Every Single Night(13)
後半、残酷な殺人描写があります。
苦手な方はご注意ください。
(1)
王城の門が開かれ、一台の大型箱馬車が通りへと姿を見せる。
二頭の栗毛の馬が御者の手綱に引かれ、ゆったりとした規則的な動きで街中を駆け抜けていく。
車輪の振動でガタガタと揺れる車内では、異国風の細長いパイプ煙草を吸う、妙齢の美女が広い座席に深く腰掛けていた。
豊かな胸元や細い腰つきをあからさまに誇示する華美なドレス、女の色香を存分に匂い立たせる様から、女は娼婦――、それも王侯貴族を相手取る高級娼婦だろう。
顧客の一人から王城へと呼び出され、『ひと仕事』終えてきたところか。
気怠げに長い銀髪を掻き上げ、ふぅーと疲れたように煙草の煙を吐き出す辺り、とにかく神経を遣う客だったらしい。
実際、早く自らの屋敷に戻り、湯浴みをしたいものだ、などと考えながら、室内に充満する白い煙に目をそばだたせ、けほけほと小さく咳をこぼす。
換気するため、座席の横の小窓をほんの少しだけ開け――、ふと、あの母子――、マリアとアストリッドを見つけた時も、何の気なしに小窓を開けて外の景色を見た時だったな、と思い出す。
途端に、屋敷でヘドウィグの帰りを待っているだろうマリアを思い浮かべ、早く彼女の顔が見たいものだと、気持ちばかりが逸っていく。
「すまないけれど、もう少し馬を速く走らせてくれないかい」
女が御者に指示を出すと、馬車の速度がいくばくか速まった。
屋敷に到着するや否や、女は急いで馬車から降りて中へと駆け込んでいく。
出迎えた使用人に湯浴みの支度をするよう告げると女は自室へ戻るでもなく、マリア達を泊めている二階の客室へと一目散に足を運ぶ。
部屋の扉を叩けば、「ヘドウィグさん??今お帰りになられたのですか??」と、若い女の清涼な声が答える。
「どうぞ、お入りになって下さいな」
言われるがまま部屋に入って正面の机に向かい、ゴールドブロンドの長い巻毛の美女、マリアが忙しなくペンを動かし続けていた。
マリアはヘドウィグの気配に気付くとすぐに振り返り、ふんわりと花のように微笑みかける。
マリアの笑顔のお蔭か、心の内にどんよりと立ち込めていた靄が、見る見る内に晴れていく。
王都の狭い路地の片隅で行き倒れているマリアとその子供アストリッドを、ふとした気まぐれで拾い上げ、屋敷へ連れ帰ってからすでに一年以上が経過していた。
連れ帰るなり、母子共々滋養の高い食事をたっぷり摂らせ、上等の衣服に着替えさせた上で屋敷内の一室を貸し与えた。
恐縮しきりでひたすら感謝の念を告げるマリアに、どういう風の吹き回しか、ヘドウィグは母子にこの屋敷で暮らすよう言い渡し――、現在に至る。
地下街で育った孤児出身のヘドウィグは、生き抜く為ならば殺人以外の悪行にはほぼ手を染めてきたし、唯一の武器である美貌と巧みな性技を駆使し、赤貧の街娼から王都で一、二を争う名うての高級娼婦へと成り上った。
下手な貴族よりも豊かな富を得、悠々自適で贅沢三昧な生活を送る一方、『所詮は卑しい淫売の癖に』と蔑む輩も少なくはない。
当のヘドウィグは、今更何を、と開き直りきっているが。
しかし、マリアだけは違ったのだ。
ある夜、酒に酔った勢いでマリアに身の上を語ってしまったことがあった。
