Ray of Light(18)
(1)
窓を開け放し、幼い少女は白い窓枠から身を乗り出した。
栗色の大きな瞳は結界の薄緑に染まる街の遥か外側、幻獣達が飛び交う上空を見つめている。
その瞳には恐怖など一切宿らず、好奇心に満ち溢れていた。
「ねぇ、ママァー、見て見て!お空から竜さんがいっぱい落ちてくるよー」
ふわふわの巻毛を肩で揺らし、部屋に入ってきた母親を振り返る。
窓から転落しそうな態勢の娘を目にするやいなや、母親は小さく悲鳴を上げた。
しかも、今は外出禁止令中で白昼での市街戦の最中。
いくら上空への攻撃一辺倒とはいえ、いつ攻撃の余波が民家に流れてくるとも限らない。
抱えていた洗濯物を放り出し、すぐさま娘に駆け寄り窓枠から無理矢理引き離した。
「危ないでしょ!早く窓を閉めなさい!!」
床へ降ろすなり、窓硝子が割れやしないか心配になる程の勢いで窓を閉める。
娘は母の剣幕など意にも介さず、窓の外――、今度は上空へ向かう無数の光線を指差した。
「あれ、きれいだねぇー、花火みたい!!」
地上から上空へと放たれる光線は一直線だったり緩やかな放物線を描いていたり。
色も赤、青、緑、橙、紫……と、様々だ。
「何言っているの!あれは花火なんかじゃないわ!」
「えー??じゃあ、なーに??」
「何って、あれは……」
答えを今か今かと、頬を緩めて待つ娘にどう教えたものか。
逡巡した後、少し迷いながらも答える。
「あれは……、兵隊さんと魔女さんが一緒になって私達を守ってくれているの。私達のために一生懸命、悪い魔法使いと悪い竜さんをやっつけようとしてくれているのよ。」
「アナ達のために??」
「そうよ。ママとアナがこうやっておうちでおはなししていられるのは、兵隊さんと魔女さん達が頑張ってくれているおかげなの。だから、頑張って!って、応援のお祈りしましょ??」
「うん!わかった!!」
娘は大きく頷くと、鍵まで閉められた窓の外に向かって大きく手を振った。
「魔女さん、兵隊さん!!アナたちのために頑張ってねぇぇー!!」
(2)
虹色の光と共に、アストリッドとウォルフィの姿が消えると、ヘドウィグとシュネーヴィトヘンを守る薄緑が弾け、宙に霧散した。
薄緑の残光は宝石の欠片の如く煌き、シュネーヴィトヘンの血で汚れた白い頬の上に落ちてくるのをそっと払いのける。
けれど、いつまでもそうしている訳にはいかないと、ヘドウィグは意を決して立ち上がり、転移魔法を発動させた。
先程のアストリッド達同様、虹色の光が足元から螺旋を描くように天井へ上昇し、光の中で徐々に姿を消していく。
「行ったのね……。……さ、貴女をレオノーラが待つ救護室に運ぶわ。抱えた時に痛むかもだけど我慢して頂戴な」
ハイリガーはシュネーヴィトヘンに近づき、壊れ物を扱うように背中に手を宛がい、ゆっくりと半身を起こしてやる。
優しく丁寧な手つきのお蔭で、多少は痛がりつつもシュネーヴィトヘンは身を起こすことができた。
「は、ハイリガー、様……」
「えー??なあに??」
「い、一、に、分だけで、いいから……。少し、このまま、で、居させて、も、もらえ、ない……??」
「え……、別に、いいけどぉ」
突然の頼みに戸惑い、ハイリガーはエヴァと顔を見合わせる。
四十㎝以上の身長差ゆえハイリガーはエヴァを見下ろし、エヴァはのけぞって見上げる形であったが。
シュネーヴィトヘンは言葉を途切れさせ、囁くように何やら呟いている。
唇の僅かな動きからハイリガーは呟きの意味を読み取り、肩で大きく息をついた。
「ちょっと、リーゼロッテちゃん……。無理は禁物でしょぉ?!」
目尻を吊り上げて咎めるハイリガーにちらと視線を送り、ごく僅かに唇の端を引き上げてみせれば、「まったくもう!」と叱責が飛んでくる。
「何を怒っているんだ、南の魔女」
「瀕死状態の癖に結界強化の詠唱なんかしたからよ!」
「はぁ?!貴様は馬鹿か!!僅かとはいえ、ただでさえ失った体力を更に消耗させてどうする!!」
エヴァにまで叱責され、『煩いわね』と言い返す代わりに眉間に深い皺を寄せてみせる。
その表情がまた、機嫌を損ねた時のウォルフィと余りによく似ているものだから、ハイリガーとエヴァは呆れて閉口してしまった。
「……やれやれ、夫婦は互いに似てくるって言うけどぉー、アンタ達ほんとそっくりすぎよぉー、特に意固地なところが!!……ま、ヤスミンの意思の強さも間違いなくアンタ達の血を受け継いだ故よねぇー」
わざと大仰に溜め息を吐き出すと、ハイリガーはシュネーヴィトヘンを抱えて立ち上がった。
――時、同じ頃――
「……はっくしょん!」
日焼けと経年劣化で黄ばんだ石壁がカタカタ音を立てて揺れる最中、小さなくしゃみが飛び出した。
まだ霧消しきれていない赤黒い靄は振動で掻き消され、代わりに橙色の残光がそう広くない石造りの空間にきらきら散らばっていく。
窓際の台座に固定された重機関銃の銃口から発射された閃光は僅か数秒で結界を越え、上空へ到達。
狙いをつけていたセイレーンの左翼を貫いた。
