Sullen Girl(20)
(1)
ベランダの手摺に銃身を固定させ、結界越しに黒竜へと銃を撃ち放す。
目を潰しさえすれば、と、赤く輝く瞳に狙いを定めては光弾を連射させていく。
一直線に向かってくる青い光線を、黒竜は絶えず頭をぶるぶると振っては紙一重で躱し、小癪な、と、内心苛立つウォルフィをよそに施設に背を向けた。
こちらを見ろ、とばかりに、離れていく背中に何度も光弾を撃ち込む。
黒鉄のような鱗が剥がれ落ち、血が噴き出しているのに、黒竜の動きはちっとも鈍らない。
それどころか、施設近隣への火炎放射を再開しているではないか。
己にも魔法が使えたのなら。
今すぐにでも結界外へと飛び出し、イザークに立ち向かっていくのに。
苦々しげに地上を見渡したウォルフィの目に、衝撃的な光景が飛び込んできた。
ウォルフィと同じ銃を手に、リヒャルトの側近達とヤスミンが結界の外へ出てきたのだ。
「あの、馬鹿……!」
無謀と言える行動に出た娘に思わず憤る。
構えていた銃を戻し、柵から身を乗り出しては辺りを見回してみる。
ベランダの手摺の端から程近い壁際に沿って、太いパイプ配管が取り付けられていた。
安全装置を装着した魔法銃を片手に取り、手摺の上に飛び乗る。
手摺の上からパイプ配管へと飛び移り、外壁と配管を伝って地上ヘと降り立っていく。
その間にも、ヤスミンは防御結界を発動させつつ、イザークに魔法銃での攻撃を始めていた。
施設を守るように、と、リヒャルトから命を受けたが、娘が危険を冒すのを見過ごすことなどできない。
後で、命令違反の罪に問われるかもしれないが、そんなことなど構っていられない。
施設の建屋から運動場を急いで駆け抜ける。
一分一秒でも早く駆け付けてやらねば。
そうして施設の門前まで走ったところで、ウォルフィの視界いっぱいに虹色の光が大きく拡がった。
光の眩さに、反射的に腕で目を覆い、立ち止まる。
光はすぐに消失し、ウォルフィの眼前にてアストリッドが姿を現した。
「あれ?!何で、ここにウォルフィがいるんですか?!」
虹色の残光を手で払い除けながら、アストリッドは目を丸くして叫ぶ。
「それはこっちの台詞だ。あんたこそ……」
何でここに、と言い掛けて、はたと口を閉じる。
アストリッドの隣には、レダーホーゼンを着た小柄な少年、否、よく見れば少女、が立っていた。
痩せぎすで青白い肌、榛色の大きく鋭い猫目。
獰猛さを湛えた山猫のような表情には見覚えがあり、右の袖口から覗くはずの手がない。
「……どういう了見だ、北の魔女……」
「ま、待ってください!ウォルフィ!!」
殺気を纏わせ、エヴァに銃口を向けるウォルフィをアストリッドは慌てて止め立てた。
銃口を向けられているにも関わらず、エヴァは怯むことなくウォルフィをじっと見つめている。
「事情は後で話す。言っておくが、私は貴様の主と共に、ギュルトナー達を助けに来てやっただけだ」
「…………」
口調や表情こそ真摯ではあるが、反逆者であり逃亡犯でもある凶悪な魔女など信用できるのか。
しかも、エヴァはアストリッドに瀕死の重傷を負わせたことさえあるのだ。
「ウォルフィ、エヴァ様は確実に自分達の味方になってくれました。ですから、銃を下ろしてください」
露骨なまでに不信を露わにさせるウォルフィに、アストリッドは命令を下す。
それでもウォルフィは、一向に銃口を下げようとしない。
アストリッドは困ったように肩を竦め、エヴァに視線を送る。
同じようにエヴァも肩を竦め――、彼女の場合は煩わしげに見えたが――、軽く苦笑いさえしてみせた。
エヴァの反応を肯定の意と捉えたアストリッドは、先程解決させた魔笛事件の顛末を、ごく手短にウォルフィに語った。
「……と、言う訳でして。エヴァ様を信用して欲しいのですよー、ね??」
「…………」
「それにですね……、ここでグダグダと揉めている間にも……」
アストリッドは、結界の外の光景を指で差し示す。
そこには、リヒャルトが降らせた大雨の中で暴れ、飛び回る黒竜と、攻撃を仕掛け続けるヤスミン達が。
「今は劣勢に追い込まれているように見えますけど、アレのことですから。油断は禁物です」
「…………」
「二度目の命令です。ウォルフィ、今すぐ銃を下ろしてください」
決して、エヴァを完全に信用した訳ではない。
イザークを倒す為にも、娘の身を守る為にも、今は時間を無駄にする訳にはいかない。
「……御意……」
渋々といった体で、ウォルフィはようやく銃口を下げた。
すると、手にしていた魔法銃が、短機関銃型から元の拳銃型へと戻ってしまったのだ。
もしや、ヤスミンの身に何かが起きたのか。
強い焦りと不安に襲われ、居ても立ってもいられない。
ウォルフィは、アストリッドとエヴァを押しのけるようにしてヤスミンの元へ駆けていく。
置き去りにされた二人も、すぐに彼の後に続いたのだった。
(2)
抵抗する間もなく、闇色の表皮は白銀に侵食されていく。
