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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第五章 Every Single Night
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Every Single Night(20)

(1)

 ケルベロスが居る方向とは反対側の窓から顔を覗かせ、上空を覆い尽くす超巨大水竜の影を、アストリッドは目で追いかけていた。

 ハイリガーとウォルフィは新たに発生した異常事態に、迷うようにして一旦動きを止める。


「二人共、籠の中のシュトレンが全部なくなるまで続けて下さい」

「でも……」

「続けて下さい。鱗の色から判断するにあれは水竜ですから、恐らく敵ではありません」

「水竜、ということは……」


 アストリッドと同じ考えに至ったのか、ウォルフィがアストリッドに視線を送る。

 アストリッドも黙って首肯する。


 あれだけの大きさの幻想生物を召喚でき、また、ゾルタールに水竜を召喚させるだけの理由を持つ者と言えば、この場にいるアストリッド達を除けば――、彼女の他に誰がいるだろうか。


 引き続き、シュトレンをケルベロスに投げ与えるウォルフィとハイリガーを尻目に、超巨大水竜の動きを目で追い続ける。

 予想通り、水竜は赤く燃え盛る黒い森へ向けて集中豪雨を浴びせるように、口から大量の水を放出させていた。

 やはり、あの水竜は――、と確信したところで、「シュトレンを全部ケルベロスに食べさせたわよぉ」と、ハイリガーから呼び掛けられる。

 声につられて二人を振り返ると、ケルベロスが巨体を縦横左右にぐらぐらと揺らしているのが視界の端に映り込む。

 各頭部の赤い眸は、瞼がとろんと下がっている。

 巨躯を支える極太の四本脚は動かそうとする度にふらつき、まるで酔っ払いの千鳥足のようだ。


「あんた、あのシュトレンに何を仕込んだんだ」

「あぁ、表面の粉砂糖の中に粉状の睡眠薬をたっぷり混ぜておいたんですよ」


 全く悪びれることなく、しれっと答える間にもケルベロスの身体の揺れが段々大きくなっていく。


「マドンナ様。おねむでフラフラしてるケルベロスがこちらへ突っ込んでこないよう、防御結界張るのを手伝ってください!!」

「分かったわ!」


 ハイリガーは言われるがまま、掌の上にファーデン水晶を浮遊させて詠唱する。

 城門の周囲は瞬く間に薄緑色に輝く防御結界に囲まれた。


 程なくして、ケルベロスの全ての頭部に睡眠薬が回り。

 ほとんど倒れ込む形で地に蹲っては、五十の頭部を二本の太い前足に乗せていき(大部分ははみ出してしまっているが)、身体を大きく丸め込んで順に目を閉じていく。

 全ての頭部が目を閉じ終え、眠りの世界に誘われていくのを見計らうと。

 アストリッドは鼾さえ搔き始めたケルベロスを窓から見下ろし、両掌を真っ直ぐに伸ばした。


 アストリッドの両掌が虹色に光り輝き始める。

 その光はどんどん大きく成長し、階下へ投げ落とすと――、虹色の光は眠るケルベロスの巨躯を全て包み込み、一層強い輝きを放ち出した。

 余りの眩さに目を覚ましたりしないか、と、光の余波に目を細めながらウォルフィは不安に駆られたが、彼の不安は全くの杞憂であった。


 光の威力が弱まり始めると共にケルベロスの身体が少しずつ薄れていき――、数十秒後には跡形もなく姿を消し去っていった。


「ケルベロスは地獄へと送り返しました。彼らも元いた場所に帰れて安心するでしょう」


 二人を振り返ったアストリッドが満足げに笑うと同時に、ケルベロスが地獄へ転移される一部始終を見ていた、下の階の兵士達がわっと大きな歓声を次々と挙げる。

 異形の魔物の恐怖に耐え、街を護り抜けた安心感や脱力感もあってのことだろう。

 だが、彼らとは対照的にアストリッド達三人は悄然としており、階下から響く、喜びに満ち溢れた歓声を虚しい気分で受け止めていた。


「……とりあえず、ベックマン中将に報告しなきゃいけないし、避難勧告も解除して住民達を安心させてあげなきゃねぇ……」


 疲れが多分に滲んでいるものの、ハイリガーの冷静な言葉のお蔭でアストリッドとウォルフィもふっと我に返る。

 その際、ウォルフィは視線をさりげなく黒い森の方向へと注視させる。

 遠目ではあるものの鎮火が確認でき、二人に気づかれないようにそっと、けれど、大きく胸を撫で下ろしていた。






(2)


 城門周辺の最終的な安全確認を南方軍の兵士達と何度も繰り返し行い、南方軍の最高司令官ベックマン中将の元への報告、避難させていた住民達の帰宅を誘導し――、三人がハイリガーの居城へ戻ったのはすでに宵の時刻もとっくに過ぎた夜更けだった。



