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半陰陽の魔女  作者: 青月クロエ
第八章 Burn the Witch
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Burn the Witch(7)

(1)


 便箋に触れるか触れないかのところでペン先が止まる。

 数秒程その位置で止まった後、すっと引き上げられた。

 未だ白紙状態の便箋を睨みながら、ウォルフィはふっと息を吐き出す。

 便箋に向き合ってから三〇分は経過しているのに、未だに一文字も書く事ができずにいた。


 手紙を書くこと自体が三十年近く前――、故郷を離れ、中央の士官学校に入学して以来である。

 家族への近況報告の手紙の他に、週に一度必ず届くリーゼロッテからの手紙への返事。

『ウォルフがスラウゼンに戻ってくるまで、ずっと手紙を送るから!』

 スラウゼンを去る日、家族と共に駅まで見送りに来た少女は、泣きべそをかきながら汽車の窓越しに叫んでいた。

 まだ十一歳の少女の幼い誓いなど、どうせ持って一年くらいのもの。

 その内、飽きるか面倒になって途絶えるだろう。

 増してやあれだけの美少女であれば成長するに従い、男が放ってなどおかない。

 自分への幼い恋心など、同じ町に暮らす誰かによって忘れてしまうだろう。

 しかし、一年以上過ぎてもリーゼロッテからの手紙は途絶えなかったし、彼の方も彼女から届く手紙を密かに心待ちにしていたものだ――





 

 約三十年振りに彼女へ送る手紙の筆が全く進まない。

 けれど、固い決心が鈍った訳ではない。

 どう書けばいいのか、上手く言葉が見つからないだけ。

 刻々と過ぎていくばかりの時間に己への苛立ちが募っていった。





 





 ハイリガーとヤスミンが刑務所を訪問した日の夜更け――、児童養護施設へ向かう直前、アストリッド邸にリヒャルトが突然来訪した。

 同行する護衛や側近の姿はなく私服で前髪を下ろしている姿から、宵闇に紛れてお忍びでの訪問だと窺えた。


「アストリッド様、シュライバー君。何の連絡もなく夜分に押し掛けて申し訳ない」

「いいえー、お気になさらずー。すぐに応接室に案内しますー」


 広い玄関ホールから左右に分かれた廊下に進み、右に曲がる。

 右側の壁――、手前から二つ目の扉をウォルフィが開き、二人が先に部屋に入った。

 白と黒のブロック柄のタイル床の上には、対になった二脚の長椅子、間には紫檀製のローテーブルが置かれ、奥には大きめの暖炉。

 床と同じブロック柄の壁紙が視界にちらつき、リヒャルトは二、三度瞬きした。


「――で、何か自分に機密の話があるのでしょう??」

 互いに対面になるよう長椅子に腰掛けると、アストリッドの方から質問を投げ掛けた。

 アストリッドの背後の壁際に凭れかかるウォルフィも、さりげなく片眼を光らせている。

「失礼します」

 扉を叩く音と共に茶器を乗せたトレーを持つヤスミン、続いてハイリガーが入室する。

 普段と変わらない手際の良さで、人数分のカップに紅茶を注ぐヤスミンを一瞥すると、リヒャルトは口を開いた。


「単刀直入に言おう。東の魔女ことリーゼロッテ・ハイネが懐妊した」


 ティーポットを傾けたままで、ヤスミンの手が止まる。

 アストリッドは、え、と小さく呟いた後絶句し、ウォルフィは壁から背を離しその場で固まった。

 ティーポットの注ぎ口から紅茶が溢れ返り、カップを伝って天板にこぼれていく。


「ヤスミン!」

 リヒャルトの傍らに立つハイリガーの声で、我に返ったヤスミンは「も、申し訳ありません!すぐに拭きます!!」と、慌ててティーポットを机上に置き、立ち上がろうとした。

「あぁ、構わないよ。それよりもヤスミン殿にも話の続きを聞いてもらいたい」

「どういうことですか??」


 ヤスミンが答えるより先にアストリッドが問い質す。

 リヒャルトは質問に答えることなく、無言でハイリガーに目配せする。


「昨夜、アイス・ヘクセとヘドウィグちゃんが言ってた噂――の、真実を今から話すわ。だから、ヤスミンはアスちゃんの隣に座って。ウォル君もこっちへ来て話を聞きなさい」


 ハイリガーに促され、ヤスミンはアストリッドの隣に座り、ウォルフィも足早にアストリッド達が座る長椅子の傍らまで進み出た。

 そして、ハイリガーの口から独房でのシュネーヴィトヘンとの会話を三人は知らされたのだった――




「ロッテ殿は、世間からシュライバー君への批難を避けるためにこの先も黙秘を貫く、と言ったそうだ。しかし、軍部共々監督不行き届きとの批難を受けるのは少なからず覚悟してください、アストリッド様」

