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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第五章 Every Single Night
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Every Single Night(4)

(1)



 ――遡ること、十数時間前――



 裸のままヘッドボードに凭れ、目の前の肢体を後ろから抱きしめる。

 白い首筋を唇でなぞり上げ耳朶に齧りつけば、肩を揺らして吐息を漏らす。

 露わとなった胸に触れようと手を伸ばし――、たが、包帯を巻いた右手の甲を抓られ、切れ上がった群青の瞳が咎めるように睨み上げてきた。


「傷口が開きますよ??右手で触らないでください」

「…………」


 腕の中に収まっていてさえ、瞬時に副官の顔に切り替わるフリーデリーケに閉口しつつ、リヒャルトはすごすごと伸ばした手を引っ込める。

 左手ならば問題はないのか、と、喉元まで出掛ったが、下手なことを言えば怒らせるのが目に見えているので黙っておいた。


「まだ怒っているのか」

「当然です」

「ならば、もう今夜はやめておこうか??」

「それとこれとは別です。魔力を高め合うため、引いては怪我の回復に繋がるのですから」


 フリーデリーケは身体ごとリヒャルトに向き直ると、彼の肩に両手を掛けてゆっくりとベッドに押し倒す。

 軍人にしては細身だと言われるリヒャルトだが、鍛え上げられた身体は充分に均整が取れている。

 リヒャルトの上に覆い被さったフリーデリーケは、広い胸から引き締まった腹筋に掛けて一撫でする。


「今夜は私が動きますから」 

「…………」


 一〇年前から主従の『契約』を結ぶリヒャルトのみが知る、彼女の大胆な一面。

 国の最高責任者と副官の愛人関係――、当人同士にその意識は全くないが――、世間からは間違いなくそう見られるだろう、秘密の関係。

 多忙な生活を送りながらも自宅に使用人の類を一切雇わないのは、偏に彼女との秘密の時間を誰にも知られないようにする為だ。


 ベッドに仰向けで横たわったまま、フリーデリーケを見上げる。

 上気し、紅潮し始めた肌が何とも艶めかしい。

 それでも理性を保とうとしてか、唇の端を引き上げてリヒャルトに話し掛ける。


「本当に……、東部にて、新たに国境守備者の魔女を派遣する、おつもりなのですか……??」


 フリーデリーケは大きく背を逸らし、乱れた呼吸を一旦整える。

 リヒャルトは身を起こすと、正面からフリーデリーケを左腕で抱き寄せた。

 その耳元でフリーデリーケは幾分声を落として囁くように告げる。


「ロッテ殿の一件で東方軍の兵達の間で魔女への悪感情は今や爆発寸前です。東方軍の防衛力は一枚岩ではありませんし、下手に新たな魔女を派遣しては却って彼らの感情を逆撫でし、引いては軍の士気が下がってしまいます。どうか、今一度熟考を……」

「君はその話を直接私の口から聞いたのか」

「……いえ、それは……」

「君が噂話を信じるとは珍しい。だが」


 珍しく口籠るフリーデリーケの、腰から背中の窪みにかけてゆっくりと左手を滑らせる。


「君すらも信じさせたこの噂、利用する手はない。ディートリッヒの粛清の話と共に地方の各司令部及びハイリガー殿とナスターシャ殿に、明日にでも伝達するよう手配を。その際、私が来月実施の魔女の国家試験受験者の中から、東部国境守備役の者を選出するつもりでいる、と、付け加えておくといい」

「噂を助長させるのですか。一体何のために……」


 フリーデリーケはリヒャルトから身を離し、批難がましげに再び睨んでみせる。

 リヒャルトは痛い程突き刺してくる視線から一切目を逸らさず、真っ直ぐに見つめ返す。


「ロッテ殿と、ひょっとすると彼女と繋がっているかもしれない、暗黒の魔法使いをおびきよせる罠だよ。ロッテ殿はかつてのスラウゼンの住民を虐殺する程恨んでいたが、東部の地自体には愛着を抱いている。だから、いつになるかは分からないものの、ほとぼりが冷めるのを待って密かにスラウゼンに舞い戻ってくる可能性が高い。と、なると、新たな国境守備者の魔女は邪魔な存在でしかない」

「……つまり、国家試験当日に何らかの妨害を仕掛けにきたところを捕縛する、と」

「勿論、監督役を務めるアストリッド様の許可と協力が前提となってくるがね。それともう一つ、ハイリガー殿の弟子ヤスミン殿を国境守備役の最有力候補と挙げ、受験させようと思う」

