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窓の外を流れる景色が段々と見慣れた風景へと変わっていく。それは学校の最寄りの駅が間近に迫っていることを示していた。左から右へと移動していく風景の中に僕はあの廃工場を見つける。そうか、思えばあの日から既に2週間ほど経ったのか。
「…………」
あの日――あの土砂降りの日のことを僕は思い出す。
思い出すとは言っても、捕らわれてしまった宝船を助けようとして返り討ちにあってしまった僕は途中で気を失ってしまったのだが。
あそこで彩楓がやってきて奴等を――饗庭和泉達3人を倒してくれなかったら僕と宝船は今頃どうなっていたか分からない。本当に彩楓には感謝するばかりである。
あの後、警察に逮捕された饗庭和泉達3人がどうなったのかを僕なりに調べてみた。宝船は知りたくない――というよりも関わりたくないといった様子だったので、あくまで個人的に、である。饗庭和泉が引き連れていた2人は少年院へと送られたが、饗庭和泉だけは少年刑務所という場所に送られたようだった。どうやら、以前も饗庭和泉は何かしらの犯罪を犯したことがあるようで、今回は二度目ということで少年院ではなく少年刑務所なのだろう。まあ、そんな簡単な理由ではないのだろうが、その辺の詳細は流石に分からなかったのでこちらもあくまで僕の予想である。
ちなみに、一度目の逮捕の時には饗庭和泉の父親が保釈金を払って少年院行きを回避していたようだ。饗庭和泉は饗庭財閥というところの次男だったようである。今ではその保釈金を払った代わりに、父親から勘当されてしまっているようだが。
饗庭和泉は逮捕されたが、この一件には彼が率いていた2人とは別に協力者の影が見え隠れしている。饗庭和泉の逮捕後、彼が商店街でカツアゲを行っていた際、警察に対して嘘の供述をして逮捕されたとある塾の講師がいたが――おそらく、協力者はそんなところにはいないだろう。饗庭和泉に協力するということは利害が一致しているということである。その協力者の正体が分かるまでは、少なからず周囲を警戒したまま日々を過ごしていかなければならない。
「萩嶺君」
「え?」
不意に声を掛けられて宝船の方へと顔を向けた。
「ほら、駅に着いたわよ」
「え? お、おう、そうか」
周囲を見渡す。その僕の応答の直後、車両は完全に停車し、両開きのドアが自動で左右に開いた。
「何をボーっとしているのよ萩嶺君は。アニメの余韻に浸りすぎよ」
「浸ってねえよ。お前じゃあるまいし」
「…………」
無言のまま僕から視線を逸らす宝船。
どうやら図星のようだった。
◆ ◆ ◆
駅から珠玖泉高校の校舎へと到着し、教室へと辿り着く。鞄を下ろし、携帯ゲーム機を取り出そうとしたところで教室に彩楓がやってきた。
「あっ、おはよー、直斗」
「おはよう、彩楓。久しぶりの部活はどうだったよ」
「いやー滅茶苦茶楽しかったよ。何と言うか、こう、波乱万丈って感じ」
「程度が分からねえよ」
ていうか、それお前が知っている四字熟語を適当に使っただけだろう。
「いやいや、何はともあれ、部活というものは楽しいものだね。もう楽しすぎて何もかもを忘れてしまうね」
「忘れるのは勝手だが、今日から期末テストの結果が出るのを忘れるなよ」
「ごめん、ちょっと部活中に両耳の鼓膜が吹き飛んだから何も聞こえないんだよね今」
「大参事じゃねえか」
一体全体部活中に何があった。
「ていうか、お前今まで僕と普通に会話してたよな?」
「はて? 何のことやら?」
「聞こえてるじゃねえか。嘘をつくならもっとまともな嘘をつけ」
「だって期末テストの結果とか考えたくないんだもーん。中間テストは何とかギリギリ突破できたけど、そんなことが二度も起こるとか絶対ありえないしさー」
机に項垂れながら彩楓は頭を抱えた。
「まあ、元気出せって彩楓。勉強会もしたんだし、やることをやって当たって砕けたなら、本望というものだ」
「うーん――うん? あれ? 直斗それってあたしが赤点を取るっていう前提で話してない?」
「どうして分かった」
「やっぱり!」と机に埋めていた顔を上げてこちらを見てくる彩楓。
「あたしにだってそれくらいは分かるよ! 言葉の意味は分からなかったから、何となくだったけど!」
「言葉の意味は分からなかったのかよ。まあ、中間と違って範囲も広いし、問題も難しかったし、流石に今回は厳しいかもしれないな」