自らトリガーを引いておきながら、射手は信じられないと口をポカンと開け、弾薬交換手と共に結界にぶつかりながら落ちていくセイレーンの姿を眺めていた。
二人の後ろではよっし!と叫び、ガッツポーズを決めるヤスミンの姿があった。
「あぁ、ちゃんと機能してくれて良かった!重機関銃の魔法銃化は初めてだったから、ちょっと心配だったけど」
「え?!これで初めてなのか!?」
「あ、はい」
「階下から飛ばされる光弾……、お嬢さんが魔法銃に変化させたものか」
「はい。あ、ただ、ギュルトナー元帥閣下と共同で、ですが……」
「閣下と共同作業だって!?……余程、お嬢さんは優秀な魔法の使い手と見受けられる」
すごいな、と呟く射手に、へへ……と照れ笑いで返す。
結界強化の思念を送った直後、リヒャルトから送られてきた思念――、兵達の銃器を魔法武器へと変化させて欲しい――、を受け、幻獣討伐に出動した兵達の元へ転移しては魔法武器化させるのに奔走していた。
「特に問題もなさそうですし、他の砲塔にも行かなきゃいけないので……、これで失礼します!!」
射手と交換手に敬礼、詠唱したヤスミンの身体は瞬く間に虹色の輝きに包まれ、消失していく。
ヤスミンの姿が完全に見えなくなると、「まさか、人間ではなくて幻獣相手に闘う日が来るとは……」と、ぽつり、射手が呟いた。
「俺達だけなら街はとっくに幻獣共に破壊されていた。魔女達が防御結界発動してくれているからこそ、安心して一斉攻撃に出られるんだよな……」
射手はちらり、魔法銃と化した重機関銃から交換手に視線を流した。
彼が何を言わんとしているか、汲み取った交換手は黙って頷き返す。
「元帥閣下が掲げる理想、今なら真に理解できそうな気がするよ」
フッと、小さく笑い合い、二人は再び射撃態勢に入った。
(3)
「リーゼロッテさんを救護室に運んだ後、ハイリガー殿には結界強化と幻獣への攻撃を、エヴァ殿には魔女の刑務所で受刑者達への結界強化要請と撃墜された幻獣の氷結化を思念を通じて命じました」
「うむ、ご苦労だった」
黒鉄の地面を滑るように、リヒャルトが握るチョークの白が円陣を描いていく。
記号や複雑な文様が描き足され、魔法陣の完成が近づく中、フリーデリーケは彼が立ち上がるのを待っていた。
腕に魔法剣を抱えながら。
地上、砲塔、城壁から幻獣への総攻撃の只中、彼らの周囲だけ流れる空気が他とは違う。
リヒャルトが魔法陣を描く間にも、魔法銃の光弾が各地点から結界の向こう側へと間断なく発射される。
ヤスミンが魔女達に送った思念で結界の防御力は格段に強まり、また、彼女と共同での武器変化を行った結果、幻獣の数は激減していく。
撃墜された幻獣は落下途中でエヴァによって氷結化した上で粉砕され、地上にぶつかる頃には細かな氷粒化すので、落下時の巻き込み事故の心配もない。
だが、まだ、殲滅には程遠い。
「……これで良いだろう」
完成と共にチョークを投げ捨て、立ち上がる。
振り返るよりも早く、フリーデリーケが魔法剣を丁重に差し出す。
無言で受け取るなり鞘から引き抜き、鈍色に光る剣先を黒鉄の地面に突き立てる。
金属同士がぶつかり、擦り合う硬質な音が高らかに鉄橋に響き渡った。
フリーデリーケへと視線を走らせる。
このために、彼女を元帥府内から鉄橋へと呼び出したのだ。
「失礼致します」
フリーデリーケは柄を固く握るリヒャルトの手の上に自らのを、そっと重ねた。
「詠唱文は分かるか」
「はい」
「ならば行くぞ」
「御意」
同じ声の大きさ、調子、タイミング。
寸分のずれなく声を揃え、同じ詠唱を粛々と詠う――
結界の端から端を、円を描くように旋風が吹き荒れる。
旋風は結界を周回するごとに速度を増し、竜巻へと変化していく。
風の渦に巻き込まれ、木々の枝葉が竜巻と共に上昇し、空に舞い上がった。
枝葉と同じく、撃墜され氷粒と化した幻獣達の残滓もまた、きらきら銀の光を輝かせては上昇していく。
徐々に近づいてくる竜巻を避けるべく、残る幻獣達は更に上空へ――、その上空には黒く巨大な雷雲が拡がり、低く唸るような雷鳴が小さく鳴っている。
上にも下にも行き場を失くした幻獣達は、成す術もなく雷雲と竜巻の間を、蒼から薄闇色の染まりゆく空を右往左往と飛び交う。
追いつめられ、最後の抵抗を示すべく炎や氷を噴射し、超音波のような歌声を奏で――、世界が暗転と同時に静寂に支配され――
雷神の怒りを具現化した激しい雷鳴が王都全域に轟き、一閃した青白い稲妻は無数に分かれ、全ての幻獣の上へ落雷した。
稲光が瞬く暗闇で、耳を劈く断末魔の咆哮が雷鳴と混ざり合う。
「殲滅成功ですね」
「一応、というところだがね。……イザークが討ち取られない限り、再び幻獣が召喚されるだろう」
剣の柄を握り、重ね合わせた掌はそのままに。
リヒャルトとフリーデリーケは次々と墜落していく幻獣達と、ごろごろと鳴り続ける雷雲を注意深く見つめていた。
しかし、どれだけ時間が経過しようとも、新たな幻獣が召喚される気配はなかった。