「ヤスミン殿を??彼女が何か??」


  ここでリヒャルトは一旦口を閉ざすと、再びフリ-デリ-ケの背を何度も撫でた。

  沈黙を守るリヒャルトに、フリ-デリ-ケも何も言わずに黙っている。

 

  やがて、意を決したのか、少し迷うようにしつつも、リヒャルトは先程の問いに答え始めた。


「ずっと以前、ヘドウィグ殿から『他言無用』を前提として聞かされていたが……。ヤスミン殿は、ロッテ殿とシュライバー元少尉との間の娘、らしい。確かにヤスミン殿は、シュライバー元少尉と面差しがよく似ていると思わないか」

「言われてみればそうですね……」

 リヒャルトに同調するように、フリーデリーケは深く頷いてみせる。

「ヤスミン殿を囮に利用するようで正直気が引けてならないが……。娘が自分の後任者になるかもしれない、と知ったら、攻撃は仕掛けないにせよ何かしらの動きを見せてくる、かもしれない」

「ならば、ハイリガー殿とアストリッド殿にもその旨を伝えておくべきでしょう。囮ではなくあくまで協力を仰ぐ形で伝えれば、角は立たないと思います。ヤスミン殿については……、出自に関わってきますから、どう伝えるべきかハイリガー殿と相談するという形で。内容が内容ですから、近日中に私が南部へ赴き、直接お二人に話してみます」

「……すまないね。君にはいつも面倒を掛ける」

「いえ、もう慣れ切っていますし、今後のためにも貴方に憎まれ役をさせる訳にはいきませんから」


 リヒャルトの苦しい心中を慮りつつ、フリーデリーケは苦笑を漏らしながら彼の首に腕を回すと。

 そっと唇を重ね合わせて言葉を塞いだのだった。







(2)


「えっ……、ディートリッヒ殿が……」

「はい、元帥を殺害しようと剣を向けたため、元帥ご自身の手で粛清されたとのことです」

「…………」


 城の裏手に設けられた旧闘技場にて、魔法の特訓を行っていたハイリガーとアストリッドの元へ、南方司令部の者から緊急報告の連絡が入った。

 一体何事かと急いで城に戻り、朱塗りの間に使いの者を通して話を聞いていく内、二人の表情はいつになく緊迫したものに変化していく。


「アイス・ヘクセは今も尚消息不明で、ディートリッヒは粛清……。強力な守備者を失った北方司令部はさぞかし混乱しているでしょうねぇ」

「はい、更にはシュネーヴィトヘン殿の失踪も含め、北部だけでなく東部も現在不安定な状態です」

「軍の機能自体には直接影響が出ていない北部はともかくとして、問題は東部よね。国境守備の魔女も軍の司令官も不在。緊急時、司令官がいなくてもある程度の守備態勢が取れるよう訓練されていても不安は拭えないわ」

「仰る通り、東部に隣接するヤンクロットは好戦的な国柄ゆえ、この機を逃さず攻撃を仕掛けてくるかもしれません。ですから、元帥は東部の守備状況を一刻も早く安定させるため、取り急ぎ後任の司令官を任命し、国境守備を任せられる魔女の候補を探しているとのことです」


 染み一つない、真っ白なテーブルクロスを敷いた長テーブルの上座に座るハイリガー、一つ下座の席に座るアストリッドに向けて、一番下座の席付近で立ち通しの使いの者は、ここでやや遠慮がちに言葉を続けた。


「実を言いますと……、東部の国境守備役候補の中にヤスミン殿の名が上がっている、と噂が」

「何ですってぇ?!」

 ハイリガーはエメラルドグリーンの双眸を大きく瞠り、素っ頓狂な声で叫ぶ。

「あの子はまだ国家資格を取得していないわ!」

「そう仰られるとは思いましたが……。しかしながら、元帥からは来月に実施される国家試験をヤスミン殿に受けさせるよう、命が下されました」


 リヒャルト直々の命令とあらば、ハイリガーにもヤスミンにも拒否権はない。

 分かっていながらも、ハイリガーはすぐに承諾の返事をできずに黙りこくっている。

 国家試験を受けさせること自体は構わないのだが、試験に合格したことがきっかけで東部の国境守備を任命されたとしたら。

 アストリッドやハイリガーには及ばないとはいえ、確かにヤスミンの魔力は弟子達の中でも群を抜いて高いけれど、ハイリガーの目から見ると高い能力を持て余し、いまいち上手く使いこなせていないようにも思うのだ。

