Sullen Girl (11)
(1)
屋台と屋台の間の狭いスペースにて、天板に紫色の布が敷かれた机を間にヘドウィグと若い娘が向かい合わせで座っている。
「それで、お前さんが占って欲しいことは何なんだい」
相談事が延々と続きそうだったため、早々に話を遮って占う内容を聞き出し、詠唱しながら机上に置かれた水晶玉に両手を翳す。
淡い青と紫の二色の光が小さな稲妻のように、ピシピシと音を立てて水晶玉の中で発光し始める。
水晶玉の光を真剣そのもの表情で見つめる娘に、ヘドウィグは光の動きから読み取った占いの結果を伝えた。
どこか思いつめた顔つきだった娘の表情が、ゆっくりと綻んでいく。
(やれやれ、たったこれだけのことで気鬱が晴れるとは単純だな)
ヘドウィグの占いは的中率が高いと評判だが、占いに頼るだけでは望む未来など手に入りはしないのに。
呆れるヘドウィグの内心など知る由もない娘は、料金を支払いながら礼を述べる。
去っていく若い背中を椅子に座ったまま見送っていると――、突如として不快なまでに調子外れな笛の音が耳に届いた。
思わず鼻先に皺を寄せ、音が流れてくる方向を確認するべく、パレード見物する人の波に視線を移動させれば――、小規模の行軍を思わせる子供達の集団が、パレードの進行方向とは逆へと進んでいる。
子供達はいずれも心ここに在らずと言った体の、虚ろな顔付きで、通りに集まった人々は誰一人子供達を気に留めようとしない。
(……どこの誰かは知らないが――、否、おそらくは、あ奴だろうか――、魔笛事件を再現するつもりか……)
気付いてしまった以上、見過ごすことなど許されないだろう。
(やれやれ、今日は早くも店じまいか)
『軍の狗』と化した現在、魔法が関与する事件が発生した際には解決の協力をしなければならない。
面倒臭そうに嘆息しがてらヘドウィグは椅子から立ち上がり、詠唱する。
机も水晶玉も売上金の入った箱も全てこの場から消失した。
店の道具類が消失したのを確認すると、音の方向と子供達の行方を探るべく、ヘドウィグは人込みの中を掻き分け、逆行していく。
すると、自分と同じく、子供達の後を追って人波を掻き分けては逆行していく、カッパーブラウンの髪の人物の姿を目に留めた。
「アストリッド!!」
「ヘドウィグ様?!」
少し先を走っていたアストリッドは、驚いた様子でヘドウィグを振り返って立ち止まる。
ヘドウィグは真っ直ぐに、それでいて通行人にぶつからないように、アストリッドの元へと駆け寄っていく。
「どうしてここに……」
「今年もこの大通りで占いの店を出店していたからだ。お前さんこそ、祭りに出掛けるなんて珍しいじゃないかい」
ヘドウィグの言葉に、アストリッドは、あぁ……、と不明瞭な返事をした後、やや言い辛そうにしながら言葉を続ける。
「祭りに出掛けたい、というヤスミンさんの護衛でウォルフィと……」
「はん、そういうことかい」
ウォルフィとヤスミンの名を耳にすると、全て察したのかヘドウィグは白けたように返しつつ、気まずそうに目を泳がせた。
ヘドウィグの不審な態度にアストリッドは何か言いかけようとして、口を噤む――、が、すぐに全く別の話題を切り出した。
「それはそうと……、ヘドウィグ様。貴女も子供達を操る笛の音に気付いたのですね」
「あぁ。恐らくはイザークの仕業だろうねぇ」
「はい、間違いなく……。あの笛の音を止めない限り、子供達は当てもなく延々と歩かされる羽目になってしまいます。笛の音が流れてくる場所を探り当て、演奏を止めさせなければ……」
「では、笛の音を止める役と子供達の行方を追い続ける役と二手に分かれよう」
「そうしましょう。自分は演奏者の居場所を探し出しますから、ヘドウィグ様は子供達の後を追ってください」
「分かった。しかし……、お前さん一人、あの従僕がいない状態で本当に大丈夫なのかい??」
北部にてエヴァ達と一人で対峙した結果、瀕死の重傷負う羽目になったことから、ヘドウィグはアストリッドの身を案じた。
アストリッドもその時のことを思い出したのか、腹の古傷が痛んだ気がして、あははと空笑いで誤魔化した。
「ま、まぁ、何とかなるんじゃないんですかねぇー」
「どうだかねぇ……」
空笑いはそのままに、アストリッドの足元が仄かに虹色に光り輝き始める。
アストリッドへの不安を抱えたまま、ヘドウィグも子供達の後を追いかけるべく彼女に背を向ける。
(……ん??)
