I Know(5)
(1)
訳が分からない。
全くもって解せない。
腑に落ちない。
真意が掴めない。
明かり取りの小窓一つない地下の留置場に勾留され、繰り返される尋問に黙秘を貫き――
供述を吐かせるため、拷問にでも掛けられるかもしれない、と覚悟を固めつつあった中、極秘に下されたリヒャルトからの命令。
「……意味不明だわ……」
思わず口をついて出てきた独り言に、丸テーブルを挟んで向かいに座る憲兵が、眉を擡げて反応を示す。
彼の傍らには、もう一人の憲兵が立ったまま調書に筆記している。
テーブルも、テーブルとセットであろう椅子も質の良いオーク製で作られ、椅子の座面の固さは程良く、長時間座っていて腰や尻が痛くならない。
室内にはベッドや鏡台、クローゼットが置かれ、トイレやシャワー室まで完備されている。
留置場とは天と地程の待遇の差に、シュネーヴィトヘンは少なからず戸惑いを覚えていた。
「我々の質問にちゃんと答えろ、リーゼロッテ・ハイネ」
「…………」
本名を呼ばれるのは何時以来か。
「ヨハン・ギュルトナー少将殺害の件だが……」
「あれは……、少将が勝手に私の居城にやってきたところに、ギュルトナー元帥の密偵と鉢合わせたのよ。それで混乱した少将が私を強姦しようとしてきたから……、正当防衛だわ」
あの時のことは思い出すだけで吐き気が込み上げてくる。
胃の腑から喉元へせり上がってくる胃液をどうにか飲み下し、青褪めさせた顔を憲兵からさりげなく逸らす。
逸らした視線の先には部屋の扉があり、扉を間に左右の壁際には見張り役が付けられている。
向かって右側の壁際には、ブルネットの短髪に眼鏡を掛けた男――、確か、ヤスミンの護衛を務めていたとかいう軍人だ。
尋問の一環と称し、憲兵が自分に乱暴な真似を働かないようにと、リヒャルトが送り込んだらしい。
そして、左側の壁際には半陰陽の魔女――、ではなく、彼女の従僕である白髪隻眼の大男が壁に凭れて立っていた。
「……ねぇ、何故、アストリッド様じゃなくて彼女の従僕が監視役をしているの??」
「半陰陽の魔女様は魔女の国家試験問題の採点と、試験合格者への通知準備等でお忙しい。だから、従僕殿が代わりを務めている」
「ああ、そうなの」
「そんなことよりも続きを話せ。全く、黙秘をやめてくれたのはいいが、余計なことばかり話すときた。貴様に罪の意識はないのか??」
「…………」
『罪の意識』という言葉を投げ掛けられると、シュネーヴィトヘンは貝のように固く口を閉ざしてしまった。
憲兵達は顔を見合わせ、うんざりと首を横に振ってみせる。
憲兵達だけでなく、ウォルフィとエドガーも互いに横目で視線を送り合い、溜め息を飲み込む。
アストリッド邸に移送されてからのシュネーヴィトヘンは、留置場に拘留されていた時よりは話すようにはなったものの、突然黙秘に切り替わってしまう時が度々あった。
こうなったら最後、頑固な彼女のこと。
閉ざした唇を再び開かせるのは容易ではない。
ウォルフィとエドガーの監視の目がある以上、憲兵も必要以上に言葉や態度を荒げられない。
時間ばかりが虚しく経過していき、やがて、その日の尋問は終了時間を迎えた。
憲兵達が屋敷から去る中、ウォルフィとエドガーは適当な空き部屋を使い、ヤスミンが淹れてくれたコーヒーを飲みながら休憩を取る。
何の装飾も施されていない簡素なテーブルと二脚の椅子、無地の絨毯が敷かれているだけの七帖程の室内。
二人共が椅子に座ることなく、テーブルの上に置かれたマグカップからは湯気とほろ苦い香りが立ち上る。
「……あんたには母娘揃って世話を掛けるな……」
「いーえ、今更ですよ」
カップを手に取るも、液面に目を落とすだけで口をつけようとしないウォルフィに、エドガーは苦笑交じりにコーヒーを口に含む。
ウォルフィとヤスミン、シュネーヴィトヘンの親子関係については、軍部ではごく一部の者にしか知られていない。
エドガーが監視役を命じられたのも、そのごく一部に当たるからだ。
「ヤスミンちゃんが元気でいるのかも少し気になりますしね」
ウォルフィの眉間に深い皺が寄り、右眼をスッと細める。
彼の表情の変化に気付いているのか、あえて気付かない振りをしているのか。
エドガーは更に言葉を続けた。
「あの子は無理して笑っている時がありますから」
「…………」
把手を握りしめ、固まるウォルフィを尻目に、エドガーは残りのコーヒーをぐいっと飲み干す。
「では、俺は今から元帥府に戻りますので、本日はこれで」
「あぁ……」
エドガーは空のカップをテーブルに戻すと、部屋から出ようと扉を開ける。
折り良く、カップを引き取りに来たのか、トレイを手にしたヤスミンが扉の前に立っていた。
「あれ??もう帰っちゃうの??」
「おぉ、元帥に諸々の報告しに行かなきゃならんし」
「ふーん、そう……。まっ、頑張ってね、少尉」
「はいよ、ありがとなー」
