俺の脳内辞書に出来の悪い子ほど可愛いという言葉はない(verクロードニュウスキー)
はるか古の言葉に、「出来の悪い子ほど可愛い」という言葉があります。出来が悪い子供のほうが、世話の焼き甲斐があるので、目をかけたくなるといった意味で使われることが多いようです。しかし、本当にそうでしょうか。
むしろこれは、「可愛い子ほど出来が悪い」と解釈した方が妥当なのではないかと私は考えています。
この時代、洋の東西を問わず、男女に限らず、カワイイカワイイと撫で撫でされて育ってきた腑抜けた人間どもは、本人が望まずとも有り余る可愛さで周囲を魅了してしまい、サポートに事欠くことが無いといった境遇にあるのです。
ところが、だんだんと大人へのステップを踏んでいくにつれ、それまでチヤホヤしてくれた者たちに、余裕が無くなっていくのです。
この時代の日本を例に挙げて考えてみれば、まず六歳から一斉に学校に強制的に入れさせられるという制度だったのですが、すべての子供が同時に学生となり、それぞれが「可愛い」ことよりも重要なものを見つけていきます。
たとえば、受験が近づいたり、生きていくとはどういうことかを現実的に考えるようになったり、中二病と呼ばれる伝染病を獲得したり、腐ってしまったり、二次元に囚われたり、悟りを啓いたり、具体的な夢を持つようになったり、勉学に励まなければならないと義務感に目覚めたり。また保護者などが将来を考えて習い事の嵐を浴びせたり、塾漬けにしたり、可愛いだけが全てじゃないと教え込んだり。ブラウン管や液晶画面がアイドルと呼ばれる想像上の可愛すぎる人間ばかりを映したり。
そうして怒涛のように押し寄せる情報が、「可愛い」の価値を稀薄にしていったのです。
このように、高度に情報化してしまった時代、変わらず「可愛い」に最大の価値を置いている者たちというのは、反社会的な青少年が多数を占めていたと思われます。
まず添付しました資料の一枚目をご覧いただければ一目瞭然かと思いますが、ここで特殊な髪型をした反社会的な若者たちが、美人とされる女性キャラクターを「ハクい」あるいは「マブい」などと言って尻を追い回すさまが描かれています。文献として挙げたのは奇跡的に出土した漫画というものだそうです。反社会的な若者の部屋と思われる一室から掘り出されました。他に資料が少ないため、発掘作業のますますの進行が待たれますが、おそらく、「可愛い」を最も重要視していたのは、こういった反社会的な若者たちだったのではないでしょうか。
さらに、当時は男性同士での恋愛が成立するケースも数多くあったようです。やや異常とも思えますが、これは、女子学生の部屋と思われる遺跡から出土した漫画の中に数多く描かれています。これについては資料の二枚目をご覧下さい。しかし、この時代でもマイノリティであったようで、「禁断のテーマに挑んでしまったん♪」などと苦悩するさまが記述された日記等が多く残されております。
ここからわかることが二つあります。第一に「可愛い」という言葉は、女性だけを対象に使われるものではなく、男性にも使われた言葉だったということ。それから第二に、何よりも「可愛い」は反社会的な者たちから人気を集めていたということです。
ですから、「それまで可愛いがられていた子供は非行や怠惰に流れやすくなり、必然的に出来が悪くなる」と言うことができるのです。
さて、そこからもう少し年齢を重ねると、今度は化粧や手術やダイエットなどを駆使して「可愛い」を取り戻そうという動きが活性化します。これは、特に女性に顕著に見られた現象だとされています。文献を紐解いてみたり、遺跡の発掘品を見たりすれば、学生のうちから所謂「可愛い追及活動」を行う反社会的な女性は、それなりに数多く存在していたということがわかります。こういった活動が、大人になってから、より活発になっていくのです。
おそらくこれは、反社会的な運動が常に熱を帯びていたということではなくして、もう「子供」ではなくなったために、「可愛い」をないがしろにしてまで優秀であるための――または落ちこぼれないための――不断の努力をする必要が無くなるからだと思われます。
その証拠に、「出来の悪い大人ほど可愛い」という言葉は、古より今に至るまで、全く耳にしたことがありません。
さらに調べを進めてみると、はるか古の言葉に、「可愛い子には旅をさせよ」という言葉があることを知りました。考えてみれば、もしも「出来の悪い子ほど可愛い」という言葉が真実であり、この二つがセットで使われていたと仮定すると、この時代には非常におそろしいことが主張されていたのだと理解できます。
