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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第八章 Burn the Witch
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Burn the Witch(3)

(1)

 

 目の前に木皿が運ばれてくると鳶色の双眸に生気が蘇った。

 木皿には、ほのかに湯気を立ち上らせる白色のヴルスト三本とザワークラウトが盛り付けられている。

 皮に切込みを入れる用のナイフを手渡されるやいなや、アストリッドは目にも止まらぬ速さでナイフをヴルストに突き刺した。

 切っ先が皮を突き破り、熱い肉汁がぷつっと弾け飛ぶ。

 アストリッドは目一杯口を大きく開けてヴルストにかぶりついた。


「ふぁふぁふぁー、ひひはへっはぁー!(あああー、生き返ったぁー!!)」


 口に物を入れたまま喋るという行儀悪さに、対面の席でシュバルツビアーを煽るウォルフィの眉間の皺が一本増える。

 彼の隣に座るヤスミンは、グラスに半分だけ入った林檎ジュースにピッチャーの炭酸水を注いでいた。


 頭上で光る、チューリップを逆さにしたみたいなランプが微かに揺れる。

 席ごとに天井に取り付けられたランプは暗闇を照らす夜光花が咲き誇るようだ。

 幾つもの夜光花の下、各テーブルやカウンターでは客達が酒で日々の疲れを癒している。


 銀杏並木の歩道を通り過ぎた三人は、飲食街に足を踏み入れて間もなく、目に入った適当なパブへと入店した。

 こじんまりとした木造納屋に似た外観に反し、意外にも店内は広い。

 入口から見て左手側には長いカウンター席が設けられ、厨房全体が見渡せる。

 右手側には四人掛けの席が縦三列、それぞれ四脚のテーブル席が設けられ、席と席の間隔もかなり空いている。

 三人は奥の方のテーブル席を案内され――、今に至る。


「ヤスミンさん、ウォルフィがお金出してくれるんだから、もっと注文すればいいのに」 


 二本目のヴルストを齧りながらアストリッドはヤスミンの手元を注視する。

 アプフェルショールのグラスの他には、木のボウルに入ったプレッツェルの山をウォルフィと分け合い、ちびちびと撮んでいただけだった。


「フリーデリーケさんが夕食を作ってくれていますし。ここではちょっと食べるだけにしようと思って」

「ポテンテ少佐の料理の腕前はなかなかのものですもんねー。じゃあ自分も今日はこれだけにしときます!」


 まだ食べるつもりだったのかと呆れ返る父娘を気にも留めず、アストリッドは三本目のヴルストをナイフに突き刺す。

 きっと屋敷に戻ったら戻ったで夕食もしっかり食べる気満々だろう。

 あんなに食べても太らないどころか華奢な体型を維持できているのは、凄いというか羨ましいというか。

 胸に湧く羨望を誤魔化すべく、グラスに口を付けるヤスミンの脳裏をある思い出が過ぎった。



 ハイリガーの居城で暮らしていたほんの数か月前。

 その日、食事当番だったヤスミンの元に、ロミーが『ロミーもお料理作る手伝いしたい!』と厨房へ忍び込んできたのだ。


『うーん……、じゃあ、カトラリーの上に置いてあるグラスに林檎ジュースを入れてくれないかなぁ??』

『全部のグラスに??』

『うん、全部によ。あ、ジュースの量はグラスの半分までにしてね!あとで炭酸水で割るから』

『分かった!』



(ロミー、どうしているかな……)