「だよねえ……ああ、部長とお母さんに殺される……」
一度上げた顔をまた机に埋めてどんよりと沈んだ声を漏らす彩楓。本当にそのまま教室の床を突き抜けて沈んで行ってしまいそうな雰囲気だったが、元気づけても何をどうしても結果は既に出てしまっているのだから仕方がない。
彩楓が所属する空手部の部長からどういう制裁が与えられるのかは分からないが、彩楓の母親から与えられる制裁なら大体予想はつく。中学校の時もそうだったのだが、おそらく赤点1つにつき、夕飯に並ぶおかずの品数を1つ減らされるのだろう。中学の時は赤点はなかったので、クラスの平均点以下の点数を取った教科の数だけおかずの品数を減らされていた。
まあ、僕から見れば、普段から彩楓はあり得ない量を食しているので、そこからおかずを減らされても夕飯が普通の量になるだけで特に問題はなさそうに見えるのだが。以前、彩楓はおかずの品数が減ることを死活問題と言っていたけれど、減らされても彼女の普段の生活に特に影響はないだろう。ていうか、減らされた分だけ昼食で取り返していそうな気もする。
しかし、ここまで気を落としている彩楓を見ると流石に可愛そうな気がしないでもない。この彼女の姿を見てそう思ってしまうこと、そして、勉強会でいつも眠りこけている彩楓に対して本気で指導できないこと――これらはきっと僕の『甘さ』なのだろう。だから、彼女がこのような事態に陥っているのは少なからず僕のせいでもあるのだ。せめてもの罪滅ぼしに、今日の帰りに何か奢ってやるか。財布が大変なことになりそうなので、金額の制限を付けさせてもらうが。
「お前等おはよーっ。ほら、席に着け席に」
すると、不意に教室の扉を開けてこのクラスの担任の七々扇先生がやってきた。上下ジャージという女性らしさの欠片もなく、また数学教師の片鱗もないその普段から僕達生徒に見せている姿で七々扇先生は教壇に立つ。
「よーっし、全員席に着いたなー。それじゃあ、学級委員長。朝の挨拶頼んだっ」
「はい、先生。起立」
学級委員長――もとい、宝船の号令で立ち上がる僕を含めたクラスメイト達。その後も、宝船の号令でお辞儀と朝の挨拶を行った僕達は更に彼女の号令で席に着く。
「はーい、それじゃあ連絡事項なー。既に知っているだろうが、今日から期末テストの結果が各教科ごとに返されるぞー。それから、前にも話したと思うが、この学校では期末テストの順位を体育館に貼り出すようになっている。自分の今の実力を知りたい奴は観に行っとけよー。あと2週間くらい頑張れば夏休みだから最後まで気を引き締めてお前等頑張れよー。はい、というわけで連絡事項終わり。宝船、頼んだ」
「はい、先生。起立」
伝えることだけ素早く伝えた七々扇先生であった。僕達に出来るだけ時間を作って上げるためだとか本人は以前言っていたが、実のところ面倒臭いだけなのではないかとも思っている。まあ、どちらにしても要点だけを伝えてくれるので授業では非常に助かっているのだが。しかし、要点を絞りすぎて伝えなければならないことを伝え忘れるのは勘弁してもらいたい。この前も、僕が休んでいる間に重要な公式を教え忘れそうになっていたらしいし。
そして、また宝船の三度の号令に合わせて僕達クラスメイトはそれに合った行動を行う。朝のホームルームを終えて、一時限目、二時限目と次々と各教科の担当教師からテストの結果が返却され始めた。手元に解答用紙が返ってくる度に、まるで砂漠にある風化していく建物の如く溶けてなくなっていってしまいそうな彩楓を横目に見ながら、夏休みに入るまでの課題や期末テストで間違えてしまった問題の復習のやり方などを先生から聞いて――そんなことを繰り返していたら、あっという間に時は流れて、昼休みになっていた。
「おーい、彩楓。昼休みだぞ」
テストの返却でほとんどの生徒が溜息交じりに教室を後にしていく中、僕は椅子に座ったまま後ろを振り返り、彩楓に話しかける。彼女は朝のホームルームから依然として机に項垂れたままなのであった。ひょっとして机に貼り付いたまま離れられなくなっているのではないかと思ってしまうほどに体勢が変わっていない。
「おーい、彩楓」
「…………」
「おーい」
「…………」
「彩楓って」
「…………」
返事がない、ただの屍のようだ。
そんなにテストの結果が悪かったのだろうか――彩楓は本当に屍の如く微動だにしない。
