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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第四章 Shadow Boxer
33/138

Shadow Boxer(7)

(1) 

 翌朝、ウォルフィが目覚めると、彼の隣でアストリッドが半身を起こしてヘッドボードに凭れていた。


 あの後――、シュネーヴィトヘンから解放されアストリッドの傍に戻ってきたウォルフィは、緊急時にすぐ飛び起きられる程度の断続的な浅い眠りに落ちながら、明け方まで過ごしていた。

 


「えへへー、おはようございますー」

「…………」

「さっき目が覚めちゃったついでに、元の姿に戻しておきましたから!」


 起き抜けとは思えないくらい上機嫌なアストリッドの笑顔から、自身の手や身体へと視線を移動させる。

 彼女の言った通り、銀縞模様の長い体毛にも覆われておらず、ぷにぷにとした感触の肉球が付いた丸い掌でもなく――、どう見ても、細身ながらも筋肉質で、大柄な成人男性の肉体に戻っていた。

 確認が済むやいなや、ウォルフィはベッドから起き上がる。


「あぁ、そうだ!ロッテ様なら、浴室の脱衣所で身支度されてますから、着替えを済ますなら今の内ですよー」

「…………」


 ウォルフィの耳元に唇を寄せるアストリッドに対し、ほんの僅かに片眉を擡げてみせる。

 別に、わざわざ内緒話のような話し方をしなくてもいいだろうに、と、喉元まで出掛ったが、あえて言葉を胸の奥まで流し込む。


 アストリッドはベッドから抜け出すと徐にバスローブを脱ぎ捨て、裸のままで壁に掛けてある服を取りに行く。

 他の者であれば目を覆って見ないようにするか、はたまた脱いだバスローブを拾い上げ、慌てて肩に掛けてやるなりするだろう。

 ただし、二十六年間、ほぼ毎日眼前でこの行動を繰り返されているウォルフィは動じるどころか、素知らぬ顔で着替えを行っている。


 アストリッドが、白×黒の横縞模様のニットに黒革のホットパンツ、厚手の黒いタイツ、黒いエンジニアブーツに着替えると、ウォルフィはとっくに身支度を終えていた。

 ウォルフィは昨日と同じく、黒のⅤ字襟のニットに黒いレザーパンツ、アストリッドと同じく黒いエンジニアブーツ姿だった。

 二人の着替えが終わるのを見計らったように浴室の扉が開き、白いガーゼ素材のドレスに着替えたシュネーヴィトヘンが中から出てきた。

 女性らしい身体の曲線にぴったりと添うマーメイドラインのデザインが、彼女の美しさをより引き立てている。


「おはようございます、アストリッド様」

 シュネーヴィトヘンは、昨夜の出来事などなかったかのようにウォルフィの横を素通りし、アストリッドににこりと微笑みかける。

「おはようございます、ロッテ様」

 つられて、アストリッドも満面の笑みを浮かべて挨拶し返した。

 

 壁に取り付けられたコート掛けからそれぞれコートを取り、羽織り終えた頃。

 扉を叩く音と共に、「おぉ、おはようさーん。全員起きてるー??」と、恍けた口調でズィルバーンが部屋に入ってきた。


「ズィルバーン、何だその口の利き方は」

 ズィルバーンとは対照的な、品がありつつも平坦で無感情な低い声に、三人の間に緊張が駆け巡った。

 声の主は、失礼します、と一声掛けた後、扉を開く。

 息が詰まりそうな程に、張り詰めた空気漂う室内へとディートリッヒ――、エヴァの従僕でありながら北方軍からも一目置かれ、北方軍の一部の指揮権も与えられている男――、が、入ってきた。


