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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第三章 Red Red Red
21/138

Red Red Red(5)

(1)


 

 ――数日後――


「リヒャルト様。今から出掛けてきますので、後はよろしくお願いします。なるべく日の明るい内に戻ろうと思いますけど、もしも何か起きた場合、宿の支配人等を頼って下さい」


 灰緑色のローブに袖を通しながらリヒャルトにそう告げる。

 二つ並んだベッドの隙間にて椅子に腰掛け、アストリッドの背を見上げるリヒャルトの表情は不安気だ。

 アストリッドは、片方の腕だけをローブに通すとリヒャルトを振り返る。

「そんな顔しないで下さい、ね??」

 苦笑交じりの笑顔で、リヒャルトのさらさらとしたプラチナブロンドの髪をポンと軽く撫でる。

 アストリッドの優しい仕草にホッとしたのか、リヒャルトは幾分表情を緩めて「……はい……」と返事をした。

「ウォルフガングさんは……、あぁ、やっと寝付いたみたいですから、起こさない方がいいですね……」

 リヒャルトの後ろ側――、ベッドに横たわり、静かな寝息を立てるウォルフガングにちらりと視線を向ける。


 数日前、迷い込んだスラウゼンの森にて、瀕死状態で捨て置かれていた若き軍人ウォルフガング・シュライバー。

 全身を激しく殴打され、両手足の骨も砕かれた上、左目を抉り抜かれ――、オークの巨大樹の幹に両手足を杭に打たれていた彼を助け、スラウゼンから西へ三十㎞離れた街ライベルクの宿へと連れ帰った。

 骨折や全身打撲等の怪我は、アストリッドの治癒回復魔法で回復させたものの、左目の治癒に限ってだけ彼は頑に拒否し続けていた。

 そのため、アストリッドに保護されてから数日が経過した現在も、ウォルフガングは膿んだ傷口が原因の発熱と激痛に苦しみ続けていた。


 苦しみ、魘されるウォルフガングを見兼ね、何度も眠っている隙に治癒回復魔法を掛けようと試みた。

 その度に勘の鋭い彼は正気に返り、衰弱しきっている身体のどこにそんな力が残っているのかと思う程の強い力で突き飛ばされてしまうのだ。

 彼の素性を考えると医者に診せる訳にもいかず、せいぜい薬屋で化膿止めの塗り薬等で申し訳程度の処置を施すより他がない。

 魔法を使い、力づくで拘束して治癒回復させようかとも考えたが、今の彼の状態で治癒回復魔法以外を使うのは体力を今以上に弱らせてしまうかもしれない。


 更に、自分自身が危険な状態に陥っているにも関わらず、ウォルフガングは「リザ」という女性――、彼の恋人だろう――の、安否と行方ばかりをしきりに気に病んでいた。

 彼らの事情を(ウォルフガングが、話しが出来る状態の時に)知ったアストリッドは、動けない彼に代わって「リザ」の捜索を行っている。

「リザ」の安否を確認し、運良く見つけ出すことが出来れば――、ウォルフガングは左目の治癒回復を受けてくれるかもしれない――、という期待を込めて。


「では、行ってきます!」と、もう片方の腕をローブに通しながら、アストリッドは宿の部屋を出て行ったのだった。




 ライベルクの街は東部の交通の要衝であり、中央の王都へ続く街道が幾つも通っていることから、封建的な田舎町が多い東部に置いて一番開かれた街であった。

 ライベルク北部の森から西へと流れていくポルダ河の上には、頑強な石組みで作られたアーチ形の大橋が架けられており、橋の両端には向かい合うようにして三十件以上もの商店やカフェ等が軒を並べている。

 アストリッド達が宿泊する宿は橋の手前――、堤防沿いの一角に位置していたので、移動するには大橋の上を通らなければならない。

 店先で客を呼び込む商店の店員の声、商店への買い物客で賑わう橋の上を歩いていたアストリッドだが、ふと、背後で気配を感じて振り返ろうと、した――、が。


 彼女が振り返る前に、気配の主から「アストリッド、か??」と声を掛けられた。

 少し枯れた――、と言っても、却ってそれが色っぽく、声のみで妙齢の美女ではと予想させられる――


 振り返った先に視界に映った人物を確認し、あぁ、やっぱり、と、アストリッドは納得した。


「お久し振りです、ヘドウィグ様」


 黒いローブ姿、長い銀髪の妖艶な美女――、もとい、放浪の魔女ヘドウィグは、アストリッドに向けて艶然と微笑んでみせた。




 大勢の人々が行き交う橋の上では何だから、と、二人は橋を下り、堤防から河へと続く石造りの階段を下りていく。

 空一面が薄灰色の曇り空だが風がなく、じとりとした蒸し暑さで肌が汗ばんでいく。

 階段の一番下まで下り、じんわりと熱を帯びる石段に腰掛けた二人は靴と靴下を脱ぎ、川面に足を浸らせる。

 汗が一気に引いていく。心地良い冷たさを堪能していると、「まだ、お前は旅を続けているのか」と、隣に座るヘドウィグが尋ねてきた。


「魔女と魔法使いの国家資格を制定したところで、法の裏を掻い潜る者はいくらでもいるだろうに。ご苦労なことだな」

「うーん、確かに資格を制定しても尚、魔法を使った悪事は後を絶ちません……。まぁ、だから、せめて、自分の目の届く範囲の人々を救済できたらいいかなぁ……、という、自己欺瞞です」

