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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第七章 I Know
92/138

I Know(8)

(1)

 

 石炭コンロに掛けられた鍋からは野菜が煮える香りが漂っていた。

 くつくつと煮え立つ鍋の中に茶色い顆粒を落とし、レードルでぐるぐるとかき混ぜていく。

 まだ早朝とはいえ夏が本番に近付きつつある時期、火を使用する厨房内は熱気が籠り、蒸し暑い。

 レードルで鍋を掻き回すヤスミンの、半袖から覗く白い腕はすでに汗ばんでいる。


「おー、朝からご苦労さんだねぇ、チビッ子魔女のねーちゃん」

「だ・れ・が、チビッ子ですってぇ……??」


 自分だって子供みたいな見た目の癖に……、と、声を掛けてきた人物を振り返り、ギロッと睨み付ける。

 振り返った先――、ヤスミンより少しだけ背が高く、額に掛かる長い黒髪の隙間からはしっこそうな茶色い瞳が見下ろしていた。


「おはよ、ズィルバーン。言っとくけど、今朝はあんたがつまみ食いできそうなものは何もないわよ」

「えぇー、ヴルストは?!」

「残念でした、まだ貯蔵庫から持ってきてないわ」


 なんだよー、と、不服そうに舌打ちをするズィルバーンに、「皆が起きてくるまで待ってなさいよね」と、シッシッと鍋から出したレードルを振って厨房から出て行くよう促す。


「へいへーい、邪魔したなー」


 促されるまま、ズィルバーンは唇を尖らせて厨房を立ち去っていく。

 全くもう、と呆れながら、ヤスミンはレードルを鍋の中へ戻し、スープ作りを再開した。

 野菜も大方煮えたし、あとは細かい味付けの調整のみ。

 完成したら冷却系の魔法で冷製スープにすれば……、と考えていると、また背後で人の気配を感じた。


「ちょっとズィルバーン、大人しく待っててって言ったでしょ……」


 しかし、再び振り返ったヤスミンを見下ろしていたのは、ズィルバーンよりも頭一つ分程高い位置にある鳶色の瞳だった。


「ア、アストリッド様!お、おはようございます!」

「えへへー、おはようございます。ヤスミンさん」

「あ、あのー……、ヴルストはまだ用意してませんけど……」

「あららー……、って、自分はつまみ食いしに来た訳じゃないですよ?!」

「え、違うんですか?!」

「ヤスミンさん……、そんな驚かれると地味にショックなんですけどー」

「あぁ!申し訳ありません!つい……」

 つい……って、何ですか、と、ツッコミたいのを堪え、アストリッドは気を取り直すように軽く微笑んでみせる。

「そう言えばウォルフィとロッテ様の様子はどんな感じです??」


 折が良いのか悪いのか、湯の圧により勢い良く鍋が噴き上がる。

 慌ててヤスミンは石炭コンロから鍋を引き上げた。


「相変わらず……、ですね」

「……ですか」


 沈痛な面持ちで唇を噛むヤスミンを、アストリッドは労わるような視線で眺めていた――、が。


「ねぇ、ヤスミンさん」

「はい??」

「ちょっと提案があるんですけどー」


 厨房には二人だけしかいないのに、アストリッドはわざわざヤスミンの耳元に両手を宛がってこそこそと話を切り出した。





(2)


