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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第五章 Every Single Night
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Every Single Night(3)

(1) 

 朱塗りの壁に囲まれた室内の窓辺に立ち、雨雲に覆われた灰色の空をハイリガーは何となしに眺めている。


「……嫌な空模様だこと。この分だとそろそろ夕立が来るかもしれないわねぇ」


 誰に言うでもなく独り言を漏らすと、背後に佇む人物を振り返る。


「珍しく貴女がアタシを頼ってくるなんて、どういう風の吹き回しかと思ったけど」

「…………」


 ハイリガーの意味有りげな視線を受け、ヘドウィグは臆することなくじっと見つめ返す。

 その腕の中では、毛布に全身を包まれた赤ん坊が眠っており、窓辺から離れたハイリガーはヘドウィグの傍まで歩み寄る。


「この赤ん坊は、私の顔見知りの魔女が産んだ子だが……。母親は産後の肥立ちが悪かったせいで……、しばらくして死んでしまったんだ」

「で、身寄りのないこの子を預かってはみたけど、諜報活動を行う身では育てられない。代わりにアタシに養育して欲しいって訳ねぇ。別に構わないけど、本当に魔女の子な訳??あと父親もいないの??」

「残念ながら父親もすでに他界している。愛する男を失った絶望の最中、生きる術を得る為に魔女となった矢先、妊娠に気付いたらしい」

「そう……。じゃあ、もしかすると胎内で母親の魔力の影響を受けている可能性も高いわね」


 アストリッドの例もあるため、ハイリガーは神妙な顔付きでヘドウィグの腕から赤ん坊を抱き上げる。

 赤ん坊は一瞬だけ、ふにゃ、とぐずりかけたものの、大人しくハイリガーに抱かれている。


「今のところ、目に見えた魔力の影響は心身に及ぼされていないが、成長するに従って表れだすかも知れないから充分に気をつけて欲しい。情に厚いお前さんだからこそ、この子の養育を頼みたいんだ」


 ヘドウィグはハイリガーに向けて深々と頭を垂れる。

 ハイリガーは頭を下げるヘドウィグと、すやすやと穏やかな寝息を立てる腕の中の赤ん坊を何度も交互に見比べた。


 いつの間にか降り出した雨が窓を叩き、階下に拡がる黒い森を濡らしていく。

 森の木々にとっては恵みとなる雨も、今のハイリガーにとっては心中のざわめきを助長させられるばかり。


 ただ、この小さく、か弱い命を見捨ててはならないことだけは、はっきりと覚悟を決めていた。


「ちなみに、この子の名前は何と呼べばいいの」

「ヤスミンだ。この子の母親がそう名付けた」

「分かったわ」

「引き受けてくれるか」

 今度はヘドウィグが、青紫の瞳で射貫くように、それでいて哀願するようにハイリガーを見返した。

 ハイリガーは苦笑いしながら、肩を大きく竦めてみせる。

「仕方ないわよ。身寄りがないってだけじゃなく、生まれながらに魔力を持つ子となると……。誰かが庇護してあげなきゃ、まともに生きていけないだろうしねぇ」

「世話を掛けて本当にすまない」

「全くだわぁー。言っておくけど、境遇はどうあれ、他の弟子達同様にビシバシと厳しく育てるつもりだから、そこのところはよろしくねぇ」


 言葉こそ辛辣ではあるが、ハイリガーは依然眠り続けるヤスミンに優しく微笑みかける。

 ハイリガーの言葉と笑顔を見て安心したのか、ヘドウィグは「じゃあ、あとのことはお前さんに頼んだよ」とだけ告げると、静かに部屋を後にしたのだった。








(2)


 ハイリガーの居城では使用人を雇う代わりに、育成中の弟子達が炊事洗濯掃除等の家事全般をそれぞれ分担して行っている。

 その日、ヤスミンは食料品の買い出しをするために街へ出掛けようと――しつつ、何故か城内でも人目に付かない場所――、例えば、城の北側にある薄暗い回廊へとこそこそと忍び足で入り込んだ。