「お前さんは、マリアと自分は全く違う善良な魔女、と自分自身で信じたいんだろう」

「はい。……って、世の為、人の為ではなく、結局は自分の為に動いているので、善良とは言い難いですけどね」

 あはは、と笑うアストリッドに、ヘドウィグは「別にいいんじゃないのかい。その方が押しつけがましさを感じないからね」と、にやりと含み笑いをしてみせる。

「そういうヘドウィグ様こそ、他国への諜報活動でお忙しいのでは??」

「あぁ、別にそうでもないよ。私がちょっと誘惑してやるだけで、皆馬鹿みたいにぺらぺらと機密事項を喋ってくれる」

「わぁ……、さすが、男性を手玉に取るのに長けていますね……」

「女を武器にして何が悪い。私は使えるものを最大限に利用しているだけさ」

「いえ、ここまではっきりと言い切られたら、逆にカッコいいですよ……」

「まぁ、お前さんみたいに、根が純粋な者には到底無理だろうがな」


 純粋ねぇ……、と、複雑そうに呟いた直後、ウォルフガングのことを思い出す。


「そう言えば……、ヘドウィグ様にお尋ねしたいことがあるのです」


 アストリッドはヘドウィグに、ここ数日の間に起きた出来事――、スラウゼンで私刑に処せられた軍人ウォルフガング及び、彼の恋人で彼と逃亡したリザという女性の行方等、何か情報を知らないか、と、尋ねた。


「悪いが、娘については、私は何も知らないね」


 青紫の双眸を冷たく光らせ、ヘドウィグは即答した。


「そう、ですか……」

 明らかに、肩を落としてみせるアストリッドを、ヘドウィグはちらりと横目で眺めた。

「ただ……」

「ただ?!」

 ヘドウィグに掴み掛かりそうな勢いで顔を近づけるアストリッドを、「まぁ、落ち着け」と軽くいなしながら、ヘドウィグは先の言葉を続ける。

「ここ数日の間、スラウゼンの近くに滞在していたし、街中にも入っていったが……。魔女が火炙りにされたという話は耳にしていない。と、いうことは、そのリザとかいう娘はどこかへ無事に逃げ延びたのではないだろうか」

「……だと、いいのですが……」

「それと、お前さんが保護した軍人に関しては、生家が火事になり、家族諸共に焼死したと。つまり、軍籍から抹消されただけでなく、公的に死人扱いにされたようだ」

「…………」

「だから、リザとかいう娘を探すのに躍起になるのもいいが、早い所、軍人の怪我を治してやるなり、今後の身の振り方を決めてやるなりしてやるべきなんじゃないかい??」

「……ですね……」


 雲の切れ間から薄っすらと覗く、太陽の淡い陽光が河に降り注ぎ、水面がきらきらと輝きを帯びている。

 耳に優しく響く筈のせせらぎも、落胆するアストリッドには煩わしく聞こえるばかり。


「……太陽が、少し傾き始めたようだ」

 ちゃぷんと音を立て、ヘドウィグが水面に浸していた足を石段へ引き上げて立ち上がる。

「そろそろ私は行かなくてはいけない」

「あぁ……、お忙しい中、話に付き合わせてしまいましたね」

「いや、別に構わない。久しぶりに、お前さんと顔を合わせて話が出来たのは良かった」

 ローブのポケットからハンカチを取り出し、足についた水滴を拭い、ヘドウィグは手早く靴下と靴を履いた。

「では、また、どこかで会おう」


 振り返ることなく、石段を上がっていくヘドウィグの、背を流れる銀の髪を、アストリッドはいつまでも目で追い続けていたのだった。






(2)