 城に戻るや否や、ハイリガーは真っ直ぐに朱塗りの間に足を運んだ。

 アストリッドとウォルフィも彼女に続く。

 不測の事態が発生した場合、弟子達には必ず朱塗りの間に集合するよう言い含めているからだ。


 豪奢な金細工が施された把手を掴んで扉を開けば、部屋に集まっていた数十人の弟子達の視線が一斉に三人へと集中した。

 視線に含まれる感情に多少の違いはあれど、皆、不安や恐怖に駆られていたことが感じられ、また、ハイリガー達が城に帰ってきてくれたことに、深い安堵を覚えている。

 こぞって我先にと三人を出迎えるため、周囲にわらわらと集まってくる弟子達の輪の中から、ウォルフィはヤスミンがいないか、無意識に視線を巡らせていた。


 けれど、自分とよく似た顔立ちをした、薄茶色の髪の少女はどこにも見当たらない。


 思い切って誰かに尋ねてみようか、と、口を開きかけた時であった。


「ところで皆、ロミーとヤスミンの姿がないけど……」


 彼女にしては珍しく、遠慮がちに尋ねるハイリガーに、周りに集まった弟子達の空気がぴりりと張り詰めた、かと思うと。

 皆一様に、徐に顔を伏せて口を噤んでしまったのだ。


 ざわざわと騒がしかった室内が、波を打ったように静まり返る。

 不穏な沈黙にハイリガーの顔色が色を失っていく。


「……まさかと思うけど……」


 鎮火される前に、炎に巻き込まれて――??


 最悪の想定はウォルフィの脳裏にも浮かび上がったらしく、危うく膝が落ちて床に座り込みそうになるのを、隣に立つアストリッドが背中を支えていた。


「あの、御師様……」


 沈黙に耐え兼ねたのか、弟子達の内の一人が口籠りながらも、重たい口をこじ開けるようにしておずおずと告げた。


「……ヤスミンなら、ゲッペルス准尉と一緒に、隅の長椅子に座ってます……」

「……何よ。居るなら居るって、早く言って頂戴よぉ。もぉ、心臓に悪いったら……」


 教えてくれた弟子にハイリガーが軽く悪態を付くのを横目に、それでもウォルフィはまだ胸中での引っ掛かりを拭い去るには至っていない。


 『ヤスミンなら』と言う事は……、ロミーは??

 同じ室内に居るにも関わらず、まるでヤスミンを隠しでもするかのような空気は一体??


 気になりながらも、ハイリガーと共に長椅子が置かれた場所へ視線を移動させる――、いた。


 ヤスミンは薄い毛布を肩に掛け、温かい紅茶でも淹れてあるだろうマグカップを両手に持って、ぽつんと長椅子に腰掛けていた。

 傍には、彼女を見守るかのようにエドガーが黙って立っている。


「ヤスミン」


 二人の傍に近付いたハイリガーが声を掛けると、あわやマグカップを取り落とすのでは、と思うくらい、ヤスミンは大仰に肩を震わせて驚いてみせた。

 そんなヤスミンに「あっぶねぇなぁ」と苦笑しつつ、すぐに真剣な顔つきでハイリガーに向き直る。



 そして、エドガーは黒い森で起こった出来事の一部始終全て、正直にハイリガーに報告したのだった――



「ハイリガー殿。貴殿の御弟子達を生命の危険に晒しただけでなく、敵と思しき輩をみすみす取り逃がし、あまつさえ御弟子の一人を敵の手中に奪われてしまいました……。これも全て、()の未熟さ、力不足ゆえ……。どのような処分でも……」

「必要ないわ。むしろ、強大な魔力を持つ者達相手に、貴方はよくやってくれたわ」

「ですが」

「貴方の任務は、あくまでヤスミンの護衛。ヤスミンがこうして無事にここにいるということは、貴方はちゃんと職務を全うしてくれたからに他ならないでしょ」

「…………」


 平身低頭に処分を申し出るエドガーを、ハイリガーは叱責するどころか逆に宥め、礼を述べさえした。

 エドガーはまだ何か言いたげに口を半開きにさせていたが、返す言葉が見つからなかったのか、それ以上は何も言わずに黙って引き下がった。


 ハイリガーとエドガーのやり取りを、ヤスミンは茫洋と、普段の彼女らしからぬ、覇気を失くした目で眺めていたが、ハイリガーから数歩離れた場所にアストリッドに支えられながら佇むウォルフィの姿を目にすると――


「いやっ!あっちへ行って!!」


 手にしていたマグカップを床に叩きつけ、自らの傍へ戻ってきたエドガーの軍服にしがみついてウォルフィから思い切り顔を背けたのだ。

 上質で分厚い生地の絨毯が緩衝材となりマグカップが割れることはなかったが、零れた紅茶の赤茶けた染みが絨毯に拡がっていく。


 自分を慕ってくれていたヤスミンからの拒絶反応に、ウォルフィもまた、右目を伏せてほんの僅かながら頭を項垂れた。

 意気消沈する彼に、アストリッドもハイリガーも掛ける言葉が見つからない。

 誰もが二の句を告げられず黙り込み、再び沈黙が降りようとした、その時。


 唐突に扉を叩く音が、室内に飛び込んできた。

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