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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第五章 Every Single Night
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Every Single Night(7)

(1) 


 本日最後の仕事、皿洗いと食器類の後片付けを終えると、宵の時間はとっくに過ぎていた。


 春の終わりとはいえ、昼間の暖かさから一転、夜も更ければ冷え込みがぐっと増していく。

 流し台の前に設置された小窓は半分だけ開いており、冷たい外気が流れ込んでくる。

 戸締りも兼ね、シュネーヴィトヘンは小窓の引き戸に手を掛け、音をなるべく立てないよう静かに閉じる。

 鍵を掛け終えたところで、これでやっと一日の仕事が終わった、という実感を覚えた。


 少女の頃、身体の弱い母を気遣って手伝うことが多かったため、家事をこなすのは実はそんなに嫌いではなかったし、料理はむしろ得意な方だった。

 でも、それは家族、引いては将来を約束していた恋人のためと思えばこそであり、現在陥っている状況――、いけすかない連中に扱き使われるためなんかでは決してない。


(……でも、こうなってしまったのも全て私自身の責任……)


 自覚しきっているだけに、あの時、あの男に縋ってしまった、もしくはこの状況にすっかり甘んじている自分自身が腹立たしくて堪らない。

 そうかと言って、現時点で生き延びるためには仕方のないことだと、どこかで諦めた自分がいるのも事実。

 思い起こせば、自分は諦めてばかりの人生しか送っていない、と、唇を歪めて苦笑する。


(……今更もう、引き返すことも無理だけど……)


 疲れたように右手で左肩を軽く揉んだ後、今度は左手で右肩を揉んでみせる。

 二、三度交互に肩もみを繰り返し、気休め程度だが多少は身体が軽くなった気がしたところで、床にしゃがみ込む。


 よく見ると、床板の一部が取り外せる仕様になっていて、凹状に彫り込みの入った僅かな隙間に指を掛け、板を取り外す。

 床下では地下へと続く階段が暗澹たる闇の中で浮かび上がり、存在を主張していた。

 カンテラに火を灯し、シュネーヴィトヘンは地下の階段を降りていく。

 階段を何段か下りたところで、取り外した床板を再び元のように嵌めこむ。

 暗闇で視界が閉ざされる中、カンテラの明かりだけを頼りに黴と埃の臭いが充満する階段を引き続き降りていくと小さな部屋――、大昔、宮殿に勤めていた使用人が使っていただろう小部屋が見えてくる。

 小部屋と言っても扉はなく、狭い空間にごちゃごちゃと古い家具が固めて置かれているだけ、といった程度のものだが。


 土壁に設置されたガスランプに灯を灯し、室内がぼんやりと明るくなるとシュネーヴィトヘンは徐に顔を顰めた。

 昼間と同じく、床、ベッドの上を黒い羽根が部屋中に飛び散っていたからだ。

 またか、と、呆れ半分疲れ半分で渋々散らばった羽根を手早く拾い集めていく。

 羽根は五分程で全て拾い上げ、床の隅に纏めて置くことにした。

 更なる疲れがどっと押し寄せてくるのを振り払うべく、被っていた帽子を取り払う。


 艶やかな黒髪がふぁさっと肩や背を流れ、それだけでたちまち本来の自分に戻った気がする。


 ベッド脇の、塗装があちこち禿げている丸テーブルの上、鏡面にひびが入った手鏡を手に取り、短く詠唱する。

 一瞬で、火傷痕の目立つ醜い顔から儚げな美女の顔へと変貌したが、疲労の色が表情に色濃く滲み出ている。 

 明日の朝も早い、さっさと寝間着に着替えて床に就こう。


 服を脱ごうと釦に手を掛けた時――、シュネーヴィトヘンの全身が虹色に発光し始め――


 数秒後、シュネーヴィトヘンはナスターシャの私室へと移動していた。




(2)


