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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第四章 Shadow Boxer
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Shadow Boxer(9)

(1)


 竈で炊かれる鍋から漂う、苦みの強い薬草の異臭。

 壁を一枚隔てた書斎にいてさえも、強烈な臭いで鼻が曲がりそうだ。


 古い書物が並ぶ書棚に囲まれた書斎机。

 机に備え付けた椅子にはロッテが腰掛けている。


 先程まで竈の前に立ち、鍋を掻き回していたのはロッテであった。

 だが、薬草の強い臭気で気分が悪くなり、余りの顔色の悪さを見兼ねたヘドウィグに書斎で休むよう言い渡されてしまったのだ。


(…………情けないわね…………)


 己の不甲斐なさにいたたまれなくなり、膨らみが目立ってきた腹を撫でさする。

 妊娠により、臭いにひどく敏感な体質に変化した我が身がいっそ恨めしい。


 厳しい修行を続けることと引き換えに出産を許してもらった分、魔女としての力をもっと高めていきたいのに。


 ロッテは腹を擦る手を止め、顔を上げて椅子に深く座り直す。

 すると目の前の書棚にて、黒や茶色等の装丁の本ばかりが並ぶ中、目が覚めるような深い赤色の装丁の本に目を引かれた。


(……題名は、『マリアの魔法の書』……??)


 他の本とは違いやけに派手な装丁だからか、ロッテはその魔法書に書かれてある内容が気になって仕方なくなった。

 けれど、ヘドウィグの許可なく勝手に触るのはいけない、後でヘドウィグに目を通していいか、聞いてみてからにしよう、と考えながら、今度はベッドの方へと移動する。

 短時間でも横になれば多少は楽になるし、薬草を煮込む仕事に早く戻れるような気がする。

 ロッテは緩慢な動きで椅子から立ち上がると、机のすぐ横に置かれたベッドに半ば倒れ込む形で身を埋めた。


 次第に、気分の悪さと入れ替わるように、浅い眠りへと誘われていく。


 気が付くと、ヘドウィグが苦笑いを浮かべながらロッテを起こしにきてくれた。

 当然、薬草の煮出しは終っている。

 しきりに「申し訳ありません!」と平謝りするロッテの脳裏からは、マリアの魔法書のことなどすっかり消え去っていた。


 それが後々、彼女にとって大きな後悔という形で胸に残るとは――、この時のロッテは夢にも思っていなかった。




(2)


 昨晩同様、ヘドウィグは膝の上に氷板を乗せたまま床に座らされていた。


 一晩中同じ姿勢を続けているせいで体力が弱り、疲れ切った顔色や表情が隠しきれていない。

 滑らかだった頬は少しやつれ、青紫色の瞳の下には黒い隈が浮き上がっており妖艶な美貌が損なわれてしまっている。

 ぽってりとした唇を軽く半開きにさせ、限界に達した疲労により微睡みかけるのを、ヘドウィグは辛うじて残された気力を振り絞って耐え続けていた。


 しかし、カツンカツン、と、硬質な靴音が地下の奥から牢に向かって響いてくると、手放し掛けていた意識をハッと取り戻した。

 途端に瞳に生気が戻り、気怠げでありながら強い光を徐々に放ち始める。

 聴覚を研ぎ澄ませ、近づいてくる足音に全神経を集中させる。


 この足音は、エヴァのものでもディートリッヒのものでもない。

 歩幅の間隔も含め、恐らく女、それも一人だろう。


(……まさかと思うが……)


 脳裏に浮かんだ予想を、頭を振っては打ち消したが、己の視界に映り込んだものを見てヘドウィグの心臓は大きく波打った。


「ヘドウィグ様、お迎えに上がりました。このような場所から貴女をお助けします」

「…………ロッテ…………」


 氷の鉄格子を間に挟み、鉄格子に両手で掴まりながら、シュネーヴィトヘンが微笑んでいる。

 ヘドウィグの眼光の鋭さは益々増していき、鉄格子越しにシュネーヴィトヘンを睨み付ける。

 ヘドウィグの視線に臆することなく、シュネーヴィトヘンは言葉を続ける。


「その代わりと言ってはなんですが……、貴女をこの地下牢から救出した暁には、私にマリアの魔法書を譲って頂きたいのです」

「…………」


 ヘドウィグは青紫の双眸を僅かに瞠った後、無言でロッテから視線を逸らした。

 かつての愛弟子までもがアイス・ヘクセ同様に、あの忌まわしい代物を欲しがっているとは――


(……何と嘆かわしきことか……!……) 


