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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第四章 Shadow Boxer
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Shadow Boxer(10)

(1)


『……、……様、お母様……。お母様!!』


 古びた扉をノックもせず、バン!と大きな音を立てて力任せに開け放つ。

 背後で、アストリッド!と、叱りつける声がしたものの、扉から見て正面の机に座る人物を、キッ!と睨み付ける。

 見事なゴールドブロンドの長い巻毛を揺らし、こちらを振り返ったその人物――、マリアは、幼いながら怒髪天をつく勢いの我が子を見て表情を綻ばせた。


『あら、アストリッド。お母様の思った通り、良く似合ってるわ!!何て可愛らしいのかしら!!』

『お母様!!自分は女の子じゃないのに、こんな、女の子が着るドレスなんて着たくないです!!』

『もう、アストリッドったら、何度言えば分かるの??自分、じゃなくて、私、でしょう??、黙っていれば、貴女はどう見ても女の子にしか見えないんだから、女の子として生きていくべきなのよ。それに、こんなに可愛い子が男の子の格好なんかしたら、却って悪目立ちしそうで、お母様は凄く、凄く心配になっちゃうんだもの』

『でも、でも……』


 悪趣味な程、ふんだんにレースやフリルがあしらわれた黒いドレスも。

 綺麗だから勿体ない、と、鋏を入れるのを許してもらえず、腰まで伸びている髪も。

 一人称を「私」と呼ばなければいけないことも。

 アストリッドには自己の存在を強く否定されているように感じて仕方なかった。

 そうかと言って、一人称を「僕」と呼び、まるっきり男の子として振る舞う事に抵抗を感じるのもまた事実。

 両性具有の身体に無性の精神。

 幼心にはっきりと自覚を持つだけに、頑なに理解してくれようとしない母にも、理解してくれるよう説明できない自分自身にも酷く歯痒い思いを抱いている。


 無駄だとほとんど諦めつつ、アストリッドは背後に佇むヘドウィグに、助け舟を求める視線をさりげなく送ってみせる。

『マリアがああ言っているのなら、私が口を挟むべきことではない』

 案の定、ヘドウィグにもアストリッドの乞いをすげなく拒否されてしまった。

 分かっていながらもしょんぼりと項垂れるアストリッドの元へ、椅子から立ち上がったマリアがゆっくりと歩み寄ってくる。


『あのね、アストリッド』

 アストリッドの背丈と目線の位置に合わせるよう、マリアは床に膝をつく。

 小さな肩に両手を掛けると、アストリッドの瞳を真っ直ぐに見つめる。

 鳶色の瞳と榛色の瞳。


『アストリッド。お母様は貴女を誰よりも愛しているから、誰よりも貴女のことを考えているの。いつだって、貴女のためになることしかしないわ』


 マリアの、小さな子供のような無邪気な笑顔を前に、アストリッドはそれ以上は何も言えなくなってしまった――





(2)


 我に返ったアストリッドの右手側から、真っ青な肌のゴブリン二匹、鋭利な歯を剥き出しにさせ、右腕に食らいつこうと飛び掛かってきた。

 慌てて赤い光弾を二、三発飛ばし、ゴブリン達を壁際まで吹き飛ばす。

 壁に全身を強く打ち付けたゴブリンは、ぐぎゃあ、としゃがれた声を上げて気を失った。


「ふん!下等な幻想生物に対してまでも不殺(ころさず)を貫くのか!!ズィルバーン、飛び上がれ!!」

 ゴブリンに蹴り技で応戦していたズィルバーンが、天井に頭がつくすれすれの高さまで跳躍する。

 エヴァは半円形を描くように大鎌を横へと薙ぎ払う。

 大鎌の刃は、エヴァ達の周囲に群がっていた五匹のゴブリンの首を一刀両断。

 首と胴を分かたれたゴブリン達は瞬く間に氷結化し、跳ねられた首も倒れた胴体も床に落ちると共に粉々に砕け散った。


「次はお前の番だ!半陰陽の魔女!!さすがに首を跳ねたりしないが、四肢を切断して私から逃げられないようにしてやるよ!!」

 顔や手に付着した血糊をぺろりと舐め上げ、大鎌を振りかざしながらエヴァはアストリッドに突進していく。

「そんなの嫌ですよ。自分は痛いのが大嫌いですし、マリアの禁忌魔法を貴女に教える気はさらさらありませんから。でも、ここで貴女の暴走を止めなきゃ、リヒャルト様とポテンテ少佐からお叱りを受けてしまいます。それに……、ウォルフィの拳骨貰いたくないですし。だから諦めて下さい。自分は貴女と遊んでいるくらいなら地下牢のヘドウィグ様の元へ駆けつけたいのですが」


