Ray of Light(10)
(1)
床に転がった贋物、もとい、イザークは起き上がるどころか身動き一つしない。
ただ、にやにやと嘲笑うのも止めようとしない。
イザークから一瞬たりとも視線を外すことなく、ヤスミンは新たに詠唱した。
シュネーヴィトヘンの足元から頭頂部に掛けてが薄緑色に光り輝き始め、数秒の後、巨大なしゃぼん玉の中へとルドルフと一緒に閉じ込められてしまった。
「ヤスミン!!」
泣き止まないカシミラを抱き、淡く光る薄緑の膜を必死に叩く。
膜は拳の動きに合わせ、ぽよん、ぽよんと跳ねて拡がるが決して破れはしない。
拳に力を入れれば入れる程吸収するかのように柔らかく跳ねるのみ。
「ヤスミン!ここから出しなさい!!」
「ダメよ!ママは今、魔力封じられているんだから!!」
母の叫びに振り返ることなくヤスミンも負けじと叫び返す。
こればかりは母の言葉に従う事などできる筈がない。
「だからって!この男は……」
シュネーヴィトヘンの拳の動きが止まり、表情が凍り付いた。
対して、ヤスミンの目付きの鋭さは益々戦闘時のウォルフィそのものに変わっていく。
小さな狼と化したヤスミンが短く詠唱すれば、赤黒い靄が瞬く間に霧のように室内に立ち込めた。
靄と薄緑の膜の中でシュネーヴィトヘンの叫ぶ声は更に大きくなる。
視界が靄で塞がれている隙にイザークが立ち上がりでもしたら。
嫌な想像ばかりが脳裏を過ぎる。
そういうところがまだ詰めが甘いのよ!という、心配と苛立ちで心臓が握りつぶされるように痛む。
予想に反して靄は思った以上に早く晴れてくれた。
だが、もう一つの予想は当たってしまい、叫びは悲鳴に切り替わっていく。
「ヤスミン!今すぐ、どこでもいいから転移して逃げなさい!!」
靄が薄れてゆく中から現れたのは、短機関銃型の魔法銃を腕に抱えるヤスミンと――
エドガーから、血のように赤い髪と瞳を持つ燕尾服姿の美青年が母子の前に立ちはだかっていた。
シュネーヴィトヘンの足元でルドルフが、ゔぅ……と低く唸り、カシミラは反り返る勢いで激しく泣き喚く。
「あぁ、喧しいことこの上ないですねぇ……。これだから赤子は嫌いなんですよ!」
にやにや笑いは変わらずとも、カシミラの泣き声に少なからず苛立っているのは声色からはっきり汲み取れた。
シュネーヴィトヘンはカシミラを抱く腕に力を込め、庇うべく徐にイザークから背を向ける。
同時にトリガーが引かれる音、シュン!と光弾が放たれる音、イザークが床に崩れ落ちる音が背中越しに届いた。
驚いて振り返れば、うつ伏せで倒れるイザークの姿が。
「ヤスミン……」
「パパもアストリッド様もいないから、ママ達は私が護るの!!」
シュネーヴィトヘンに向かって、と言うよりも、まるで己に言い聞かせ、また、発奮させるようにヤスミンは叫んだ。
「……は、はは、はははは。これは大層威勢のいいことで……!」
「なっ?!」
光弾が貫通した腹部を抑えながら、むくり、立ち上がるイザークにヤスミンは一歩後ずさる。
しかし、恐怖を振り払うと、先程よりも笑みを濃くした顔面を容赦なく光弾で撃ち抜いた。
潰れた頭部から思わず目を背ける。
気を抜けば魔法銃を取り落としてしまいそうなくらい、手が、全身がガクガク震えている。
「ひっ……!」
うつ伏せに倒れているイザークの四肢が黒く長い触手に変化し、ヤスミンへと伸びていく。
迫り来る触手に続けざまに光弾を浴びせ、がむしゃらに抵抗するものの。
触手は次から次へと伸びてくるのでキリがない。
唯一幸いなのは、シュネーヴィトヘン達を護る防御膜がしっかり機能していること。
触手が膜を破ろうと迫ってもぽよんと跳ね返し、成す術なさそうに膜の周りをぐるぐる回ることしかできずにいるからだ。
「ふふふ……、ははは……。はっはっはっはっ!!」
触手攻撃を繰り出しながら回復魔法を施していたのだろう。
イザークは寝返りを打つようにごろんとうつ伏せから仰向けへと態勢を変えた。
「素晴らしい!実に素晴らしい!!さすがはリザ様と、かの従僕の血を引くだけのことがありますねぇ!!」
「何で死なないのよぉ!?!?」
最早ヤスミンの悲鳴は涙交じり。
それでも引き金を引く手を止めるどころか、寸分の狂いなく触手を打ち抜き続けるのはやはり両親から受け継いだ気質、才能に寄るところか。
「もうやめて!!お前の狙いは私なんでしょう!?ヤスミンも!逃げてって言ってるでしょ?!」
防御膜の中ではシュネーヴィトヘンが今にも泣きそうになりながら叫び散らしては膜を叩き続けている。
追いつめられる恐怖の中、身を挺して戦う娘の姿を黙って見ているしかないなんて。
どんな凄惨な拷問を受けるよりも耐え難い。
否、これこそが拷問そのものだ。
もしかしたら、これが自ら犯した大罪への罰なのだろうか??
