ラウンド9(代々木健介)
(代々木健介)
日曜日になった。
「……なんだこれは?」
午後四時、南斗プロレスの会場の正門前で、おれは顔を上げたまま硬直した。
「どうした健介?」
横にいた親父はおれの視線をたどった。
正門の横の壁に、大きなポスターが貼られていた。どうやら今日の興行の宣伝ポスターのようだ。問題はその内容だった。
それには散りばめられたハート模様、おれと南斗さんの顔写真と共に、こんな宣伝文句が載せられていた。
『リング上に愛の血しぶきが乱れ飛ぶ!若い恋人達が、カップルの未来をかけて死闘を繰り広げる!負けたら即破局!青春ラブラブ異種格闘技戦デスマッチ!今夜開催!こうご期待!』
最悪だ。
何なんだこれは?いつからおれと南斗さんが恋人同士になったというのだ?
「アングルというやつだな」
眉をひそめながら、親父が言った。
「アングル?」
「プロレスの世界の隠語だ。試合を盛り上げるために、選手同士が憎みあっているだとか勝手にストーリーや設定を作ることをアングルという。この恋人同士とかいうも、今日の試合を盛りあげるためのアングル。つまり嘘だろう。全くくだらんことを考えおって」
「……親父、プロレスのことを嫌っているわりには、やけに詳しいんだな」
親父は少し顔を赤くした。
「う、うるさい。ほら、さっさと入るぞ」
俺達は会場に入っていった。
玄関をくぐりながら、俺は思った。
俺と南斗さんが恋人同士……。
アングル……、つまり架空の設定なのに、妙に胸がときめいた。
いや、ダメだ。そんなことはありえない。そんな浮ついた気持ちで試合に望んでいてはいけない。
俺は頭を軽く振って、深呼吸をした。
興行が、始まった。
自分の出番がくるまで、おれは二階席から試合の様子を眺めていた。
やべえ。面白い。
親父には悪いが、おれは初めて見るプロレスに感動してしまった。
リング上で、でかい男が、でかい男をぶん投げる。ばちん、ばちんと人を殴る音が響きわたる。それには単純だが確かな迫力があった。
夢中になって見ているうちに、あっという間に時間がたった。
「おい、そろそろ準備するぞ」
親父がおれを呼びにきた。
控室で、道着に着替える。その瞬間、おれは空手家代々木健介になる。
相手の田山聡の実力は未知数だ。
資料はプロレスの映像しかなかった。
主に序盤の試合でそこそこの戦いをしている映像しか見ていない。真剣に戦って、どれほどの動きを見せるのかわからない。
それがいい。わからないから、面白い。
ストレッチ、軽くスパーリングなどをこなして、少し汗をかいた頃に、出番がきた。
まず俺が先に入場することになった。入場曲など用意していない。真剣勝負に、そんなくだらないものはいらない。無音の会場、リングへ向かう道をまっすぐ歩いてゆく。リングにあがった瞬間、観客からブーイングが響いた。まあ、プロレス好きからしたら、今日のおれは悪役なのだろう。
「帰れ」「プロレスなめんな」といったかんじのブーイングはしばらく続いた。
その時だ。
「うおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
突然の雄叫びが、ブーイングを全て吹き飛ばした。同時に爆音でハードロックが響きわたった。対戦相手の入場曲。メタリカだ。
田山聡の入場である。
観客のブーイングが、歓喜の悲鳴に変わった。
「うおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
雄叫びを終えると、黒いパンツにリングシューズといった姿の田山はリングに向かって走りだした。
客席から手を伸ばす何人もの客の手にタッチしていきながら、疾走する。
そして思いきりジャンプし、ロープを飛びこえてリングに降り立った。
なるほど。華がある。
素直に感心した。
田山は俺に向かって、びっと指をさしてみせた。観客は、また盛りあがった。
そのあと、由美と南斗さんがもうひとつのリングに入場した。
審判によるルール説明、ボディチェックを終え、おれと田山は、それぞれのコーナーに立った。
ゴングが鳴った。




