Every Single Night(8)
(1)
ウォルフィの足首にアンクレットを装着し終えたヤスミンが、思い出したようにロミーを振り返る。
それすら全く気付かずにいるくらい、ぼんやりしていたらしく、「ロミー、どうしたの??」という気遣わしげなヤスミンの声で、ようやく我に返る。
「……もしかして眠たいんじゃないのか」
「あぁー、そうですよねぇ……。普段ならロミーは寝ている時間ですし……」
「……あんたも用が済んだのなら、早く戻って寝た方がいい」
「ですよねぇー、じゃ、そうしまーす!お邪魔しました!!おやすみなさい、ウォルフィさん」
部屋の中へ戻っていくウォルフィを、扉が閉まるまでヤスミンは笑顔で手を振り、見送った。
「ごめんね、ロミー。すっかり置き去りにしちゃって……」
ヤスミンは再びロミーを振り返り、すまなさそうにロミーの肩を掴んで小さく謝った。
ロミーは俯きがちに首を横に振ってみせる。
「ロミー、お部屋に帰りたい……」
「うん、すぐにロミーを部屋に連れて行くから。無理に付き合わせて、本当にごめんね」
「……うん、いーよぉ」
精一杯の笑顔をヤスミンに向け、ロミーは自らヤスミンの手を握り締めてみせる。
ロミーが甘えてきたことで、怒っていない、と判断したのか、ヤスミンの表情が明らかに緩む。
ヤスミンの笑顔がまた、ロミーの小さな心の中で大きな波紋を広げていく。
ヤスミンは狡いけれど優しい、優しいけれど狡い。
自分の方が先にウォルフィと親しくなった筈なのに、最近になって接点を持ち始めたヤスミンの方がずっと仲が良さそうにしている。
飼い主が他の犬を可愛がる姿を、目の前で見せつけられた飼い犬の気分だ。
嫉妬心に似た思いを抱く一方、以前にも見たことのある光景に大きな不安も同時に擡げ始める。
ヤスミンはロミーの表情と反応の薄さは眠気のせいだと思い込んだのか、部屋へ送ってくれる間中、「ほら、もう少しだから、頑張って!」と励まし続けるだけでなく、ベッドにまで寝かしつけてくれた。
ヤスミンがロミーの部屋から自室へと戻った後、しばらくの間ロミーは寝付けずにいたが、やがて押し迫ってきた睡魔により、深い眠りへと誘われていった――
『ねぇねぇ、ロミーちゃん、だったっけ??』
あれは、新たに学級編成されたばかりの新学期のこと。
数少ない友人達とは家の方向が違うため、ロミーはいつも一人で帰宅していた。
その日も、いつものように一人で席を立ち、一人で教室を出ようとしたところ――
『私、ロミーちゃんと帰る方向が同じだから、良ければ一緒に帰ろうよ』
後ろから誘いかけてきた人物を見て、ロミーは驚きでつぶらな瞳を丸くする。
成績優秀で容姿端麗、クラスや学年のみならず学校中の人気者であり、コブーレア町長の愛娘であるドリスだったから。
以来、ドリスはロミーと仲良くなり、初めて一緒に帰宅して半年が経過する頃には、互いに親友と呼び合うまでの仲に発展していた――
少なくとも、ロミーの方はそう信じ込んでいた。
しばらくしてロミーはある違和感を覚え始める。
以前からの友人達とドリスが急激に仲良くなり始め――、それだけなら何の問題はないのだが――、何となく、自分に対してよそよそしい態度を取り始めたのだ。
些細な違和感は日に日に成長し、気付くとロミーは周囲から孤立し、無視される存在と化してしまっていた。
『おはよう』
かつての友人達に挨拶をしても誰も返事をしないどころか、ロミーに一切目をくれない。
呆然とするロミーの背後で、教室の扉が開く音と共に、ドリスが入室してくる。
『ドリス、おはよう』
ドリスも他の者同様、まるでロミーなど存在していないかのように、黙って横を通り過ぎていく。
通り過ぎ様、ドリスはロミーを振り返り、ロミーにだけ聞こえるような小さな声で一言、吐き捨てる。
『あんた気持ち悪いから、私に話し掛けないでよ』
すると、振り返ったドリスの顔が一瞬にして、ヤスミンの顔に切り替わる。
ヤスミンは青紫色の三白眼に存分に蔑みを込め、鋭い視線でロミーをじっと見下ろしていた――
「そんな目であたしを見ないでよぉ!!あんたなんか燃やしてやるっ!!!!」
夢に魘されあげく、自らが発した大きな声でロミーは飛び起きた。
内容は全く覚えていないのに、余程悪い夢だったのか全身の毛が総毛立ち、呼気がひどく乱れている。
ベッドに横たわったまま、痛い程にどくどくどくと異常な速さで波打つ心臓を、ぎゅっと両手できつく抑えつける。
次から次へと大粒の涙が頬を伝い、枕を濡らしていく。
得体の知れない恐怖に襲われる感覚にロミーは成す術もなく、しきりに「怖い、怖いよぉ……」と怯え続けたのだった。
(2)