「あっはっはっは!いいですか、貴女がこのような目に遭うのは、半陰陽の魔女が僕をこの国に呼び寄せたからですよ!!だって、僕はあの者の実の父なんですから!!」
イザークが喜々として叫んだ言葉で現実に引き戻され、シュネーヴィトヘンに冷静さが蘇る。
散々追いつめた末に更なる揺さぶりをかけるなんて!
しかし、ヤスミンの引き金に掛けていた指の動きが止まる。
その隙をつき、触手は魔法銃を叩き落とし、残りの触手達がヤスミンの手足を絡めとった。
「いやぁ!!!!!」
母娘の悲鳴が重なると、イザークは半身を起こし一際大きく哄笑した。
「はっはっはっはっ!!恨むなら半陰陽の魔女を恨みなさい!!彼女と関りさえしなければ」
「バッカじゃないの!!」
黒い触手に両の手足をぐるぐるきつく巻きつかれたヤスミンは、引き倒されないよう踏ん張っていた。
力に対し力で抵抗するせいで白い頬を真っ赤にさせ、ぎりぎりと歯を食いしばって。
「アストリッド様がどれだけ皆の為に身を削って生きているのか、傍で見ていて分かんない程愚かじゃないわよ!あんたがアストリッド様の親??だから何なの!!大体、本当にあんたと共謀していようものならパパが真っ先に撃ち殺しているわ!!って、きゃあ!!」
「ヤスミン!!」
叫び終わるか終わらないかで遂にヤスミンは触手の力に負け、引き摺られるように床に強く引き倒された。
絨毯が敷かれているとはいえ、全身を強打すれば痛みは避けられない。
ヤスミンの短い悲鳴とシュネーヴィトヘンの泣き叫ぶ声、カシミラの泣き喚く声、女達の声を掻き消す勢いのイザークの哄笑が室内にぐわんぐわん反響する。
諦めることなくヤスミンは状況打開を図るべく何かを詠唱しようと――、したが、新たな触手が口元に伸びてきた。
両手足が絡めとられている以上避けることすらできず、あえなく口まで塞がれてしまう。
「仔犬と戯れるのもそろそろ飽きてきましたねぇ……」
ヤスミンの口を塞ぐ触手が鼻まで覆い隠してくる。
イザークが何をする気なのか。
瞬時に理解したシュネーヴィトヘンは膜を叩くだけに収まらず、両足を使ってしきりに蹴飛ばし始めた。
当然、防御膜は破れるどころか僅かな穴すら空くことはない。
カシミラを落とさないようにだけはしつつ、決して破損しない膜を破るべく暴れるシュネーヴィトヘンの姿が滑稽に映るのか。
イザークは道化のパフォーマンスでも見物するような目で愉しそうに眺めている。
「白雪姫への仕返し、第一弾始めましょうか!」
触手の禍々しい黒がヤスミンの柔らかく白い頬にぐっと深く食い込んだ。
(2)
虹色の閃光がイザークとヤスミン達の間を切り裂いていく。
いつになく強い輝きを放つ虹色にシュネーヴィトヘン、ヤスミンだけでなく、イザークの視界までもしばし奪われた。
触手は眩さにあてられて消失し、閉じた瞼の隙間から漏れ入ってくる光に気を取られること十数秒。
そっと開いた赤の瞳が捉えたものは――
「チビッ子魔女のねーちゃん、生きてるかー??」
「……チビッって言うなぁ……!」
「はん!口答えできる元気があれば充分だな!」
触手から逃れ、床に膝をつくヤスミンを支えるズィルバーンに、二人のやり取りに呆れ返っているエヴァ。
そして――
「将校になりすまして難無く入り込むとはね、相変わらずよくやるよ」
イザークに指揮棒型のワンズを差し向ける、顔の右半分は妖艶な美女、左半分は焼け爛れた顔の、アンバランスな風貌をローブで隠すことなく露わにさせるヘドウィグの姿があった。




