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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第六章 Sullen Girl
84/138

Sullen Girl(22)

(1)

 

 イザークを的とする弾丸雨下、いつしか本物の雨は上がっていた。

 空に浮かぶのは雨雲から白い入道雲に変わり、雲間から太陽がこっそりと顔を覗かせる。

 薄っすらと虹が掛かる晴れやかな空の下、ぬかるんだ地面に埋もれるように無数の薬莢が転がっていた。

 硝煙のしけた火薬の臭いが辺りに漂う中、援軍の隊長らしき男が一人輪から抜け出し、輪の中央に転がるイザークの傍へと進み出る。

 その身に触れ、生死の確認をするために。


「待ってください!!」


 濡れた毛先から水滴を垂らしたアストリッが、援軍の輪を潜り抜けて男の元まで駆けっていく。


「あの……、確証は有りませんが……。もしかすると、まだ完全に死んでいないかもしれません」


 アストリッドの耳を疑う発言に男はぎょっと目を剥いた。

 軍服が汚れるのも気にせず、泥濘に膝をついて掴んでいたイザークの腕を放り出す。

 しかし、銃弾で頭部の一部が欠け、血だまりに浸かる無残な肉塊と化したイザークが生きているとは到底信じられない。

 男はイザークを横目で見た後、アストリッドを訝しげに見上げる。


「貴方が言わんとすることは分かります。こんな状態で生きているなんて有り得ない、と仰りたいのでしょう??ですが、イザークは常人では考えられない程に異常な生命力を持っています。仮死状態がどれだけの期間続くのかは定かではありませんし、でも、もしかしたら、この見た目通りに死んでいるかもしれません。つまり……」


 続きを言い掛けて、アストリッドの顔色が一変する。

 ついさっき男が掴んでいたイザークの腕が、一瞬で赤黒い触手へと変化したからだ。

 どう見ても死体、にしか見えないものが見せた悍ましい変化に、男は得体の知れない恐怖に見舞われ、反射的に立ち上がった。

 だが、ほんの僅かな隙も見逃さない、とばかりに、赤黒い触手はゴムのように伸縮し、獲物を狙う蛇の動きで男の喉元を掴み、力一杯締め上げてきた。

 首を締め上げると共に、イザークの指先はポウッと赤く輝き、熱を帯び始める。

 ジュッと皮膚が焼け、肉の焦げる異臭が漂う。

 喉を締め上げられた上に、焼け付く痛みで顔を赤く膨張させた男は声を出すことすらできない。

 触手を退けるべく、慌てて魔法を発動させようとしたアストリッドだったが、真横で白刃が一閃し、触手が真っ二つに切断された。

 触手は砂のようにさらさらと形を崩していき、泥の地面に紛れていく。

 赤黒い粒子が散った泥から、赤と緑の光が放射される刀身が引き上げられる。


「誰でもいい!彼を運び出し、火傷の応急処置を!!」


 いつの間にか、アストリッドの隣にはリヒャルトが並び、叫んでいた。

 配下の窮地に居ても立ってもいられなくなり、結界の中から飛び出してきたのだろう。

 絶えず魔法を発動させ続けているせいで息は上がっているが、剣を振るうだけの余力は残っているらしい。


 リヒャルトの命が下されると、援軍の輪から二、三人抜け出てきて、喉元に火傷を負った男を連れ出した。

 幸い、触手が発火し始めて間もなかったからか、思ったよりも軽傷で済み、リヒャルトのみならずアストリッドも胸を撫で下ろす。

 けれど、すぐに二人は表情を引き締めた。


 切断した箇所――、ちょうど肘の関節に当たる箇所から手首、指先……と、赤い粒子が寄り集まり、瞬く間にイザークの触手が再生したのだ。

 それだけじゃない。

 生身だったもう片方の腕や両足も同じく、触手化し始めたのだ。


 地を這い回るように二人の足首に触手を伸ばして転ばせようとしたり、魔法剣を払い落とすべくリヒャルトの手元や剣の柄に掴みかかろうとしたり。

 リヒャルトは剣を振り回しては触手を斬っていくが、斬っても斬っても蜥蜴の尻尾のように触手を再生させてくるのできりがない。

 当のイザーク自身は意識不明で、自らの血で作られた赤い水溜りと泥の中に伏したまま、起き上がる気配が微塵も感じられない。

 援軍の者達もエヴァも、リヒャルトに代わりヤスミンが張った防御結界内のウォルフィ達も、触手の動きを封じようにも、逃げ回るアストリッドとリヒャルトが仕掛けた攻撃に巻き込まれるのを恐れ、見守るしか術がない。