翌朝、ハイリガーから呼び出しを受けたヤスミンは、緊張した面持ちで朱塗りの間の扉を叩いた。
「失礼します。お早うございます、お師様」
中に入ると、長テーブルの上座にハイリガーが、一つ下座の席にアストリッドが座しており、アストリッドの席から少し離れた背後の壁に寄り掛かるようにして、ウォルフィが佇んでいる。
もしかしたら、昨夜ウォルフィにアンクレットを贈ったのが問題に発展してしまったのか、と、ヤスミンは戦々恐々となり、自然と身を強張らせた。
「こんな朝早くから呼び出しちゃってごめんなさいねぇ。どうしても貴女に話しておかなきゃいけないことがあったの」
「はい」
いつもと変わらない師の笑顔ですら、今のヤスミンからすると取って付けたような作り物に見えてしまう。
事実、ハイリガーの表情は硬く、気のせいか憂いを帯びている。
「じゃあ、単刀直入に言わせてもらうわねぇ。約一か月後に行われる魔女の国家試験を貴女に受けて欲しい、と、ギュルトナー元帥から命を下されたのよ」
「えっ」
予想すらしていなかったハイリガーの話に、ヤスミンは思わず言葉を失った。
構わず、ハイリガーは話を続ける。
「貴女も知ってると思うけど……。少し前に、北部と東部で大きな事件があったでしょ??それも、国境防衛を任されていた魔女が首謀者っていう……。」
「あ、はい」
「軍自体に影響のない北部はともかく……。ギュルトナー少将が不幸に見舞われたせいで最高司令官が代わったばかり、国境守備の魔女もいない東部はいつ隣国から攻撃を受けるかは分からない。だから元帥は、今度の国家試験合格者の中から東部を防衛する魔女を選出つもりらしいの。それで……」
ここでハイリガーは、迷うように一旦言葉を切るもすぐに口を開く。
「候補者の内の一人が、ヤスミン、貴女らしいのよ」
「えぇ?!」
寝耳に水とはまさにこのことか、とばかりに、ヤスミンは素っ頓狂な声で叫んだ。
直後、しまった、と慌てて両手で口元を抑え込む。
ウォルフィも初耳だったのか、見開いた右眼で離れた壁際からヤスミンを凝視している。
「……元帥直々の命でしたら、断ることは勿論、絶対に合格しないといけないってことですよね……」
ヤスミンの小さな両肩に、重圧という名の荷がずっしりとのしかかってくる。
実際に負荷を掛けられている訳じゃないのに、未だかつて感じたことのない重みに今にも押し潰されてしまいそう。
「そういうことになるわねぇ……。アタシとしては、貴女に国家試験を受けさせること自体は構わないのだけど……、東部の防衛役については断固反対なのよ??」
「…………」
「まぁ、そろそろ資格を取らせてもいい頃合いだとは思っていたから、負担は大きいかもしれないけど頑張って頂戴ね」
「……はい……」
突然降って湧いた幸運ならぬ試練に頭も心もがぐらぐらと大きく揺さぶられ、立っている事さえやっとなくらい、足が微かに震え出し、膝がかくかくと笑い出す。
ヤスミンの動揺を知ってか知らずか、否、知りながらもあえて気付かない振りをする(しかないのだが)ハイリガーは更に話を進めていく。
「ヤスミンが試験を受けるに当たって、アスちゃんとも相談したんだけど……」
これ以上他にまだ何があるというのか、と、ヤスミンは無意識の内に身構える。
ハイリガーとアストリッドは示し合わすように、互いに顔を見合わせる。
「実はですねぇ、試験の準備もありますし、そろそろ自分とウォルフィは中央に戻ろうかと考えてまして。そのついでと言っては何ですが、ヤスミンさんも一緒に中央へ連れていけたらなって。ほら、ヤスミンさんは生まれてこの方、ゾルタールから出たことがないですよねぇ??だから、見知らぬ慣れない土地での試験に緊張しちゃうかもしれません。ただでさえ失敗が許されない状況下、せめて中央の土地柄に少しでも慣れてもらうことでちょっとは負担が減るのかなぁと。勿論、貴女の身の安全は絶対確保の上ですし、ゲッペルス准尉には引き続き護衛役をお願いします。あ、何なら、うちのウォルフィを貸し出しても構いません!っていうか、貴女の身に何か起きたら、間違いなくマドンナ様に蛙にされちゃいますしねぇー」
「ちょっと、アスちゃんてば、最後の一言は余計よぉ!まっ、事実だけどねぇ」
早速ハイリガーに突っ込まれ、えへへ、と笑うアストリッドに、ヤスミンはただただ戸惑うばかり。
ウォルフィはこれまた初めて耳にしたのか、『ちょっと待て。これはどういうことだ』と言いたげに口を開け閉じさせては壁際からアストリッドを睨みつけている。
「あの……、中央に連れて行ってもらいたいのは山々ですけどー、泊まる場所とかは……」
