選ぶにしても、一人の方が都合がいいだろう、という算段があって単独行動を試みたのだとは思うが、それすら後付けの理由という感も強い。
「――ねぇ」
背後から、少女の声。
「!?」
声と同時に肩に置かれた手に、情けない事に俺の身体は地面から浮くくらい跳ねていた。
「な、何よ、別に後ろ取ったからって襲わないわよ」
「……なんだ、チャイか」
ゆっくりと振り向いた先、そこには怪訝そうなチャイの顔があった。
「ノーラさんじゃなくて残念だった?」
「いや、どうだろうな。正直、安心してるかもしれない」
「ふーん、やっぱり」
見透かしたようなチャイの言葉には、それほど驚きは無かった。俺とノーラの関係の一端を知るチャイの口からその名が出る事は、むしろ自然ですらある。
「この辺りに来てるんだ、ノーラさん」
「ああ、そうらしいな」
「これから会うの?」
「約束はしてない」
俺とノーラの間の端末越しのやり取りについて、チャイは知らない。だが、何らかのやり取りがあって、俺がこういう行動に出ているという意味はわかっているようだ。
「それなのに、探してるってわけ? それってなんか、ストーカーみたいじゃない?」
「……言うな、自覚はある」
自分でも不可解な行動は、他人から見れば怪しいに決まっている。一応わかってはいても、実際にその他人から言葉にされると凹む。
「まぁ、私も人の事は言えないけど」
「たしかに、俺をつけて来たんだったな」
「そっちじゃないわよ! 私も、あんたと一緒にノーラさんを探すって事」
そこで、やっとチャイが俺を追ってきた理由を理解する。俺がノーラと合流すると考えたチャイは、憧れであるノーラと会う為、自分もその場に居合わせようとしたのだ。
「……まぁ、いいか」
ノーラとは一対一で顔を合わせたい思いもあるが、そもそもこうして歩いていて偶然出会う可能性などほとんど無いわけで、あえてチャイを突っぱねる必要もない。いざとなれば、俺だけ離れるという手だってある。
「特にどの辺りにいる、とかは無いから、探すなら適当に探してくれ」
「良くそんなので探そうと思ったわね」
「嫌なら、探してくれとは頼まない」
「感じ悪いわね、そういう意味で言ったわけじゃないし」
ぶつくさと言いながらも、チャイはノーラを探すのを止めるつもりはないらしい。
「……ねぇ」
視線は四方に散らしたままで、チャイの声だけが会話を求めてその場に響く。
「なんだ?」
「学園やめるって、あれ、いつやめるつもり?」
何でもないかのような口調で、散策中にしては重い話題を振られる。
「この実習が終わってから、機を見て、かな」
ただ、少なくとも俺にとって、それは話したくない話題ではなかった。
「なんか、割と適当なのね」
「親の引っ越し、みたいに、わかりやすいタイミングと理由があるわけじゃないからな」
「へぇ、そうなんだ」
ならばどうして、とは聞いて来ない。
あくまで散策のついで、場繋ぎの会話だからという理由付けは、体裁的なものでしかないだろう。俺が答えたがらない事を知って、チャイも聞かずにいてくれているのだ。
チャイとの一対一での訓練の後、俺が口にした事は、今にして思えばほとんど全てが余計な事でしかなかった。
ノーラとの関係、そして学園をやめる意思。そのどちらもが他の誰にも伝えていなかったもので、チャイに話してしまったのはその場の勢いに依るところがかなり大きい。
特に、後者は余計だった。ノーラとの関係を語る事は、悩み相談や愚痴のような水抜きとして許容しても、よりによってそれを語った相手に学園をやめるかもしれないなどと口にするべきではなかった。
察しのいいクライフ辺りなら、その二つを関連付けて答えを出せてしまうだろう。あるいは、チャイもなんとなく見当は付いているのかもしれない。このまま学園に残っていても、ノーラには追いつけないのではないか。その疑念がほとんど確信に変わりかけたからこそ、俺がリニアス高等学園をやめる決意をした事に。
