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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第四章 Shadow Boxer
32/138

Shadow Boxer(6)

(1) 


 ひたひたと足音を立てて歩く主に付き従い、ディートリッヒは地下室の廊下を歩いていた。


 氷の宮殿での滞在時、彼の主は常に裸足で過ごしている。

 主曰く、肌で直に氷の冷たさを感じられるのが良いという。

 目の前の痩せた背中を眺めながら、ふとエヴァと初めて出会った夜を思い出す。


 五十五年前――、ある事情からセンフェン山の奥に引き籠っていたディートリッヒは、その日、麓の魔女の集落が北方軍に見つかったと聞きつけ、夜更けの猛吹雪に紛れて下山した。

 何のことはない、自分にとって何か役立つ物が残されていないか、無人となった集落跡を物色するためである。


 暗澹たる闇の中、氷雪混じりの突風が途切れることなく我が身に襲い掛かる。

 黒と白のみの色彩の世界で、腰に差したファルシオン型の魔法剣を鞘から抜き、空に掲げる。

 詩を暗闘するように、高らかに詠唱を唱えると、足元から螺旋状の虹色の光が放出され、全身が光に包まれたディートリッヒは一瞬にして山の麓へと移動していた。


 麓へ瞬間移動してみたはいいが、集落跡の位置を正確に把握していた訳ではない。

 ディートリッヒは魔力で集中力を高め、魔女達が残した痕跡、集落跡に染み付いているだろう魔性の気を探る。


「??」


 北西の方向より、今にも消え入りそうな、僅かな魔性の気を感じ取った。

 集落跡に残された気、ではなく、ほんの少しずつ移動していることから、魔力を持つ人間自体の気だろう。

 魔女狩りの難を逃れた者だろうか。

 だが、放たれる気の質からしてかなり衰弱しているように思う。


(集落跡を物色するのもいいが、同胞の救出が先決だろう。生きた魔女の方が利用価値は高そうだ)


 当初の目的を変更し、向かい風と共に流れてくる、僅かな魔性の気を追う。

 膝まで降り積もった雪を掻き分ける様に歩みを進める。

 魔法で除雪した方が格段に歩みは速められるが、下手に大掛かりな魔法を使うことで軍に気付かれる訳にはいかない。

 雪に濡れ、湿り気を帯びる衣服やブーツが肌に張り付く感触が不快で堪らない。

 募る苛立ちを抑え、歩き続けること十数分。


 いた。


 今にも倒れそうによろめきながら、歩く小さな影。

 一旦止まってしまえば、確実に死に襲われると。

 死の影から抗うがごとく、無為な行動だと分かりつつ、女は歩き続けていた。


「そこの女、何をしている。今すぐ止まれ」


 余り近づき過ぎても良くない、と思い、一定の距離に近付いたところでディートリッヒは声を掛けた。

 女は、猛吹雪の音と意識が朦朧としていたためか、彼が後を付けていたことに全く気付けなかったらしい。

 大仰なまでにビクッと大きく肩を震わせた後、壊れた機械のような固くぎこちない動きで振り返る。



 女は、無残に引き裂かれ、衣服としての機能を果たしていないボロ布を巻きつけただけの半裸姿だった。

 闇と雪に視界を阻まれる中にあっても分かる程に顔色が悪く、大半が露わとなった肌も異様に青白い。

 顔だけでなく全身に掛けて痣や怪我を負い、多量に失血したのか貧血も引き起こしている。

 女を真正面からはっきり確認したことで、彼女がどんな目に遭ったのか瞬時にして悟る。


「お前は魔女狩りの生き残りか」

「…………」


 女は答えようとしない。

 己の命運はここまでか、と言いたげに、血が滲むほどにきつく唇を噛みしめている。


「そうなのだろう。強くはないが、お前から魔力が放たれているのが私には分かる」

「………‥」

「安心しろ。私はお前を軍に売り渡すつもりなど毛頭ない」

「…………」


 女は、猜疑心に満ち溢れた眼差しでディートリッヒを睨み付ける。

 獰猛な野生の猫みたいな目だ、と、何となしに思う。


「……魔女を匿う者も、重い刑罰が下されることを知らないのか??」

 自分よりも二回りは背丈の高い、得体の知れない男に臆せず、女ははっきりとした強い口調で問いかける。

 痩せこけた小さな体躯や病人と見紛う肌の色に反し、女は随分と気丈な質のようである。

 悲惨な経験をしたにも関わらず、それすらも糧にしようとする強い気概も見てとれる。


(……これは、予想以上に育てがいがあるかもしれない……)