突然、ヘドウィグの鼻先に何かが掠った。
気のせいかとも思ったが、それは頭や肩、唇の上にぼつぼつと降り注いでくる。
雨粒にしては硬く、雪であれば季節外れも甚だしい。
アストリッドも気になったのか、瞬間移動を中止して訝し気に空を見上げた。
アストリッドに続き、ヘドウィグも空を見上げる。
カツン。
頬に痛みを伴う、冷たく硬い感触が。
頬にぶつかって跳ね上がり、地へと落ちていった塊をしゃがんで拾い上げる。
「雹??」
ヘドウィグとアストリッド、どちらからともなく呟いた同じ言葉が重なり合う。
しかし、今の季節は初夏であり、雹を降らせる積乱雲も空に掛かっていない。
空を見上げながらしきりに首を捻る二人に構わず、氷の塊は尚も降り注いでくる。
屋台に立ち寄ったりパレードを見物していた群衆も、突然の異常気象に思わず足を止め、二人同様に空を見上げていた――、のも、束の間。
甲高い悲鳴が辺り一帯に響き渡り、遅れて悲鳴の理由を知った他の人々も更なる悲鳴を次々と上げ始める。
ヘドウィグとアストリッドも、遥か上空に浮かぶ黒く大きな影を見て目を見開き、言葉を失う。
二人と群衆が見据える、晴れ渡った空の彼方の先には、太陽光の反射で全身を白銀に輝かせた氷竜が浮かんでいたのだ。
街へ向けて雹を降らせる氷竜の出現。
恐怖と混乱に支配された群衆は我先に大通りから、押しつ押されつ逃げ惑う。
悲鳴と怒号が飛び交う中、高波のように押し寄せる人々の間に飲まれないよう、ヘドウィグとアストリッドは身を寄せ合う。
氷の竜――となると、二人の脳裏に真っ先に浮かんだのは、エヴァだった。
エヴァがしきりに祭りに関して気にしていたのは、このためだったのか!と、ヘドウィグはぎりぎりと強く歯噛みする。
「アストリッド。氷竜は私が何とかするから、お前さんは笛の音の場所まで向かえ。なに、すぐに片をつけて子供達の後も追うから安心しろ」
「え、でも」
「いいからさっさと行くがいい!!」
語気を強めるヘドウィグに圧倒され、アストリッドは黙って首肯する。
程なくして、再びアストリッドの全身が虹色に光り輝き出したのを見計らい、ヘドウィグは空高く飛翔した。
(2)
廊下を歩くフリーデリーケは、珍しく焦っていた。
その証拠に、眉間に皺を寄せ、普段よりも速い足取りで廊下から玄関までを歩いている。
西部で発生した緊急事態は当然として。
リヒャルトと同様、先程から嫌な違和感を肌で、空気で、ひしひしと感じ取っているからだ。
ところが、施設の者への事情説明(勿論、ナスターシャの件は伏せて)が思いの外時間を取られてしまった。
この施設に留まる時間が長引けば長引く程、万が一襲撃を受けた際の巻き添えを食わせてしまう。
元帥府への帰路も行きとは進路変更し、なるべく人通りがなく、家も建っていない道を走らせるだろう。
何より、自分一人の為だけにリヒャルトや他の側近達を待たせているのも忍びない。
逸る気持ちと共に、決して息が切れている訳でもないのに心臓が早鐘を打ち始める
玄関扉の前にようやく辿り着いたことで尚更鼓動は速まっていく。
ドアノブに手を掛け、手早く回す。
立て付けが悪いせいか、軋んだ音を立てて扉が開く――
夕陽が地上ヘと落下してきた――、そんな錯覚を覚えるような、直視できない程に目が痛む赤い閃光が、施設を覆い尽そうとした。
咄嗟に防御結界の詠唱を唱える前に、薄緑色の輝きを放つ防御壁が地面から施設を取り囲み、閃光を弾き返した。
弾き返された赤は遥か上空へと飛ばされていき、彼方へと消失していく。
フリーデリーケは煉瓦造りの玄関ポーチを飛び出し、外の運動場で遊んでいた子供達に向かって大声で呼びかける。
「全員、今すぐ建物の中へ入りなさい!!早く!!」
身動きできずにその場で固まる子、蹲ってわんわんと泣きじゃくる子。
パニックを引き起こし、施設の外へ出て行こうとする子。
フリーデリーケは運動場へ駆け出すと、子供達一人一人捕まえては玄関まで誘導していく。
女性とはいえ、軍服を着た大人からの命令に威圧され、子供達は大人しく彼女と共に施設内と戻ってくれた。
板張りの長い廊下を進めば、通り過ぎる各部屋の中からも、怯える子供達の騒ぎ声や泣き声、必死に落ち着かせようとする職員の声が漏れ聞こえてくる。
大人ですら混乱しかねない状況、幼い子供なら尚更平静でいられないのは当然だろう。
ふと、リヒャルト達の身はどうなったのか、が、気掛かりになってくる。
結界が発動され、今も尚効力を発揮しているということは、少なくとも生きてはいる――、とは信じたいが……。
やがて廊下の突き当りの部屋――、施設の事務室に行き着けば子供達を伴って再び入室し、動揺を隠せないでいる職員や施設長に事情説明――、今度ははっきりと緊急事態が発生したと告げる。
「――今後、事態が収束するまで皆さんには我々国軍の指示に従っていただきます。それから……、至急、軍に緊急連絡を入れる為電話をお借りします」
今回の襲撃は、間違いなく暗黒の魔法使いの仕業によるものだろう。
と、なると――、中央軍だけではなくアストリッドの協力が不可欠となってくる。
(ヤスミンさんやシュライバー元少尉には悪いけれど……、アストリッド殿をここへ呼び出さなければならないわね……)
一刻を争う状況にも関わらず、受話器越しにて鳴り続ける呼び出し音。
いつまで待たせる気なのか、と、フリーデリーケは強い苛立ちを覚え始めていた。