「……あれは、己の為のみにしか力を使わない者が手にした場合……、その者自身の身も含めて破滅しかもたらさない……」

「それがどうしたというのです??身を滅ぼすのは弱いからよ。私はスラウゼンを一度壊滅させた時から、そんなことはとうに覚悟の上でいます。あの時から二十四年。東部の国境を守りながらも、貴女の行方を捜し続けていました」

「お前さんといい、アイス・ヘクセといい……。一体、お前達は何と戦い、何を得ようとしているのか。私から見たら、お前達は大した目的もなく、ただ闇雲に強大な力を欲しているだけにしか見えない」

「分からなくて結構よ。誰かに理解されたいだなんて端から思っていないわ」


『自分のような弱い立場に置かれた者を救うため、力を尽くしたい』『例え一緒にいられなくても、遠い地で暮らす娘の母として恥ずかしくない身でありたい』と願っていた、善良で心優しき白雪姫は、もう何処にもいない。


「ロッテ。お前さんが変貌してしまった一因は、私にある。だからこそ、私は、お前さんがこれ以上、破滅への道を自ら進んでいくのを、食い止めたい。かつての師として……」

「余計なお世話だわ。あなたが人の為、とか言って、恩着せがましい行動をする時はろくなことにならない。いい加減、学習したらどうなんです??」


 始めは丁寧だったシュネーヴィトヘンの口調は次第に棘を含み出す。


「貴女が駄目ならば、アストリッド様に……という方法もあるけれど、出来ればあの方には頼りたくないの、貴女なら理由は分かるでしょう??それに今し方、あの方を囮にしてここに瞬間移動したから、もしかするとエヴァ様に討ち取られてしまうかもしれないし」


 最も、シュネーヴィトヘンは始めからこうするつもりでアストリッドと行動を共にしたいと、願い出たのだ。 

 エヴァが攻撃を仕掛けてくるとすれば、アストリッドと自分と二人合わせて狙いを定めてくるだろう。

 そしたら、アストリッドとエヴァが闘っている隙を見て、一人でヘドウィグの救出に向かおう、と。

 

「私への脅しのつもりか??無駄だ、魔法書は誰にも渡さない」

「ヘドウィグ様。どうしても、マリアの魔法書を私に譲っては下さらないのですね」

「相手がお前さんだろうがアイス・ヘクセだろうと、否、他の誰であっても、譲るつもりは毛頭ない」

「……そう……。では、仕方ありませんね」


 シュネーヴィトヘンは鉄格子から手を離し、牢の前から数歩後退する。


「では、強制的にスラウゼンへ連れ帰らせてもらいます。そこで、貴女が魔法書を渡す気になるまでじっくりとお話しましょうか」


 言うが早いか、シュネーヴィトヘンはワンズを強く握り直すと詠唱を唱える。

 ワンズの先端が白光に輝き、氷の鉄格子へと直撃する。

 白光がぶつかった箇所は光から生じる熱の威力によって溶かされ、人一人が通れる程の空洞と化した。

 魔力封じの結界は結界の中に閉じ込めた者の魔力を封じることが目的なので、外部から受ける攻撃魔法には効力を発揮しない。

 その空洞を利用し、シュネーヴィトヘンは地下牢の中へ侵入しようと試みる。

 そこでヘドウィグはカッと目を大きく見開くと、手首を拘束していた鎖をするりと解き、膝の上の氷板を両掌で床へと落とす。

 白い手首に残された、鬱血した鎖の痕が痛々しい。

 掌を氷の床につけるとよろめきながらゆっくりと立ち上がり、シュネーヴィトヘンと睨み合う。


 ヘドウィグは両掌を胸の前で拡げる。

 掌の中から、ぼう、と、濃い橙色の大きな丸い光が浮かび上がってくる。

 シュネーヴィトヘンもワンズを握る手に力を込める。


 ところが、ヘドウィグはシュネーヴィトヘンの立つ場所とは反対側、地下牢の壁に向けてその光を投げ放ったのだ。


「……なっ!……」


 橙色の光が壁に勢い良く壁にぶち当たる。

 激しい爆発、氷の壁が粉砕される音。

 破壊によって水蒸気の白い煙が朦々と立ち込める。


 煙に視界を阻まれ、氷の欠片と粉塵が爆風で飛び散る。

 風に流されてくるそれらから身を守りつつ、シュネーヴィトヘンは薄目を開けてヘドウィグの様子を窺う。


「……そうよね。ヘドウィグ様も魔力封じの結界など破れて当然だったわね。何故、ここから逃げ出すことが出来たにも関わらず、大人しく拘束され続けていたのです??」

「……お前さんに教える義理は無い……」


 ヘドウィグは目元に皺を寄せ、吐き捨てるように小さく呟くと再び詠唱を唱え始める。

 シュネーヴィトヘンは次なる攻撃に備え、再びワンズを掲げて身を構える。

 

