Burn the Witch(17)
(1)
室内に充満していた赤黒い靄が霧消し、男の腕の中で蠢くそれを見た彼の饒舌な語りは打ち止められた。
舌を凍らせて固まる彼を、氷柱のような薄青の瞳が冷たく見下ろしてくる。
男は形の良い唇を歪め、くつくつと笑う。
「ご安心ください。生後間もないのでまだ稲妻を放つことはありません」
「そ、そうか」
「この緑竜を召喚したのは貴殿に献上する為です。ごく一部とはいえ、私に北方軍の指揮権を託して下さった、ささやかな御礼ですよ」
男は笑いながら、彼に緑竜を受け渡してきた。
高く結い上げた焦げ茶色の長い髪が肩からさらりと流れ、彼の手に触れる。
恐る恐る抱き上げれば、玉虫色の鱗は鋼のように固く、気をつけて触れなければ肌を傷つけかねない。
「育成方法ですが……。聖獣と言えど、根本は一般の畜生風情と大差有りません」
「と、言いますと……」
「厳しい躾を施してください。竜に歯向かわれれば最悪命を落とします。そうならないために、人に逆らうことがなきよう人への恐怖心を植え付けるのです。反抗心すら抱けぬくらいに」
男が手を伸ばすと、緑竜はじゃれて噛みつこうとした。
幼さゆえの無邪気な行動にも、男は容赦なく平手で口元を強く叩いてみせた。
きゅう、と子犬のような声でか細く啼かれても、男は顔色どころか眉一つ動かさない。
「ご理解頂けましたか??――少将閣下。緑竜の育成に成功すれば、使い勝手の良い駒として使役できます。有事の際にも役立つことでしょう」
端正な顔に非情さを湛える男――、ディートリッヒに気圧され、クレヴィング少将はただ頷くより他がなかった。
「ポテンテ少佐、よくぞお戻りで!!」
薄緑色の光――、防御結界に護られる中、側近と護衛は口々にフリーデリーケの名を呼んだ。
だが、彼らはフリーデリーケの復帰を喜びつつ戸惑いと警戒心を抱いていた。
その証拠にリヒャルトは彼女のすぐ傍らに近付いたものの、他はやや距離を空けて二人を囲み、敬礼を送っている。
二人は視線をそれとなく投げ掛け合う。
フリーデリーケは『私は構いません』と目線で答えてくれた。
「諸君らが戸惑いを見せる理由、おおよそ理解している。ポテンテ少佐が魔法を発動させたからだろう??」
「は、はっ……」
一同は、リヒャルトとフリーデリーケ、交互にちらちら、忙しなく視線を巡らせた。
居心地悪そうな彼らとは対照的に、フリーデリーケは落ち着き払った様子でリヒャルトの言葉の続きを待っている。
「彼女は私と同じく、軍人である同時に魔女でもある。そして、私の副官を務める傍ら、『密偵の魔女』としてこれまで陰ながら働いてくれていた」
あっ!という声が上がり、続いてどよめきが沸き起こった。
それでもフリーデリーケは顔色どころか眉一つ動かさない。
「私について思うところは多々あるでしょうが、この件に関しては一旦話を終わらせてもよろしいですか」
側近や護衛達に拡がる動揺を止めるべく、鋭く言い放つ。
様々な意味合いが込められた視線を浴びせられるが、構ってなどいられなかった。
「閣下。件の児童養護施設跡地にて不審な動きが見られました。あの時――、我々が暗黒の魔法使いから襲撃を受けた日と同じく、禍々しく不気味な赤い光が何度も発光するのを、窓越し遠くではありましたが確認したのです」
「何と!よもや暗黒の魔法使いが復活したとでも仰りたいのですか?!」
「ヘドウィグ殿とエヴァ殿は一体何をしておられる?!」
リヒャルトよりも先に、側近や護衛達は口々に叫び散らした。
中にはフリーデリーケへ非難混じりに叫ぶ者も。
再び騒然とする室内で冷静さを保っているのはフリーデリーケとリヒャルトのみ。
「……諸君、静粛にしたまえ」
一段と低い声で静かに穏やかに――、かつ、威圧感をたっぷりと含ませて。
リヒャルトの一言で室内は波を打ったように静寂が落ちた。
「ハイン大尉」
「はっ!」
「君の隊に属する者達を緊急招集し、児童養護施設跡へ派遣しろ。カルツ中尉達は、府内及び憲兵司令部に緊急報告を早急に行え」
「はっ!了解!!」
リヒャルトから命を受け、一人、また一人と去っていく中、最終的にはリヒャルトとフリーデリーケだけが執務室に残った。
否、厳密に言えば、室内に残っているのは二人だけではなかった。
強さが増した夜風が頬を撫でつける。
風の冷気に当てられたせいか、二人が注視するそれは躰をぶるりと、小刻みに震わせた。
辛うじて宙に浮いていたのがいつの間にか、色んな欠片が混ざりに混ざって飛散する床の上に降りている。
何を思ったのか、フリーデリーケはつかつかと足早にそれ――、緑竜の前へと進み出て行く。
「少佐!下手に近付いて刺激するんじゃない!!」
「この緑竜は力を使い切ったために衰弱しています。しばらくは稲妻を放てないでしょう」
彼女の言う通り、緑竜は前脚を胸部の下に仕舞い込む形で蹲っていた。
ルドルフも時々同じ姿勢で座っていることがある――が、猫と竜では勝手が違ってくるだろう。