「……そういう訳で、今日はママの部屋じゃなくて自分の部屋で寝ることにするから。その代わり、二人でちゃんと話し合って欲しいのよね」

「…………」

「…………」


 カップに残った紅茶を一気に飲み干したヤスミンはスッと席を立ち、空のカップや皿を手際よく片付けていく。

 隣の席に座っていたシュネーヴィトヘンはヤスミンの顔と手の動きを交互に目で追い、少し離れた壁際に立つウォルフィは華奢な背中を穴が空きそうな程凝視している。

 もの言いたげな両親の視線をヤスミンは全然感じてないような素振りでトレイを手に抱え、スタスタと扉まで早足で進む。


「じゃあ、パパ、ママ、おやすみなさい。頑張ってね」


 それだけ言い残し、ヤスミンはさっさと部屋から退室していく。

 後に残された二人の間にはどんよりと重たい空気と沈黙が流れ、室内を満たした。


「今更、話すことなど……」

「待って!」


 壁際から背を離し、扉へと足を進めかけるウォルフィを呼び止めるため、シュネーヴィトヘンは慌てて椅子から立ち上がった。

 その際、勢い余って後ろへ下げた椅子を引き倒してしまう。

 静まり返った室内に、ガタン!と大きな音が反響する。

 シュネーヴィトヘンは倒れた椅子を元に戻すこともせず、動きを止めたウォルフィの元へ駆け寄るように近づき、細腕で彼の腕を掴み取った。

 緊張ゆえか拒絶を恐れてか美しい顔は強張り、唇や頬を引き攣らせている。


「……とりあえず、席に座ってよ……」

「…………」


 腕を掴んだまま気まずそうに視線を泳がせるシュネーヴィトヘンに従い、ウォルフィは仕方なく彼女と向かい合う形で丸テーブルの席へと腰掛けた。


「話があるならさっさと話せ」

「…………」


 席に座れと言っておきながらシュネーヴィトヘンは顔を俯かせ、一向に話を始めようとしない。


「早くしろ」

「…………」


 苛立ったウォルフィは唸るような低い声で急き立てる。

 シュネーヴィトヘンが神妙な顔つきで無言を貫く様に、違和感を覚えながら。


「…………オークの巨大樹の森…………」

「??」

「……ほら、よく二人で入っていったじゃない……。覚えていないの??」

「……スラウゼンの、か??」


 ウォルフィの問いにシュネーヴィトヘンはこくりと小さく頷いてみせた。


「あの森が何だって言うんだ」

「……昔、あそこでよく二人でヤドリギの実を食べたでしょ??お腹が空いた、あの実を食べたいって強請る私に、貴方が猟銃で実を撃ち落として……」

「おい、そんな昔話なんか……」

「もしも、何事もなく一緒になっていたら……、今度は私だけじゃなくて子供達のために、貴方はヤドリギの実を撃ち落とすの。貴方は渋々と面倒臭そうにするけど、内心は家族の為にと張り切って……、大量に家に持ち帰ってくるかもしれない。私と()()のヤスミンとで大量の実を使ってジャムを作るの。手伝いたがる弟や妹達を、ヤスミンが上手に采配振るってくれるから私はとても楽でね。あの子はしっかり者のお姉ちゃんだから。でも、本当は誰よりも甘えん坊で……」

「…………」


 唐突に昔の話を懐かし気に語り出したかと思えば、シュネーヴィトヘンの語りは、手に入る筈だっただろう幸福な未来の話へと移行していく。


「……私は……、ただ……。ただ、平凡な幸せが欲しかっただけだったの……」

「…………」

「……それなのに、どこで間違えてしまったのかしら……」

「…………リザ…………」


 思わず、彼だけが呼ぶ彼女への愛称で呼びかける。


『気安くリザなんて呼ばないで』


 どこかでそんな拒絶を期待していたのに。

 そうすれば、冷たく突き放すことができたのに。


 彼女は自嘲気味に笑うばかりで何の反応も示さなかった。


「…………ヤスミンと、同じくらい、だった…………」

「??」


 シュネーヴィトヘンの肩も声も小刻みに震えている。

 震えに加えて絞り出すようなか細い声は聞き取りづらかったが、ウォルフィは一言も聞き漏らすまいと耳をそばだてた。


「……私が、最初に手を掛けた、男の子と女の子……。私と、貴方と同じ名前だったの……!私が欲しくても得られなかった幸せを、あんな子供でも容易く手に入れてることが……、腹立たしくて、妬ましくて……、凄く羨ましかったのよ……!!」