これは本当に何かしらのフォローが必要かもしれない。仕方がない、ここは僕が食堂で何かを奢って――。
「……ぐー、すー」
「…………」
寝ていた。
彩楓は普通に寝ていただけだった。
「おい起きろ」
「いたっ」
眠っている幼馴染の頭を軽く叩く。目を擦りながら起き上がった彩楓は眠そうな表情で半分だけ空いた目をこちらに向ける。
「ふえ……ああ、直斗。おはよー」
「もう昼だぞ。昼休みだ」
「昼休みだって!? それは大変だ!」
「うおっ」
急に意識を覚醒させた彩楓は椅子から突き上がるように立ち上がった。余りの勢いに傍で見ていたこちらが驚いてしまうほどである。
「あたしは今から食堂行くけど直斗はどうするの?」
「僕は一応体育館に行って自分の順位を見てくるよ。彩楓も一緒に来るか?」
「あたしはいいかな……見たってどうせ同じだし……」
「ああ……何かすまん」
どことなく暗い影が差したようにあからさまに気分が落ち込んでしまった様子の彩楓。どう考えなくても地雷を踏んでしまったようである。ていうか、今までの流れからして地面から剥き出しの地雷を踏んでしまったらしい。よりによってどうしてその言葉を選んでしまったのだ、僕は。
「いや、いいんだよ、直斗は何も悪くない。悪いのは全てあたし。成績が悪いのも、地球温暖化も全てあたしのせい」
「一概にお前のせいじゃないとは言い切れないものを持ってくるなお前は」
一応人間も二酸化炭素出してるし。
「それじゃあ、また後でね、直斗。生きてたらまた会おう」
「いや死ぬな。今からお前の身に何が起こるんだよ」
そんな僕のツッコミを背に受けながらいつになく重い足取りで食堂へと向かうべく教室を後にする彩楓。
「途轍もなくテンション下がっているわね、躑躅森さん」
不意に聞こえてきた声に僕は後ろを振り向く。そこにはいつの間にか宝船の姿があった。
「ああ、まあな。でも、割と何かを食べるか部活をするかしたら気分が良くなっているのがあいつだよ」
「彼女のことをよく分かっているのね、流石は幼馴染だわ」
「いや、そういうわけじゃないけどさ」
「ところで萩嶺君。今から体育館に成績の順位を見に行こうと思っているのだけれど、あなたも一緒にどう?」
「僕も丁度行こうとしていたところだし、お前が良ければ一緒に行こうかな」
「うーん、そうね。私が嫌だから萩嶺君とは一緒に行かないわ」
「お前が今僕を誘ったんだよな?」
「ふふっ、冗談よ。さあ、行きましょう」
悪戯っぽく小さく笑って宝船は歩き出す。そんな彼女の背中を数秒ほど睨み付けた僕は何を言い返しても無駄だということを悟っていたので、諦めの溜息をつくと、宝船に続いて歩き出した。
◆ ◆ ◆
体育館に到着すると、既にそこには大勢の生徒達が集まっているところだった。人だかりの上靴の色でどの学年の順位がどこに貼り出されているか確認した僕と宝船は一年生の順位表の前へと足を運ぶ。
「流石に人が多いわね。萩嶺君見える? 肩車しましょうか」
「僕の身長はそこまで低くねえよ。どちらかと言えばお前が高すぎるんだ」
「まあ、私はモデル体型だから仕方ないわね」
「…………」
それを自分で言うか――というツッコミを入れようと思ったが、思えば宝船は周囲からも認められている美貌を持つ女性であり、胸は残念なことになっている
が、実際の所モデル体型と呼ぶに相応しいものだと僕も思っているので、それを口に出しはしなかった。
「えーっと、順位は右から左に並んでいるみたいね。とりあえず、高い順位の方から見てみましょうか」
宝船に促されるがままに僕は足を進める。正直な話、同じ学年の成績上位者には興味があった。横長く伸びた成績順位表の右側へと移動する僕達。珠玖泉高校一年生の成績上位者トップ3は以下の通りであった。
第一位 宝船璃乃
第二位 天竺桂絹華
第三位 篝浅一郎
「中間テストに続いてまた一位か。流石だな」
順位表を見上げたまま僕は宝船に言った。
「まあ、それほどでもあるわよ」
「少しくらい謙遜しろよ。ていうか、第二位の名前凄いなあれ。何て読むんだ?」
「天竺桂絹華、よ」
「へえ、そう読むのか。流石は第一位、何でも知っているな」
「何でもは知らないわよ、知っていることだけ」
「いや、お前がそれを真似るのは無理があるんじゃ――」
「それはどういう意味? そして萩嶺君は一体私のどこを見てそう言っているのかしら?」
「い、いいや、何でもない、気にするな、ただの独り言だ」
