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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第七章 I Know
86/138

I Know(2)

(1) 


 その部屋はカーテンや絨毯のみならず、寝具までけばけばしい赤で統一されていた。

 サイドテーブルには、中身が三分の一も減っていないワインボトルと二つのワイングラス、吸い殻が一つも入っていない銀製の灰皿が並んでいる。

 薄い硝子で作られたグラスは、耐えず軋み続けるベッドからの振動でカタカタと揺れる。


 自らの上に跨り、激しく動く女をよそに、グラスが床に落ちないだろうかとウォルフガングは気にしていた。

 心ここにあらずな彼に気付くと女は動きを止め、覆い被さるように上から顔を近づけてきた。

 女のウェーブ掛かった黒髪が肩から滑り落ち、少し痛んだ毛先が顔や裸の胸にチクチク刺さる。

 同じ黒髪でも、癖がなく絹糸が光ったみたいな美しさを誇る、かつての恋人のものとは大違いだ。


「少尉さん、アタシじゃ満足できない??」

「…………」


 恨めしげに唇を尖らせ、黒い瞳を潤ませる女を昏く冷めた目で見返す。

 女の表情が『一緒に逃げて欲しい』と泣きついてきた、かつての恋人と何故か重なって見える。

 彼女とはまるで似ても似つかないというのに。


 女の動きに合わせるように身体の熱は上がっていくが、頭は冷えていく一方。

 そもそもこの高級娼館を訪れたのだって、上官に連れて来られただけだ。

 ウォルフガングを始めとする、隣国との国境攻防戦にて活躍した者への戦勝祝いと称して。


 女を抱くのは生理的な欲求を満たす為だけでそれ以上の理由など他にない。

 娼館の女か、素人でも遊び慣れた体の女か。

 どちらにせよ、後腐れのない関係で済ませられる女で充分だ。

 相手が誰であろうと精神的不感症は変わらない――、たった一人を除いては。

 とはいえ、彼女を抱いたことは一度もなければ、この先もそんな機会は一生訪れない。

 見捨てた癖に彼女以外は愛せないだなんて、何て身勝手で未練がましいのだろうか。


「何で笑ってるの??もしかして、良くなってきたとか??」

「……さあな……」


 内心の自嘲が表情となって表れていたらしい。

 口元が笑みの形に歪んでいる。

 それを女は己の都合よく受け取り、ウォルフガングは適当にはぐらかした――






 腹の上でやけに重量感を持つ何かが蠢いている。

 重苦しさに右眼を開けば、深海のような深い青の瞳と目が合った。

 小窓から差し込む西日を浴び、クリーム色の長毛はオレンジ掛かって見える。

 よく手入れされた長い毛並みを持つ()は、ウォルフィと目が合うと、ふにゃ、と小さく鳴いてみせた。

 ベッドに横たわったまま、彼から部屋の扉まで視線を移動させる。

 扉がほんの少し開いていることから、どうやら勝手に扉を開けてウォルフィの自室へと入り込んだのだろう。


「おい、あんた。そこに居座られていては起きるに起きられない。どいてくれないか」


 彼はウォルフィの言葉を無視、それどころか、くあぁぁと欠伸をした後で顔を前足で擦り始める。

 言葉を理解しているのか、理解していながら無視しているのか。

 ヤスミンには懐いているせいか、彼女の言う事は割と聞いているのでおそらくは後者だろう。

 抱き下ろそうと、仕方なくもふもふの毛並みに両手を伸ばせば、「触るな」と言わんばかりに猫パンチを繰り出してきた。

 だんだん苛々してきたが、そうかと言って乱暴に振り落としたり、投げ飛ばす訳にもいかない。


 コンコン――


 小さくノックする音と、「……パパ、起きてる??」と遠慮がちに尋ねるヤスミンの声が扉越しに聞こえてきた。


「あぁ、起きている」

 正確に言えば、起こされた、が、正しいけれど。

「入ってもいい??」

「あぁ」


 入室の許可が下りると、ヤスミンはそろーっと扉を開ける。

 室内を窺うように、扉の隙間から顔を覗かせながら。

 そして、ウォルフィの腹の上に鎮座する彼――、ルドルフを目にすると大きく叫んだ。


「あぁ!ルドルフ!!どこに行っちゃったのか捜したのよ?!」

 ヤスミンはベッドの傍に駆け寄り、ルドルフを抱え上げる。

 ヤスミンには抵抗一つせず、大人しく触らせるのを複雑な気分で見ていると、「パパ、ごめんなさい。疲れて寝ているところをルドルフが起こしちゃって……」と、ヤスミンが申し訳なさそうに謝ってきた。