普段ならば、いくら酒に酔っていようとしみったれた身の上話をするなど有り得ないのに。
マリアの深い慈悲を湛えた笑顔のせいで、何もかも全て打ち明けたくなる衝動につい駆られてしまったのだ。
身の上話が終わるや否や、マリアは小さな子供が夢を語る時のような、どこか高揚した口振りで、ヘドウィグに真っ直ぐ語り掛けてきた。
「不遇な境遇の中であっても貴女は決して折れることなく、自ら選んだ道をたった一人必死で駆け抜けてきた、とても強くて気高い人なのです。汚れているだなんてとんでもない!もっと、自分に誇りを持って生きて下さい」
買い被っていると鼻で笑おうとしたヘドウィグだが、マリアからの畏敬の念を込めた真剣な熱い眼差。
(俄かに信じ難いが)マリア自身も短い間とはいえ、娼婦をしていた分、ヘドウィグの境遇に感じ入るものがあるだけかもしれないが、マリアの言葉は乾ききり、空虚さを抱えたヘドウィグの心を確かに潤わせ、満たし切るには充分すぎる程充分過ぎた。
「魔法書の売れ行きは好調のようだな」
「えぇ、お蔭様で」
生活の糧を得たいというマリアの為に、ヘドウィグは魔法書でも書いてみればいいのでは、と提案。
マリアはイザークから教えられた全ての魔法を書に記し、ヘドウィグの伝手を頼って魔法書の出版契約を取り付けた。
折角の魔法書が簡単に破損したりしないよう、完成した本に使用する紙に特殊な魔法を掛けて。
「魔法書の売り上げも伸びてきたことですし、私とアストリッドだけで充分生活できるだけのお金も入ってくるようになりました。ですから……」
「またその話か。いつも言っているだろう??お前さん達二人は私が好きでこの屋敷に置いているのだから、気にすることなど一切ない、と」
「でも……」
「今後二度とあのような事が起きないよう、私の屋敷に客を呼ぶことはしない、と決めても駄目なのか??」
「…………」
マリアは形の良い眉を潜めたまま、もの言いたげな目でヘドウィグを見返してくる。
返事はしなくても、表情で答えが『否』だと見てとれる。
マリアがヘドウィグの屋敷から出て行こうと考える理由はヘドウィグもよく承知している。
屋敷に訪れていたヘドウィグの顧客が、アストリッドに手を出そうとしたからだ。
客は隙を見てアストリッドを無理矢理空き部屋に連れ込み、事に至ろうとしたものの、異変を察知したマリアの逆鱗に触れ、人体発火の魔法で焼死させられてしまった。
アストリッドを護る為の母の愛、と言えば美しいが、名が示す通り、聖母のように清廉で心根の優しいマリアが見せた狂気、我が子の為なら平然と殺人を犯す異常性、肉食の小型竜を召喚、死体処理させて証拠隠滅を図る周到さに、さすがのヘドウィグも恐怖に打ち震え、しばらくの間はマリアとまともに話すことすらも出来ずにいた。
それでもヘドウィグはマリアに傍にいて欲しかったし、彼女とは何としても離れがたかった。
今まで誰にも気づかれなかったヘドウィグの本質を見抜き、認めてくれた、唯一の人だから。
道理を抜きにして、こんな風に誰かに強い思慕と執着心を抱くなど生まれて初めての事だから――
結局、ヘドウィグは屋敷も財産もこれまでの自分も全て捨て去り、マリア達と共に旅に出ることを決意。
結果的に、更なる悲劇が生み出されることになるとは露知らずに。
(2)
年季の入った格子窓から、鳶色の瞳で恐る恐る屋外の様子を窺う。