 夜更けにも関わらず、天井に吊り下げられた豪奢なシャンデリアの他、壁やベッドサイド等に設置されたガスランプの光が、目に眩しい程に室内を照らし出している。

 白地に小花模様の壁紙が貼られた壁に、ラグラン織の淡いベージュ色のカーテンが引かれた大窓。

 部屋の中央には、カーテンと同じ生地で作られた長椅子に座るナスターシャと、ナスターシャの肩を抱く暗黒の魔法使いイザークの姿が。


「私に何の用なの」

 不機嫌さを隠すことなくシュネーヴィトヘンは二人に近付いていき、立ったままで相対した。

「あら、私達の向かい側の椅子に座ればよろしいのに」

 シュネーヴィトヘンのすぐ横には、ナスターシャ達が座る長椅子と対になる物が置かれている。

 シュネーヴィトヘンは椅子に一切目もくれず、二人をきつい眼差しで見据えるだけ。

「おやおや、そんな怖い目で睨まないでくださいよ。折角の美貌が台無しになるじゃないですか、勿体無い、と言いたい所ですが……。貴女は怒った顔も大変美しく、これまた絵になるのですよねぇ……」

 皮肉りながらもイザークは実に楽しそうに、シュネーヴィトヘンを食い入るように見つめ、視線を外そうとしない。

 イザークとシュネーヴィトヘンに対し、ナスターシャは一瞬だけ目を細めたものの、すぐに穏やかな笑みを口元に湛えてみせた。


「実は先程、ナスターシャ様から気になる情報を教えて頂きましてね。是非、貴女にも教えてさしあげたいと思ったのです」

「私は疲れているの。取るに足らない、下らない情報じゃないでしょうねぇ」

「えぇ、勿論ですよ。ねぇ、ナスターシャ様??」

 イザークとナスターシャは互いに目配せし合うと、ナスターシャが口を開く。

「西方司令部から緊急連絡が入ったのですけど。意識不明の重体だったヨハン・ギュルトナー少将が一昨日お亡くなりになられたそうですわ」

「あら、そう」

 ヨハンが死により自らの罪が更に重くなるというのに、シュネーヴィトヘンはいっそ冷淡な程素っ気ない反応を示したのみ。

「わざわざそんなことを報せるためだけに私を呼び出したの」

「いいえ、他にもあります。少将の訃報を受けたギュルトナー元帥が、大至急後任の司令官を選出するそうで……。それと、あくまで噂の範疇に過ぎませんが、一か月後に実施される魔女の国家試験の合格者の中から、新たな東部国境防衛役の魔女を選出するつもりらしい、とのことですわ」

