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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第六章 Sullen Girl
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Sullen Girl(8)

(1)


 ――二週間後――



 毛先の所々、枝毛が目立つ長い髪を一房掴んでは鋏を入れる。

 シャキン、シャキンと硬質な音が室内に響く度、藁束を思わせるアッシュブロンドの毛束が板張りの床に落ちていく。

 粗末な丸椅子に腰掛け、エヴァはされるがままヘドウィグに髪を切られていた。

 部屋の隅では、先に髪を短く切られたズィルバーンが床に直接胡坐をかいて座っている。

 主の長い髪が短くなっていく様を、大きく丸い茶色の目で興味深けに観察しながら。


「よし、このくらいの長さにしておくか。どうだい、さっぱりしただろう??」

「…………」


 ヘドウィグは鋏をベッドのサイドテーブルに置き、同じくテーブルの上にあった四角い手鏡をエヴァに手渡した。

 エヴァは無言で鏡を覗き込むと、軽く鼻先に皺を寄せる。

 短めのおかっぱに切り揃えられた自分の姿が全くの別人のように見え、違和感をどうしても禁じ得ない。


「少し切り過ぎだ。こんなに短くなるとは思っていなかった」

 不服そうに唇を歪め、押し付けるようにしてヘドウィグに手鏡を突き返す。

「髪が痛みきっていたのだから仕方ないだろう??髪を伸ばすなら、もう少し入念に手入れしな」

「うるさい。私に指図するな」


 ムスッと思い切り不貞腐れたエヴァは椅子から立ち上がり、ヘドウィグに背を向ける形でベッドに腰掛ける。

 子供じみた反抗的な態度に、ヘドウィグはやれやれと肩を竦めてみせる。


「あぁ、窓を開けてもいいが、くれぐれもお前さんと銀狐の従僕の姿は見られないように気をつけな。この間も話したが、リヒャルトがお前さん方の捜索をここ中央でも開始したのだから――」

「貴様なぞに言われなくても承知している。つまらん説教など聞きたくない」

「そうかい、そうかい。そりゃ悪かったね」


 ヘドウィグは軽く嘆息し、扉の近くに立て掛けてある箒と塵取りを取りに動き、床に散らばったエヴァの髪を掃き集めていく。

 散髪の後始末をするヘドウィグから目を逸らし、エヴァは窓の向外をずっと眺めていた。


 日中の街中では初めて聴いた時同様、楽隊の演奏が連日流れている。

 特に今日は祭りの当日だからか、普段よりも一段と音が大きく鳴り渡り、祭りに集まった人々の喧騒までが伝わってくるように思えた。


「祭りに興味があるのかい」

 掃き掃除を続けながらヘドウィグはエヴァに尋ねる。

 床に集められた黒と灰色がかった金の毛束は小山となり、中から新種の生き物でも生まれてきそうだ。

「別に」

「そうか」

 毛束の小山を箒で塵取りの中へ押し込める。

 量が多いため三度同じ行動を繰り返した後、ようやく元通り、塵一つない清潔さが保たれた床へと戻っていく。


「近頃、何かと窓の外を眺めていることが多いから、祭りに出掛けてみたいとか言い出すかと思っていたよ」

「はっ、国中から指名手配されている身なのに、誰が」

「ならばいい」

「指名手配と言えば、東の女狐対策の警備も兼ねて貴様は祭りに出店するのだろう??私につまらん説教垂れる時間があるなら、さっさと出掛けて出店の準備でもしていればいい」


