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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第七章 I Know
85/138

I Know(1)

(1)


  深い闇色で覆われた空に、大きな満月が浮かんでいた。

 まんまると太った姿を雲で隠すこともなく、自らが放つ白銀の光を地に住まう人々へ見せつけるかのように輝いている。

 太陽が朝と昼の王ならば、月は夜の女王だ。

 暗闇の世界では、月灯りだけが足元を照らす唯一の光となる。

 夜空に散りばめられた数多の星々の光も月の輝きには及ばない。

 夜の女王にかしずくように、控えめに輝くのみ。

 月は地上に光を降り注ぐだけにとどまらない。

 眼下に広がる湖を鏡代わりに、夜を支配する我が身を。

 我が身を取り巻く星々を。

 湖面に映し出しては一晩中眺めていた。

 水面は月の柔らかくも強い光と冷たい空気で揺れ、小さなさざ波を起こす。

 湖面に映る月の姿も波に揺られてぼやけていく。

 魚が泳いでいるのか、時折、ちゃぷちゃぷと水が跳ねる音が微かに聞こえてくる。


 真夏の暑い盛りの今、日中の湖畔は水遊びや釣り、舟遊びに興じる人々で賑わっている。

 国軍の軍事基地があるという以外、特段何もない田舎街での夏場の楽しみなど、湖での水遊びか、年に一度開催されるビール祭りくらいしかない。

 しかし、人混みが嫌いなウォルフガングと日焼けを嫌がるリーゼロッテは、昼間ではなく夕方から夜の時間帯にかけてしかこの湖には訪れようとしなかった。


 二人は共に砂浜に腰を下ろし、湖面に映し出される月と夜空、湖を囲む木々の影をただ黙って眺めていた。

 普段はリーゼロッテの方が寡黙なウォルフガングに話し掛け、言葉少ないながらも会話をするところだが、今日に限っては彼女も口を閉ざしている。

 本日開催されたビール祭りにて、朝からビールの売り子として一日中働いていたため疲れているのだ。

 ウォルフガングもそれを分かっているので、特に咎めることもなく黙っている。


 昼間のうだるような暑さから一転、夜ともなれば一気に気温は下がり、冷え込みがぐっと増す。

 ビールの売り子役が着るディアンドルは肌の露出、特に胸元の襟ぐりが深いせいで身体が冷えるのか、リーゼロッテはぷるりと小さく身を震わせた。


「寒いのか??」

「うん、少しだけ」


 もう一度、ぷるっと細い肩を震わせると、リーゼロッテはウォルフガングから借りている上着の前を合わせる。

 まだ十四という年齢に見合わない成熟した身体つきのせいで、男達から下卑た視線に晒されるのを防ごうと強引に着せられたのだ。

 余り感情を表に出さない彼の嫉妬心めいたものを垣間見ただけでなく、大事にしてくれていることが伝わり、リーゼロッテの中で彼への想いが更に深まっていた。


「……帰りたくない……。このままウォルフとずっと一緒にいたい……」

 ぽろりと口から零れた言葉に、案の定、ウォルフガングの眉間に皺が寄った。

「馬鹿なことを言うな。もう少ししたら帰るぞ。余り遅くなっては小父さんと小母さんが心配する」


 あっさりと一蹴されたのが悔しくて、横顔を思わず睨み付ける。

 リーゼロッテの機嫌が傾きつつあるのを無視し、ウォルフガングはズボンに着いた砂粒を手で払いながら立ち上がる。


「さっさと立て」

「嫌、立たない」

「我儘を言うな」


 砂浜にしゃがみ込んだまま、リーゼロッテは頬を膨らませてぷいっと顔を背ける。

 ウォルフガングの眉間の皺は益々深くなり、細い手首を痛くない程度に力を込めて掴んできた。

 散歩の途中で道端に座り込んで動こうとしない犬と、飼い主が引っ張って連れて行こうとする図のようだ。


「……だって、朝までウォルフの傍にいたいんだもの……。あと二週間もしたらまた中央に戻るでしょ??そしたらまた、冬に帰省するまで会えなくなるから……」

「…………」

 ウォルフガングは砂浜に膝をつき、寂しげに目を伏せるリーゼロッテの肩を掴んだ。

「……それでも、帰らない訳には行かないだろう??」

「…………」

「互いの親が俺達の関係を認めてくれるのは、俺が間違いを犯さないと信用を置いてくれるからだ。俺はその信用を裏切りたくない」