人通りが少ない場所に立つ家とはいえ、家の前を全く人が通り掛からない訳ではない。
自分がこの家に住んでいることを、母やヘドウィグ以外の者に絶対知られる訳にいかないし、万が一誰かに知られたとしたら、母は即座に家を引き払い、また別の場所へと移動しようとするだろう。
『貴女のような可愛い子がここにいると知られてしまったら、お母様やヘドウィグさんが留守にしている間絶対に誰かが攫いに来てしまうもの。しかも、貴女は可愛いだけじゃなくて半陰陽だし身体の成長もとっても遅いから、余計に何をどうされてしまうのか……、あぁ……、考えるだけでも不安で不安で……、居ても立っても居られなくなってしまうわ』
そう言って、母は大袈裟なまで身体を震わせて心底怯えてみせる。
『お母様はね、本当は貴女の傍から片時も離れたくないのよ??でも、お母様とヘドウィグさんは貴女を飢えさせる訳にはいかないから、どうしても外でお金を稼がなきゃいけないし。貴女も一緒に連れて行ってあげられればいいのだけど……、可愛い貴女を人目に晒したくないの。ほら、残念なことに世の中には悪者が多いから……!』
マリアとアストリッド母子、ヘドウィグの三人は、占いや簡単な治癒魔法での病気・怪我の治療、魔法書の印税で生計を立てながら、リントヴルム各地を転々と旅し続けていた、が。
様々な土地に移動し、どのような場所に身を置いても、アストリッドはずっと家の中に閉じ込められるのは変わらない。
少し前までのアストリッドは外の世界へ出たい一心で、マリアとヘドウィグが留守の隙を見計らってはこっそり外へ出て行くことも、あった。
しかし、ここ数年は外の世界への憧憬は抱きつつ、胸の奥底へと押し込めてしまっている。
不意に、喉を締め付けられるような息苦しさを急に感じ、我が身を隠すために窓辺から、外からは人の姿が見えないであろう場所まで室内を移動する。
もしも誰かがアストリッドの姿を外から認めてしまったら――、それをマリアが知ってしまったら――
「……どうか、お願いです……。自分の姿を、」
誰も目に留めていませんように――、アストリッドは顔も知らない誰かに向けて、切実な祈りに似た想いを送ってみせた。
だって、自分の姿をほんの一目だけでも見てしまった人は皆、マリアから凄惨な死を賜ってしまう。
初めて、こっそりと家から抜け出し、外の世界へ飛び出した日のこと。
興味津々で街を歩いている内にアストリッドは迷子になり、涙目で途方に暮れていると、一人の親切な老女に声を掛けられたのだ。
ヘドウィグ以外の他人と関わることがなく最初は怯えるばかりだったが、老女の人の好さが滲み出ている優しい笑顔に絆され、全ての事情を打ち明けた。
事情を知った老女は、アストリッドの為にマリアを探しに、市場や露店が立ち並ぶ場所まで案内してくれ、マリアを探す途中、屋台でヴルストを買ってくれさえした。
初めて食べる、一〇㎝以上もの大きさの太いヴルストの歯ごたえの良さ、濃厚な肉汁に舌鼓を打ち、はふはふと夢中でかぶりつく。
『肉なんて食べたら血が汚れてしまう』
(お母様はああ言ってたけれど……、市場を歩く人達、皆、お母様の言う悪い食べ物食べているのに??お母様が正しいなら、ここにいる人全員どうしようもないお馬鹿さんばかりってこと??)
