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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第七章 I Know
87/138

I Know(3)

(1)

 

 漆黒の夜の帳が空を、地上を覆い尽くす。

 暗闇の色よりも少しだけ薄い黒雲が上空を流れ、星々を隠し、雲間より赤く細い三日月が僅かに細面の顔を覗かせている。

 月や星の光が少ない暗澹たる夜陰に紛れ、二台の軍用車が街中を走っていく。

 走ると言っても、亀の歩行並みの鈍行速度でだが。

 人々が寝静まった時間帯のため、走行音や排気音等の騒音を気にしてのことか。

 なるべく「事」を人々に気づかれないようにするためか。

 両方の意図があってことだろうが、控えめな速度の運転で集合住宅群を走り抜ける。


 やがて二台の軍用車は高級住宅地へと入り、立派な門構えや庭を持つ豪邸が並ぶ区画を通り過ぎ、高級住宅地でも外れに当たる場所まで向かった。

 先程の豪邸群とは違い、ここには家らしき建物はほとんど建っていない。

 在るのは茫々と雑草が生い茂る空き地ばかり。

 四方をロープで囲い、『売却済み』と書かれた札、又は看板が掲げられたものもあったが、本当に買い手が付いたのか怪しい限りだ。

 閑静というよりも閑散とした景観の中、アーチ形の高い格子窓が幾つも設けられた、三階建ての屋敷がぽつんと建っていた。

 暗闇の中で一際目立つ、屋敷を囲む凹型の白い石塀の前で軍用車は縦列で停車し、それぞれの扉がほぼ同時に開いた。


 一台目の軍用車から出てきたのは、手錠を掛けられ、フードを目深に被った黒いローブ姿のシュネーヴィトヘンと、彼女を取り囲む三人の軍人。

 二台目の軍用車から出てきたのは、灰緑色のローブを着たアストリッドと私服姿のリヒャルト、それと――、私服姿のフリーデリーケだった。


 アストリッドを先頭に、シュネーヴィトヘンと軍人達、フリーデリーケを隣に伴うリヒャルトという順で門を潜る。

 庭木も花壇もない、ただ砂利が敷かれただけの庭を歩く複数の足音を響かせ、玄関ポーチまで進んでいく。

 錆が目立たないドアノッカーをアストリッドが叩けば、すぐに扉が開いた。

 扉から顔を出したウォルフィは、軍人達とリヒャルト、フリーデリーケに敬礼しながら軽く頭を下げ、中へ入るように目線で促した。


 開いた扉を支えるウォルフィの横を通り抜け、一行は屋敷内に入っていく。

 白と黒のブロック張りの床を、高い天井から吊るされたシャンデリアが煌々と照らしている。

 玄関ホールの右手側には二階へと続く大階段があり、途中の踊り場ではルドルフを抱えたヤスミンが不安気に一行を見つめていた。


 娘の視線に気付いていないのか、あえて気付かない振りをしているのか。

 シュネーヴィトヘンはフードを被ったまま、顔を上げようとしない。

 フリーデリーケは忙しなく辺りを見渡し、彼女らしからぬ気弱な表情を浮かべている。

 毅然とした彼女の今までにない姿に、彼女を支える形で傍らに立つリヒャルトもまた、どことなく消沈しているように見えた。 


「えっと……、まずはロッテ様の身柄ですけど、一階の北側奥の部屋に移して下さい。目の前の廊下を左に曲がって……、あぁ、どのみち室内に魔力封じの結界張らなきゃですから自分も一緒に行きますね!」


 アストリッドは、シュネーヴィトヘンと軍人達を部屋へ案内するべく手招きし、廊下へ進んでいく。

 すぐに四人は彼女の後を追い、玄関ホールにはリヒャルトとフリーデリーケ、ウォルフィ、ヤスミンが残された。


 アストリッドとシュネーヴィトヘンの姿が見えなくなると、ヤスミンは階段を降りてリヒャルト達の元に近付いていく。

 途中、ルドルフはヤスミンの腕を擦り抜け、彼女より一足早く本来の飼い主――、フリーデリーケの元へとすり寄っていった。

 リヒャルトの姿を認めた途端に耳を後ろへ下げ、カーッと威嚇するのは忘れずに。


「……君はそんなに私が嫌いなのか……」


 リヒャルトを威嚇し続けながら、ちゃっかりとフリーデリーケの足元には纏わりつくルドルフに苦笑するも、すぐに笑みを引っ込める。

 纏わりついてくる猫に対し、フリーデリーケが明らかに戸惑っていたからだ。


 ルドルフに追いついたヤスミンもフリーデリーケの様子が以前と全く違う事に気付き、もの言いたげにリヒャルトを見上げた。

 ヤスミンの傍に立つウォルフィは、事前にその理由を聞かされているので眉一つ表情を動かさない。


「実は……」


 長く深いため息を吐き出しながら、リヒャルトは『何故、フリーデリーケが変わってしまったのか』を、ヤスミンに語り出した――





(2)