 周りに誰もいないのをよく確認した後、老朽化した赤煉瓦の柱の内の一本に凭れかかる。


「……うん、ここなら黙って一人で出て行ったとしてもバレないわよね」


 呟くなり、ヤスミンは手にしていた黒い日傘の先――、彼女にとっての媒介――、を天井に掲げて小声で詠唱を唱える。

 柱と同じ赤煉瓦の床から天井へと虹色の光が放射され、光の中心に立っていたヤスミンの姿は瞬く間に消えていく。


 本来ならばエドガーを護衛につけて出掛けなければならないのだが、今朝方寝起きのヤスミンの目付きを揶揄われたせいで、どうしても彼と一緒にいたくなかったのだ。

 他の弟子仲間からは『あんたが可愛いから揶揄ってるのよ』とか『適当に受け流せばいいのに』と揶揄い半分で諭されるのだが、嫌なものは嫌なのだから仕方ない。


(っていうか、別に買い物済ませたその場で瞬間移動すれば大丈夫な話じゃないの??)


 食料の買い出しは人通りが多い場所で開かれた市場で済ますのだし、何を買うのかもあらかじめ決まっているし、さっさっと終わらせればいい。

 そんなことを思いながら、大きな通りの左右に分かれて連なる店を順に巡り、必要な食料を次々と買い込んでいく。

 市場の喧騒に流されるように最端まで辿り着けば、今度は折り返し、もう一度同じ道を通っていく。

 いつしかヤスミンは、野菜や肉でパンパンに張った紙袋を両手で抱え、日傘を右腕に引っ掛けて歩いていた。


(うーん、しまった。意外と買い込んじゃって重たいなぁ。護衛と言うより、荷物持たせるために准尉を連れて来れば良かっ……)


「やっぱ良くない!全然良くない!!」


 足を止めて大声で叫ぶと同時に、ハッと我に返る。

 いきなり叫び出した少女に、周囲から何事かと注目の視線を一身に浴びたヤスミンは、恥ずかしさに思わず身を竦めてしまう。

 雪よりも真っ白な頬を朱に染め上げ、ヤスミンは先程よりも歩調を幾分速めて再び歩き始める。

 すると、丁度横を通り掛かった若者に日傘を思い切りぶつけてしまった。

 日傘をぶつけられた人物は「いってぇ!!」とわざとらしく大仰に叫ぶ。


「わぁ、ご、ごめんなさい!!」

 ヤスミンはすぐに立ち止まると、若者に頭を下げて謝罪する。

「こんな人が多い中で傘なんか持って歩いてんじゃねーよ、あぶねーな」

「す、すみません……」

「おい、どうしたんだよ」

「このガキに傘ぶつけられたんだよ」


 若者には仲間がいたらしく、似たような年頃の男達が二、三人わらわらと集まってくる。


(……あ、これって、もしかしてマズい状況に発展しちゃったりして)


 隙を見計らってこの場から逃げなきゃ……、と、恐る恐る顔を上げたヤスミンを見た若者達は更に表情を険しくさせた。


「こいつ……、もしかしてさぁー。あのオカマの変態魔女の弟子か何かじゃないか??」

「あぁ、そう言えばどっかで見た事ある顔だと思ったぜ」


 自分を取り囲む若者達の不穏な空気。

 市場に集まった人々はヤスミンを囲む険悪な雰囲気に眉を潜めつつ、遠巻きに彼らの様子を窺っているだけで止めに入る者は誰一人としていない。

 ヤスミンの足は一歩二歩とさりげなく後退していく。


「お前らの仲間のせいで、俺らの友達が酷い目にあったんだよ!あいつ、あれ以来、外へ出るのも怖がってずっと家に閉じ籠っているんだぞ!!」

「お前らさえいなければ、あいつはあんな風にならなかったのに!」


 彼らの友人とやらは、ザビーネが起こした事件の被害者の一人、のようだった。

 ヤスミンの胸に苦い思いが去来し、居たたまれない気持ちに陥った。


「……ごめんなさい。私達のかつての仲間が犯した過ちのせいで、貴方達のお友達を今も苦しめてるなんて……。本当にごめんなさい!!」


 もう一度、ヤスミンは頭を垂れて若者達に心からの謝罪を述べる。

 こんなことくらいで許してもらおうなんて思う程、甘い考えは持っていない。

 自分に出来る精一杯の誠意を示したい。ただそれだけだ。


「本当に悪いと思ってるんならさー、ちょっと俺達に付き合ってくんない??」

「え??」


 若者の目に怪しい光が宿り、ヤスミンの腕を無理矢理引っ張ってきた。

 身の危険を感じたヤスミンは恐怖で顔を引き攣らせ、若者の腕を力の限りに振り払う。

 折り良く抱えていた袋からジャガイモが数個飛び出し、若者の顔に直撃する。

 怯んだ隙をつき、ヤスミンは荷物を抱えたまま一目散に走り出した――





(3)