互いに手を振り合い、別れの挨拶を交わす二人を渋い顔付きで眺めていると、「ねぇ、パパ……」と、ヤスミンが話しかける。
「何だ」
「憲兵さん達、もう帰ったわよね??」
「あぁ」
「じゃあ……、もうママの部屋に行ってもいいわよね??」
「……駄目だと止めても、どうせ行くつもりだろう……」
へへへ……、と悪びれもせずはにかむヤスミンに、ウォルフィは「……好きにしろ」とだけ告げたのだった。
(2)
憲兵達が帰った後も、シュネーヴィトヘンは席を立つことなく、椅子に腰掛けたままでいた。
疲れ切った顔付きで、丸テーブルの天板をぼんやりと見つめていると、ノックの音が飛び込んできた。
この時間帯にこの部屋に訪れる者など、誰なのか分かり切っている。
「……どうぞ、入って頂戴」
疲れを滲ませた声色で、扉の向こう側の人物の入室を許可する。
許可するやいなや、すぐに扉が開く。
同時に紅茶とシナモンの香りがふわりと漂い、香りに釣られるように顔を上げる。
ティーポットとシュガーボックス、陶器のカップと渦巻状の菓子パンの皿をトレイに乗せ、ヤスミンがテーブルの傍まで近づいてきた。
「今日はね、昼間にシュネッケを焼いたの。まぁまぁ美味しく作れたから、ママに食べてもらいたくて……」
「そう……、ありがとう……」
憲兵が帰る時間――、宵の時間が過ぎるのを見計らい、ヤスミンはシュネーヴィトヘンの部屋を毎晩訪れていた。
母親らしいことを何一つしてないどころか、本心ではないとはいえ『いらない子』と言って傷つけたというのに。
自分を母と呼び、無邪気に臆面もなく慕ってくる娘に、嬉しさ以上に戸惑いを隠せずにいる。
ヤスミンもシュネーヴィトヘンの戸惑いを気付いた上で特に気にする風でもなく、慣れた手つきで二人分のカップに紅茶を注いでいた。
自分とよく似た白い手の動きと、白いカップを紅色の液体が満たしていく様を眺めつつ、その後方にもそれとなく視線を配らせる。
「こんな時間まで監視する訳??ご苦労なことね」
ヤスミンに対するものとは全く違う、視線にも声色にも棘を持たせて鋭く言い放つ。
二人から少し離れた壁際に凭れかかっていたウォルフィは、徐に鼻先に皺を寄せる。
「もう、ママったら!そんなんじゃないってば。私が、パパも一緒に来て!ってお願いしたのよ」
「でなきゃ、誰が来るものか」
「ちょっとパパ!!」
ウォルフィは、批難がましげに睨むヤスミンからさりげなく顔を背ける。
「もうっ、二人共、もっと仲良くしてよー、もうもう……」
相変わらず顔を合わせれば言い合う両親に困惑し、ヤスミンはむぅ、と頬を膨らませる。
けれど、すぐに気を取り直すように、シュネッケを乗せた皿をシュネーヴィトヘンに突き出した。
「とりあえず……、シュネッケ食べようよ!ママ、まともに食べてないだろうからお腹空いてるでしょ??」
「……そうね、ヤスミンが作ってくれたものだもの。折角だから頂くわ」
シュネーヴィトヘンはシュネッケの端を一口大の大きさに千切り、一口だけ齧った。
味の感想が気になるのか、ヤスミンは自分の分のシュネッケを手に持ったまま、シュネーヴィトヘンの口元を食い入るように見つめている。
「もう少し粉砂糖の量は少なめの方がいいかもしれないわね」
「あ、やっぱり甘すぎた??」
「少しだけ、ね。シナモンパウダーとナッツの分量を増やすのも有りかも」
「本当?!じゃあ、今度はそれでもう一度挑戦してみるわ!」
菓子作りに奮闘する娘とアドバイスをする母。
事情を知らない者が見れば、微笑ましい光景である筈なのに。
この時間は決して長くは続かないと知るだけに、締め付けられるような胸の痛み、息苦しさを、ウォルフィは密かに感じていた。
「ヤスミン。菓子作りもいいが、試験が終わったからと言って魔法の勉強を怠るなよ」
胸に生じる痛みを誤魔化す、もしくは余り母に情を移させないようにと牽制するためか。
思わず、見当違いな説教混じりの発言が口をついて出てきた。
「わ、分かってるよ、勉強は勉強でちゃんとしてるから!」
「何なの、偉そうに父親振ったりして」
案の定、ヤスミンには即座に反論され、シュネーヴィトヘンからは挑発めいた皮肉を吐き捨てられた。
「……何だと」
「ああぁぁ、二人共喧嘩はやめてってば!ね??」
再び険悪な雰囲気に飲まれかける二人に耐え切れず、ヤスミンはアワアワとしながら間に割り込んだ。
「ママも疲れているだろうし、早めに寝ちゃおうよ!あ、そうだ!私もママのベッドで一緒に寝てもいい??」
「……え、えぇ、勿論いいわよ」
「じゃあ、すぐにカップとか片付けて、寝支度するからちょっと待っててね!」
ヤスミンは空になったカップと皿をテーブルの上からトレイへと引き上げ、忙しない動きで部屋から退室していく。
寝間着姿で枕を抱えたヤスミンが戻ってくるまでの間、ウォルフィとシュネーヴィトヘンは互いに顔を背け合い、一言も言葉を発することはなかった。