 シュネーヴィトヘンがヘドウィグを救出してくれるならいいが、きっと彼女もヘドウィグと同じ目的を抱いて助けるつもりだろう。

 ヘドウィグはマリアの魔法書など絶対渡さないだろうから、そうなった場合のシュネーヴィトヘンがどう対応するのか。

 考えるだけで強い不安に襲われてしまう。


「はっ!地下牢に向かったところで師弟対決に巻き込まれるだけやもしれんぞ??どうやら東の魔女も私同様にマリアの魔法書を狙っているようだが、放浪の魔女は誰にも渡す気がないと言っていた。例えかつての愛弟子であってもその意思は変わらないだろうよ。さすれば、あの女狐のことだ。用無しとばかりに始末にかかるか、もしくは連れ去ろうとするかもしれんな!」

 エヴァは実に楽しそうにくくっ、と笑い声を上げる。

「放浪の魔女とて黙って大人しく殺されるような女ではないゆえ、必ずや抵抗を示すだろう。あ奴らが殺し合いをしている隙に、私は貴様を動けなくしてやる。それとも、今すぐ禁忌魔法について語ってくれるならば地下牢へ向かわせてやってもいいが??」

「丁重にお断りしますよ」


 アストリッドはエヴァの攻撃を躱すため、更には瞬間移動の魔法を発動させるため、宙に浮遊する。

 続いてエヴァも宙に浮き、アストリッドの腕や足先に狙いを定めては大鎌を振り下ろす。

 モッズコートやエンジニアブーツに切込みが入れられつつも、アストリッドは寸でのところで攻撃を躱し続ける。


「おのれ!ちょこまかと!!」

「あーあー、コートもブーツも気に入ってたのにー。後で、リヒャルト様に新しいのを買うからって経費を追加してもーらおっと!!」


 アストリッドは殺伐とした場にはまるでそぐわない明るい声でぼやくと、両掌をエヴァに向けて翳した。

 掌が青白い輝きを放ち、伸ばした腕をエヴァが斬り落とそうと大鎌を振り下ろしたと同時に青白い光の中から全身が氷で出来た美女の姿が出現、アストリッドはさっと手を身体の横へと降ろす。


 氷の美女は氷のドレスの裾を翻し、エヴァにふわりと風のように近づくと白い吐息を薄っすらと吹きつける。

 息の中に混じる、細かな氷の欠片の輝きでエヴァの視界が遮られる。


「くっ!!」

 氷の美女の吐息から目を守りながら、エヴァは後方へと下がっていく。

 入れ替わって、床で二人の様子を窺っていたズィルバーンが、下から氷の美女に飛び蹴りを食らわせようと試みるが、軽やかな動きでさらりと躱されてしまう。

 よし、今の内に、と、再び瞬間移動をしようとするが、いつの間にか床へと降り立ったエヴァが大鎌の柄でガン!と床を強く叩きつけた。


 エヴァの足元が青白く輝き、全身の鱗が氷と化した小型の竜が出現、翼を拡げて氷の美女とアストリッドの元まで飛び向かい、小刃のように鋭利で尖った形の雹を大量に吐き散らした。

 氷の美女はアストリッドを庇う形で彼女の前で浮遊し、両手を拡げ冷気を発しながら雹を叩き落とす。


「うっわ!怖ぇぇー」

 上からバラバラと降り注いでくる雹を、下でひょいひょい避けているズィルバーンなど気にも留めず、エヴァは短く詠唱を唱えると氷の竜の体躯が一回り成長、氷の美女に襲い掛かってゆく。

 アストリッドも詠唱を唱え、氷の美女の体躯を大きく成長させては氷の竜に応戦させる。

 氷の美女は竜の透明色の瞳を狙い、鋭い牙や爪、振り回される長い尾による攻撃を避けながら竜の顏に近付くと白い息を吐き、拡げた両手から冷気を放射。

 冷気と氷の粒をまともに両目に食らい、氷の竜は巨体をのけぞらせ、激しく身悶える。


 後は氷の美女に任せ、自分は地下牢に、と、隙を見て瞬間移動の魔法を唱えようとしたアストリッドだったが。


 氷の竜は身悶えながらも傍から離れようとした氷の美女を逃すまい、と、耳まで裂けた口を大きく開け拡げ、再び氷の美女に襲い掛かった。

 逃げ遅れた氷の美女は頭から上半身まで食らいつかれ、咥内から僅かに見える細い指先、スカートから覗く足をバタバタと動かして抵抗するも、剣の切っ先よりも鋭い竜の牙によって華奢な身体は無残に噛み砕かれていく。