 去っていったヘドウィグの後を追うように、程なくしてアストリッドも川辺から堤防へと戻って行く。

 今日の所はリザの探索は中止し、ヘドウィグから聞かされた話をウォルフガングにしようと思い、宿への帰路を辿っていく。


 宿に着くとフロントで預けた部屋の鍵を受け取り、三階に位置する部屋まで階段で上がっていく。

 最後の段を上がると、深緑色の絨毯を間に、左右の壁には部屋番号が記された部屋の扉が一定の間隔を空けて並んでいる。

 廊下を歩いていたアストリッドは、「308」と記された部屋の扉の前で立ち止まり、ドアノブに鍵を差し込む。


「ただいま戻りました……」

「……ア、アストリッド様ぁ……」


 部屋に入った途端、リヒャルトがアストリッド目掛けて飛びついてきた。

 よく見てみると、アイスブルーの瞳が涙で潤み、幾分顔色が青褪めている。


「ウ、ウォルフガングさんの、熱が、どんどん上がってきて……。このままでは、死んでしまいます……!」


 アストリッドはリヒャルトを身体ごと押しのけると、ウォルフガングが横たわるベッド脇まで駆け寄った。

 ウォルフガングの顔の左半分は尋常でない程に腫れ上がり、赤紫を通り越し赤黒く変色している。

 咄嗟に手を宛がうも包帯越しからでも伝わる熱さに吃驚し、思わず手を引っ込めてしまった。

 このままでは傷口やその周りだけでなく、耳や顔全体に膿が拡がり、肉が腐り落ちていくだろう。

 色素が抜けた白い髪は汗でべっとりと濡れそぼり、額や頬に張り付いている。

 顔のみならず、全身に脂汗を大量に流し、苦痛で酷く表情を歪めるも呻き声は必死に堪える姿に、アストリッドは決意を固める。


 ウォルフガングの身体に覆い被さる形でベッドの上に跨り、治癒魔法を掛けようと――、したが、案の定、気付くと彼に突き飛ばされ、床の上に転がり落ちていた。

 すかさず助け起こそうとするリヒャルトの手を借りながら、立ち上がったアストリッドの鳶色の瞳はいつにも増して赤みを帯びているように見えた。

 本気で怒りに駆られている、と悟ったリヒャルトは、パッと手を離して全身を震え上がらせる。


「……ウォルフガングさん……、いい加減にしてください!折角、九死に一生を得たって、変な意地を張り続けて死んでしまったら……、元も子もないじゃないですか!!」

「…………」

「先程、知り合いの魔女から、スラウゼンでの貴方と、貴方の恋人の情報を教えてもらいました!」


 怒りに任せるままに、アストリッドは、ウォルフガングが公的な身分をはく奪され、死んだことにされたこと、恐らくリーゼロッテは無事に魔女狩りの手から逃れられたことを、乱暴な口調でまくし立てた。


「貴方が自分に従い、治癒魔法で左目を元に戻した暁には、ゴードン様に直談判し、貴方の身分も戸籍も取り戻させてあげます!だから……」

「……それでも、俺……は……。左目を、元に……。元に、戻す気、は、ない……」

「貴方、正真正銘の馬鹿なんですか?!」

 見兼ねたリヒャルトが、「アストリッド様、落ち着いて下さい……」と、怯えながらも、ローブの裾を引っ張って宥めようとする。

 それすら無視して、アストリッドが言葉を続けようと――


「……以前、言った……。スラウ、ゼンの、者達の……、蛮行……。奴らを、放、置する……、東方、軍の、怠慢さ……を、忘れ、たく、ない……。だが……、……リザを……、リザ、が、生きて、いる……。……可能、性、が、高い……、のであれ、ば……、探しに行きたい……」

「……言っていることが滅茶苦茶ですし、矛盾しています……」

「あぁ……、自分、でも……、分かって、いる……。だが……、これが、俺、の……、正直な……、思いだ……」


 熱で朦朧とした意識のせいでよもや錯乱しているかもしれないとも思ったが、アストリッドを射抜くように右目で見つめている。

 その鋭い眼光に、彼は正気を保っていると否でも思い知らされてしまう。


 矜持高さと意固地さは紙一重であり、彼の場合、誰が聞いたとしても、ただ頑なに意地を張り続けているだけにしか受け取れないだろう。

 それでも、心身が衰弱しているにも関わらず、強い意志を映し出す青紫の隻眼には、抗い難い力が宿っているように感じ入ってくる。



 長く、重たく、痛々しい沈黙が、しばらくの間、部屋の中を支配していた。



 やがてアストリッドは、根負けしたように、一つ、大きく息を吐き出した。


「……では、こうしましょうか。貴方が、自分の従僕になってくれるなら……、どちらの願いも聞き入れてあげましょう。自分の旅に付き従いながら、恋人の捜索を行う。左目の傷は治しても眼球は元に戻しません。代わりに、従僕の証として自分の血で作り出した魔血石を埋め込むと言うのはどうでしょう??そうすれば、性愛術を用いなくても貴方に従僕としての魔力を与えられます。また、恋人が見つかり次第、魔血石を取り外せば従僕の契約も簡単に解除できますしね」


 アストリッドの答えが意外過ぎたのか、二人の動向を恐る恐る見ていたリヒャルトが「えっ?!嘘?!」と、素っ頓狂な声を上げた。

 慌てて口元に両手を押し当て口を噤んだリヒャルトに、思わず頬を緩めていると。


「…………考えておく…………」


 ぼそぼそと消え入りそうな小さな声で、ウォルフガングが呟いた声を、確かに耳で拾った。

 しかし、彼の方に視線を移した時には、長く喋ったことで疲れたのか、すでに目を閉じてしまった後だった。

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