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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第七章 I Know
93/138

I Know(9)

(1)

 

 シュネーヴィトヘンの聴取に関する報告を、リヒャルトは平静を装って聞いていた。


「ロッテ殿への刑罰だが……、やはり極刑は免れないだろうな……。ゲッペルス少尉、報告書をこちらへ」


 エドガーはリヒャルトが鎮座する執務机の前まで進み出て報告書を手渡す。

 極刑という言葉を耳にしたせいか、眼鏡越しに濃緑の瞳が僅かに翳っている。


「報告ご苦労だった。もう今日は下がりたまえ」

「はっ!」


 執務机から一歩下がり敬礼するとエドガーは執務室から退室し、屈強な背中が廊下へと消えていく。

 扉が閉まるのを見計らい、リヒャルトは放るように雑に報告書を机上に置いた。


 後日、今し方受けた報告と憲兵達からの調書を元に、シュネーヴィトヘンの裁判及び刑罰の評議が行われる。

 結果が目に見えているとはいえ、リヒャルトの胸中は鉛を詰め込まれたように重苦しかった。


 アストリッドから、シュネーヴィトヘンとヤスミン達のわだかまりがようやく解け始めてきたと聞かされた分、余計に。


 シュネーヴィトヘンの身柄をアストリッド邸に移送した真の目的はアストリッドの見解通り、ウォルフィやヤスミンとの和解であった。

 聴取にどれだけの期間を費やすかは定かでなかったから、上手く事が運ぶかどうかまでは不確定だったが。

 あの親子――、特にシュネーヴィトヘンとウォルフィの因縁を知るだけに、せめて断ち切るだけでもできれば――


 しかし、せめてもの温情が、逆に彼らを苦しめる結果になり兼ねない、かもしれない。


 アストリッドからの報告に新たな危惧を抱きつつ、自らの甘さは人を傷つけてばかりだ、と、益々苦い思いが心の奥底を侵食していく――


 そんな気鬱を抱えたまま、リムジンに揺られ、私邸への帰路を辿る。

 走行する車の窓越しから見える南の空にはサソリの(アンタレス)臓が赤く輝いていた。


 日中の間に籠った熱気が残る車内、広い後部座席の背もたれに深く背を沈める。

 疲労の波に飲まれるように目を閉じるが、眠りに身を任せる程気を緩めてはいない。

 その証拠に、私邸の門扉の前に到着と同時に目を開け、姿勢を正す。


 玄関ポーチまで運転手と護衛に送られ、扉を開ける。

 今夜はすでに寝てしまったのか、フリーデリーケの出迎えは、ない。 


 彼女と顔を合わせないのは残念なような、ホッとするような――、何とも言えない思いに駆られながら、私室へ向かうべく奥の階段へと足を運んでいく。

 疲労と睡魔に負けそうな身を鞭打ってでもシャワーで汗を流したいので、着替えの用意等の準備をしたかったからだ。


 ガスランプを灯すことなくカーテンの隙間から差し込む月と星の光を頼りに、暗い室内で軍服の上衣を脱ぎ、ネクタイを外していると。

 遠慮がちに小さく扉をノックする音が聞こえてきた。


(やはり起きていたのか……。しかし、真夜中に男の私室を訪れるのは些か無防備なのではないか??)


 すでに三週間近く同じ屋根の下で共に生活しているものの、当然ながら彼女の身に触れるようなことは何もしていない。

 その程度の自制心くらい、いくらでも持ち合わせている。

 あえて知らぬ振りを決め込もうかと思ったが、二回目のノックの音により仕方なく扉を開けることにした。


 扉を開けた瞬間、フリーデリーケはびくりと肩を震わせ、大仰に驚いてみせた。

 開くことはないかもしれない、と、諦めかけていたのだろう。

 呆けたように見開かれた群青の瞳が物語っていた。


「あの……、こんな夜分に、しかも、大変お疲れのところ、申し訳ありません……」

「いや……、それは別に構わないんだが。私に何か用が??」

「…………」

「??」


 半ば押し掛けるような形でリヒャルトを訪ねてきたというのに。

 迎えたリヒャルトも穏やかな態度で接しているというのに。


 用件を聞かれた途端、フリーデリーケは目を伏せて口を固く噤んでしまったのだ。

 これにはリヒャルトも困惑せざるを得ない。


 以前の彼女であれば、どのような用件であれ――、例え言い辛い内容であっても――、迷うことなく単刀直入に伝えてきた。

 長身を竦ませ、おどおどとした態度で言い淀む姿にはやはり違和感しか覚えない。


「あの……、閣下がお辛そうにしているようなのが……、ずっと気になっていまして……。初めてお会いした頃と比べて、顔色も優れませんしお痩せになられましたよね……??」