「チャイは、どうして実習に来たかったんだ?」
話を逸らすように、こちらも微妙に重い話題を振り返す。
「前に言わなかった? 実習に行く人、行かない人、が優劣で分けられるんだから、劣ってる方に入るのは癪だったって」
切れ味のいいチャイの返しは、たしかに前にも聞いていた。生来の負けず嫌いであるチャイらしい考え方でもある。
そして、その先にある理由に、俺は踏み込まない。
いくら負けず嫌いでも、一度決定してしまった事に抗うのは難しい。全ての物事に勝つ事は不可能である以上、それでも実習の選抜という勝負にだけは勝ちたかった理由のようなものが、具体的な何かがあるはずなのだ。
だが、チャイはそれを答えない。ならば、俺だけが答えたくない答えを問うわけにはいかないだろう。
「でも、マシューは良く実習を譲る気になったな」
「あれは……うん、まぁ」
続いた他愛無いはずの会話に、しかしチャイは言葉を濁す。
「もし、あの時、シモンが私に負けてたとして、その後に私から実習の枠を譲るように言われて断れた? お前の方が弱いんだから譲るべきだ、って言われて」
「マシューにそう言ったのか?」
「一言一句同じではないけど、大体はそんな感じ。事後承諾だったから、断るに断れなかったんだと思う」
申し訳なさそうな表情が、横顔からでも見て取れる。きっと、出来る事ならチャイはそんな手段を取りたくはなかったのだろう。
「……ああ、ダメね」
チャイの目線が、こちらを向く。
ノーラを探すのを諦めた、というわけではない。それを口実に、会話を場繋ぎの領域に留めておく事を諦めてしまったのだ。
つまり、この直後に放たれる言葉は何らかの重みを持つ。チャイにとって、あるいは俺にとってか。そして、そのどちらであっても、今の俺には望ましくはない。
「…………?」
緊張で鋭敏になった五感が、わずかな違和感を捉える。あるいは、それは自分を誤魔化す為の錯覚だったのかもしれないが。
「――後をつけられてる」
とにかく、俺はそう口にしてしまった。ならば、事態は動き出す。
「……誰に?」
「わからない、気のせいかもしれない。ただ、視線を感じる」
「そう? 私はわかんないけど」
やや顔を寄せ、内緒話のように小声で会話を交わす。先程よりも入念に周囲の気配を探ってみても、チャイは特にそれらしきものを感じないらしい。ならば、やはり錯覚か、それとも俺だけがそれに気付いているのか。
「それで、どうするの?」
「無視する……でもいいんだけどな」
仮に俺達が本当につけられているとして、思い当たる理由は多くない。特に俺達である必要がないものなら、スリやナンパ、ただの通り魔などいくらでも可能性はあると言えばあるのだが、その程度なら従者見習いである俺達二人でどうにかなる算段が高い。
逆に俺達をピンポイントに目標と定めているのなら、リーディアさん辺りのカウス従器工場関係者が、万が一にも俺達が危害を受けないよう見張っているという線くらいしか思い浮かばず、それならそれで限りなく安全に近いだろう。
しかし、安全だろうが問題が無かろうが、つけられるというのは気分が悪い。一度意識したせいか、すでに俺の中ではこちらに向けられる視線は気のせいとは思えないくらいに存在感を増していた。
「チャイがそれで良ければ、皆と合流しようかと思う」
「私はいいけど、それでいいの? ノーラさんを探すのは……」
「いいんだよ、最初から、本気で見つかると思ってたわけじゃない」
そう、ノーラを探すというのはあくまで自己満足のためでしかない。逃避の結果の妥協点、自分の中で納得する為の儀式、つまりは無駄で無為な行動だ。
そして、今もまた、俺は逃避を選んだのかもしれない。