 何より下手に動いて触手の攻撃を更に活発化させる訳にはいかない。

 

「アストリッド様、これは一体どういう……」

 己やアストリッドに迫ってくる触手を避け、剣で退けながら、同じく触手の動きを躱し続けるアストリッドにリヒャルトは尋ねる。

「やはりまだ肉体は仮死状態でしかないのでしょう……。しかも銃撃で脳が死に、意識が途切れたことで魔力封じの効力が切れてしまったのです……、おっと」

「何と!どのみち魔法でないと奴は死なないのですね…‥」


 赤黒い指を拡げては迫りくる触手を斬り払うリヒャルトに、爪先を引っ掛けようとしてきた別の触手をアストリッドは飛び上がって避けた。

 アストリッドのエンジニアブーツもリヒャルトの軍用ブーツも、跳ねた泥と血糊でベタベタに汚れている。


「この分では、触手は私とアストリッド様のみならず、結界外にいるエヴァ殿や援軍の者達も狙ってくるでしょう。いえ、それだけならまだしも……」

 人里離れたこの地から市街地へと魔の手を伸ばすかもしれない、と、言い掛けて、アストリッドが察したように頷いてみせる。

「そうなる前に、イチかバチかですが……。試してみたいことがあります」

「試したい事??」

「はい、ただし成功するかどうかは、正直自信はな……、って、あぁ!!」


 二人の懸念の一つ――、四本の触手の内の一本が援軍の輪の足元に向かって更に腕を伸ばしたのだ。

 自分達に向かってくる触手に、ある者は怯み、他のある者はリヒャルト達には当たらぬよう、触手への発砲を試みる。

 だが、抵抗虚しく、触手は撃ち込まれる銃弾を器用に避けては突き進んでくる。


「リヒャルト様、動かないでください!」


 触手の動きを止める為、剣を振り下ろそうとしたリヒャルトを止め立てる。

 アストリッドに従い、リヒャルトが剣を下ろすと同時に、アストリッドの足元が闇色に染まった。

 地中に巨大なモグラでも生息しているかのように、地面がもごもごと蠢いている。

 地中の蠢きはアストリッドが立つ地点からイザークが倒れている地点まで、真っ直ぐに突き進んでいく。

 蠢きが通った道筋の後には土砂が飛び散り、土埃が舞い――、やがてイザークの真下で動きをぴたりと止めた。

 すると、ピシピシと鞭をしならせたような音を立て、稲妻のような灰色の光が地中から宙へと放たれた。

 地中からの光を一身に浴びたイザークの身に変化が生じ始める。


 アストリッド達や援軍に伸ばしていた四本の触手は、あっと言う間に霧消し、生身の手足の形に戻った。

 それだけでなく、イザークの全身が黒ずみ、小さくなっていく。

 灰色の光が消失する頃には、イザークの姿はどこにも見当たらなくなっていた。




(2)