「…………」


 如何に子供じみた我が儘を言って困らせているのか、リーゼロッテは分かっていた。

 ウォルフガングの言葉が正しい事も。

 子供が背伸びして大人の真似事をするにも、許されることと許されないことがある。


 頭上から降り注ぐ白銀と湖面に映る満月が、若い恋人達を見守っている。

 僅かに凪いだ風が木々と水面を揺らめかせ、砂を撫でるようにそっと巻き上げる。


「……ごめん、我が儘言って」

 顔を上げると、鋭い眼光を湛える青紫色の双眸と視線がぶつかった。

 他の者には怖いとか冷たいと形容されてしまう瞳だが、リーゼロッテにはひたすら困惑しているようにしか見えない。

「分かってくれたなら、いい」

 困惑を悟られたくないのか、今度はウォルフガングが顔を背ける番だった。

 

 スカートについた砂粒を払って立ち上がると、リーゼロッテはウォルフガングの袖口をそっと握りしめる。

 訝しげに振り返ったウォルフガングを上目遣いで見つめた後、目を閉じて唇を軽くすぼめてみせた。

 リーゼロッテの行動の意味を悟ったウォルフガングは石のように固まってしまった。


「……キスも駄目なわけ??」

「…………」


 固まったまま、視線を右から左へ、左から右へと忙しなく動かす様が可笑しくて、噴き出しそうになるのを堪える。


「沈黙は『キスなら良い』ってことよね」

「……なぜそうなるんだ……」

「だって否定もしないし。そっちからしてくれないなら、私の方からするわ」


 ちょっと揶揄ってみるだけのつもりが、生来の勝ち気ぶりと積極性に火がついてしまった。

 戸惑うウォルフガングに構わず、リーゼロッテは彼の肩に手を掛け、爪先立ちで顔を近づけていく。

 けれど、ほぼ三〇cmの身長差では背伸びをしても彼の唇まで届かない。


「ねぇ、届かないから屈んでくれない??」

「…………」


 面倒臭そうにしながらもウォルフガングは言われるままに背を曲げ、リーゼロッテに顔を近づけ――、彼女が触れるよりも先に、桜色に色づく柔らかな唇の上に自らのを軽く落とした。


 瞬き一つする間に終わっていたくらい、ごく短いものであったが。

 リーゼロッテを黙らせるには充分過ぎる程の効果を示した。


 白い頬を林檎のように赤く染めたリーゼロッテは、それまでとは打って変わり急に大人しくなった。

 ウォルフガングに手を引かれ、真っ直ぐに家路を辿る道中も終始無言。

 家に到着した際も、いつもと様子の違う娘を心配する両親に「慣れない仕事で疲れただけ」と言い残し、早々に部屋に引き籠ってしまった。


 翌日――


 疲れと、初めてのキスで一晩寝付けなかったせいで、リーゼロッテは熱を出して寝込んでしまった。






(2)


 窓から差し込む斜陽が橙色の影を床へと落とす。

 橙の影に、薄いレース地のカーテンの影が重なり合う。

 二色の影は白を基調とする部屋全体に大きく伸び、拡がっていく。


 白と橙と黒。


 その三色が合わさる室内にて新たな色――、虹色の眩い光が床面から天井に掛け、淡く発光した。

 虹色の光はぐるぐると螺旋を描きながら、ゆっくりと消失していく。

 消失する光の中心には、反射した虹色の残光で白金の髪を輝かせる人物、リヒャルトの姿があった。


 中央の王都で発生した、イザーク達による事件の数々から約一週間。

 リヒャルトは国軍直轄の病院に入院していた。

 正確に言えば、軍上層部の協議の結果、半ば強制的に入院させられていた。

 フリーデリーケとヤスミンの治癒回復魔法で怪我自体は治っている、にも関わらず。


 リヒャルト自身は当初、「入院など無意味だ。必要ない」と拒否の意をはっきり示していた。

 しかし、「国を統べる者が反逆者の襲撃で負傷した以上、例え魔法で怪我を治したとはいえ、改めて正式な精密検査を受け、結果を軍部は勿論、国民に報告し、安心させるのは当然の義務ですよ」と、ベックマン中将を始めとする上層部の将官達に諭され、渋々ながら彼らの意見に従うことにしたのだ。


 とはいえ、至って健康な身、ベッドの中の住人でいられる筈はなく。

 病院から支給される寝間着姿で書類仕事に勤しみ、軍部から持ち込まれる多くの案件の対処を口頭、もしくは書類で指示を出し――、結局、場所が違うだけで普段と左程大差のない日々を送っている。