 後は、国境守備なんて危険な役目をさせたくないという純粋な親心も含まれている。


 全ての報告が終わるやいなや、使いの者は敬礼し、速やかに部屋から去っていく。

 重苦しい空気が流れる室内、いつもならばすぐに冗談を交わし合う二人なのに、互いに一言も言葉を発する気力を失っている。


 しかし、このもやもやと淀み切った空気を打ち破るように扉を叩く音が室内に届き、荷物を抱え、ヤスミンを背負ったウォルフィが中へ入ってきた。


 意外過ぎる組み合わせに思わず目が点になるアストリッドとハイリガーの傍へ、ウォルフィはつかつかと靴音を立てて歩み寄る。

 ウォルフィの広い肩にしっかりと捕まりながら背負われるヤスミンは、どことなく戸惑っているように見える。


「ウォ、ウォルフィってば、とうとう本気でロリコンに目覚めたんですか……って、うぎゃん!!」

 すかさず揶揄いにかかったアストリッドの頭頂部に、ウォルフィは容赦なく拳骨を落とす。

「あんた、他に言う事はないのか」

「だっ、だってぇー」

「まぁまぁ、二人共落ち着きなさいってば。それよりも、何がどうなってヤスミンがウォル君におんぶしてもらっている訳??確か、ヤスミンは今日、食料の買い出し当番の筈よねぇ??ゲッペルス准尉はどうしたのよ??そこんとこ、ちゃーんと説明してくれるわよねぇ、ヤスミン??」


 にっこりと微笑むハイリガーだが、明らかに目は笑っていない。

 怒っている、と察したヤスミンは、思わず助けを乞うようにウォルフィの背にしがみつき、自分と同じ色の右眼を覗き込む。

 ウォルフィは後ろへ首を捻り、ヤスミンと視線を合わせながら、「帰路を辿る道中で俺に話したことを正直に言うべきだと思う」と、彼にしては珍しく穏やかに諭し、腰を落としてヤスミンを床へ降ろした。

 恐る恐る、ハイリガーの傍まで歩み寄るヤスミンの、左足を少し引きずるような歩き方に「何、もしかして、足を捻りでもした訳??一体何があったのよ??」と、ハイリガーは訝しげに問い質す。


「あっ、はい……。道端で躓いて転んでしまった時に、軽く捻っちゃったんですー。それで、偶々、ウォルフィさんと遭遇して」

「で、おんぶしてもらってここまで帰ってきたってことなのね」

「はい」

「そういうことねぇー。けど、どうしてゲッペルス准尉が傍にいなかったのよ??まさかと思うけど、護衛を付けずに勝手に一人で出掛けた訳じゃないでしょうね」

 途端にヤスミンは、うっと言葉を詰まらせて口を閉ざしてしまう。

「図星なのね」 


 ハイリガーの表情が険しいものに変わり、ヤスミンを厳しく叱責しようとした、丁度その時。

 扉を力一杯叩く音と「失礼します!!」と、酷く焦った男の声――、エドガーの声が聞こえてきたのだ。

 ヤスミンは大袈裟なまでにビクッ!!と肩を震わせ、ハイリガーは「その声はゲッペルス准尉??どうぞ入って頂戴。貴方の探し人ならこの部屋にいるから」と、入室を許可する。

 ハイリガーが許可するやいなや、慌てた様子でエドガーが室内に転がり込んできた。


 額や鼻筋が薄っすらと汗ばみ、黒縁眼鏡が少し下がっている。

 微かに上下する大きな肩や息が上がっていることから、ヤスミンの行方をずっと探し回っていたようである。

 エドガーが初めて見せる必死な姿に、ヤスミンの心は罪悪感でチクチクと痛み出す。

 ヤスミンの姿を確認したエドガーは、はぁ、と大きなため息をつきながら彼女の元へ近づいて行く。

 だが、ここで思いも掛けない人物が彼とヤスミンの間に立ちはだかった。


「ゲッペルス准尉、とか言ったな」

「はっ!」

 軍籍から外されているとはいえ、かつては少尉だったウォルフィに対し、彼より下官のエドガーは畏まった態度で敬礼してみせる。

 エドガーも長身の部類であるが、彼より更に一〇㎝近く背が高いウォルフィは、どこか値踏みするような視線で彼を見下ろした。

「この、ヤスミンとかいう娘、魔女に反感を持つ者から危うく危害を加えられそうになったと言っていた。足を痛めたのもそいつらから逃げる道中に転んだかららしい。あんたはヤスミンの護衛を担当しているのだろう??何故、彼女を街へ一人で行かせた。肝心な時に役に立てないなど、職務怠慢にも程がある」