 ディートリッヒはロッテの姿を目に留めるなり、彼女の元へとつかつかと歩み寄っていく。

 警戒心を露わにさせ、一、二歩後ずさるロッテに構うことなく、彼女のすぐ目の前まで来ると、ディートリッヒは彼女の足元に跪いてみせる。


「貴女と直にお会いするのは初めてですね。お初にお目に掛かります、北の魔女エヴァの従僕が一人、ディートリッヒ、と申します」

 シュネーヴィトヘンに跪きながら、ディートリッヒは深々と頭を垂れてみせる。

「私が東の魔女、ロッテよ。またの名は、血塗れの白雪姫(ブルーティヒ・シュネーヴィトヘン)と呼ばれているわ」

「えぇ、存じ上げております。それにしても……、噂に違わず、白雪姫が本から飛び出したように美しい御方ですね」

「そう、よく言われるわね。正直聞き飽きたけれど」


 シュネーヴィトヘンは、黒曜石の双眸でディートリッヒを冷たく見下ろしていた。

 その彼女の手を、ディートリッヒはさりげなく握り締めて、手の甲にキスを落とす。

 シュネーヴィトヘンは心底不快そうに眉を顰め、美しい顔を歪めた。

 敵陣の中にいる自覚ゆえか、かつてのヨハンみたいに蹴り飛ばすまではしないまでも、ディートリッヒの手の中から自身の手をさっと引いてみせた。

 ディートリッヒはさして気にする風でもなく立ち上がると、今度はアストリッドの元へと近づいていく。


「アストリッド様、お久しぶりです」

 シュネーヴィトヘンの時とは違い、跪きはしなかったが、アストリッドの目線と合わせるよう、ディートリッヒは低く腰を屈めてアストリッドに掌を差し出す。

「こちらこそお久しぶりです、ディートリッヒ殿」


 表情こそいつもと変わらぬ笑顔だが、鳶色の瞳の奥は笑っていない。

 挨拶などどうでもいい、早くエヴァの元へ連れて行って欲しい。

 もしくはヘドウィグの安否を知りたい、と、少々焦りを感じ始めているのだろう。

 少なくとも、隣に立つウォルフィには彼女の気持ちが何となく伝わってくる。

 同時に、ディートリッヒが場の空気を読まず、悠長な挨拶を続けることに疑問を抱いた。


「おい、ディートリッヒ。挨拶なんかどうでもいいからさぁー、早くエヴァ様のところへ行こうぜ!」

 両腕を胸の前で組み、扉の横の壁に凭れて待っているズィルバーンが、とうとう痺れを切らし始める、

 ディートリッヒはズィルバーンを無視、彼には何も言葉を返さなかったが、アストリッド、ウォルフィ、シュネーヴィトヘンの顔を順番に見返し、こう告げる。

「……では、エヴァ様が貴方方をお待ちしておられる、二階の旧会議室までご案内致しましょう」


 気分を寒々とさせる青い外套を翻し、薄氷のような薄青の瞳で部屋を出るよう、三人に視線を送り付ける。

 彼の視線を受け、シュネーヴィトヘン、アストリッド、ウォルフィの順で部屋を後にする。


 廊下に出て右側の壁――、凍り付いた格子窓から差し込む朝の陽光が氷張りの廊下、天井、壁に反射し、きらきらと透明な輝きを放っている。

 その廊下の上を、ディートリッヒが三人を先導する形で歩き始める。

 彼の後ろに一列に並んで歩く三人の背後を、少し距離を取ってズィルバーンがダラダラとした足取りで後に続く。

 昨日散々滑って転んでいたアストリッドだが、流石に氷の床や廊下の歩き方に慣れてきたのか、昨日みたいに滑って転ぶ様子は微塵も感じられない。

 小さいけれど面倒事の一つが減ったことに、ウォルフィがほんの僅かばかりの安堵を覚えた時、小さな異変に気付くこととなった。

 

 背後の少し離れた場所にいたズィルバーンの歩調が、引き摺るような重い足取りから一転、軽快なステップを踏む軽いものへと、急に変わったのだ。

 ウォルフィの警戒心は一気に高まり、素早く後ろを振り返る。

 同時に、地を蹴り、ひゅん!と風を切る鋭い音が聞こえた。


 振り返ったウォルフィが片眼で捉えたのは――、天井高く跳躍し、飛び蹴りで彼の顔面に踏み込もうとするズィルバーンの靴底だった。




(2)