「あぁ……、言われてみればそうかもしれないな??まぁ、気にする程のことではないよ」


 初めてお会いした、という言葉に引っ掛かるが指摘はせず、笑って誤魔化すべく微笑んでみせる。


「もしかして、私の体調を心配してわざわざ声を掛けてきたのか??」

「はい。差し出がましいことだとは承知していますし、余計な心配だとは思ったのですが……」

「いや、そんな風には全く思っていないよ。ただ、不規則的ではあるが食事も睡眠も摂ってはいるし、この程度で体調を崩す程やわな身体ではないから心配は無用だ」

「ですが」

「君こそ、なかなか記憶が取り戻せなくて内心焦っているだろう??」

「…………」


 図星だったのかフリーデリーケは黙り込み、バツが悪そうにリヒャルトから視線を逸らした。


「私を気遣ってくれるのを迷惑だとは思わないし、むしろ気持ちは有難く受け取るよ。でも、まずは自分自身を労わり、その上で少しずつでいいから記憶を……」

「確かに、私はまだ何も、自分自身のこと、貴方との間にあったであろうことも思い出せていません」


 ふいに、フリーデリーケは外していた視線をもう一度リヒャルトへと投げかける。

 先程までの自信なさげな弱々しいものではなく、毅然としたものへ――、そう、本来の彼女特有の――


 今度はリヒャルトの方が、切れ上がった瞳の強すぎる眼差しに押され、怯む番だった。


「ですが、これだけははっきりと言い切れます。私は、ずっと以前から貴方を愛しているのです。例え記憶がなくとも、貴方への想いだけは心に――、魂に刻まれている気がするのです。だから……、貴方が人知れず苦悩する姿が、どうしても見るに、耐えなくて……」

「…………」

「……申し訳ありませんでした。貴方が私の想いに応えられないことはよく分かっていますし、私も何の期待もしていません。どうぞ捨て置いて下さって結構です」

「…………」

「……少しでも迷惑だ、煩わしいと感じられましたら、明日にでも半陰陽の魔女様の元へ私の身を送ってください……」


 一言も言葉を発しないリヒャルトに気まずさと不安を抱き始めたのだろう。

 フリーデリーケは再び気弱な態度へと戻り、扉の前から立ち去ろうとした――、が。


 ここから行かせまいと、リヒャルトによって強く手首を掴み取られた。


 気まずさと不安の中に恐れも入り混じった目で見上げられたリヒャルトは、整った顔をくしゃりと歪め、悲しげに微笑む。



「…………知っているよ…………」



 そう答えるだけで精一杯だった。







(2)


 

「じゃあ、私は今日も自室で寝るから……」


 席を立ち上がったヤスミンはテーブルの上のティーポット、カップ、皿を片付けながら、後ろの壁際に佇むウォルフィにちらりと目配せする。


『今日こそ、ママとちゃんと仲良くして!』


 口に出さずとも、視線の鋭さ、厳しさから責め立てられているのがひしひしと伝わり、つい舌打ちしそうになるのを堪える。


 娘の()()を解けずにいた――、否、解こうにもあの状況を娘に語るのは、ウォルフィにとってもシュネーヴィトヘンにとっても気恥ずかしく。

 加えて状況的に昨夜、自分がシュネーヴィトヘンに酷い事を言ったのでは、と、疑惑を抱かれても仕方ない状況でもあった。


「ママ、パパ、おやすみなさい」


 トレイを手にヤスミンが退室するとシュネーヴィトヘンは席を立ち、ウォルフィは壁際から背を離した。

 互いにぎこちない動きで歩み寄り、あと二、三歩進めばぴたりと寄り添えそうな……、しかし、どちらもそこからは進まず、微妙な距離を開けたままで立ち止まる。


 正面から向き合うシュネーヴィトヘンの目の縁はまだ薄っすらと赤く腫れている。

 痛ましいものを見るような目で眉根を寄せるウォルフィの視線を避け、シュネーヴィトヘンは唇の端を無理矢理持ち上げてみせる。


「ヤスミンには一応、貴方……、…………ウォル、フ…………、のせいじゃない、とは言ったのだけど」


 目の縁を軽く指先で触れながら、シュネーヴィトヘンは力無く笑った。

 昨夜、ウォルフィの前で何時間もの間慟哭したことで、今日は泣き腫らした酷い顔で丸一日を過ごしていた。

 ヤスミンは母の泣き腫らした顔はウォルフィのせいだと勘違いしていたが、まさか、そのウォルフィの腕に抱きしめられながら泣いていたとは、恥ずかしくて口が裂けても言えなかったのだ。


「……まぁ、ある意味では俺のせい、かもしれないな……」

「違うって言っているでしょ??」


 つい苛立ち、シュネーヴィトヘンは一歩にじり寄ってウォルフィを睨み上げた。

 すると長い腕が伸ばされ、骨張った指先が遠慮がちに髪を撫で、次いで、腫れた目の縁に優しく触れてきた。


 指先の動きを拒絶することなく、シュネーヴィトヘンは大人しくされるがまま触れさせている。

 ウォルフィの指先は目の縁から頬へ、頬から唇へと移行していく。

 下唇を親指でなぞり上げられると、くすぐったいのか僅かに身を捩ってみせる。

 心なしか白い頬にほんのりと朱が差し始め、黒曜石の双眸が強請るように見上げてきた。


 熱を含んだ視線が求めてくる。

 もっと触れて欲しい、触れられたい――、と。


 欲望という名の、今にも折れそうな、頼りないくらいに細い蝋燭に二度目の炎が点される。

 随分と昔、一度だけ、それも一瞬だけしか燃えることが許されなかった、情念の炎が。


 再び宿り始めた心中の炎に突き動かされ、自然とウォルフィは細く小さな顎を掌にそっと持ち上げる。


 二十六年振りに交わしたキスは、初めての時のようにぎこちなかった。

ムーンの方で今話の続きとなる話(タイトル「暗黙情事」)を掲載しています。

(18歳以上の方であれば)本編と共にお楽しみ下さい……。

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