 用が済んだのだから早く部屋から出ていけ、と暗に告げるエヴァに、ヘドウィグは特に気分を害すでもなく。

 分かった、分かった、と、薄っすらと苦笑いすら浮かべている。


「嫌われ者はとっとと退散してやるさ。お前さんこそ、くれぐれも気が変わったからとこっそり家から抜け出したりしないでおくれよ」


 苦笑いの表情を顔に張り付け、ヘドウィグは鋏を右手に、塵取りを左手に持って退室していく。

 後で箒を取りに来るかと思われたが、箒は部屋に置いたまま(持っていくのを忘れたのか、わざと置いていったのか)二度と部屋に入ってくる事はなかった。


 三十分程経過し、それまで所在なく隅で胡坐をかいていたズィルバーンが立ち上がる。

 エヴァは相変わらず、窓の外をぼんやりと眺めている。

 ズィルバーンはエヴァの隣に腰掛ける。


「エヴァ様―、マジで、行くつもりなのかよぉ??」

 エヴァは質問に答えることなく、ズィルバーンと入れ替わるようにしてベッド脇から立ち上がり、短く詠唱した。

 エヴァの足元から全身に掛けて、薄桃色の光に包まれる。

「これならば、他の参加者の中にすんなり紛れ込めるだろう??」


 胸当て部分がH型となった、サスペンダー付き皮革製の半ズボン、麻の白シャツ、青色のネクタイ、灰色のハイソックス、黒革のブーツ、羽根飾りが付いた山高帽子。

 髪が短くなり、帽子で面相が誤魔化せることも含め、レーダーホーゼンを纏ったエヴァは小柄な少年にしか見えない。


「俺、どっちかっつーと、ディアンドルのが好みなんすけど」

「やかましい!あれは私には破滅的に似合わないからだ!!」

「ってゆーか、っすね……」


 物怖じしない彼にしては珍しく非常に言い辛そうに唇をもごもごとさせながら、ズィルバーンはエヴァの右腕の先に視線を投げ掛ける。

 彼の視線の意味するところに気付いたエヴァはハッとなり、得意げな顔付きから一転、表情を曇らせていく。


 エヴァが右手を失ったことは指名手配の旨で国中に知れ渡っている。

 欠損した部位の修復魔法を国内で使えるのはアストリッドとヘドウィグのみで、エヴァには使えない。

 それにも関わらず、エヴァはヘドウィグからの右手首の修復の申し出を頑なに断り続けていた。

 ヘドウィグからの借りをこれ以上作りたくない一心の意地によって。


 エヴァは不機嫌さも露わに、再びベッド脇に黙って腰掛けた。

 エヴァに怒鳴りつけられるものかと覚悟していたズィルバーンは拍子抜けしつつも、あからさまに落胆する主の様子に自分まで項垂れてしまった。


 誰のせいでもない、自らのプライドの高さと意固地さが招いた失態。

 馬鹿さ加減に苦笑すら漏らしたくなってくる。



『あらあら、仮にも北の魔女アイス・ヘクセと恐れられる存在だったのが、随分と落ちぶれたものですわね』


 くすくすと品良く、それでいて底意地の悪さを感じさせる笑い声が、エヴァの脳裏にこだました。


「その声は……。貴様、西部の憲兵司令部に投獄された筈じゃなかったか??」


 声の主はエヴァの問いには答えず、くすくすと笑い続けていたが、ふと笑うのを止める。


『不機嫌な()北の魔女様。貴女の鬱憤や怨恨を晴らすべく私達の仲間になりません??勿論、銀狐の従僕も一緒で構いませんわ』

「仲間、だと……??」

『もしもその気がおありでしたら、今から指示する場所へ来ていただけないでしょうか??』

「…………」


 無言で天井を睨み上げ、声の指示に耳を傾けるエヴァを不審げに、かつ、心配そうにズィルバーンは様子を窺っていた。





(2)