 ディートリッヒは纏っている青い外套の首元に手を掛け、留め金を外すと女の傍に近付いて行く。

 警戒して一、二歩後ずさった女の肩に外套を掛けてやり、半裸状態の身体を覆い隠した。


「女、私についてくるがいい。そうすればお前の望む力を手に入れさせてやろう」

「……お前は、一体……」

「私はかつて北方軍の中尉だったが……。王家に仕える魔法使いの養子であり、私自身も魔法の使い手だったことから、魔女狩りが始まると共に軍に粛清された。真冬のセンフェン山での演習中、信頼していた仲間や部下達の手で事故に見せ掛けて、だ。だが、奇跡的に生き延びることができた」

「…………」

「王家や国軍に恨みを抱くのは何もお前だけではない。私とて同様だ。お前は今でこそ力はないが、潜在能力は高そうだと見た。だから、我が家に代々伝えられし魔法を、全てお前に教えよう」


 女は、前を合わせる形で外套の端と端を両手で固く握り締める。

 実年齢は分からないが、外見が少女と女の境目の年頃だからか、その仕草は妙に幼く見えた。

 降って湧いた幸運に疑いを持ち、簡単に飛びつこうとしない辺り、決して頭も悪くなさそうだ。


「……お前の、名は??」

「ディートリッヒだ。そういうお前の名は何という」

「エヴァ」

「エヴァか。良い名だな」


 エヴァにそう告げた直後、ディートリッヒは彼女の手を強引に掴み取る。

 流石に怯えて顔を引き攣らせるエヴァに構わず、再び魔法剣を鞘から抜き、詠唱を唱え始める。

 たちまち足元から上空に向けて虹色の光が発光、二人は光の渦に飲み込まれていった。





(2)


 センフェン山での隠れ家にて、ディートリッヒから魔法を学んだエヴァは、最終的に彼をも遥かに凌ぐ魔法の使い手に成長。

 力関係が逆転したのをきっかけに、ディートリッヒはエヴァの従僕としての忠誠を誓い、絶対服従の姿勢を取っているように――、見せ掛けた。


 四十五年前、エヴァが北の隣国エリッカヤ軍のみならず、リュヒェムの街ごと北方軍を氷漬けにしたのは彼の進言によるもの。

 軍への怨恨を晴らす目的の他、エヴァの魔力を軍部に誇示するために。


 当時、下士官以下の一兵卒でしかなかったにも関わらず、元帥に就任したゴードンに反発を抱く者――、特に士官学校を卒業した(この頃の士官学校は現在のように無償化されておらず、高い学費を払える者しか進学できなった)家柄の高い者からのゴードンへの猛反発は凄まじかった。