「……で、私に試験の妨害をしろ、もしくは有力候補者を潰せ、ってことかしら??」

「貴女の地位を脅かす存在ですから、早い内に出る杭を打っておきたいとは思いませんか??」


 おっとりした笑顔とは裏腹に恐ろしい言葉を告げるナスターシャへ、シュネーヴィトヘンは、下らない、と言いたげに鼻を鳴らしてみせる。


「脅かすも何も私はもう地位を捨ててしまったのよ。正直どうでもいいわ」

「ちなみに、最有力候補は南の魔女ハイリガーの愛弟子の少女……、名は確か、ヤスミン、と言いましたっけ」


 イザークが放った言葉に、シュネーヴィトヘンの心臓は大きく跳ね上がった。

 当然、イザークが彼女の動揺を見逃す筈など有り得ない。

 意味ありげに、整った顏ににぃぃーと嫌な笑みをシュネーヴィトヘンに向けてみせる。


「とはいえ、殺すには惜しい人材ですし、我々の手の内に引き込むと言う手もあります。それと、南部にはもう一人、気に掛かっている存在がいるのですよ」

 イザークは、動揺の余りに押し黙るシュネーヴィトヘンからナスターシャへと向き直る。

「どうやら、以前コブーレアで焼死した筈の例の娘が実は生きていて、南部にいるそうです」

「なんですって??」


 今度はナスターシャの顔色が変わる番だった。

 それまで一貫して穏やかに微笑み続けていたのがどこへやら、ふんわりとした栗色の長い巻毛を逆立てる勢いで、イザークの襟元に掴みかかる。


「あの時、あの娘は死んだとイザーク様は……!」

「申し訳ありません、どうやら私の手違いだったようです」

「そんなの困りますわ!!どうにかしてくださらないと!!」


 とんだ愁嘆場を演じる二人を、厳密に言えば、あくまでイザークの力に縋ろうとするナスターシャを、シュネーヴィトヘンは冷ややかな目で眺めていた。

 ナスターシャに襟元を掴まれ、激しく揺さぶられていてさえ、イザークは余裕綽々な表情を崩さない。

 その落ち着きが、シュネーヴィトヘンにはとてつもなく気味が悪く思えてならない。

 イザークは、ナスターシャとシュネーヴィトヘン、それぞれに視線を巡らせながら、言葉を続けた。


「まぁまぁ、落ち着いて下さい。ナスターシャ様。どうやらその娘も南の魔女の元にいるそうですから、どうせならヤスミンとか言う愛弟子と共にこちらに引き込んでやれば良いと思うのです」

「そうは仰いますが、北部のディートリッヒ殿で失敗されてますわよね」

「あれは、彼が己の力を過信し過ぎたせいであり、僕のせいではありません」

「どういうことなの??北部での事件は、貴方が裏で手を引いていた訳??」


 痴話喧嘩宜しく応酬し合う中での聞き捨てならない発言に、シュネーヴィトヘンは思わず二人の会話に口を挟んでしまう。

 シュネーヴィトヘンが間に入ってきたことでナスターシャも我に返り、イザークの襟元から手を離し、居住まいを正した。


「僕はただ、アイス・ヘクセには秘密裏にディートリッヒ殿と『契約』を交わしただけですよ」

「二重契約は違反事項であり、混ざり合った魔力で従僕の心身にも悪影響を及ぼすと……!」

「彼は優秀な魔法使いであり軍人でしたからね。強靭な肉体と精神を持ち合わせている者であれば、魔力に取り込まれることはないのです」


 ここでイザークは何かを思い出したのか、軽く拳を握り、もう片方の掌をポンと叩いてみせる。


「あぁ、そう言えば……。半陰陽の魔女の従僕も元軍人ですし、中々に精神力も強そうですねぇ。彼らも丁度南部に滞在中ですし」

「……何が言いたい訳」

「あの従僕、僕は割と気に入っているのですよねぇ。ですが、僕自身は特定の従僕など必要としていません。僕が持つ代わりと言っては何ですが……、彼を貴女の従僕に差し上げようかと。隻眼ではありますが顔立ち自体は悪くないですし、美しい貴女にはさぞかしお似合いかと……」

「結構よ。私は」

「おや、彼とはかつて愛し合っていた仲だと言うのに、ですか」

 まぁ!!と、栗色の瞳を大きく瞠り、わざとらしく驚くナスターシャの反応が忌々しい事この上ない。

「あらあら、それは何とも意外ですわね。苛烈な血塗れの白雪姫も存外、ただの女でしたのね」

「…………昔の話よ…………」

 イザークに過去を晒され、ナスターシャに嘲笑され、シュネーヴィトヘンの自尊心は傷つけられていく一方。

「まぁ、貴女を揶揄うのはここまでにして……。ひとまずは南部にちょっかいを掛けるのにご協力頂けますかね」

「…………」


 彼らが以前殺そうとしていた少女や、自身の元恋人のことなどは正直どうでもいいし、煮るなり焼くなり好きにすればいい、と思う。

 しかし、娘に危害を加えるつもりならば――、それだけは何があっても、命に代えてでも阻止せねばならない。


 彼らの動向を注意深く探り、陰ながら娘の身を護るため――、協力する振りをするしかないだろう。


「……どうせ私に選択権はないのでしょう……」

「察しの良い方で非常に助かりますよ、リザ様」


 何もかも見透かしている、と言わんばかりのイザークに内心強い殺意を覚えながらも、シュネーヴィトヘンは諦念に捉われきっている自身を嫌という程感じ取っていた。

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