 アストリッドから呪いの解除方法を知らされたものの、リヒャルトは中々行動に移せずにいた。

 全ての検査に『異常なし』と結果が出て(当然のことであったが)退院日が決まっても尚、彼の決心はつかなかった。


 同じ理想を掲げる者、同志としての尊敬の念を抱かれているのは間違いない。

 身体を許す程度の好意も持たれているだろう。

 かく言うリヒャルト自身は、彼女を誰よりも――


 だからと言って、愛されていることに繋がる訳ではない。


 フリーデリーケに愛されている自信の無さから行動しないまま、結局退院を迎え、多忙を極める日々に身を投じていく。

 傍らに彼女の姿がないことに段々慣れていくのだろうか、と思い始めた矢先――


 執務室で書類仕事に勤しむリヒャルトの元へ、怒りで顔を真っ赤に染め上げたアストリッドが突然乱入してきたのだ。


 アストリッドは怒りに任せ、両開きの扉をバーン!!と大きな音を立てて乱暴に開け放した。

 やけに廊下が騒がしい、一体何事か、と、念の為に魔法剣を握りかけていたリヒャルトは思わず呆気に取られた。


「半陰陽の魔女殿!!何をお考えなのですか!!元帥閣下への面会は事前に許可を……」

「そんなの関係ありません!!どうせ嫌々書類仕事しているだけじゃないですか!!」

 暴挙を止めるべく追い掛けてきた者に、アストリッドはきつい口調で怒鳴りつける。

「な、何と無礼な!規則を遵守されないだけでなく、閣下への不敬極まる発言、いくら貴女でも許されませんよ!!」

「二人共、とりあえず落ち着きたまえ」


 騒がしさに眉を潜めるリヒャルトの咳払いを合図に、二人は大人しく口を噤んだ。

 やれやれ、と席から立ち上がったリヒャルトは、「ブラウン大尉、悪いが君は席を外してくれないか」と、男に下がるよう命じた。


「しかし……」

「それと、アストリッド様の名誉の為にも、他の者にはこの事は上手く誤魔化して欲しい」


 男は不服そうに目を細めてみせたが、「……はっ、了解」と敬礼し、大人しく退室していく。


「……で、私に何用ですか??ロッテ殿の件でまだご不満でもあるのですか??」

「いーえ!ロッテ様を一時的に自分の元へ送ってくれたのは破格の扱いだと思っていますし、何の不満もありません!むしろ感謝すらしています、ありがとうございます!!あとはウォルフィがリヒャルト様の温情を無駄にせず、ロッテ様と和解してくれれば……」

「では、他に何が」

「あるに決まってるじゃないですか!!大いにありまくりですよぉぉおおおお!!!!」

「……アストリッド様、もう少し声を落としてもらえませんか……」


 煩そうに、両の耳孔に指を差し込むリヒャルトに掴みかかる勢いで、アストリッドが猛然と眼前に迫ってくる。


「何で!ポテンテ少佐の呪いをまだ解いていないのですか?!解除方法教えてあげたのにぃぃ!!」

 アストリッドは執務机にバン!と音を立てて掌をつき、顔をリヒャルトに近付けて押し迫る。

「アストリッド様、声を落としてください」

「何のために、自分が……」

「……声を落とせ、と、言っている」


 アイスブルーの瞳が冷たく底光りし、声色が低く厳しいものに変わる。

 リヒャルトの変化にアストリッドも我に返り、怒りと興奮を収めようと二、三度肩で息をついて気分を落ち着かせた。


「……リヒャルト様、申し訳ありませんでした」

「いえ、理解して頂けたのならいいのです。ここではどこに誰の耳があるか、分かったものではありませんから。とりあえずは隠し部屋で話を聞きましょうか」


 執務机の隣の壁――、木目調の壁紙に入った細い縦線に沿ってリヒャルトは指先を差し入れる。

 すると、壁――、否、壁に見せ掛けた扉が内側に開き、六帖程の広さの隠し部屋へとアストリッドを案内する。


「解除方法を教えて頂いたのは、大変感謝しております」

 簡易式のベッドに腰掛けながら、目の前に立つアストリッドを見上げる。

「しかし、私では彼女の呪いを解除するのは無理なのです」

「何故ですか」

 鳶色の瞳が責めるように見下ろしてくる。

「彼女が真に愛する者が私ではない……」

「この期に及んで何を仰ってるんですか、馬鹿なんですか?!」

「ばっ……」


 国の最高権力者を馬鹿呼ばわり。

 怒りを通り越して閉口するリヒャルトに構わず、アストリッドは口を挟ませてなるものかと言葉をまくしたてる。


「全くもう!何でリヒャルト様はこうもニブチンなんですかぁ!!ポテンテ少佐が貴方を愛していることくらい一目瞭然じゃないですか!!何で気付かないんですか!!これだから、顔が良い割りに草食系男子、いいえ、草食系おっさんはダメなんですよ!!いいですか!!貴方が学生時代、士官学校の後輩だった少佐をご自宅の書庫にこっそり招いていたことくらい、自分は知ってるんですからね!!」