「分かっています」

「…………」

 ウォルフィは神妙な顔つきで頷くアストリッド、冷たい程に落ち着いた様子のリヒャルト、それぞれに視線を巡らせると深々と頭を下げる。

「……閣下、大変申し訳」

「謝罪の必要はない。元々、貴方との和解目的で彼女をここに一時送還すると決めたのは私なのだから」

「しかし」

「それとも、彼女の美貌に目が眩み、一時の戯れで手を出しただけ、というのであれば厳罰は辞さないが??」

「ウォルフィに限っては絶対に有り得ません」

「アストリッド様、私はシュライバー君に聞いているのです」


 リヒャルトはアストリッドの反論を一蹴、挑発するかのようにウォルフィを強く見据えた。

 その視線に臆することなくウォルフィは真っ直ぐ受け止める。


「……俺が、そのような男に見えますか??」

「……見えないな」


 色味と同じ冷たさを宿したリヒャルトの瞳に穏やかさが戻る。

 同時に、室内を支配していた緊張感も消えていき、ヤスミンの強張った顔が緩んでいく。


「すまなかった、試したりして」

「いえ」

「君が本気で彼女を愛した末の結果ならば仕方のないことだ」

「…………」

「次の話に移らせてもらおう。知っての通り妊娠が発覚した場合、刑の執行は獄中での出産まで延期される。また、未満児の子を持つ母親への極刑は禁じられている」

「つまり……、ロッテ様の死刑は取り下げられて無期懲役刑に変更される、のですか?!」


 アストリッドの頬は喜色に緩み、鳶色の双眸が期待で強く輝いた。

 だが、心底嬉しそうな笑顔に向けてリヒャルトは無情にも頭を振った。


「それは……、まだ何とも言えなくてね。大罪を犯した女性受刑者の数自体少なければ、妊婦となると前例がない。法に則って無期懲役となるか、異例で出産後に火刑を執行されるのか」

「そんな……」

「上層部会議での決議も大きな判断材料となり得る。まずは私の方で各将軍達の説得に当たろう。それから、生まれてくる子供についてだが……。親族に引き取り手がいない、もしく親族自体がいない場合、子供は児童養護施設へと送られる。彼女は天涯孤独の身、通常であれば子供は施設送りだ。だが、彼女は高い魔力を持つ魔女。現在は魔力が封じられているとはいえ、胎児に何かしらの影響を齎す可能性は否定できない。そうなると施設に送られるのも難しくなる」


 ここでリヒャルトは口を噤み、苦々し気に唇を不快の形に歪めた。

 

「シュライバー君やヤスミン殿の前で話すには憚られるが……。子供の父親は暗黒の魔法使いなのでは、と一部の者に疑われている。事実はどうあれ疑わしきは、となれば……」

「……軍の魔力研究所へ、被験者として送られるかもしれないのですね」

「えぇ……。昔と違い、人道に反した実験や研究はしていないにせよ罪のない幼子が送られる場所ではない。研究所送りを阻止するためにも、私からシュライバー元少尉へ提案が一つあります」


 それまで黙って事の成り行きを眺めていたハイリガーが静かに詠唱する。

 掌から薄く赤黒い靄が発生、出現させたものをテーブルの上に拡げた。


「シュライバー君。彼女宛てに手紙を書いてこれを同封しなさい。ただ同封するだけでは駄目だ。君も手を加えなければ意味がない」

「…………」

「表向きの理由として、暗黒の魔法使いの子かもしれない赤子をアストリッド様が監視目的で引き取る為、従僕である貴方の――、――を利用した――、と」

「…………」

「気を悪くさせたなら申し訳ない。だが、世間から疑われずに子を引き取るには最早こうするより手段が……」

「…………」


 アストリッドは顔色を窺うように、座ったままでウォルフィを見上げた。

 俯きがちの顔を長い前髪が隠しているので表情がよく見えない。

 アストリッドだけでなくヤスミンも気遣うように父を見上げる。

 

 八つの目から送られる視線が痛い程突き刺さってくる中、ウォルフィは黙って立ち尽くしていた。











(2)



 ――数日後――



 軋んだ音と共に鉄扉が開く。


「お前宛てに手紙が届いた」

「そう」


 看守から一通の手紙を差し出され、シュネーヴィトヘンは面倒くさそうな素振りで受け取った。

 連日のように彼女の元には手紙が沢山届けられる。

 ほとんどは見ず知らずの赤の他人からのもので、彼女への誹謗中傷が書かれたものばかりであった。

 最近は封を空けるのすら厭わしく思い、ろくに読みもせず捨てることが多くなってきている。

 今し方受け取った手紙も差出人の名は書かれていない。

 けれど、宛名を書いた筆跡を目にするとシュネーヴィトヘンの顔色は瞬時に変わった。


 急いで封を開けて手紙を開けば、見慣れない筆跡での長文――、リヒャルトの筆跡であの夜、ウォルフィやアストリッド達に説明した話が記されていた。

 だが、リヒャルトの説明よりも最後に書かれた――、宛名を書いたであろう人物の筆跡で書かれた一文と、同封されていたものに思考ごと持っていかれた。


 その内容は、たった一言だけ。


『今度こそ、あの頃誓った約束を果たしたいと思う』


「……ウォルフ……」



 手紙を握りしめ、ぎこちない動きで机に向かう。

 座面が固く、座り心地の悪い椅子に腰掛け、机上に置かれたインク瓶の蓋を開ける。

 蓋を開ける際、小刻みに震える手のせいでほんの少しだけ指先に黒くインク染みがついてしまう。

 それすら気にせずペンを取り、ペン先を瓶の黒い液面に付ける。


 同封されたものを机上に広げる。

『ウォルフガング・シュライバー』と記された欄の隣は空欄のままだ。

 シュネーヴィトヘンの胸は激しく高鳴り、手の震えは益々大きくなっていく。

 字が歪んだり掠れたりしないよう、注意を払いながら。




 空欄の中に、『リーゼロッテ・ハイネ』と記した。

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