ラウンド5(代々木健介)
(代々木健介)
「健介!カモンッ!」
突然、後ろから野太い男の声がした。
おどろいて振り向くと、南斗さんが仰向けに寝転がって手招きしていた。どうやら彼女の声だったようだ。一体どういう声帯をしているのか。
「け、健介君、きて」
なぜか南斗さんはあわてて言い直した。
俺は少し考え、すぐに彼女の意図を理解した。
そうか、寝技の練習か。
うちの道場の稽古でも、柔術の練習を取りいれてはいるが、そこまで本腰をいれていない。ここはプロレスラーである彼女に教わってみるのもいいだろう。
ちなみに、いまなぜか南斗さんの胸の谷間と太股が露出しているが、いまの俺には何も感じない。
昨晩、正拳突きの特訓を六時間行ったあと、水ゴリと座禅を、朝になるまで繰り返し続け、頭の中から煩悩を追い出したのだ。だから、何も感じない。
理解した俺は、うなずいてみせた。
南斗さんはにっこりと笑いながらうなずきかえしてくれた。
「じゃあ、行くよ」
「うん、きて……」
俺は南斗さんに向かって飛びかかった。南斗さんは巧みな動作で、それをかわした。そのあと、何度も捕まえようとしたが、ぎりぎりのところでよけられてしまう。
「やだもう、そんなに必死になっちゃって。…………うふふふ、じらしちゃうんだからあ」
・・・・・・何を言ってるんだ、この女は?
サイドポジション、ハーフガード、バックマウント。上になったり下になったりして、次々と態勢が変わるが、なかなか南斗さんの間接をとることができない。さっきから何度も腕を狙っているのだが、南斗さんは余裕の、いや、むしろ楽しんでいるかのような表情でそれを防御してくる。
「やだ、健介君ったら、二の腕フェチだったのね……。そこばかり何度も触っちゃって……。やらしい!」
・・・・・・本当に何を言ってるんだ、この女は?
まあ、南斗さんの意味不明な発言は、いまに始まったことではないが。
俺は再びつっこんでいった。
すると、南斗さんは、寝転がった体勢から、器用にジャンプして俺を飛び越えた。
あわてて俺が仰向けになると、彼女の俺の腹の上に落ちてきて、そのままそこに腰をすえた。
しまった。マウントポジションをとられた。
「捕まえたっ。うふふ、めちゃくちゃにしてあげるからねえ……」
南斗さんは色っぽく囁くと、舌なめずりをした。
ヤバイ。ボコボコにされる。
俺は両腕で頭をガードした。その時だ。
「てめえ、うちの娘に、何さらしとんじゃゴラァァァァッ!!」
大気を震わすかのような怒鳴り声が響いたかと思うと、すぐそばの地面が、ドゴォォォォンッ!!と爆発した。
大量の土煙があがった。
そして、地面の下から、一人の男が飛び出してきた。
俺と南斗さんは、あんぐりと口を開けた。
巨大な男だった。身長は二メートル以上はある。
裸にパンツ一丁だった。全身がものすごい筋肉だ。パンツは黒いブリーフ型だった。
頭部には、頭全体覆う形の派手な柄のマスクがつけられていた。
声からすると、年齢は五十代くらいか。
……変質者だと思った。
俺は南斗さんをどけると、立ち上がってかまえた。
「南斗さん!逃げて!」
しかし、南斗さん動かなかった。そして呆然とした表情で叫んだ。
「お父さん!なんでこんなところにいるのよ!?」
……おどろいた。
「お父さん?この変質……いや、このおじさん、南斗さんのお父さんなの?」
「うん、プロレスラーのアトミック南斗。私のお父さんよ。ちょっとお父さん、なんでこんなところにいるのよ!?」
南斗さんのお父さん、アトミック南斗は、胸筋をひくつかせながら答えた。
「おうおうおう!昨日、田山に教えてもらったんだよ!日曜に晶が男と二人きりで山へ行くってな!それでおれは心配になって後をつけてきたってわけよ!」
「田山のヤツ、余計なことを」
南斗さんは舌打ちをもらした。
俺は聞いた。
「あの、ついてきたって、あの崖を登ってきたんですか?」
尾行されている気配は感じなかったのだが。
「いや、俺ももう年だからな!あんな崖はきつくて登れねえよ!だから地中を掘ってここまで登ってきた!」
「…………」
そのほうがきついのではないかと疑問に思う間もなく、アトミック南斗は俺につめよってきた。
「おうおうおう!さっきまで、地面から首だけ出しておまえらの様子を見張ってたんだけどよ!おい、小僧!てめえ、うちの大事な一人娘に何してくれてんだゴラアッ!!」
「何って、別に何も……」
「嘘つけぇっ!エロいことしようとしてただろうが!?」
「お父さん!あれは違うの!その……」
南斗さんがあわてた。
「晶は黙ってろっ!!」
そこで俺は、アトミック南斗がひどい勘違いをしていることがわかった。
「おじさん、あれは違うんです」
「ああ!?何が違うってんだ!?」
「さっきのあれは寝技の練習なんですよ」
「寝技だぁっ!?適当なこと言ってんじゃねえぞ!」
「本当ですよ。ねえ、南斗さん?」
「えっ!?あ、えっと、その、………あー、う、うん、そうね」
なぜ口ごもる。
「おうおうおう!信じられねえなあ!」
「本当ですってば!よく考えてくださいよ。こんな綺麗な自然の中で、そんな下品でやらしいハレンチな変態じみたこと、するわけないでしょう!そんなこと考えるやつは猿ですよ猿!ねえ、南斗さん!?」
「………………………………………………………………そうね」
なぜか南斗さんは汗ダラダラだった。
「うるせえ!うるせえ!うるせえぇぇっ!!そもそも俺の大事な大事な一人娘の晶がよお!男と二人きりでなんかしてるってのが許せねえんだよおおっ!!てめえはぶっ殺す!!」
アトミック南斗はジャイアンレベルの暴言を吐くと、俺の頭をむんずと掴み、思いきりぶん投げた。
俺は、五十メートル、飛んだ。
なんか最近よく投げられるなあ……俺。
宙を舞いながら、ぼんやりと思った。
落下した。
「ぐがっ」
激しい衝撃が背中に走る。
その時だ。
「うちの息子に何をするか!貴様ぁぁぁぁぁっ!!」
鋭い声が辺りに響いた。
空から、俺の親父が降ってきた。