 ヤスミンは市場を駆け抜け、入り組んだ狭い路地に入り込んで若者達の追跡を撒いていく。

 荷物を抱えている分、どうしても走る速度はいつもより遅くなりがちなので、こうするしかなかった。

 路地から路地の間を擦り抜け、魔法武器職人達の店が連なる通りを目指す。

 あそこで贔屓にしている店に駆け込み、そこで瞬間移動の魔法を発動させて城へ戻ろうと思っての事だ。

 ハァハァ、と息が上がり、肺が酷く痛み出す。

 瞬間移動すればいい、と軽く考えていたが、いざ危険を前にしたら怖くて詠唱を唱えるところではなかった。

 ヤスミンは己の浅はかさ、経験不足を痛感させられ、走りながら唇をキュッと噛み締める。

 魔女というだけで嫌悪や憎悪の対象にされ、危害を加えようとする者の存在に少なからず打ちのめされてもいた。

 他の魔女達と違い、ヤスミンは自らの意思とは関係なく生まれながらに魔力を備えている。

 持って生まれた魔力も成長の遅い身体も「こういうものだから」と受け入れているけれど、それだけで攻撃対象になるなんて。

 まるで生まれてきたこと自体が悪い事のように思えてきてしまう――、などと考えていると。


「きゃあ?!」

 ようやく魔法武器が立ち並ぶ通りに差し掛かったところで、ヤスミンは土の地面から石造りの歩道へと切り替わる場所の段差に躓き、派手に転んでしまった。

 転んだ弾みで紙袋からジャガイモ、玉葱、燻製肉等が道端に転がり落ちていく。

「ううぅぅ、痛―い……」

 膝や掌を擦りむいただけでなく、左の足首も捻ったらしい。

 他の通行人の邪魔になるし早く城に戻らなきゃいけないし、と、ヤスミンは落ちた食料を拾うため、這うようにして玉葱に手を伸ばし――、手を伸ばしたところで骨張った指先と触れ合った。

 長身を屈めて玉葱を拾おうとしてくれた男の、色素の抜け落ちた白い髪が視界に映り込む。


「……ウォルフィさん??」

 自分と同じ青紫色の右眼を食い入るように見つめると、またあんたか、と、言いたげな視線を無言で返される。

 呆れてはいるが、決して冷たくもない視線をどう受け止めていいものか分からず、迷っている間に、ウォルフィはヤスミンが落とした物を手早く拾い上げ、紙袋の中へ突っ込んでいく。

「何で、ここにいるんですか??」

 口に出したはいいが、取りようによっては失礼に当たる?!と気付き、「あ、えと、違うんです!」と慌てて弁解しかけるヤスミンに対し、ウォルフィは特に気分を害した風でもなく、「アストリッドに透過の薬を作る原料を買って来い、と言われたから、贔屓の店に行ってきただけだ」と、素っ気ない口調の割に丁寧に答えてくれた。


「あんたこそ、こんな所で何をしている。護衛役の准尉は一緒じゃないのか」

「…………」


 まさか、彼に護衛を任せるのが嫌で一人で出掛けた、とは、言えない。

 ウォルフィは口を噤むヤスミンを見下ろしていたが、すぐに諦めたように軽く肩で息をついた、かと思いきや。

 いきなりヤスミンに背を向けてしゃがみ込んだのだ。


「転んだ拍子に足を痛めたのだろう??背中を貸すから乗って行け。どうせ俺も南の魔女の居城に戻るのだから、ついでだ」

「…………」


 ウォルフィからの思いがけない親切にたじろぐも、物怖じしない質のヤスミンは足の痛みを堪えて立ち上がると、「ありがとうございます」と彼の背中に乗り掛かった。

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