また稲妻を放てないだけで、他にも攻撃を仕掛けてくる方法などいくらでもある。
鰐を彷彿させる口から覗く、鋸刃のような歯で咬まれる。
もしくは、立ち上がって軍馬並みに頑健な脚で蹴とばされる。
大人しくなったからと言って近付いた矢先、暴れられたら一巻の終わりだ。
「少佐!」
「大丈夫です」
何が大丈夫なものか、と、堪り兼ね、リヒャルトもフリーデリーケの後に続き、蹲ったままの緑竜に近付いた。
二人も至近距離に寄ってきたせいか、緑竜は紅眼をカッと見開き、頭を上げて大きく振った。
これ以上近づくな、と威嚇するように。
フリーデリーケは竜の威嚇に怖気づくことなく、あろうことか、すぐ目の前までやってきてしまった。
緑竜はさっと起き上がると、一歩後退する。
「怖がらないで。私はあなたを傷つけるつもりなど毛頭ないから」
先程よりも緑竜は激しく頭を振り、前脚で床を何度も強く蹴っ飛ばした。
半開きにさせた口からは、フシュ―、フシュ―と空気が大きく抜けるような音が聞こえてくる。
「少佐!今すぐ下がれ!!」
「大丈夫よ、大人しくしてくれればすぐに痛みは消えるから」
今にも噛みつかんばかりに、ぐわっと大きく開いた口の両端に手を宛がうと、フリーデリーケは詠唱した。
濃黄色の光に目が眩み、緑竜は口を開けたまま全身を硬直させる。
僅か数秒の間に、口の端に負わされた怪我が治癒回復していく。
怪我の治癒が終えれば、フリーデリーケは手早く銜を外し、手綱ごと床へと投げ捨てた。
理解が追いついていないらしい緑竜は終始されるがままであった。
「ほら、これであなたを傷つけるものはなくなったから。人間もそう。今、あなたの傍に居る人間はあなたを決して害したりしないわ」
開きっ放しだった口がゆっくりと閉じられれば、フリーデリーケは優しい手つきで緑竜の鼻先を何度も撫でさすった。
彼女の手つきが心地良いのか、緑竜は紅眼を細めてじっとしている。
「閣下」
緑竜が鼻先を摺り寄せさえし始めた頃、 撫でる手を止めることなく、リヒャルトに呼びかける。
「緑竜の躰に残されている鞭打たれた傷痕ですが、閣下が治癒回復なさってください」
「私が??」
「はい。この緑竜は元帥府で丁重に保護し、育成させましょう。緑竜は国の守護神。他の誰よりも――、国の王たる閣下に懐くべきですから。それにしても……、国の守護神をこのように虐げ、手荒に使役するなど何たる暴挙でしょうか。竜を召喚できるだけの力を持つ魔女・魔法使いの数は少なく調査に左程時間は要さない……」
「おおよその見当はついている」
緑竜の躰の傷に触れ、治癒回復魔法を発動させながら答える。
意外そうに目を丸くさせるフリーデリーケを諭すかのように、リヒャルトは淡々と続けた。
「エヴァ殿達の捜索で北部に送った中央軍から一つの噂を知らされたこと、覚えていないか??」
「噂ですか……。あっ……!」
沈着な彼女にしては珍しく声を上げる。
リヒャルトは苦笑交じりの、何ともいえない笑みを口元に湛えてみせる。
「そうだ。クレヴィング少将が北部司令官就任の際、今は亡きディートリッヒ殿が召喚した竜の子を送ったとか」
「……と、なりますと、襲撃の首謀者は」
ごくりと喉を鳴らすフリーデリーケに、リヒャルトは肯定するように頷いてみせた。
(2)
独房の隅で輝く虹色に気付いた時には、すでに光の中から人影が浮かんでいた。
無事に刑務所に到着して安心しきっていたところに不意を突かれた。
シュネーヴィトヘンは立ち上がるのも助けを呼び求めるのもままならず、ただ濃さを増していく一方の影を見つめるしかなかった。
「……だ、誰なの……」
襲撃者だった場合、魔力を封じられた身では反撃一つかなわない。
情けないにも程があるが、声にならない声でこの場にいない夫の名を繰り返し呟いた。
やがて光は霧消し、現れた人物の姿をはっきりと捉えた。
アッシュブロンドの髪や黒いローブはところどころ焦げ、獰猛さを湛えた榛色の猫目は怯えきっていた。
痩せこけた頬や鼻先は煤で汚れ、肌はより一層青白さが目立っている。
「……エヴァ、様??……」
半ば拍子抜けたのも束の間、エヴァはシュネーヴィトヘンの元へふらふらとよろけながら歩み寄った。
「一体、どうされ……」
「……半陰陽の魔女は、どこだ……」
「え……」
「半陰陽の魔女はどこだと聞いているんだ?!」
エヴァはシュネーヴィトヘンの肩をきつく掴み、激しく揺さぶった。
体力のない身で揺さぶられ、思わず悲鳴を上げる。
「エヴァ、様……、お、落ち、落ち着いて……!」
「落ち着いてなどいられるか!!放浪の魔女が……、放浪の魔女が……!!」
「……ヘドウィグ様が、何ですって??」
ヘドウィグの身に何か起きたのか。
もしかしたら、暗黒の魔法使いが復活でもしたのか。
どちらにせよ、半狂乱のエヴァを宥めるのが先決だろう。
視界がぐるぐる回る中、エヴァを落ち着かせるにはどうするべきか、シュネーヴィトヘンは必死で頭の回転を働かせていた。
 