 もう一つ、普段と違うのは――、誰よりも彼を理解し、有能な働きを見せる副官が傍らに控えていないことだろうか。


 リヒャルトは窓辺から離れると、室内の中央に置かれたベッドの傍に近付いていく。

 汚れ一つない、白一色の清潔なシーツと掛布の中には、斜陽の影で頬を橙に染める、彼の有能な副官(フリーデリーケ)が眠っていた。


 フリーデリーケはナスターシャの呪いで昏々と深すぎる眠りに落ちたまま、一向に目を覚ます気配がない。

 仕事の隙間時間を使い、呪いの解除方法を密かに調べてはいるものの、これといった手掛かりはまだ見つからない。

 フリーデリーケの穏やかな寝顔を見つめながら、ふと、こうして彼女の寝顔をじっくりと眺めたことなど今までなかった、と、思い出す。

 共に過ごした夜は数えきれない程あるけれど、事が済めば彼女はさっさとベッドから抜け出し、帰ってしまうから。

 引き止めようと試みたことも何度かあったが、「(ルドルフ)が家で待っていますから」と返されれば言い返す余地はない。


 ベッド脇で、骨張った長い指先でフリーデリーケの頬を怖々となぞる。

 入念に手入れをしているのか、はたまた魔力による影響か。

 年齢の割にきめ細かく、しっとりとした柔肌に触れながら、改めて失ったものの大きさに気づかされる。


 長々と感傷に耽るための時間など彼には用意されていない。

 第一、本来なら面会謝絶のため、医師や医療系に関する魔法の使い手以外、彼女の病室に入るのは禁止されている。

 ただ、今日に限ってはほんの僅かな間でもフリーデリーケの顔が見たかった。

 特に何があった訳ではないが、無性にそんな気にさせられたのだ。


「……普段の君なら、『何しにここへ来られたのです、すぐにお引き取り下さい』と、厳しい態度で追い返すのだろうな……」


 自嘲気味に唇の端を持ち上げ、無理に笑みの形を作ろうと試みる。


 これは誰に向けて笑っている??

 彼女か自分、もしくは両方か??


 答えの出ない自問自答を胸中に浮かべるリヒャルトの背後で、虹色の光の粒子がふわりと舞った。

 眠るフリーデリーケの顔を、自らの背中を。

 橙色と虹色が混ざり合った光が強く照らし出す。

 フリーデリーケの頬から指先を離し、光に引き寄せられるように素早く振り返る。


「やっぱり少佐の元にいたのですね」


 逆光の眩しさで視界が妨げられようとも、声を聞けば誰なのか、リヒャルトはすぐに気付いた。

 少年にしては高く、少女にしては低い声。

 逆光を浴びるカッパーブラウンのおかっぱ頭は、光の加減で赤金色に見える。


「大丈夫です、他の方には内緒にしておきますからー。ギュルトナー元帥が女性副官の病室に魔法を使ってこっそり忍び込んだなんて」

「アストリッド様、私が少佐の寝込みを襲いにきたような言い方はやめてください」

「え、違うんですかぁ?!何だぁ、つまんなーい!」

「……貴女は私を何だとお思いなのです……」

「えー、だってー。リヒャルト様ってば、アレが国を乱しまくったせいで近頃は心労も溜まり気味でしょうし、だから、つい魔が差し……」

「差しません」


 ワクテカ顔で鳶色の瞳を輝かせるアストリッドを、げっそりした顔付きでリヒャルトは見返した。

 これが他の者であれば不敬罪及び、名誉棄損罪で即刻罰せられるだろう。


「……と、言うのはほんの冗談でして」

「冗談にしては些か質が悪すぎますよ」

「申し訳ありません、ちょっと悪ふざけが過ぎました」

「全くです。……それで、私への用件は??貴女こそ、人目を忍んで私に会いに来たのは、極秘の案件があってのことなのでしょう??」


 アストリッドの顔からヘラヘラした笑みがさっと消え、代わりに思いつめたような真剣な顔付きへと切り替わる。 

 リヒャルトもまた、逆光で目を細めつつ厳しい表情を向ける。


「単刀直入に申し上げます。ポテンテ少佐に掛けられた呪いの解除方法を伝えるために、ここへ来ました」


 厳しい表情はそのままに、リヒャルトのアイスブルーの双眸が大きく見開かれた。

前半のウォル×リザは爆発すればいいと思います。

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