宝船の鋭い視線に僕は空かさず言葉を並べ立ててこの場を乗り切ろうとする。宝船の胸を見て言ったわけではない。ありませんとも。
「……まあ、いいわ。それで? 萩嶺君は自分の順位がどの辺りか予想はついているのかしら?」
「中間テストと同じくらいじゃないかと思ってる。期末テストも必要最低限くらいしか勉強しなかったから、多分また丁度真ん中くらいじゃないか?」
宝船の問いに質問で返しながら人ごみの後ろを順位表に視線を向けたまま歩く僕。すると、予想通り学年のほぼ真ん中辺りで自分の名前を発見することが出来た。
「ほら、やっぱり真ん中くらいだったよ」
「真ん中を維持する力があれば更に上位も狙えるでしょうに」
飽きれた口調で僕の隣にやってきた宝船は言う。
「別にいいだろ。毎度毎度そんなに頑張ってたら疲れるし」
「頑張る必要なんてないじゃない。毎日ちゃんと授業中に理解すればテスト前に勉強することなんてほとんどないでしょう?」
「それができるのは学年一位を取ることが出来ているお前くらいだ」
「まあ、それほどでもあるわね」
「だから少しくらいは謙遜をだな」
「さて、お互いの順位も確認し終わったことだし、帰りましょうか。私、お腹が空いてしまったわ」
「それもそうだな。余りここで時間を使ってしまうと昼休みが終わってしまうし」
宝船の意見に同意した僕は彼女に続いてまた歩き出す。全学年の順位表が体育館に貼り出されていることもあって、館内には大勢の人が出入りを繰り返していた。僕と宝船は体育館の外へと流れていく人ごみに混じって足を進めていく。
「ん?」
そんな時である。体育館の中へと流れていく人ごみの中に僕はとある女子生徒の姿を捉えたのだ。
その女子生徒は金髪に碧眼というまるで二次元の世界からこの現実世界に出てきたかのような見た目が『お嬢様』のテンプレそのものであった。擦れ違った際に一瞬目にしただけなので確実ではないのだが、顔立ちは日本人風だったような気がする。遠い血縁に外国人がいるとか、そんな感じなのだろうか。
「……ああいう生徒もいるんだな」
人ごみの中で僕は呟く。今の金髪碧眼の女子生徒のように、もしかしたらこの学校には他にも様々な特徴的な生徒がいるのかも知れない。けれど、おそらくその生徒達と関わることは卒業までないだろう。学年が上がることで行われるクラス替えでひょっとしたらあの女子生徒とも同じクラスになるかも知れないが、結局はそれだけだ。同じクラスメイトになるだけで、最後まで特に関わりもなく過ごしていく。
同じ学校に彩楓という幼馴染がいること、そして、宝船という人物と友達になれたこと――大袈裟かもしれないが、それだけで僕のような人間にとっては奇跡のような出来事なのだ。
◆ ◆ ◆
放課後。
久方ぶりに訪れたオタ研の部室で僕はオタク趣味に没頭――ではなく、本日返却された期末テストのやり直しを行っていた。別に赤点ではないので放置しても構わないのだが、一応課題という扱いらしいのでやらないわけにはいかない。とは言っても、間違えた箇所を教科書の公式を見ながら再度ノートに解き直すだけなのだが。
「……手が疲れてきたな」
シャープペンシルを置いて右手を握ったり開いたりしながら筋肉を解す。同じ文字を延々と書いているわけではないのだが、やはり問題を解き直すとは言ってもずっとペンを握っているのは地味に疲労が嵩む。確か、英語は間違えた英文や単語を、国語は間違えた漢字をそれぞれ何回か書かないといけなかったか。全く、やる前からモチベーションを下げてくれるものである。まあ、間違えてしまった僕が悪いのだが。
「少し休憩するか……」
呟いて、鞄から携帯ゲーム機を取り出す。すると、部室の入り口の向こう側――廊下の方から足音が聞こえてきた。どうせ宝船だろうと思いつつ僕はゲームの電源を入れる。
「はっぎみっねくーんっ!」
「うおっ」
そのリズムに乗った呼び声に危うくゲーム機を取り落としそうになった。慌てふためきながらゲーム機を握り直した僕は部室の入り口の方を振り向く。そこにいたのは宝船――ではなく、珠玖泉高校の生徒会長である吹ノ戸郁先輩だった。
「吹ノ戸先輩……どうしたんですか、急に」
「いやー、ちょっと萩嶺君に用があってねー」
「僕に用ですか?」
「まあ暇潰しなんだけどー」
「用無いじゃないですか」
「まーまー」と相変わらずの朗らかな笑顔に語尾を延ばした緩い口調で吹ノ戸先輩は言いながら僕の正面の空いているパイプ椅子に腰を下ろした。