「別にお前が謝ることじゃない。いい加減起きなければならない時間だったし」

「でも……、今日はやっと一日ゆっくり休める日だったじゃない。しばらくの間ずっと慌ただしかったし……」


 児童養護施設の襲撃事件に居合わせた件、魔笛事件に加担していたロミーの件、逃亡犯だったエヴァとシュネーヴィトヘンの件、エヴァを匿っていたヘドウィグの件。

 複数の事件の当事者、もしくは参考人として、アストリッドとウォルフィ、ヤスミンは連日のように軍からの聴取を受け続けていたのだ。

(実年齢は別にして)まだ少女のヤスミンはともかく、特にアストリッドとウォルフィは昼夜問わずの尋問が続き、それこそ寝る間もないくらいであった。

 二人が置かれた現状を知ったリヒャルトの口添えがなければ、今日も憲兵部本部に出頭し、朝から夜中まで尋問行われていただろう。

 一週間以上ぶりにベッドでまともに眠ったせいか、ほぼ一日を寝て過ごしてしまった。

 ウォルフィにしては非常に珍しいことだが、それだけ彼の心身が疲弊しきっていたことの表れである。

 ゆえにベッドから起き上がるウォルフィを、ヤスミンは気遣わしげに見下ろしている。


(自分の方こそ辛く苦しい想いを抱えているだろうに、この娘は人のことばかり……)


 生まれ持った性質なのか、ハイリガーの育て方が良かったのか。

 生い立ちや境遇に反し、真っ直ぐな心根の優しい娘に育った反面、無理もしているのではと思うと心苦しくもあった。

 父と認め、呼んでくれるのも嬉しくはあったが、血の繋がり以外に親らしいことを一つもしていない自分には身不相応な気もしないではない。


「パパ、お腹空いてない??何か作ろっか??」

「そうだな……、あぁ、俺よりもアストリッドの方が……」

「アストリッド様ならついさっき、『料理係が起きてこないせいでお腹空きすぎて死にそうです~。ちょっとヴルストの屋台巡りしてきますー!』って、外に飛び出しちゃったわ……」

「……あの馬鹿は……」


 呆れて閉口するウォルフィに、心中を察したヤスミンは苦笑を浮かべてみせる。

 イザークの襲撃事件以降、フリーデリーケの自宅からアストリッドの屋敷へと移ったことで、彼女の食欲魔人振りを始めとする本性の数々を、度々目撃しているからだ。


「アストリッド様のことだから、きっと食べ歩きくらいじゃお腹は満たされないと思うの。だからアストリッド様の分も用意しておくね!」

「……お前には悪いが、そうしてくれるとありがたい」

「はーい、分かった!!じゃ、厨房借りるわね!!」

「何なら俺も手伝ってもいいか??」

 ウォルフィの申し出に、ヤスミンの頬が少し緩まった、気がした。

「勿論!いいに決まってるわ。あ、でも、先に厨房に行って準備しておくね!」


 ヤスミンはルドルフを抱えてウォルフィの自室から出て行った。

 慌ただしく廊下を歩き、階段を下りていく足音を聞きながら、ウォルフィは着替えをするべくクローゼットの把手に手を掛けたのだった。




(2)