「はっ……、シュライバー元少尉の仰る通り……」

「違うの!私が准尉に黙って勝手に出て行ったから悪いの!!」


 痛む足を庇いながら、今度はヤスミンがウォルフィとエドガーの間に滑り込んではエドガーを庇い立てた。

 自分を嫌っている筈のヤスミンに庇われ、エドガーは呆気に取られてしまう。


「ヤスミン、今の発言はどういうことかしらぁん??ちゃーんと説明してくれるでしょうねぇー」

 彼らのやり取りを静観していたハイリガーが、わざと抑揚をつけ、含みを持たせた物言いでヤスミンに問い掛ける。

「…………」


 遂に観念したヤスミンは、『買い出しに出掛ける程度の外出で護衛なんか必要ない』と独断で判断し、一人で出掛けた事、市場で魔女に反感を抱く者達に絡まれたこと、寸でのところで逃げ出したけれど転んで足を痛めたこと等、正直にハイリガーに報告したのだった。


「ヤスミン」


 ハイリガーの声のトーンが普段より一段と低くなる。


「覚悟はいいわね??」


 はい、と、すでに半泣き状態のヤスミンが返事をするよりも早く、ハイリガーの手元が輝き、赤と黄色のビニール素材のハンマーがヤスミンの頭上に振り下ろされる。

 バシィン!!と中々に痛そうな音と、ピコン!という間抜けな音が同時に響く中、ヤスミンは俯きがちに歯を食いしばって『お仕置き』に耐えていた。


「マ、マドンナ様―。ヤスミンさんも反省しているみたいですしー、そろそろ勘弁してあげたらどうでしょうか??」


 ピコピコハンマーが何度か振り下ろされるのを見兼ねたアストリッドが、ハイリガーを止めにかかった。

 『アスちゃんは黙っていて頂戴!』と言われるかと思いきや、ハイリガーはぴたりと動きを止めると考える素振りを見せ――、少し間を置いた後、ふぅと軽く肩で息をついた。


「ヤスミン」

「は、はいぃ!!」

「これでよーく分かったでしょぉ??己の力を過信したり、事態を甘く見るとロクなことにならないって」

「はい……」

「本当に反省しているわね??」

「はい……」

「ならいいわ……。とにかく!……貴女が無事で、本当に、本当に良かったわぁ……。貴女の身に何かあったら……、アタシ、泣いちゃうんだからねっ!!」

 ハイリガーはピコピコハンマーを放り投げると、鼻をぐすっと啜ってヤスミンの小さな肩を両手で優しく掴んだ。

「お師様、大変申し訳ありませんでした……」

「いーい??以後は、どんな外出の際でも必ずゲッペルス准尉を護衛に付けること!!」

「はい」

「じゃ、これでお説教とお仕置きは終りよ!!買い出しの荷物はアタシが適当に片付けておくから、貴女は私室で挫いた足に治癒魔法を掛けてきなさいな」


 先程とは打って変わり、優しげなハイリガーの微笑みに押され、ヤスミンは扉へとゆっくり足を進める。


「俺も部屋へ戻るつもりだから、何ならついでに送って行こうか。痛めた足で階段を昇るのは少し辛いのでは」

「…………」


 普段は、アストリッド以外の他人に対し、いっそ冷淡な程干渉しないどころか、一切の関心を持たないウォルフィが見せたヤスミンへの優しさに、当のヤスミンは勿論、エドガーもハイリガーもアストリッドも――、この場に集まった者達は驚きを隠せない。

 魔法武器店の通りで助けてもらった時同様、ヤスミンはまたも戸惑いを覚えたものの、反面、素直に甘えたいという気持ちにも駆られた。


「えっと、じゃあ……、お願いします!」

 ぺこっと頭を下げるヤスミンにウォルフィは無言で背を向け、腰を低く落とす。

 やはり遠慮がちながら、ヤスミンはウォルフィの背に乗り掛かる。

「アストリッド、悪いがまた少し席を外す」 

「えぇ、どうぞどうぞー」

 ヤスミンを背負ったウォルフィはアストリッドに一声掛けると、エドガーと共に朱塗りの間から出て行ったのだった。

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