 あんたなんか大嫌い、と告げられたあげく焼殺されかけたけれど、ヤスミンはロミーを嫌う事ができないでいた。

 例え、あの時の言葉通りに彼女から嫌われていたとしても。


 ヤスミンはグラスに残った氷をカラカラと転がしていたが、頭上からふと視線を感じ取り、顔を上げる。

 急に静かになったヤスミンを、アストリッドとウォルフィが心配げに見下ろしていた。


「パパとアストリッド様に、お願いがあるんです」

「何だ」

「何でしょうか??」

「今度、ロミーと面会したい、んですけど……」


 二人の目に困惑の色が浮かんだのをはっきりと捉えた。

 しまった、やっぱり黙っておけば良かった、と、後悔の念が過ぎる――


「まったく……、ギュルトナー元帥閣下は魔女共に甘すぎる!!」


 店内中に響き渡る怒声に近い大声が、アストリッド達の困惑を、ヤスミンの後悔を一瞬で吹き飛ばした。

 声の方向を確認すれば、カウンター席のちょうど真ん中ら辺に座る二人組の男達の背中が。

 顔こそ見えないものの、よく通る声や背中のたくましい肉付き、朱の立襟に薄灰の上衣から軍人だというのは一目瞭然だった。


「閣下ご自身が魔法使いである以上、同胞の魔女共の肩を持ちたくもなるのかもしれんが」

「それにしたってだぞ?!なぜ、東の魔女をさっさと火炙りにしない?!」

「死刑執行は可決して半年後、と法に定められているのだから、早めることなど無理だよ」

「その割に、本来なら死刑相当の罪を犯したアイス・ヘクセは終身刑が下されたじゃないか!先達ての、魔笛事件の首謀者の一人だって未成年だというだけで減刑された!!同胞を庇うためなら法を捻じ曲げる癖に断罪する場合は遵守するとは、余りに勝手都合が過ぎる!!やはり、兄君の亡きギュルトナー少将閣下の方が統率者としての才覚が……」

「落ち着けよ!いくら私的時間での発言とはいえ、今のは不敬罪に当たるぞ!!」

「構うものか!お前だって本心では俺と同じことを思っている癖に!!」


 激高する一方の男を宥めすかしていた男は返答に窮し、ぐっと言葉を喉の奥へと飲み込んだ。

 押し黙った友人をせせら笑い、カウンターテーブルにグラスをどんと乱暴に置くと男の語りに益々拍車が掛かっていく。


「前元帥の時代であればともかく、軍事力が飛躍的に上がってきている今、魔女共の力に頼る必要など本当にあるのか?!軍部が頭を下げ、国防を任命した四名の大魔女の内三名が国を、軍を裏切ったんだ!軍の威信に賭け、奴らに正当な制裁を加えるのは間違いじゃない筈だろう!」


 延々と大声で管を巻き続ける男に、他の客達は不快で顔を歪め――、当然アストリッド達も眉を潜めていた。


 ヤスミンは耳に入れたくないと徐に両手で耳を抑えつけ、顔を俯かせて全身を震わせている。

 垂れ落ちる長い髪で表情こそ見えないが、髪の隙間から見える顔色はいつにも増して青白い。

 庇うようにヤスミンの肩を抱くウォルフィは、『とっとと勘定済ませて店を出るぞ』とアストリッドに視線で訴える。

『勿論、そのつもりです』と、アストリッドもまた視線で答え、店員を呼ぼうと腰を浮かせて立ち上がろうとした。

 しかし、店主らしき人物は「あの……、申し訳ありませんが、他のお客様のご迷惑ですので声を落としてもらえませんか」などと男達を宥めるのに必死でアストリッド達の動きに気付いてすらいない。