「そんなの決まってますよー、自分の自宅に滞在してもらいますから安心してください!困ったことがあれば、自分かウォルフィにでも聞いてくれればいいですしね。ただし、試験内容に関しては答えてあげられませんけどー」
「まぁ、社会勉強だと思って、アスちゃんの言葉にしっかり甘えちゃえばいいのよぉ」
「ですです、大船に乗った気分で任せて下さいな!」
平坦な胸をドンと拳で叩いてみせたはいいが、叩いた振動が臍の傷に響き、いたた……と徐に顔を顰めるアストリッドを、ハイリガーが「あららー、あんまり無理しちゃダメよぉ」と窘めている。
だが、アストリッドの明るい口調やドジな振る舞いのお蔭で、ピンと張り詰めていた空気が一気に和らいだのもまた事実。
まるで、黒い雨雲に覆われた空に晴れ間が差し込んだみたいだと思いつつ、不思議な明るさを持つアストリッドが母殺しの大罪人と恐れられているとは、ヤスミンには到底信じられない。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えさせもらいます。アストリッド様、私も中央に連れていってください!!」
ヤスミンの出した答えを聞いたアストリッドは、「よーし、これで決まりですね!」と、にっこりとヤスミンに微笑みかけた。
「えへへー、短い間とはいえ、ヤスミンさんみたいに元気で明るい子がうちに来てくれるのは嬉しいですよー。可愛げのない従僕と四六時中二人きりだと、息が詰まっちゃいますしー」
「……あんた、さっきから本当に一言多いな……」
すかさず、ウォルフィが突っ込みを入れてくるのを、「えー、だってー」と、アストリッドは唇を尖らせている。
約一名を除き、和気藹々とはしゃぐ大人達を眺めながら、期待されている以上は何が何でも応えなければ、しかも最大限の協力までして貰うのだから……、と、両肩にのしかかる重圧を払いのけるように、ヤスミンはぶるぶると頭を軽く振ってみせる。
「でもね、ヤスミン。遊びに行く訳じゃなくて、あくまで試験の為に中央に行くのだから、気を緩めて羽目を外したりしちゃダメよぉ」
「はい、お師様」
「アスちゃんも、ヤスミンをビシバシしごいてやって頂戴な。あぁ、にしても……、可愛い子には旅をさせろと言うけども、本っ当心配だわぁー!!」
「もう、お師様ってば!大丈夫ですってば!!」
ハイリガーの心配性に苦笑いするヤスミンだったが、背筋がゾッと凍り付くような、怨念じみた昏い視線を感じ、瞬時に笑顔を引き攣らせた。
一体何……、と、恐る恐る振り返ろうとした時、バタン!と不穏な物音が室内に飛び込んできた。
一斉に八つの瞳が、音が聞こえてきた方向を注視すると――
開いた扉の先に、オレンジ色の短い巻毛を持つ小柄な少女、ロミーが、顔を真っ赤に染め上げて四人をきつく睨み付けていた。
「ヤスミンばっかり狡い!!ロミーは連れて行ってくれないのに、何でヤスミンは連れて行くの?!ロミーだって、アストリッド達のおうちに遊びに行きたいのに!!」
「あのねぇ、ロミーちゃん……。ヤスミンは遊びに行くためにアスちゃんの所へ行くわけじゃ……」
「ヤスミンを連れて行くなら、ロミーも一緒に連れて行ってよ!!」
「ロミー、ごめんなさい。それは無理なんです」
泣き喚いて駄々を捏ねるロミーに向かって、アストリッドは申し訳なさそうに、でも、きっぱりと言い切った。
「何で?!」
「ヤスミンさんは魔女の国家資格の勉強を兼ねて、家に連れて行くだけなんです。遊びに行きたいだけのロミーとは目的が全然違うんですよ」
「そんなこと、ロミーにはどうでもいいよ!!」
「ロミー……」
こちらの話に一切聞く耳を持たないロミーに、アストリッドもどうしたものかと考えあぐねる。
「いい加減にしなさい、ロミー!これ以上我儘言うのなら、お仕置きするわよ!!」
ロミーの我が儘加減に業を煮やし、遂にハイリガーは雷を落とした。
ハイリガーの剣幕に慄いたロミーは、うわあぁぁん!!と大泣きし始め、脱兎のごとくこの場から逃げ去っていく。
「ちょっとヤスミン?!何処へ行くのよ!!」
「ロミーを、ロミーを追いかけます!!」
「いいのよ、しばらく放っておいて頭を冷やさせなきゃ……」
「ダメです!ちゃんと話して分かってもらわなきゃ!!あの子はちょっと難しいところがあるし、拗れたまましばらくお別れになるのは嫌なんです!!話は粗方終わりましたよね?!だったら、ちょっと席外させてもらいます!!」
「ヤスミン……」
「大丈夫です!分かって貰えるよう話しますし、終わったらロミーを連れてもう一回ここへ戻りますから!!」
まだ引き留めようとするハイリガーを振り切り、ヤスミンはロミーの後を追いかけるべく、朱塗りの間から慌ただしく退室したのだった。




