Sullen Girl(10)
(1)
板張りの長い廊下を進むごとに、大勢の子供達のはしゃぎ声が鳴りを潜めていく。
先導する職員の手で開放された扉から室内に入れば、中で遊んでいた子供達の間を一斉に緊張が走り抜ける。
施設の職員以外の大人、それも軍服姿の集団が施設見学と称して眼光鋭く自分達を観察しているのだ。
年端もいかない幼子ならば怯えが生じたとしても仕方ないだろう。
怯えて固まる子供達に向け、職員は失礼のないよう大きな声で、はきはきと挨拶をするよう促した。
子供達は言われるまま、大きいけれどぎこちない声で軍服集団に歓迎の挨拶を述べる。
集団の中心にいたリヒャルトは子供達に向けて、にこりと柔らかく微笑み、挨拶を返した。
「うむ、元気な子供達ばかりで何よりだ。ただ大分緊張しているのかな??」
「大変申し訳ございません。挨拶の練習をちゃんとさせたのですが……」
「いや、子供など見慣れない大人に対して大抵は縮こまってしまうものだろう。さして気にすることではない」
「お、恐れ入ります……」
こちらの一挙手一投足に恐縮しきりの職員に、リヒャルトはつい苦笑を漏らしてしまうと同時に、くすぐったさを感じる。
年に一度はここ中央も含め各地の児童養護施設への慰問を行っており、この施設にももう何度も訪れているというのに。
子供達はともかく、職員達の対応も未だに腫れ物に触るような、恐る恐るといった体なのだから。
士官、下士官問わず、この国では児童養護施設出身の軍人の数が多く(適正検査が通れば、成人認定される十五歳から軍に入隊できる、奨学試験に合格すれば無償で士官学校への入学可能等の理由から)、児童養護施設への支援に力を入れることは国軍のみならず国の益へと繋がる。
単なる偶然か慰問が功を奏しているのかは定かではないが、リヒャルトが元帥就任後の五年間、施設出身者の入隊率は右肩上がりに増加していた。
「元帥閣下を始め、皆様のご支援のお蔭で、閉鎖寸前だったこの施設も何とか立て直しできました。感謝してもし尽くせません……」
「年端もいかない子供達が路頭に迷ったら……、と思うと、見過ごせない案件だと思ったにすぎません。彼らは将来、私達大人に成り代わって国を支える一員となる。衣食住の保障や教育を施すのは我々にとって当然の義務です」
施設が閉鎖し、行き場をなくした孤児による犯罪を減らす為――、というのは黙っておいた。
厳密に言えば、その手の者は苦界から抜け出そうと独学で魔法を学び、魔法を悪用しての犯罪者と成り得ることも多い。
幼少期にアストリッド達と国中を旅して知った事実である。
また、リヒャルトは児童養護施設の支援の他にも新たな施設を新設する予定でいた。
部屋の隅に固まるリヒャルト達を気にしつつも、次第に子供達はそれぞれの遊びに夢中になっていく。
机に座り、画用紙に書き殴るように絵を描く子供、大人しく本を読む子供。
床の上で積み木遊びをする子供、二、三人で机の周囲をぐるぐると追いかけっこする子供。
リヒャルト達の横を擦り抜け、部屋を飛び出して中庭へ向かう子供。
この場にいる(いた)子供達一人一人に、リヒャルトは温かな眼差しを送り、職員と側近達と共に隣の部屋へと移動しようとした時、足元から訴えるような強い視線を感じ取った。
視線の先を確認してみれば、五、六歳の少年と、少年より少し年下の少女――、顔立ちが似ていることから兄妹だろうか――、が、仲良く手を繋ぎ、リヒャルトをじっと見上げていた。
リヒャルトを見上げる少年の黒い瞳は眩しい程の羨望に、今にも飛びついてきそうな程の好奇心に満ち溢れ、対する少女は人見知りな質なのか、兄の背に隠れている。
「ねぇねぇ、おじさん!!おじさん、この中で一番偉い人なの?!」
少年はわくわくした顔付きでリヒャルトに話し掛けてきた。
国の最高権力者をおじさん呼ばわりする少年に、職員の顔から血の気が一気に失せ、側近達の目つきが険しくなる。
しかし、当のリヒャルトは一向に気に介さず、にこにこと微笑んでいる。
それどころか少年と目線の位置を合わせるべく膝を曲げ、彼に話し掛けだした。
「うん、そうだよ。君、よく気付いたね」
「だって肩の星の数が一番多いから!」
少年は、五芒星が五つ並んだリヒャルトの肩章に目線を落とし、えっへん!と得意げに答えた。
「俺、おっきくなったら、軍隊に入って将軍さまになるんだ!!」
「これは頼もしいな!君のような威勢の良い子が入隊してくれるとなれば心強い事この上ない」
少年の髪を大きな掌でわしゃわしゃと掻き乱すように撫でてやる。
へへへ、と照れ笑いする少年の横にいる妹は、相変わらず兄の手を握ったまま大人しくしている。
兄と同じ黒い瞳はリヒャルトではなく、リヒャルトの傍らに控えるフリーデリーケを見つめていた。
怯えと好奇心をないませにして。
その視線に気づいたフリーデリーケもまた、少女の視線を受け止めた。