「アストリッド様、イザークは……」

「イザークなら、変わらずあそこにいますよ」


 アストリッドは土砂が飛び散った道筋を辿り、イザークが倒れていた箇所の中心へと足を進め、立ち止まる。

 腰を屈めて泥に埋もれたあるモノを拾い上げ、再びリヒャルトの元へと戻っていく。

 アストリッドは掌に乗せたそれをリヒャルトに見せながら、確かに言った。


「これが今のイザークの姿です」


 アストリッドの掌には、直径七㎝程の大きさを持つ、黒水晶(モリオン)の単結晶が転がっていた。


「イザークが誇る魔力を逆手に取り、強力な魔除けとなる黒水晶に変化(へんげ)させたのです。もしかしたら跳ね返されて失敗するかもと不安も大きかったですが……」


 光を全く通さない、根元まで漆黒に染まる黒水晶と、黒水晶をコロコロと掌の上で遊ばせるアストリッドを、リヒャルトは何度も交互に見比べている。

 明らかに戸惑い、黒水晶化させたイザークへの怖れを感じつつ、気付かぬ振りでアストリッドは続けた。


「リヒャルト様。黒水晶化させたイザークを、この地の地中深く埋めて下さい。埋めた場所は立ち入り禁止区域に指定するのです。万が一、誰かの手で掘り返されたりしないように……。勿論、人だけでなく獣にも掘り返されないよう、自分とエヴァ様で結界を張ります。児童養護施設の方々には大変申し訳ないですが……、安全の為にもこの地か離れ、別の場所で暮らしてもらわなきゃいけませんが……」

「……でしたら、新設予定の施設の内の一つが孤児院ですから、そこに移ってもらうことにします。施設が完成するまでの間は、軍の宿泊施設を仮設住宅として貸し出し、当面の生活も支援しましょう。……慰問に訪れたばかりに、彼らを巻き込んでしまったからには援助を惜しむつもりはありません。イザークについても了解しました。直ちに、皆に黒水晶を埋めるための穴を掘らせましょう」

「ありがとうございます。後は……、軍の皆様に全面的にお任せします」

「そうして頂けるとありがたい。あぁ……、イザークの件以外にも、まだ私に何か意見したいことがあるのでは??」


 黒水晶化させたイザークの処遇、及び、児童養護施設の人々の今後について、迅速もしくは的確な対応を約束するリヒャルトに、ホッと表情を緩めたのも束の間。

 アストリッドの瞳に陰りが帯びたのをリヒャルトは見逃さなかった。


「はい、実は……」


 先程とは打って変わり、言い辛そうに口元を歪める仕草に、何を言わんとしているのか、リヒャルトは大体の察しがついた。

 後方の結界にて、今だウォルフィに抱えられ、ヤスミンに寄り添われているシュネーヴィトヘンを、続いて、結界の前で仁王立ちするエヴァを振り返り、それぞれに一瞬だけ視線を巡らせる。


「ロッテ殿とエヴァ殿の免罪を嘆願したいのですね??」

「はい」


 リヒャルトは眉を寄せ、難しい顔付きで首を二、三度横に振り、大きく息を吐き出した。


「残念ですが……。こればかりは、いくら貴女からの嘆願でも簡単に聞き入れる訳にはいきません」

「…………」

「特にロッテ殿は反逆罪に加え、ヨハン・ギュルトナー少将殺害の嫌疑が掛かっている」

「…………」


 リヒャルトは落胆するアストリッドから視線を逸らし、泥で汚れた掌から黒水晶を取り上げる。


「イザークの()()、確かに預かりましたので、後は我々国軍に任せてもらえますか」

「…………」


 聞こえているのに元帥に返事を返さないのは、本来ならば不敬罪に当たる行為だ。

 しかし、リヒャルトは特に咎めもせず、アストリッドに背を向けて援軍の輪の方に進み出ていく。

 黒水晶(イザーク)を埋める指示を出すだけでなく、シュネーヴィトヘンとエヴァの捕縛の命を下すために。


 諸悪の根源であるイザークを一応は討ち取り、ひとまずは国の存亡に関わる危機を乗り越えたと言うのに。


 自らが切に、切に幸福を願う人々程、救う事がままならない現実。

 ウォルフィとシュネーヴィトヘンがまた言い合いを始める声を背に流しながら、アストリッドは己の無力に、一人激しく打ちのめされていた。

第六章「Sullen Girl」終了。

しばらくお休みを頂いた後、連載一周年に当たる4/21(金)に第七章「I Know」が開始します。

次章からは、また毎週木・日の定期更新を再開できれば、と思っています

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