 どうやらこの店は店主の他に従業員はいないようだ。


「煩い!お前がこうやって商売できるのも、偏に我々が国防や治安維持に命を懸けているからこそだろうが!!憂さを晴らして何が悪い!!」


 ウォルフィの眉間の皺が更に二、三本深く刻まれる。

 リヒャルトやフリーデリーケ、エドガーなどは例外として、二十六年前の魔女狩り以降、基本的に彼は軍人嫌いだ。

 加えて権威を振りかざす軍人には虫唾が走って仕方がなく、激しい嫌悪と怒りでヤスミンの肩を抱く手に自然と力が籠っていく。


「お前、ちょっと飲み過ぎだぞ……!」


 店中から刺すような冷たい視線を浴びせられ、相方は席から立ち上がり、暴言を吐き続ける男の腕を引っ張って立たせようとした。

 男は邪魔臭そうにその腕を振り払い、「追加注文だ!!」とあくまでも居座ろうとする。


「はっ、奴らのような凶悪な魔女どもを今後出現させないよう、国中の魔女達を厳しく取り締まってくれれば……」

「ちょっと待てよ!俺達まで巻き込もうとするのはやめてくれ!!」


 テーブル席の左端から、突然けたたましく席を立つ音が聞こえた。

 そこには立ち上がった若い男を含め、黒ずくめの服装をした三人の男達が軍人達を睨んでいた。


 軍人と魔法使いとの間で一触即発の事態。

 この国に未だ深く根付く双方の遺恨、軋轢を見せつけられるような。


「…………もう、嫌!…………」


 ヤスミンの肩の震えは大きくなり、俯かせた頭はどんどん下がっていく。

 鼻を啜る音が微かにしだしたことから、もしかしたら泣いているかもしれない。


「ウォルフィ。自分が彼らの仲裁に入りますから、その間にお金だけ置いてヤスミンさんと一緒に店を出て下さい」


 ウォルフィは黙って頷き、抱え上げるようにしてヤスミンを席から立たせると代金をテーブルに置いた。

 続いてアストリッドも代金を置く。


「ねーえ、黙って聞いていれば、ううん、聞きたくもないんだけど聞かざるを得ないってとこかしらん??アンタ達、さっきからグダグダとまぁ、鬱陶しいったらありゃしないわぁー」


 アストリッド達が席を離れようとした、まさにその矢先、女の涼やかな声が反響した。




(2)

 一番奥のカウンター席から声の主が一歩、また一歩と男達に近付いてくる

 明度を落とした灯りの下、長い髪は黄金に輝いている。

 肉感的な肢体を誇張させる、ぴったりとした黒いドレスを纏う女の姿に、店内にいる誰もが目を奪われた。

 暴言を吐き散らしていた軍人も、彼に突っかかった若き魔法使いも。

 悠然と歩み寄る美女を惚けたようにただ眺めていた。

 女は男のすぐ目の前まで来ると、細い腰に手を当てて威圧的に見下ろした。


「な、何だ、お前……」

「何だじゃあないわよ。お店や他のお客さん達の迷惑になるからいい加減お黙りなさいっ!みっともないと思わない訳ぇ?!」


 強い口調でぴしゃりと叱責され、たじろいだ男は女から身をのけぞらせた。

 見逃すものかと、女は顔を男に近付けて更に言い募る。


「そりゃあね、生きてれば誰だって不平不満を抱えるし、時には発散するのも必要よ??でもね、何事も程度ってもんがあるでしょ??あとね」


 女のエメラルドグリーンの双眸が一段と強く光る。

 女の気迫に押されて男は成す術もなく、ごくりと唾を飲み下す。


「職務外の時間――、慶弔事を除いての軍服着用は軍規違反よねぇ??」


 男の顔から見る見る内に血の気が引いていく。

 隣に座る仲間も同様に。

 女はわざと大きく肩を竦めて苦笑いする。


「ギュルトナー元帥への不満も魔女達への不信も分からなくはないけどぉー??でも人様への批判をくどくど叫び散らしたり、軍の権威を振りかざす前にまずは己を省みて恥を知りなさぁい!」


 先程までの勢いはどこへやら、軍人達はがくりと項垂れて静かになった。

 言いたいことを言い切って清々したのか、女は二人に一瞥もくれずに元の席に戻ろうと―――して、「ああん、やめやめ!折角の酔いも醒めちゃったからやっぱり出るわ!マスター!!」と、事の成り行きをおろおろと見守っていた店主に呼びかける。


「はい、お代よ。アタシの連れの分も一緒に……」

「うおぉぉい、いいっすよ!!むしろ俺が奢りますよ!!」


 女が座っていた場所から連れらしき男が慌てて飛び出してきた。

 その男を見た途端、「ゲッペルス少尉?!」と素っ頓狂な声で叫ぶ声が上がり、女もまた叫び返した。


「あらぁ、アスちゃん!?アスちゃんじゃないの!!しかもウォル君にヤスミンまで!!」


 険しい表情から一転、アストリッド達の姿を認めた女の顔は華やいだ明るい笑顔へと切り変わった。

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