すると少女は繋いでいた兄の手を離し、怖々とフリーデリーケの元へと歩み寄ると――、何を思ったのか、突然両手を拡げてみせ、「……だっこぉ……」と甘えてきたのだ。
またもや職員の顔は青褪め、側近達の空気も凍り付き――つつも、興味深げにフリーデリーケの動向を窺った。
フリーデリーケは一瞬躊躇うようにリヒャルトをちらりと見返したものの、腰を落として少女を抱き上げた。
抱き上げられた少女は、キャッキャッと声を上げて喜んでみせる。
「申し訳ありません。すぐに後から戻りますゆえ、どうぞ次の部屋へお進みください」
少女を腕に抱いたまま、フリーデリーケはリヒャルトを始め彼の側近、護衛役、職員に先へ進むように促した。
「分かった。……では、次の部屋へ案内してくれるかね??」
職員に案内を求めた後、ぎこちない笑顔で少女をあやすフリーデリーケの横顔を視界の端に映しながら、リヒャルトと側近達は部屋を後にする。
「あのポテンテ少佐が子供を構うなど意外ですなぁ」
「『鉄の女』も少なからず母性を持ち合わせていたようで……」
「まぁ、本来は子供の一人や二人はいる年頃ですしねぇ」
部屋を出た途端に小声でフリーデリーケを揶揄し出す側近達の言葉を聞き咎め、制止の意味を込めてリヒャルトは軽く咳払いをした。
無言の牽制を察した側近達は慌てて口を噤んだが、苛立ちは完全には払拭しきれていない。
彼女を揶揄する側近達、ではなく、子を産み育てる人生を彼女から奪ったのは紛れもなく自分だと自覚しているからだ。
士官学校在学中にリヒャルトと出会ってなかったとしても、彼女は軍人と魔女の二つの顔を持つ人生を選択していただろうし、女性としての幸福を捨て去ったことに関して一切後悔しなかっただろう。
だが、リヒャルトは彼女が本当は子供好きだと知っている。
ヤスミンを彼女の元へ預けたのも、彼女の方から申し出た上での事だった。
(2)
再び板張りの廊下を進み、隣の部屋の扉に職員が手を掛ける。
「ただいま戻りました」と、側近の一人に告げるフリーデリーケの声が後方から届いた。
随分と戻るのが早いな、と、声を掛けようとして振り返れば――、更に後方からバタバタと忙しない複数の足音がこちらへ向かってきた。
「一体何事だ?!」
リヒャルトよりも先に、側近の一人が使いの者にやや焦りを含んだ口調で問い質す。
使いの者は、問い質してきた側近と少し離れたところから鋭く凝視するリヒャルトを何度も見返した。
側近ではなく、直接自分に伝えたいのだな、と察し、使いの者の傍まで近づいていく。
「私が話を聞こう」
「……はっ!」
使いの者に耳打ちされる報告が進むごとに、リヒャルトの穏やかな表情は一変、次第に険を帯びていく。
ただならぬ空気を察した職員は、さりげなくこの場から離れていく。
リヒャルトの表情の変化を側近達が不安気に見守る中、フリーデリーケだけは顔色を変えることなく彼の様子を窺っていた。
「報告ご苦労。皆の者、よく聞け。西部の憲兵司令部に勾留中のナスターシャ殿が、鴉の従僕を使い脱走を図ったとのことだ。直ちに予定を切り上げ、元帥府に戻るぞ」
「はっ!」
側近達が敬礼を送る中、同じく敬礼をしながらフリーデリーケは、「施設の方々にそれとなく事情――、ナスターシャ殿の件は伏せてですが――、を説明しにいきますので先に車へと移動をお願い致します」と、告げる。
「うむ。頼んだぞ」
「はっ!」
輪の中から抜け出すフリーデリーケの後ろ姿を見送りがてら、廊下から玄関へと向かう中、リヒャルトはふと、嫌な違和感を覚え始めた。
自らの足元から頭頂部に掛けて、猛毒を持つ蟲が全身を這い回るような――
非常に気味が悪い、と感じる一方で、周囲の様子からこの感覚は自分だけのものなのかと疑問を抱く。
(……もしや、イザークの次なる狙いは……、ヤスミン殿ではなく、この私、なのか??)
ならば、尚更この施設から早く立ち去らねばなるまい。
我が身や軍関係者ならともかく、イザークとは無関係の人々――、特に多くの幼子を犠牲にするのは絶対に避けなければ。
自然とリヒャルトの足取りは徐々に速まっていく。
およそ室内を歩くには速すぎるであろう歩調で廊下から玄関を抜け、玄関前に設置された花壇、幾つかの遊具が設けられた運動場を通り越す。
彼らを見送る子供達には不穏さを感じさせまいと、すれ違う度に笑顔で手を振りながら。
フリーデリーケはリヒャルト達の下にまだ戻ってこない。
彼女が傍らに控えていないことにいくばくかの不安を覚えながら、背の低い錆びついた鉄の門――、施設の入り口を出て左側、リムジンと何台かの軍用車を停めてある駐車場に辿り着いてしまった。
フリーデリーケが戻り次第すぐに出発せねば――、と、先程までいた施設の建物に目を向けた、その時。
どこから放たれたのか、危険や警告、憤怒を示す様な、赤く巨大な閃光が、リヒャルト達を飲み込むべく襲い掛かってきた。