自分と同じく、ヴルストを齧っている老女をちらりと見上げる。
少なくとも、この人は頭が悪いようには全然見えないし、とっても血色が良くて健康そのものの顔色に体格をしている――、などと、老女に手を引かれながら、マリアとヘドウィグを探していると。
数ある露店の内、通りの隅の方で占いを行うマリアとヘドウィグの姿を発見したのだ。
「お母様!!」
マリアの姿を見た途端、湧き上がっていた不信感などどこへやら、アストリッドは弾んだ声で母に呼びかける。
アストリッドの声にマリアも反応を示し、アストリッドと老女を遠くから食い入るように見つめた。
「あら、あれがお嬢ちゃんのお母さんなのかい??見つかって良かったわねえー」
「はい!おばあちゃん、一緒に探してくれてありがとうございます!!」
「まぁまぁ、そんな畏まってお礼なんて言わなくても……」
アストリッドの、子供らしからぬ丁寧な口調に思わず老婆が苦笑を漏らした直後。
老女の身体から炎が噴出し、一瞬にして全身が火だるまと化したのだ。
ついさっきまでの、笑顔も暖かな掌も、全てが禍々しい炎によって壊されていく。
「アストリッド!!」
賑わっていた市場はたちまち恐怖と混乱に見舞われ、我先にと逃げ惑う人々の間を潜り抜け、マリアとヘドウィグはアストリッドの傍へと駆け寄ると、瞬間移動でその場から立ち去り、家へと戻っていく。
「お母様!!どうしてあのおばあちゃんを殺したの!?ひどい、ひどすぎる!!」
家に辿り着き、虹色の残光がまだ身体のあちこちに纏わりつく中、アストリッドは泣き喚きいてマリアを激しく責め立てた。
マリアは眉尻を八の字に下げ、おろおろと狼狽えながら、まるで子供が言い訳をするような口ぶりで答える。
「だって……。ヴルストなんかで餌付けして、可愛い貴女を連れ去ろうと企んでいたに違いないもの……」
「あのお婆ちゃんは、勝手に外へ飛び出して迷子になった自分のために!一緒にお母様を探してくれただけなのに!!」
「そんなの……、絶対嘘に決まっているわ。きっと安心させておいて連れ去るつもりだったのよ……、絶対そうよ!!いい、アストリッド!!大人なら、優しそうな振りして小さな子を騙すくらい簡単なのよ??ね、ヘドウィグさんも、そう思うでしょ?!」
マリアは、二人の遣り取りを傍で静観していたヘドウィグに同意を求める。
ヘドウィグは返答に窮すも、すぐに「あぁ……、マリアの言っていることは概ね正しくはある」と、微妙な言い回しを用いてほぼ肯定の意を示す。
泣き過ぎてしゃくり上げるアストリッドの肩に、マリアはそっと両手を掛ける。
「泣かないで、アストリッド。貴女の心を惑わす人よりもお母様の方を信じて……。世界で一番貴女を愛し、理解できるのはお母様だけだから」
「…………」
「とにかく!可愛い貴女の存在が、この街の人に知られてしまったからには、すぐにここから逃げなきゃ。ヘドウィグさん。早速荷物を纏めて下さいな」
マリアは、ヘドウィグと自分以外の人間がどんな理由であれアストリッドに近付くと、容赦なく次々と手に掛けていく。
マリアの書いた魔法書を悪用し禁忌魔法を用いた犯罪が急増しているとかで、魔法書を発禁書に指定するとか著者であるマリアを捕縛するとかいう不穏な噂も耳にするというのに。
微妙な立場に置かれている中にあっても行き過ぎた愛情から起こす異常行動の数々に、アストリッドは恐怖と不安感じながらも止められず、ヘドウィグもまた口を出せずにただ見て見ぬ振りを続けるしかなく――
とにかく自分のせいで人が死ぬのを、母が罪を犯す姿を。
どちらも見たくないアストリッドは、この頃には自主的に家に閉じ籠っていた。
(……お母様は、どんどん狂っていく……。なのに、あいつ……)
背もたれのない丸椅子の上で、器用に膝を抱えて座りながら、アストリッドの目に憎悪の炎が点された時だった。
『おやおや、アストリッド。仮にも父に向かってあいつとは……、何と酷い子でしょう!』
背後で声が聞こえた途端、アストリッドは勢いよく振り返る。
余りに勢い余ったせいでバランスを崩し、椅子から転がり落ちたアストリッドの表情は険しくなる。
床にしたたか身体をぶつけたせいだけではない。
虹色の残光を身体に纏わりつかせた、長い赤毛と赤い瞳、素顔が分からない程真っ白にドーランを塗りたくった、中背で痩身の美青年がニヤニヤとアストリッドを見下ろしていたから。
次回、いよいよプロローグの事件に繋がる話が語られます。




