Ray of Light(14)
(1)
半ば強制的に座らされた円卓の椅子は、ヤスミンが使うには少し大きすぎに感じた。
この年頃(の容姿)にしてはそんなに背が低くくない、どちらかと言えば高い方ではあるけれど、座面に深く腰掛ければ足が浮き上がりそうになる。
仕方なく足を宙でぶらぶらさせ、周囲が慌ただしく動き出す様子をぼんやりと眺めていた。
涙は止まったものの、目の周りや鼻の下、頬が乾燥してヒリヒリと痛む。
先程までずっと泣いていたカシミラはもっと痛いかも、と、彼女を抱くフリーデリーケへと視線を移す。
湯で湿らせたガーゼでカシミラの顔を拭いつつ、フリーデリーケは各将軍達と話し合っていた。
少し離れている上に声を落としているため、詳しい作戦内容までは聞き取れない。
輪の中心から外れてはいるが、ウォルフィは彼らの話に耳をそばだてている。
自分だけが蚊帳の外、置き去りにされている。
だが、戦闘経験の浅い自分は足手まといにしかならない。
悔しさ、居たたまれなさに堪らず彼らから目を背け、項垂れ、歯噛みする。
ヤスミンの視界に映るのは床一面に敷かれた、上質な絨毯の幾何学模様のみ。
基調となる色が白地だからか、照明器具の光に当てられ本来の白ではなく黄色味を帯びて見える。
(……あれ??)
絨毯の色が黄色味だけでなく、薄青や薄桃、薄緑、薄紫まで入り混じり、違和感を覚え、顔を上げる。
すると、先程自分達とズィルバーンが転移してきた扉の前が、再び虹色に輝いていた。
フリーデリーケ達は話を中断させ、緊張と警戒で強張った顔で光を見つめていたが、光の中から現れた人物を確認すると座っているヤスミンとズィルバーン以外の全員が光を取り囲んだ。
「アストリッド」
「アストリッド殿」
「半陰陽の魔女殿!!」
「ちょ、ちょ、ちょっと、皆さん、よってたかって集まられたら、何か怖いんですけどっ!!」
ウォルフィを始め、口々に名や二つ名を呼びながら囲まれたアストリッドは少々引き気味に光の中から出てきた。
「アストリッド、その傷は」
「あぁ、これですかー??名誉の負傷ってやつですよー、あははー」
前髪から覗く傷跡を擦り屈託なく笑うが、つられて笑う者は誰一人としていない。
「あ、暴動は何とか収束しましたのでご安心くださいねー……って、でも、王都上空には幻獣達がうじゃうじゃいますから、中央軍の皆さんには手持ちの武器を魔法武器に変えてもらって、殲滅してもらわなきゃいけなくなっちゃいましたが。あと、結界張る範囲が広過ぎますから、王都中の魔女達にも協力要請してもらわないと、です。……あ、もしかして、また何か問題発生ですかー??」
笑顔は変わらないが鳶色の瞳は笑っておらず、緊張と焦燥の色が宿っている。
ウォルフィやフリーデリーケ達の表情から最悪の事態が起きたのだと読み取れてしまったから。
「さすがに愚問でしたね、すみません。おそらくは、暴動の隙をついてアレが元帥府内に侵入した、のですね」
「気付いていたなら無駄なお喋りはやめろ!」
「……あぁ、ここまでウォルフィの気が立っている、ヤスミンさんやカシミラちゃんがこの部屋にいる、ということは、」
アストリッドから笑顔が完全に消え去り真顔に切り替わるやいなや、いきなりウォルフィの腕を掴み取った。
思いの外強い力に引っ張られ、ウォルフィはつんのめりかけながらアストリッドの直ぐ傍へと引き寄せられる。
同時に二人の足元から虹色の光の渦が勢いよく天井まで発光し、たったの数秒で消失していく――
二人の姿が小会議室から消えるのを見計らうかのように、将軍達も小会議室から去っていき、この場にはフリーデリーケ、ヤスミン、カシミラ、ズィルバーンが残った。
「…………あ、あの…………」
「何」
「フリーデリーケさん、は、ここに留まっている、んですか……??」