 室内の気温が一層下がってゆく中、氷の竜が氷の美女をガリゴリと齧り、貪りつくす音だけが反響する。


 エヴァは再び宙を浮遊し、アストリッドに切り付けていく。

 魔法を発動させる隙すら与えない、とばかりの目まぐるしい速さで。

 エヴァと違い、丸腰のアストリッドはただただ攻撃を躱すだけで精一杯だ。

 そこへ食事を終えた氷の竜がこちらへ向かってきたとしたら。


 アストリッドの背中にすぅっと冷たい汗が一筋流れていく。


「この私に氷の魔法で対抗しようとは無理な話だ!!」

「…………」

「だからと言って火属性の魔法であっても、私の氷を溶かすことなど不可能だがな!!」

「…………」

「どうする??このまま無駄な攻撃で攻め続けるのは、状況が悪化する一方だぞ??今なら、まだ間に合う!マリアの禁忌魔法を私に教えろ!!」


 エヴァが叫んだ後、氷の美女をすっかり食らい尽くした氷の竜が呼応するように咆哮し、こちらに向かって羽ばたいてくる。

 氷の竜と入れ替わるように、エヴァは竜とアストリッドの間からするりと抜け出していく。

 縦に拡げた口から見える白く長い舌と、真っ白な咥内がアストリッドの眼前に迫り来る。

 視界の端で、エヴァの身体に虹色の光が纏わりつき出したのを捉える。


(成る程、竜に自分を食らいつかせて動きを封じている間、地下牢の二人を始末しに行くつもりですか……)

 

「嫌だ、と、何度言わせれば気が済むのですか」

 アストリッドの、肩まで伸ばしたカッパーブラウンの髪が、怒りの気で逆立ち、鳶色の瞳の色素により赤みが増している。

 アストリッドは、すぅ、と瞳を閉じ、早口で長い詠唱を唱え始める。 

 再び片手を高く掲げると、最後の一文を強調するように声の調子をぐっと強める。


 一瞬にして、氷の竜の身体が赤黒い炎に飲み込まれる。

 じゅうじゅうと水蒸気を発しながら焼けていく我が身の苦痛から逃れようと、竜は宙でのたうち回って暴れ狂う。


「馬鹿な……!私の氷が燃えるだと?!」

「通常ならば有り得ないかもしれませんね。ですが、これはただの炎ではありません。地獄であらゆる罪人を罪ごと焼き滅ぼす炎を再現したものですから……、って、おっと!!」

「地獄の炎であっても不可能な筈だ!!」

「でも、実際に氷の竜の身体は燃え盛っていますよね??」


 熱で溶けた鱗が炎を纏いながら、ぽろぽろと落下していく。

 暴れ回る動きが徐々に鈍り始めた竜を間に、アストリッドとエヴァは対峙する。


「うわあぁぁぁ!」

 上から炎を纏った竜の鱗が落ちてくることに、ズィルバーンは室内の隅っこで蹲って怯えている。

 従僕の情けない声を聞きつけ、エヴァはうざったそうにズィルバーンを見下ろした。

 すでにエヴァの身体から虹色の光は消えていた。


 獣の習性ゆえに、ズィルバーンは炎が苦手である。

 ならば、炎を発生させることで彼を恐慌状態に陥れ、エヴァの手を煩わせて攻撃の手を自然と緩めさせよう、とも考えたのだ。


 エヴァは苛烈で傲慢な反面、二人の従僕に対して無意識下では深い愛情を寄せている。

 ディートリッヒには恋人的、ズィルバーンには兄弟的、と、それぞれ種類は異なっているが。

 自身の可愛い従僕が取り乱せば嫌な顔をしつつも、いざとなれば必ずや庇い立てするに違いない、と。


(……可愛い従僕、ですか……)


 我が白髪隻眼の大男の従僕は、可愛らしさなど微塵も持ち合わせていない。

 だが、彼が自分の隣、もしくは背後に控えていない現状、アストリッドの中でいくばくかの心細さを感じていることに否定の余地はない。


 アストリッドが魔法で敵の動きを封じている間に、ウォルフィが魔法銃で仕留める。


 特に言葉を交わさなくとも、当たり前のようにずっと繰り返されてきた。


(……本当に、慣れとは怖いものですね……) 


 遂に、命の灯と共に燃え尽きた氷の竜の屍が床へと落下。

 重量を持つ落下音と同時に、ズィルバーンの悲痛な叫び声が室内にこだました時、だった。


 ドォォン!!!と爆発音が階下から響き、直後、ミシミシと壁や床が嫌な音を立てて建物全体が大きく揺れ始める。

 地震かと思ったものの、すぐに音も揺れも収まった。

 エヴァも驚きの余りに、呆然と宙を浮いている。


(この音は一階からではなく……、もしや地下から?!一体何が……。駄目だ、気が逸りすぎている、落ち着かなければ……)


 アストリッドの掌が虹色に光り輝き始める。

 ハッとしたエヴァが大鎌を構え直してこちらへ飛び込んでくる。

 今なら、あの刃が当たるか当たらないかのところで、地下まで瞬間移動できるだろう――、だろう??




 ――――――――




 気付くと、アストリッドの下腹、臍辺りを刃物で貫かれる痛みが引き起こされた。


 恐る恐る、痛みを感じた箇所に視線を移動させる。


 アストリッドの臍に、見覚えのあるファルシオンが、否、剣から青白く冷たい光が放射されていることから、これは魔法剣――、が突き刺さっていたのだった。

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