「ただし、呪いの解除方法をお教えするのと引き換えに、自分のお願いごとを聞いていただけないでしょうか」



 リヒャルトの、最も踏み込んではならない部分にあえて踏み込む。

 卑怯で卑劣、何より彼を手酷く傷つけ、憤慨させる手段だと理解しての事。

 それでもアストリッドは一縷の望みを賭けたかった。


 アストリッドの表情も声音も必死さが表れており、駆け引きを持ちかけているというより哀願しているようにしか見えない。

 リヒャルトは返事すら返さず、黙ったままアストリッドと相対している。

 二人の間に降りた沈黙。

 時間ばかりが刻々と過ぎてゆき、西日の橙は夜の始まりを示す群青色に変化していく。


「貴女の『お願いごと』がエヴァ殿とロッテ殿の免罪の嘆願でしたら、聞き入れる訳にはいきません」

「ロミーやヘドウィグ様のように、特別更生施設への入所も駄目でしょうか??」

「ロミー殿の場合、犯した罪への猛省ぶり、未成年という点から更生の余地あり、と判断されたからに過ぎません。未成年ではありませんが、ヘドウィグ殿も同様です」

「北部での事件に関してエヴァ様は自らの罪をちゃんと認め、償う気でいます。それに……」


 アストリッドの両掌が赤黒い靄で包まれ、靄が霧散すると手紙の束が手に抱えられていた。

 束の厚みから手紙は何十枚にも及んでいる。


「元帥府及び憲兵司令部に届けられた、国民からのエヴァ様への嘆願書です。ちょっと自分の地位と特権を行使させてもらって一部を拝借しました。ちなみに、実際に届いた嘆願書は数百枚もの数に上りますし、民間人だけでなく軍部の方々からも多数、嘆願の署名を頂いています」

「…………」

「エヴァ様に極刑等の厳罰を与えれば多くの国民からの反発を招くでしょう。アレの悪事の数々のせいで今のリントヴルムの地盤は不安定な状態です。国の立て直しの為にも、貴方の政権の支持を低下させる訳にはいきませんよね??」

「…………」

 嘆願書の手紙の束をアストリッドから手渡され、リヒャルトは無言で受け取る。

「三度目の正直じゃありませんが、エヴァ様は今度こそ改心されていると思います。ですから……」

「……エヴァ殿の件は、熟考を重ねた上で最終的な処分を決定させましょう。ただし、無罪放免にならないことだけは念頭に置いておいて下さい」


 分かっています、と答えるアストリッドの表情が幾らか晴れている。

 だが、リヒャルトが次に放った非情な言葉によって再び消沈することになった。


「貴女が真に助けたいのはロッテ殿なのでしょう??申し訳ありませんが、彼女の減刑は認められません。尋問に対して黙秘を貫いてますが、おそらくは……、極刑は免れられないかと」

「そんな……」

「エヴァ殿と違い、ロッテ殿には減刑に繋げられるものが何もなかった。だから貴女は私に『お願い事』と称し、私の足元を見るような条件を突き付けてきた、違いますか??」

「…………」


 返す言葉が見つからず、口を噤むアストリッドに、リヒャルトは静かに息を大きく吐き出す。

 眉目秀麗な顔立ちは疲れや心労のためか、少し老け込んで見えた。


「国を治める者として、貴女の条件全てを飲む訳にはいきません。彼女――、少佐も、そのような条件で目覚めたとなれば、私も貴女も心底軽蔑し、決して許さないでしょう。彼女は誇り高き軍人です。私だけでなく、彼女まで見縊らないで頂きたい。そろそろ私も病室に戻らねばなりません。今日のところはお引き取り願いますか」


 項垂れるアストリッドを見たくなくて、リヒャルトは素早く背を向けた。

 ガスランプが点されていない室内はすでに薄暗く、眠るフリーデリーケの表情がよく見えないが、背後で輝く虹色の光は薄闇を照らしていた。


「……昔話で、眠り姫が目覚めた理由を覚えていますか……」


 小さいけれど、はっきりとリヒャルトに問いかける声に、思わず振り返る。

 虹色の光の中で、首から下が消えかかっている状態のアストリッドが、リヒャルトを見つめながら、告げた。


「魔女の死の呪いは……、呪いを掛けられた対象者が心から愛する人の……」


 重要な部分に差し掛かったところでアストリッドの姿は消失し、虹色の残光のみが宙に散っていた。

 しかし、アストリッドが伝えたかったことをリヒャルトはしっかりと悟ったのだった。




 ――数日後――



 エヴァはイザークの討伐協力や大勢の国民からの嘆願で極刑は免れ、無期懲役囚として『魔力を持つ犯罪者用の刑務所』に送還された。

 一方、シュネーヴィトヘンは――


『依然、黙秘を貫く等反抗的な態度が続いており、苛烈で悪辣な気性ゆえ、その内に尋問役の憲兵達に危害を加える、隙を見て逃亡を企てる可能性が高い。よって、憲兵司令部地下の留置場から半陰陽の魔女の邸宅に送還、魔力封じを掛けた上で半陰陽の魔女の監視の元、引き続き事情聴取を執り行う』ことが決定した。

 これまでも凶悪な魔女、魔法使いの被疑者をアストリッドの元へ送り、事情聴取を行うことがあったので、特に反発の声が上がることはなかった。

 この国の誰もが、シュネーヴィトヘンはいずれは魔力を持つ者への極刑――、火炙りの刑に処されると信じて疑っていなかったから。

 アストリッド、只一人を除いては。

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