 ――これより少し前。西部・憲兵司令部本部――



 始業開始前の点呼・朝礼が終わり、憲兵達が各自持ち場へ向かうため、長く広い廊下を慌ただしい様子で行き交っている。

 廊下の南側に並ぶ大窓には早朝の爽やかな陽光が降り注ぎ、廊下を通り過ぎる彼らの体温を僅かながらに温めていく。

 その内の一人、若い憲兵が廊下に差し込む外光の眩しさに思わず目を細めた時だった。


 窓の外――、強い光の中に紛れ、無数の、黒い染みのような点々とした影が上空を飛空していた。

 言い知れぬ不気味さを漂わせて。

 黒い点々の影はこちらへ近づくにつれ、鳥――、鴉、か??――、の群れ、それも数羽ではなく、何十、もしかしたら、百羽を超えているかもしれない――、大群であった。

 鴉の大群は明らかにこちらへ向かっていた。

 尋常でない速度をもってして。

 緊急事態発生か――、憲兵は即座に上司に報告せねば、と踵を返し、上司がまだ残っているであろう部屋へと戻っていく。


 けれど、彼が上司の元へと戻ることは、なかった。


 あっと言う間に鴉の大群は司令部の周囲を取り囲んだ。

 四方に分散した鴉達は各階の窓に次々と体当たりを仕掛け、窓硝子を突き破っていく。

 窓硝子にぶつかった衝撃や刺さった硝子片で死に、床に崩れ落ちたものもいたが、大半は破れた窓から施設内へと雪崩れ込み、無差別に憲兵達に襲い掛かっていった。

 頭や身体だけでなく目や耳を突かれ、憲兵達の悲鳴や怒号があちこちで響き渡る。


  憲兵司令部内は侵入した鴉達の黒々とした波に飲まれていき、たちまち阿鼻叫喚の地獄絵図と化していく。


  突然の恐怖と混乱。

  憲兵に攻撃する仲間達との間を掻い潜り、ユッテは仲間の内の数羽と共に、地下へと続く階段の場所を探しに行く。

  地下牢に囚われているだろう、ナスターシャを救出するために。


 大事な主を助けて欲しかっただけなのに、守って欲しかっただけなのに。

 どうして、主が捕縛され、事もあろうに罪に問われなければならないのか。

 誰よりも優しく、慈悲深い我が主の事。

 東の女狐に脅迫された、もしくは持ち前の慈悲深さから、あの女を匿ってやっていただけだろうに。


  あの後――、西部司令官の保護の下、ユッテは全身に負った怪我の治療の為、秘密裏に軍管轄の医療施設に強制入院させられていた。

  一ヶ月近くの入院生活の間、我が身よりもずっとナスタ-シャが気にかかり、時折見舞いに訪れる西部司令官に彼女の現況について何度となく尋ねた。


『ナスタ-シャ殿は息災にしているよ。だから、君は自身の怪我の治療に専念していればいい』


  しかし、いざ宮殿へ戻ってみればもぬけの殻、主の姿は影も形もなく消えていた。

  そして、仲間達から真相を知らされるなり、ユッテは怒りを爆発させ、ナスタ-シャ救出を決行したのだ。


(……これだから、人間は信用できないのよ!)


 仲間の援護を受けながら、部屋から部屋を飛び交う中。

 一足先に『目当てのモノ』を盗み出してきた他の仲間が、それを咥えてユッテの前に飛び出した。

 ユッテは奪い取るように仲間の嘴から、それ――、地下牢の鍵を自らの嘴で抜き去り、再び地下牢を目指す。

 行く手を阻む憲兵達をユッテの代わりに仲間が襲い、地下への階段を発見した時にはユッテただ一羽のみとなっていた。

 階段は他の階のものとは違い、ごつごつと粗雑な石で作られていて、暗く不気味な印象を与えていた。

 ここを下っていったら最後、二度と地上へは上がれないのでは、と、悍ましい錯覚を振り払って、ユッテはビュン!と羽音を立てて、地下へと下りていく。

 地下へと進むにつれて薄闇は影を増していき、永遠に明けない夜闇を思わせる暗所と化していく。

 鳥は暗所に入ると視力が利かなくなるが、魔力を持つユッテは例外だ。

 更には暗闇の中、薄っすらと灯りの光が――、おそらくはナスターシャが拘束されている地下牢の一角からだろう――、漏れ出でている。


(ナスターシャ様、今、助けて差しあげますからね)


 主の居場所に近付くにつれ、鍵を咥えるユッテの嘴の先に自然と力が籠る。


 鉄格子と不衛生な石壁や床に囲まれた、暗く狭い地下牢の中には、ナスターシャらしき女が、粗末で古い椅子に腰掛けていた。

 手首には罪人を拘束する手枷が、口には詠唱文を唱えられないよう猿轡が嵌められ、日頃のおっとりと優し気な表情をすっかり失い、げっそりと窶れ果てていた。

 髪が栗色から艶を失った白髪、目元は落ち窪んで皺だらけの顔、瘦せ衰えた体躯――、肉体年齢を三十歳前後で留めていた筈が、実年齢である七十代の老婆の外見に変わり果てている。

 実年齢の姿を曝け出すのは魔女の最大の屈辱であり、魔力で若さを保っていられない程に肉体的・精神的な苦痛を与えられた証拠ともいえよう。


「あぁ……、何て酷いことに……!今、助けて差し上げます!!」

 鴉から人間の娘へと姿を変えたユッテは、飛びつくようにして地下牢の入り口に近付いて、南京錠に鍵を差し込んだ。

 鍵はかちりと音を立て、いとも簡単に入り口の扉が開いた。

「さぁ!ナスターシャ様、今のうちに!!」


 ユッテの呼び掛けに、ナスターシャはのろのろと酷く緩慢な動きで椅子から立ち上がり、足を引きずるように扉に向かって歩いていく。

 哀れでちっぽけな老婆の姿をなるべく目にしないよう、視線を外しながらユッテはナスターシャが牢から出てくるのを待つ。

 ナスターシャが牢から出てくると、やはり彼女の姿から目線を逸らしつつ、ユッテは猿轡を外した。

 ナスターシャは皺枯れたか細い声で小さく、小さく詠唱する――、と、灰色の光が彼女の全身を包み込み、手枷がカシャンと音を立てて石の床へと落ちていく。


「ユッテ、よくぞ私を助けてくれたわね。心の底から感謝するわ、ありがとう」

 窶れた様子は変わらないものの、老婆から妙齢女性の姿に変わったナスターシャは栗色の瞳を潤ませてユッテに感謝の意を述べた。

 ユッテも、今度こそ主の役に立てたのだと感極まり、鼻を軽く啜ってみせる。

「貴女は本当に偉い子。いつでも私のために一生懸命動いてくれて。私にここまで忠誠を尽くしてくれる者は貴女が初めてよ。だから……」


 ナスターシャの笑みが一段と深くなった。


「私のためだと思って、二度と私の前に姿を現せないようにしてあげるわ」


 薄暗闇に支配されていた地下が閃光に取って代わられた瞬間、地下全体が爆発音と爆風によって崩落したのだった。

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