上空を浮遊していたエヴァは、竜を模った氷像と化したイザークの頭頂部に着地する。
シュネーヴィトヘンだけでなくエヴァまでが姿を見せたため、アストリッド達の背後ではリヒャルトを始め、側近達が色めき立つのが肌で感じられた。
ウォルフィに抱えられるシュネーヴィトヘンはともかく、氷結化した竜の上で堂々と見下ろしてくるエヴァは的として狙いやすい。
結界の中から、銃口を構える音が聞こえてくる。
「ギュルトナーよ!私はもう、逃げも隠れもせん!!私は軍に投降するべく、半陰陽の魔女と共にここに来た!!だが、その前にだな、こいつを片付けるのを手伝わせてもらおう!!」
大衆の前で演説するかの如く、エヴァはリヒャルト達に訴えかける。
ついでにイザークの頭を二、三度爪先で蹴とばしながら。
エヴァの味方宣言に戸惑い、銃口を引き下げた側近達は皆、リヒャルトを見返した。
「エヴァ殿!その言葉、確かに信じていいのだな?!」
リヒャルトは厳しい表情をエヴァに向け、叫ぶ。
「二度も同じことを言わせるな!!」
「元帥に向かって何という口の利き方を!」「あの女を信用するのは危険です!」と、側近達から非難や注進の声が次々と上がる。
国への反逆罪を犯したあげく数か月間逃亡していたエヴァを、簡単に信じていいものかと、リヒャルト自身も正直迷うところだ。
しかし、エヴァの魔力はアストリッドよりは落ちるが、戦闘力に関しては国境守備の魔女の中でも群を抜いている。
この窮地を脱するには、彼女の力は必要不可欠だろう。
『アストリッド殿が引き連れてきたのであれば、信用に値するのではないでしょうか』
聞き馴染みのある、凛とした中低音が耳の裏で響いてきた。
声の主は今、傍にいないというのに。
後方のリムジンを振り返りそうになるのを堪え、喚く側近達を視線のみで制すと、リヒャルトはエヴァに叫び返した。
「ならば、エヴァ殿に命令する!アストリッド様と共闘し、必ずやイザークを仕留めろ!!」
「はっ!言われなくとも元よりそのつもりだ!!」
エヴァはにやりと笑い、空高く飛び上がると、軽い身のこなしで地上に降り立った。
エヴァが着地するとほぼ同時に、氷漬けの竜の全身は青白い炎に包まれた。
アストリッドが発動させたのだ。
水蒸気と白煙、肉が焼ける嫌な臭いを発生させながら、氷と共に竜の身体は小さく溶けていく。
「ウォルフィ、今の内にロッテ様を連れて、リヒャルト様とヤスミンさんの元へ」
「あぁ……」
容赦なくイザークを焼き滅ぼそうとするアストリッドに、ウォルフィは珍しく動揺していた。
腕の中のシュネーヴィトヘンも、今までと違い一切の躊躇を見せない姿に言葉を失っている。
二人だけでなく、リヒャルトもヤスミンも。
シュネーヴィトヘンを抱きかかえたまま、ウォルフィはアストリッドが張った小さな結界から、駐車場の入り口、リヒャルト達を守る結界へと移動していく。
途中、ウォルフィは何度かアストリッドを振り返ったが、アストリッドがウォルフィを振り返ることはなかった。
この五十年、不殺を誓ってきたアストリッドが、遂に、自ら禁忌を破ろうとしている。
好戦的なエヴァ以外、誰もが戦慄する中――、燃え盛っていた炎が急速に勢いを落としていく。
「エヴァ様!今すぐ結界の中へ!!」
ほとんど溶けかかっていた氷が内側から破裂し、水蒸気と白煙が周辺に立ち込める。
霧のように拡がっていく煙幕に視界を遮られながらも、エヴァは慌ててアストリッドの結界へと駆け込んだ。
ピンと張り詰めた空気の中、崩れ落ちた筈のイザークが、ゆらり、と立ち上がる。
僅かな残り火は焼け焦げた身体に吸収されていき、元の美青年へと戻っていく。
「いやはや、助かりましたよ!半陰陽の魔女!!わざわざ僕の魔力の源になる炎を与えてくれるとは」
「……こっの、化け物がっ……!」
「僕に流れる血の半分は悪魔なんですよ??僕の息の根を止める方法は、頭を吹き飛ばすか、心臓を抉り取るか、はたまた……」
憎々し気に吐き捨てるアストリッドを挑発するように、イザークは腕を拡げてみせる。
ドーランを厚塗りした顔と同じくらい白い歯を剥きだし、ニンマリと笑いながら。
「……そうやって笑っていられるのも、今の内だ……」
普段とはまるで違う、低く抑えた声が自然と口をついて出てくる。
隣に立つエヴァが、ぎょっとした顔で見返してきたが気付かない振りを決め込む。
「……エヴァ様、もう一度、貴方の力を貸してもらえませんか」
「何だ」
アストリッドは独り言を呟くように、ぼそりとエヴァに何かを告げる。
雨風の音やイザークの笑い声にかき消され兼ねない程小さな声だったが、エヴァは確かに頷いてくれた。
二人の様子を見咎めたイザークは、片眉をほんの少しだけ吊り上げたが、「何を企んでいるか知りませんが……、無駄ですよ!」と、口元に弧を描いて赤銅色のワンズを頭上に掲げる。
だが、ここでイザークの顔から笑みがさっと消え失せることになった。




