Sullen Girl (21)
今回少し短いです。
(1)
掲げたワンズをアストリッド達に翳し、イザークが詠唱したのと、アストリッドがダンッ!と、地を蹴飛ばしたのは同時だった。
ワンズの先端からチリッと火の粉が散り、猛火が放出され――、ない。
赤の双眸を大きく瞠り、イザークはもう一度だけ詠唱するが炎は発動されない。
「魔力封じ、ですか」
「…………」
真顔で問うイザークにアストリッドは口を閉ざし、答えようとしない。
けれど、沈黙が質問の答えを物語っていた。
「無駄な足掻きをまた……」
「それはどうでしょうか」
唇を歪めて笑おうとするイザークの言葉を遮り、アストリッドは冷ややかに告げる。
構わずイザークは、魔力封じを解除するべく、ワンズを振り上げる。
しかし、アストリッドの隣でエヴァが小さく詠唱した途端、振り上げた腕を中途半端な位置で止めた。
「お前の魔力と自分の魔力の強さはほぼ同等。なので、自分だけで魔力封じを行えば破られる可能性は高い。でも、自分とエヴァ様とで二重に魔力封じを仕掛ければ……、お前の力を超えることは可能だ」
ヘドウィグ様もいれば三重に魔力封じを仕掛けられるのですがね……、と、非常に残念そうな口ぶりでアストリッドは語る。
「……それで、これからアイス・ヘクセ様と一緒に、僕の魔力を封じた上で嬲り殺すつもりですか」
「あぁ、少なくとも私はそのつもりさ!」
エヴァは即答するなり短く詠唱。
空を覆う雨雲――、イザークの頭上辺りが薄青に発光し、黒い雲が青白く輝き出す。
青白い光を湛える雨雲から、雨と共に鋲のような形の氷柱が大量に降り注いできた。
氷柱はイザークの頭頂部、四肢、胴へと深く突き刺さり、衣服の上から皮膚を、肉を切り裂いた。
瞳や髪と同じ色の赤が彼の全身をくまなく染め上げていく。
悲鳴を上げ、痛みにのたうち回るといった醜態は晒さないまでも、イザークは上半身を折り曲げ、唇を噛んで痛みと屈辱に耐えている。
それでも、宛がった両腕で隠した表情はあくまで笑っている。
「半陰陽の魔女。アイス・ヘクセ様ばかりに攻撃させて、貴方は黙って高見を決め込むだけですか」
「…………」
指先から血が滴り、炎に焼かれて炭化した下生えの草の上に垂れ落ちていく。
一滴、二滴、三滴……、黒く変色した葉に朱が入り混じる。
入り混じった朱と黒は雨で流されていき、黒い灰と泥だらけの地面へと吸い込まれていく。
「こんな時まで不殺を通すつもりですか!それとも、嫌な役割をアイス・ヘクセ様に押し付けるつもりですか!!」
「まだ、無駄口叩く元気があるのか!!」
エヴァは怒鳴るように詠唱し、イザークの上に新たな氷柱が次々と落下していく。
雨と血の臭いが漂う中、アストリッドは崩れ落ちていくイザークを黙って眺めていた。
地に膝をつくイザークを見据える瞳は異様に醒めきっている。
「自分が本気を出したら、お前を殺す位訳などない」
「……ははは、やはり僕を殺す気など」
「はい、端からありません」
アストリッドは結界を消失させ、イザークの元へと足を一歩進める。
背を丸めたままイザークは顔を上げて大声で笑い出した。
「ははは……!やはり貴方は腰抜けだ!!殺す気がないのではない、殺せないだけでしょう?!」
氷柱が当たるか当たらないか、ギリギリの位置で立ち止まり、雨に濡れながら見下ろしてくるアストリッドを、イザークは嘲笑した。
「はい、自分は貴方を殺せません」
「はっはっはっは!!皆さん、今の台詞を聞きましたか?!ここまで僕を追い詰めておきながら、何と情けないことでしょう!!」