「えぇ」
「…………閣下の許へは」
「貴女達だけをこの部屋に残しておく訳にはいかないでしょう」
「…………」
あぁ、まただ。
また、護られるだけの、無力な存在に。
護られるだけなのは、もう、嫌、なのに。
護られる、だけ、なんて――
「フリーデリーケさん」
二度目の問いかけで、フリーデリーケはヤスミンにしっかりと身体ごと向き合ってくれた。
恐らく、一度目の時よりも声が大きく、何かしらの強い意思を感じ取ったからだろう。
「……私に、やらせてください。他の魔女達に結界強化の協力要請するための思念を、私に送らせてください。それと……」
「それと??」
「私に、皆さんが所持する銃とか武器を、魔法武器に変化させるお手伝い、させてください。お願いします!」
「…………」
「戦闘の前線に立つには、私じゃ足手まといになって却って皆さんに迷惑掛けてしまいます……。だから、せめて、戦う人達を支援するという形で、戦わせて欲しいんです!!」
熱が籠る余り、気付かぬ内に椅子から立ち上がっていた。
隣に座るズィルバーンはヤスミンの真剣さに気圧され、呆けた顔で彼女を見上げる。
フリーデリーケの醒めた様子は依然変わらない。
心臓がバクバクと跳ね、胸がぎゅうぅと締め付けられる。
喉はカラカラに渇き、これ以上喋ろうものなら舌が回らず、上手く話せない、かもしれない。
沈黙の時間は長いようで短いのか。
短いようで長いのか。
フリーデリーケが目を伏せて嘆息するまで、沈黙は永遠に続くのではと思わされた。
「……分かったわ。武器変化に関しては私の判断だけでは許可はできない、けれど、思念を送る方はヤスミンさんに任せるわ」
「本当ですか?!」
「あぁ……、任せるわ、なんて言い方は良くないわね」
ヤスミンに、というより、ひとりごちるように言うと、フリーデリーケはヤスミンの傍まで近づき、そっと肩に手を添えた。
「ヤスミンさん、思念を送っていただけますか。お願いします」
(2)
触手の新たな攻撃によって遂に結界上部に僅かな罅が生じた。
「あぁ!!」
「はっはっはっはっ!!」
高笑いするイザークを、眼力だけ殺せるのでは思う程にエヴァは鬼気迫る顔で睨みつける。
「貴様ら!いつまでぐだぐだやっている!!解除するならする!しないならしないではっきりしろ!!」
焦りを含んだエヴァの怒声を尻目に、シュネーヴィトヘンとヘドウィグは睨み合うかのように無言で向き合っている。
封じ込めた魔力をリヒャルトの許可なく勝手に解除していいものか。
解除したことで己だけならいざ知らず、シュネーヴィトヘンが何らかの罰を受けなければいいのだが――
「ヘドウィグ様」
黒曜石の瞳が焦れたように見返してくる。
さりげなく視線を逸らせば、もう何度目か知れない触手の攻撃で結界が、床が、激しく振動する。
振動によろめきながらも、シュネーヴィトヘンは懇願の姿勢を崩さない。
「ヘドウィグ様、お願いです。このままでは……」
「…………」
エヴァが水蛇でも召喚したのか、全身にぬめり気を帯びた巨大かつ細長い生物がズルズルと床の上を這う音、次いで、口からを何かを噴射させる音が背中越しに届く。
それも束の間、その何かが握り潰されビシャァ!と体液のようなものを撒き散らす音に、背筋が薄ら寒くなった。
一部始終を目撃していたシュネーヴィトヘンは美しい顔を歪め、唇を戦慄かせている。
「あはははは、無駄ですねぇ!!」
「ちぃっ!!」
時間が経過する程に追い込まれていく状況――、やはり、背に腹は代えられない、か……。
どこか諦めたような顔でヘドウィグは、シュネーヴィトヘンに向けてワンズの先を翳し、短く詠唱した。
「ありがとうございます、ヘドウィグ様」
「…………」
「おい!魔力が戻ったならばとっとと動け!!」