 咄嗟に右腕で顔を庇いながら、ズィルバーンの蹴り足を受け止める。

 衝撃と痛みに耐え、突っ込んできたズィルバーンを弾き返す。

 勢いのある蹴りを受け止め、振り払った反動でよろめきかけるもたたらを踏んで持ち堪える。

 飛び蹴りが失敗に終わったズィルバーンは、「んだよー」と舌打ちを鳴らし、大きく丸い茶色の目を細めてウォルフィを睨む。

 ウォルフィ!!と、叫ぶアストリッドの声が背中に突き刺さる。


「どうでもいいけど、隻眼のあんちゃんさぁ、右腕ヤバい事になってるんじゃね??俺の蹴りをまともに受け止めたからには骨が折れるか、ヒビくらい入ってんじゃないの??」

「……俺を見縊るなよ、畜生風情が」


 へらへら笑っていたズィルバーンの顔色がさっと変わる。 

 畜生風情と呼ばれたことに加え、 ウォルフィの右手首から垣間見える、魔女の印――、魔女の従僕の印でもある、羽の生えた緑竜(リントヴルム)の刺青が煌々と光を放っているに気付いたからだ。


「誰がヤバい、だと??生憎、肉体強化出来る程度の魔力は持ち合わせている」

「へっ、流石は国内最強の魔女様の従僕、一筋縄じゃいかないってかぁ??まぁ、その方が面白いけどさ……って、おっとぉ!!」


 ズィルバーンは、自らに迫りくる無数の赤い光弾を、ひょいひょいと飛び跳ねて難無く躱す。

 赤い光弾を放っているのは勿論アストリッドだ。


「半陰陽のねーちゃん、火属性の魔法は勘弁してくれってばぁ。俺、火は苦手なんだよねーって、うわ!おい、ディートリッヒ!!早くこいつら連れて行けよ!!」

「貴様に言われなくても承知している」


 ディートリッヒが腰に提げたファルシオン型の魔法剣を引き抜くと、剣先を氷の床へと突き刺した。

 アストリッドとシュネーヴィトヘンがディートリッヒに攻撃を仕掛ける隙も無く、二人の身体は虹色の大きな光に包まれていく。

 ウォルフィがディートリッヒの方に向け、腰のホルスターから銃を抜いて発砲しようとした寸前、再びズィルバーンが飛び掛かってきた。


「邪魔をするな!」

「残念!それが俺の役割なんだよ!!」


 今度は蹴りではなく、ぶら下がる形で腕に齧りついてくるズィルバーンを振り払おうと、ウォルフィは銃を握ったままで腕を振り回す。

 空いている左手でズィルバーンの首根っこを掴んで引き剥がそうとするも、獣特有の鋭い歯で噛みつかれては妨害される。

 虹色の光の中のアストリッドとシュネーヴィトヘンの姿は薄れていき、この場から消えていく。

 二人の姿が消失したのを確認すると、ズィルバーンはあっさりとウォルフィの腕からその身を放した。


 残されたのは、ウォルフィとズィルバーン、ディートリッヒだけ。


 ようやくズィルバーンから解放されたウォルフィは、銃口をディートリッヒに向けて構える。


「何の真似だ、ディートリッヒ」

「貴様に傍に居られては、エヴァ様の身が危うくなる」

「アストリッド達は何処だ」

「先程話しただろう??二階の旧会議室だ。だが」


 ディートリッヒは氷の床に突き刺していた魔法剣を引き抜き、剣先をウォルフィの首元に突きつけるようにして、一気に間合いを詰める。


「今の貴様の相手は、エヴァ様ではなく私だ」


 言うやいなや、ディートリッヒは魔法剣を真横へと薙ぎ払う。

 腰を低く落とし、のけぞった姿勢で剣を躱すとウォルフィは後方へと飛びずさり、ディートリッヒの剣を握る手元に狙いを定めて発砲。

 想定内の動きだったのか、弾が当たる直前、ディートリッヒは宙で円を描くように剣を振るい、防御結界を張る。

 薄緑色に光る結界にぶつかった弾は跳弾し、真横の氷の壁にめり込んだ。


「うっわ、あっぶねぇなぁ、ディートリッヒ!!」

 弾がめり込んだ壁の近くに立っていたズィルバーンが、非難混じりの声色でディートリッヒに叫ぶ。

「ズィルバーン、お前の役目はもう終わった。さっさとエヴァ様の元へ行け。勝負の邪魔になる」

「何だと?!」


 憤慨するズィルバーンなどに構わず、今度は彼の方へとディートリッヒは魔法剣の先を向ける。