イザークとアストリッドの応酬を見守るリヒャルト達も、アストリッドの発言に耳を疑った。
アストリッドなりに考えがあっての事だと、リヒャルトやウォルフィ、エヴァ、ヤスミンは察したものの、リヒャルトの側近達やシュネーヴィトヘンは、一気に彼女への不信感を募らせた。
アストリッドを取り巻く空気は益々持って緊張感が増していき、様々な意味合いが込められた視線を一身に浴びせかけられる。
五十年前――、マリアの首を手にゴードン達の前に飛び出した時の状況と、少し似ている、と、胸中で自嘲した。
「勘違いしないでください。お前を殺せない理由は不殺の誓いを守るためではありません」
「はは……、では何のため」
「直に分かりますよ。エヴァ様」
「何だ」
「そろそろ攻撃を止めて下さい」
反抗するかと思いきや、エヴァはすんなりとアストリッドに従い、雨雲から光が儚く消えていく。
パラパラと氷柱が降る音が止むと、入れ替わるようにして全く別の音が聞こえてきた。
その音が近づいて来るにつれ、この場に集った者全員がアストリッドの真意に気付かされることとなった。
(2)
施設近隣はイザークの業火により、ほとんど焼き尽くされてしまった。
焼け焦げた倒木が折り重なっては積み上がり、雨で湿った灰が宙へと舞い上がる。
ざくざくざく――
雨でぬかるんだ地面を踏む複数の足音が。
倒木を踏み越えていく音が、徐々に近づいてくる。
今度こそリヒャルトは、しっかりとリムジンを振り返った。
つられて、側近達もリムジンにちらちらと視線を送りつける。
朱の立襟に薄灰の上衣、上衣よりも少し濃い灰色のズボンを着用する集団――、フリーデリーケが緊急要請した援軍がようやく到着したのだ。
「成る程……。魔力封じもアイス・ヘクセ様に集中攻撃させていたのも、援軍が来るまでの時間稼ぎでしたか……」
「はい、ポテンテ少佐は優秀な副官です。異常事態が発生した時点で、必ずや早急に元帥府に援軍要請の連絡を取っていたでしょう。隊の編成、元帥府からここまでの移動距離と時間を考えた場合……、そろそろ到着する頃合いだと考えました」
二人が言葉を交わす間にも、惨状に取り乱すことなく援軍はイザークの周囲を取り囲んでいく。
「お前に罰を与えるのは自分じゃない。特別な力など持たない、只の人間から罰を受けるべきなんだ」
それだけ言い捨てるとアストリッドはイザークに背を向け、エヴァの元へと戻っていく。
再びエヴァの隣に立ったアストリッドは、リヒャルトを振り返り、大きく頷いてみせる。
その意味するところを汲み取ったリヒャルトは、承知した、と言うように頷き返した。
「諸君、よく聞くがいい!この男は施設への襲撃のみならず、リントヴルム各地にて多くの事件を引き起こした、我が国において最も凶悪で危険な人物だ!!よって……、ただちにこの場で射殺せよ!!」
リヒャルトが結界越しにイザークを指差し、声を張り上げて援軍に命令を下す。
命を受けた援軍の兵達は引き金に掛けていた指を一斉に引いてみせる。
降り続ける雨の音に紛れ、数十発の銃声が辺り一帯に轟いた。
銃弾の嵐が、雨と自らの血に濡れたイザークに襲い掛かっていく。
遊び倒して飽きた玩具を壊すように、多くの人の心を弄んでは狂わせてきた男が今。
全ての報いを、その身を持って受け止めている。
休む間もなく撃ち込まれる銃弾で、イザークは蜂の巣と化していく――
穴だらけの身体から血飛沫が飛散する光景を、アストリッドは何の感慨も持たずに、ただ見守っていた。