水蛇を潰された悔しさで歯軋りしつつ、エヴァはちらり、二人を振り返る。
「言われなくてもそうするわよ」
エヴァに、というよりも、まるで自分に言い聞かせでもするように、シュネーヴィトヘンは小さく詠唱した。
何の魔法を発動させたのか、気付いてしまったヘドウィグの顔色が一変する。
虹色の輝きに包まれたシュネーヴィトヘンに手を伸ばすが、一瞬の遅れで掴み損ねてしまった。
「待て!ロッテ!!」
「貴様!何を考えている!?」
結界外へと瞬間移動したシュネーヴィトヘンの背後から、二人の叫びが耳に痛いくらいに突き刺さってくる。
「おやおや、リザ様。自ら僕の前に出て来てくれるとは!何とも嬉しい限りですねぇ!!」
シュネーヴィトヘンが結界外に出てきた途端、イザークは触手を瞬時に消失させた。
だが、触手の消失と入れ替わりに、結界の前後左右を飲み込むかのように床から天井高く、炎の高波が噴き上がる。
エヴァとヘドウィグが慌てて結界強化を詠唱し、荒れ狂う波濤のような炎から身を守る中。
喜色に満ち溢れた声とにやにやと厭らしい笑顔。
腕を拡げ、イザークは一歩、二歩とシュネーヴィトヘンへと近づいていく。
炎の波は、イザークがシュネーヴィトヘンの元まですんなりと進めるよう、彼らを避けるようにざあぁぁと左右に分かれていく。
炎で彩られた花道を役者のごとく悠然と歩むイザークを睨み据え、シュネーヴィトヘンは呟くように詠唱する。
天井――、イザークの後ろ頭ら辺に、黒く邪悪さを纏う影がしゅるしゅる、不気味な形を成していく。
気付いていないのか、否、気付いていながらあえて知らぬ顔をしているのだろう。
イザークはニヤニヤと不敵に笑い続け、シュネーヴィトヘンへの歩みを止めようとしない。
エヴァが鋲型の氷柱が飛ばしてきたが、イザークに直撃するよりも先に、彼が発生させた火の玉が氷柱を飲み込んでは溶かしてしまう。
「あははは!貴女方程度で僕に勝とうなどおこがましいのですよ!!リザ様も!!無駄な足掻きはやめて大人しく僕の伴侶に収まればいいんですよ!!」
「……私の伴侶は、後にも先にも、ウォルフガング・シュライバー只一人よ!死んでもお断りだわ!!」
シュネーヴィトヘンの叫びと共に、イザークの頭上にいた黒い影――、首のない身体だけの騎士が、顔と同じくドーランを塗りたくった白い首に狙いを定め、天井から落下しながら大剣を振り下ろす――
「だから無駄だと言っているじゃないですか!!」
首と胴が分かたれる寸前、イザークは後ろへと素早く飛びずさり、軽々と剣を躱した。
炎の赤を反射させ、赤く鈍く光る剣を首なし騎士は床を叩き斬る勢いで着地し、今度はイザークの胴を狙うべく斬りかかった―――、ように、見せ掛け――、騎士は、イザークの横を擦り抜けた。
一瞬の後、イザークの顔から笑いが引いて静かになり、エヴァとヘドウィグの悲鳴が炎と黒煙に飲み込まれていく。
細い肩から豊かな胸にかけて凶刃の切っ先が走る。
炎の赤に支配された空間にも朱が走る。
次の瞬間、首なし騎士は黒い霧と化し、跡形もなくそこら中へ霧散した。
室内の全ての時が止まる。
かつての異名通り、血塗れの白雪姫となった女が満足そうに、口許を緩ませた、以外は。
「ロッテ!お前、まさか……!!」
「…………そ、の、まさか、よ…………」
今にも膝から崩れ落ちそうなのに耐え、かつての師が狂ったように喚き散らす声を背に、目の前のイザークに、ゆらり、指を差す。
ぶるぶると大きく震え、激しくぶれる細い指先を。
「……い、くら、おま、え、でも……、死の、死の、のろ、呪い、には……あらが、え、ない、は、ず……」
「ロッテ!!」
息も絶え絶えに、呪詛の言葉を吐きつけようとした、まさにその時だった。
思うところが多々あるかもしれませんが、次回まで待っていただけたら……と思います。