 すると、ズィルバーンの足元から天井に掛けて虹色の光が発光し始め、ズィルバーンは喚き散らしながらも光に飲み込まれ、この場から姿を消していく。

 ディートリッヒは、ズィルバーンに向けていた剣先を再びウォルフィに差し向ける。

 魔法を発動させる気だと判断したウォルフィは、右手に持つ自動拳銃の他、コートの内側から取り出した魔法銃を左手に、二挺の銃口を同時に構える。


「ふっ、所詮は銃など飛び道具にしか過ぎないというのに。それしか頼るものがない以上、貴様は私に勝てなどしない」


 ディートリッヒの唇が緩やかに弧を描くと共に、剣を大きく一振りする。

 剣から発生された青白い光と強風が、ウォルフィへと襲い掛かってくる。

 光と風に身が巻き込まれる寸前、ウォルフィはディートリッヒから氷の格子窓へと瞬時に向き直り、窓目掛けて交互に銃を発砲。

 直後姿勢を低くさせ、わざと足を滑らせて窓側の壁際まで移動、ディートリッヒの攻撃魔法を躱しただけでなく破壊した窓に近付き、階下へ飛び降りようと――


「外へ逃げるつもりだろうが、そうはさせるものか」


 ウォルフィの元へ近づきながら、ディートリッヒが詠唱を唱える。

 すかさず魔法銃を発砲させようと三度銃口を構えたが(自動拳銃はホルスターに戻していた)、トリガーに掛けた指が何故か動かない。


「あんた、何を……」

「身体の自由を奪う魔法を掛けただけだ」


 粉々に打ち砕かれた氷の窓枠に片手と片足を掛け、魔法銃を握ったままウォルフィは金縛りに遭ったかのように身動きが取れず、ぎしりと奥歯をきつく噛み締める。

 その間にも、ファルシオン型の魔法剣を構えたディートリッヒがウォルフィの元へと近づいてくる。

 絶体絶命の状況。

 傍に近付くなり、ディートリッヒはウォルフィの手から魔法銃を引き剥がし、窓の外へと投げ捨てた。

 魔法の引力に逆らうかのように首のみを辛うじてディートリッヒに向け、青紫の隻眼で睨み付ける。

 大抵の者ならば圧倒され、怖気づかせる程の凄みを持つウォルフィの眼光も、ディートリッヒには通用しない。

 むしろ、無駄な抵抗を、とばかりに、鼻先で軽く笑われたのみであった。


「貴様は、かつて東方軍に所属していた優秀な狙撃兵だったとか。失うには惜しい人材だが……、半陰陽の魔女共々我々にとっては邪魔な存在でしかない」


 ウォルフィの背後に佇み、薄青の瞳を怜悧に光らせたディートリッヒは耳元でそっと囁いてみせる。

 彼の瞳は薄氷に覆われた深い湖のようで、底知れない非情さを湛えていた。


 ところが、ディートリッヒが魔法剣を今一度握り直した時、突如彼の身体は前のめりに倒れ込み、窓の横の氷壁に全身を打ち付けることとなった。

 今し方起きた出来事に流石のディートリッヒも目を剥いて唖然としたものの、すぐに冷静さを取り戻し、顔を上げてウォルフィを睨み上げる。

 掛けられた魔法に抗い、真っ赤な顔色で額や首筋に血管を幾つも浮き立たせたウォルフィが、ディートリッヒの肩から胸に掛かっていた長い髪を両手で掴み、力の限りに引っ張ったからだ。


「貴様……!」

 怒りに駆られたディートリッヒは、倒れた拍子に手放した魔法剣を床から拾い上げようとする。

 ウォルフィも、血管を浮き出たせるだけでなく、全身を大きく震わせてはディートリッヒの髪を引っ張り続け、彼の動きを封じようとする。


 しかし、ウォルフィの抵抗も虚しく、ディートリッヒの右手は魔法剣を掴み取る。


「これで終わりだ」

 魔法剣を喉元に突きつけられても尚、掴んだ髪を決して離そうとしないウォルフィを蔑んだ瞳でディートリッヒは見下ろし、剣を振り下ろした――、が。


「?!」


 再びディートリッヒの身体は前のめりに倒れ――、倒れただけでなく、ウォルフィが窓枠に掛けていた足を滑らせ――、その弾みで二人共々、雪がうず高く積もった階下へと滑り落ちていった.


しばらく数話掛けて戦闘描写が続きます。




ディートリッヒの頭皮が心配です。

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