  その視界に映ったのは――、ヘドウィグが再び橙色の光弾を作り出し、天井に向けて投げ放つ姿であった。





(3)


 庭に降り積もった雪の中、ウォルフィは仰向けで大の字になって埋もれていた。


 三階から転落したにも関わらず、雪がクッションとなったお蔭で目立った怪我や骨折は免れたようだ。

 それでも落下した衝撃と全身を打ち付けた痛みで、すぐに起き上がることはできそうにない。

 小さく呻き声を発し、辺りの様子を伺おうと閉じていた右眼を僅かに開く。

 次の瞬間、茫洋とした視界にぎらりと非情な光を湛える剣先を捉えた。


 咄嗟に身を起こし、後ろ手で白い地面に手をつき、バック転する形で着地する。

 身体を反転させた際、剣を持つディートリッヒの右腕を強く蹴り上げてやると、獲物は彼の手から離れ、宙をくるくると旋回しながら遠くへと飛ばされていった。

 蹴られた右腕を押さえながら、ディートリッヒはウォルフィを冷たい眼差しで黙って見据える。

 間髪入れず、ウォルフィは手に掴んだ雪の塊をディートリッヒの顔面目掛けて投げ突けると。

 魔法剣を拾いに行く隙どころか、詠唱すらも唱える隙すら与えない、と、風を切る速さで懐に入り込み、鳩尾に拳を一発叩き込む。

 雪が膝の高さまで積もっている中の動き、とは思えない俊敏さに、ディートリッヒも僅かながらに動揺を見せる。

 ウォルフィはその機を逃さず、同じ箇所に膝蹴りを食らわせる。

 かはっ!と、乾いた空気を吐き出し、頭を垂れるディートリッヒ。

 胸ぐらを掴み、もう一度、今度は顔を殴りつけようとしたウォルフィに、ディートリッヒは頭突きをかました。


 舌先を鳴らし、ウォルフィは一旦ディートリッヒから距離を取る。

 鼻の中や唇が切れ、流れてくる血を邪魔臭そうに手の甲でぐいと拭い、咥内の血をペッと吐き出す。

 白い雪の上に赤黒い染みが点々と染み込んでいく。


 北国特有の曇天の空からは、淡くくすんだ太陽光が降り注ぐ。

 儚げな光の中、小さな花弁を思わせる細雪が混じり合い、軽やかな動きで舞い落ちる。


 魔法銃を失くした今、自動拳銃ではディートリッヒの魔法には敵わない。

 ならば、ディートリッヒに魔法を使う隙を与えないよう肉弾戦に持ち込み、少しずつ体力を削っていくしかない。

 ウォルフィはディートリッヒの動向を伺いつつ、氷の宮殿の二階部分をちらりと見やる。

 エヴァとズィルバーンだけならまだしも、あの場にはシュネーヴィトヘンがいるのだ。

 彼女がエヴァと共同戦線を張り、攻撃を仕掛けてくる可能性が否定できない以上、アストリッドの身が気掛かりで仕方がない。


 ウォルフィの不安を感じ取ったのだろう。

 ディートリッヒの唇が動きを見せ、魔法を発動させてなるものかと、ウォルフィは腰のホルスターから引き抜いた拳銃を発砲する。

 魔法使い相手では効力がなくとも、せめて威嚇の役目くらいは担ってくれ、と、胸中で念じた時――。


 突如、地面が大きく揺れ始め、地鳴りが響き始める。

 地震でも起きたのか、と、ウォルフィ、ディートリッヒの双方が身構えた、その時。

 


 ウォルフィ達のいる場所から比較的近い、宮殿の一角――、一階の格子窓から橙色の強い光が漏れ――、直後、激しい爆発音と共に窓も壁も吹き飛ばされたのだった。

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