「…………は??…………」

「とぼけても無駄ですよ!一日中、二人で書庫の魔法書を読み耽っては議論を交わし合っていたじゃないですか!!あの書庫の本を拝借しに行った時、偶然お二人を見掛けたんですよ!女の子に対して消極的なリヒャルト様が、物凄く気が強そうな綺麗な子と一緒に居るなんて……、って」

「…………」

「全力で揶揄ってやろうかと思いましたけど、『そっとしておいてやれ』と、ウォルフィに力づくで止められたから今まで黙っていたたけです。ていうか、あの頃からすでに少佐はリヒャルト様を想い続けているように、自分は感じています」

「……まさか……」

「あぁ、もうっ!信じる、信じないは勝手にすれば結構です!問題は、貴方にポテンテ少佐を救いたい気持ちがあるかどうかだけです!!愛されている、愛されていない以前に、大事なのはそこでしょうが!!仮に、僅かな可能性だとしてもそこに賭けたいと思わないのですか?!」


 興奮の余りにぜぇぜぇと息を荒げ、畳みかけてくるアストリッドにリヒャルトは反論できず、項垂れていた。

 一方で、臆病風に吹かれていた己自身に怒りを静かに滾らせていた。

 言いたいことを全て言い切ったアストリッドは、訪ねてきた時と同じく肩を怒らせ、去り際の挨拶もせずに執務室から退室していく。


 一人残されたリヒャルトは、ひとまずは何事もなかったように仕事に戻った。

 復帰してまだ日が浅いこと、偶々普段と比べて仕事量が少なかったことから、その日はまだ陽が落ちきるより早い時間に帰宅と相成った。


 送迎用のリムジンの運転手に「部下達の見舞いに行きたいから病院へ向かって欲しい」と告げる。

 病院は元帥府から左程遠くない場所にあるので面会時間にはまだ間に合う。

 急患受付や見舞客用の入り口を潜って階段を上り、入院している部下の病室へ向かう。

 急なリヒャルトの見舞いに部下達は驚きと共に感激すらしてみせ、一人一人に向けて「一日も早い復帰を待っている」等、真摯な声掛けをしていく。

 そうしている内に窓の外は暗くなり、面会の終了時間が迫りつつあった。


 リヒャルトは最後に、ただ一人個室を与えられたフリーデリーケの元を訪れた。

 彼の後ろには二人の看護師が付いており、面会時間も五分だけ、と制限されている。

 監視するような看護師の視線を背中に浴びながら、扉を開ける。

 薄暗い室内には夜の闇が濃い影を落としている。

 与えられた時間はごく僅か、灯りを点す時間も椅子をベッド脇に寄せる時間すらも惜しい。


 リヒャルトは上半身を折り曲げ、ベッドの枕元に両手をつけると。

 仰向けで眠るフリーデリーケの唇にそっと、キスを落とした。


 唇を離したのと、フリーデリーケの瞼がピクリと痙攣したのは同時だった。

 もしや――、と、期待を込めて瞼の動きを凝視する。

 細かく痙攣する瞼の隙間から、深い群青色がちらちらと覗き始め――、暗闇の中でリヒャルトの姿を捉えた瞬間、今度ははっきりと目を開けたのだった。


「イーディケ、いや、ポテンテ少佐……、私が分かるか??」

「…………」


 顔を近づけたまま、両手をフリーデリーケの頬に添えながら呼びかける。

 フリーデリーケからの返事は、ない。

 殻から生まれたばかりの雛鳥のように、フリーデリーケの目線は朧気で安定しておらず、 表情も心ここに在らず、と、茫洋としている。

 長い眠りから目覚めた直後だから様子が不安定なのは仕方ないのかもしれない。

 込み上げる感情を抑えながら、廊下で待機する看護師に、彼女が目覚めたことを告げなければ、と、リヒャルトが身を起こした時であった。


「…………貴方は、誰なのですか…………」


 怯えと警戒心がないまぜとなった声で告げられた、信じられない一言。


「誰って…‥、あぁ、もしかして、部屋が暗いから私の姿が良く見えなかったのか……」

「……いえ、姿はちゃんと見えています。貴方が白金の髪色をした男性で、開襟襟の軍服を着用していることとか……」

「…………」

「ここは……、おそらく病院ですよね??何故、私は入院などしているのでしょうか??」

「何故って……」

「貴方はきっと、私と何らかの関りを持っているのですよね??でなければ、あんな……」


 先程のキスを思い出したのか、フリーデリーケは一瞬口籠るも、すぐに言葉を続けた。


「私は……、自分が誰なのか……。名前すらも……、全く分からないんです……」




 魔女に呪いを掛けられた眠り姫は王子様のキスで目覚めた。

 自らに関する記憶は目覚めと引き換えに失われたけれど。

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