 彼らがゴードンに反発を抱くのは無学な成り上り者、というだけではなく。


 彼らの親兄弟達は皆、左官以上の階級――、つまりはマリアの呪詛で命を奪われたため、その多くが魔力を持つ者に恨みを抱いていたから。

 『魔法と軍事が調和する国』を目指し、大罪人マリアの遺児、半陰陽の魔女を始め、国防や内政に魔女達を関与させるゴードンの政治方針が許し難かったから。


 だが、王家の滅亡、低下しきった軍事力では、国防は元より統治自体が危うい現状、力を持つ魔女達に頼らざるを得ないのも彼らは重々理解している。

 ゆえに内心はゴードンに反発しつつ、大半の者は黙って血涙を流す思いで彼の政策を受け入れていた。


 しかし、リュヒェムに駐屯する北方軍は士官学校を卒業したばかりの若い兵が多く、反ゴードン派の姿勢をあからさまに示す者が続出。

 王都から最も離れた遠い北の地、というのも含め、魔女や魔女の疑いのある者を以前と変わらず虐げ続け、ゴードン派である上層部も彼らの蛮行にほとほと手を焼かされていた。


 ディートリッヒはエヴァと共にその北方軍を壊滅に追い込んだ後、エヴァの免罪及び北部の国境防衛の任を求めた。

 当時の戦力不足状態は四方を他国に囲まれたこの国の防衛に影響を及ぼす中、更に北方軍が壊滅した痛手は大きい。


『軍が確かな戦力を築き上げるまでは、我々のような魔力の高い者達に国防を任せた方が宜しいのではないのでしょうか』


 その、数少ない、貴重な戦力を削いだのは一体誰だ、と、怒り心頭のゴードンは当初彼の提案を跳ねつけようとした――、が。


 『理不尽な申し出ではありますが……。国の安全を第一に考えた場合、彼らに頼らざるを得ないのは事実でしょう。いっそのこと、彼らの力を利用し尽くすくらいの気持ちで任せてみるべきかもしれません』


 アストリッドの説得によりゴードンは苦渋の決断を下し、エヴァは北部国境防衛を任されたのだった。


 今日(こんにち)のリントヴルム共和国が成り立っているのは、兵力が脆弱だった軍に代わり、魔女達が国境を守り続けていたお蔭だと言うのに。

 未だに、軍部では魔女達に反発を抱く者が多いことがディートリッヒには解せない。


 マリアに国を滅亡させられかけただけでなく、氷漬けのリュヒェムやスラウゼンの大虐殺の悪影響だろうが、そもそも事の発端は国を挙げての魔女狩り、魔女狩りに付随する蛮行の数々、法で禁止されたにも関わらず魔女狩りを放任した怠慢さのせいで起きた悲劇でしかない。

 マリアが悪行の数々を犯したのも、周囲から搾取され続けた不遇極まる出自が発端と噂されている。


 凶悪な魔女や魔法使いが生まれる背景には、多かれ少なかれ軍、もしくは流されやすい愚かな民衆が関係しているという事実に目を背け、全ての責は魔女側にあると押し付ける。


 王国から共和国へと変遷し、魔力を持つ者への理解を持つ者が国の上に立ち、少しはまともになってきたのかもしれない。

 それでも、ゴードンやリヒャルトの理想とする『かつての魔法と軍事が完全調和した国家への再建』にはまだまだほど遠い。


 否、一度崩れた秩序は二度と戻らない。

 ならば、戯言めいた甘く生温い理想論など捨て去るべきだ。

 人の心に根深く刻みつけられた怨恨は、そう簡単には、場合によってはその者が生を終える時まで消えることはない。

 人で在れ、魔力を持つもので在れ、決して変わらない事実。

 それはディートリッヒ自身も同様である。


 深い確執を抱えている者同士手を組んだところで、最終的にはいずれ破綻するのが目に見えている。


 魔力を持つ者の力を借りなければ、国防すらもままならない人間ではなく、いっそのこと自分達のような強大な魔力を持つ者が国を統治すべきだ。


 そのためにはリントヴルム国軍全体を排しなければ。

 手始めに、軍の狗の筆頭、半陰陽の魔女を始末しなければならない。


 だから、エヴァの、マリアの魔法書と放浪の魔女への執着心を煽らせて彼女を呼び出した。

 東方軍に代わって東部を支配したがっていると噂のシュネーヴィトヘンも、自分達が国を手中に収める上で邪魔な存在に成り得る。


 半陰陽の魔女、シュネーヴィトヘンからマリアの魔法書、もしくは禁忌魔法の情報を吐かせた後、半陰陽の魔女の忠実な従僕諸共、この地で抹殺する。


 エヴァがマリアの禁忌魔法を使えるようになりさえすれば、南の魔女と西の魔女も倒すことができ、国軍が総力を尽くしたところであちらに勝機はない。



(貴様らが安穏とした夜を過ごせるのは、今夜が最後だ)


「何か言ったか、ディートリッヒ」


 口に出したつもりはなかったが、思念が伝わったのか。

 エヴァが不思議そうな顔をして振り返ってきた。


「いえ、何も」


 唇に薄く笑みを湛え、ディートリッヒは主に前を向くよう、それとなく促したのだった。

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