「……リザ……」

「……スラウゼンの連中は、私から全てを奪ったんだ、だから、今度は私が奪ってやるって……」

「…………馬鹿よね…………」

「…………」

「…………本当に、救いようがない…………。やり返して何が悪い、って、ずっと思っていたわ……、ここに移送されるまでは……」


 昂ぶった気持ちを抑えようとしてか、シュネーヴィトヘンは一際大きなため息を吐き出す。


「ここで、ヤスミンと過ごしていると、あの男の子と女の子のことを、思い出してしまうの……。彼らだけじゃない、私が今まで手に掛けてきた人達のことまで……。ヤスミンが私に甘え、慕ってくるのが嬉しい……、でも、嬉しいと思った瞬間、血に塗れた彼らが私を責め立ててくる。『お前に幸せを一秒足りとも感じる資格はない』と……。当然よね……、だって、私は……、大勢の人の幸せのみならず、命も奪ってきた。それどころか自分だけの安息の地を手に入れたくて、更に多くの犠牲を生み出そうとしていた!」

「リザ、もういい……」

「貴方だって私を憎んでいるのでしょう?!その姿は私のせいで……」

「俺がお前を憎んだのは、愚かな過ちを繰り返し、あまつさえ罪を開き直っていた。いずれは国やアストリッドの敵に回る可能性を感じたからだ。それ以外に関しては――、軍での立場も家族も左目も失ったのは俺の責任でしかない」

「……でも!」

「それに……、放浪の魔女がお前の居場所を隠していたとはいえ、俺がもっと早くお前を見つけ出していれば……。はっ……、俺も俺で、手遅れになってから初めて己の過ちに気付くなんてな。子供まで産ませておいて……、俺こそお前に憎まれて当然だったんだ」


 テーブルに片肘をついて額を抑えつけながら、ウォルフィは、くく……っと呻くように嗤った。

 結局、守れなかった、幸せにできなかった己の不甲斐なさを、彼女への憎悪という捩れた形で消化させたかったに過ぎない


「……確かに、私は貴方をずっと憎んでいたわ……」

「……だろうな」


 まだ嗤いの形に歪むウォルフィの唇を、シュネーヴィトヘンは険しい目付きで見据えている。

 だが、続けられた言葉は思いも寄らぬものであった。


「けど……、生死の境を彷徨ってでも魔女の狗に成り下がってでも……、貴方は私を探してくれていたのに……、先に裏切ったのは私の方だった……、いえ、貴方は私を何も裏切ってなんかいなかった……」

「…………」


 驚きで額を抑えつけていた手を離し、正面からシュネーヴィトヘンをはっきりと見返した。

 大きく見開かれた青紫の隻眼から一切視線を逸らすことなく、シュネーヴィトヘンは、静かに、確かに告げる。


「許して欲しいとは思ってない。ただ、貴方に。いえ、貴方だけじゃないけど……」


 目の前のウォルフィに、殺めてきた数多の人々に。


 シュネーヴィトヘンは謝罪を述べようと唇を開く。


 けれど、謝罪を述べようとすればする程、胸中で荒れ狂う波濤のような罪の意識や後悔・懺悔の念が間断なく押し迫る。

 高波に飲まれ、息継ぎすらもままならないかのような苦しさが胸中ではちきれんばかりに膨れ上がる。

 

 次第にシュネーヴィトヘンの黒い瞳は潤みを帯び、視界が徐々に涙で滲んでいく。

 ぽたぽた、ぽたぽた、と、大粒の滴が頬をつたい、テーブルクロスに幾つもの染みの跡を残していく。


「もういい」


 ウォルフィは席を立つとテーブルを回り込み、反射的に振り返ったシュネーヴィトヘンを椅子ごと後ろから抱きしめた。

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