私は、これはもともと一つの言葉を二つに分けて伝えたものだったのではないかと考えております。
――出来が悪い子は可愛い。
――可愛い子には旅をさせる。
ということは、あわせると、「出来が悪い子は旅に出す」ということになります。あえて二つに分けて伝えられたことに大きな意味があると考えられます。というのも、この時代は、現在と違って戦争が絶えなかったようなのです。
皆さんもご存知かと思いますが、「旅」という文字には戦闘を行う集団を指す場合があるのです。「旅団」という言葉は皆さんもどこかで耳にしたことがあると思います。ともかくこの「旅」の字は、五百人規模の集団を指す場合もあれば、二千人ほどを指す場合もあるとも言われますが、規模はどうあれ、軍隊のことを指しているのだと考えることができます。
つまり、「旅をさせよ」とは兵隊に出すということであり、二つを合わせて完成する言葉には、「出来の悪い人間は子供であっても苛酷な戦場へ連れ出されてしまうぞ!」という暗黒のメッセージが込められているとも考えられます。ひどい脅しです。
もしもこの仮説が真実に肉薄しているのだとしたら、あえて二つに分けた理由は、戦争を主導する政権に目を付けられないためでしょう。戦争に反対する姿勢を見せてしまった場合、最悪の場合は死刑にされてしまうなどというのは、昔話にはよくある話です。
そういったわけで、大人になった女性たちの過度とも思える「可愛い」への執着の理由は、子供のうちに兵隊になることを強制されることがなくなったために、大人になって「可愛い」に再び価値を見出していったからだと考えることができます。
男性に、「可愛い」への執着が比較的少ないのは、男性は兵隊としての役割を任されるケースが非常に多かったからではないでしょうか。
もちろん、二つを合わせて考えた場合……などというのは仮定の話です。不勉強で愚昧な私の勝手な推測に過ぎません。ですが、もしも、本当に「出来の悪い子ほど可愛い」という言葉が、言葉通りの素直な解釈を許容するのなら、それは、未だに野蛮な戦乱の時代を引きずってしまっていると言わざるをえません。
言い換えれば、このままの形で後世に残してはいけない言葉なのです!
この時代を平和そのものだったと語る研究者も居りますが、私は、そうは思いません。とても残酷で劣悪な戦乱の時代だったのだと考えています。
以上のことを理由に、戦乱を象徴するような、「出来の悪い子ほど可愛い」という言葉を、すべての辞書から除外することを提案します。
かわりに、本来の意味であると思われる、「可愛い子ほど出来が悪くなる」を採用すべきであると主張いたします。
ご静聴、有難う御座いました。
★
「――溺野輪瑠衣子先生、ありがとうございました。では、残りの時間を利用して、質疑応答のお時間とさせて頂きます。溺野輪先生へのご質問がございましたら、挙手をお願い致します」
「はい」
「――どうぞ、そちらの、長い髪の方」
「はい、ありがとうございます。えー、この謎に包まれた時代について、貴重なお話を聞かせていただき、感謝します。それで質問なのですが、使用された語彙についてです。古い言葉すぎて、よくわからない箇所がいくつかありました。
たとえば、『可愛い』という状態が具体的に何を指すのかということについて、発表の中で細かく言及されておりませんでした。そのため、具体的なイメージが浮かびにくかったように思います。このあたりについての溺野輪先生のお考えといいますか……、溺野輪先生にとっての可愛いの定義についてご教授願えればと思います」
「お答えいたします。『可愛い』についてですが、この時代の『可愛い』の定義は、実は、まだ明確に判明しておりません。今日的な感覚では、不快感すら抱かせられるような全く可愛くない物事に対して、『可愛い』を連呼するという異常現象が幅広く見られます。ですので、『好ましい』とか、そういう……英語で言う『グッド』や『ライク』の意味で捉えて差し支えない場合が多いです。無論、例外はありますけど。
本講演では、多くを『上の立場の者が下の立場の者をかわいがりたくなるという欲求を表す言葉』として解釈しております」
「――はい、次は、そちらのヒョウ柄の服を着た女性の方」
「あのー、今の質疑応答きいてて思ったんですけどー、カワイイの意味がぁ『上が下をかわいがりたい欲求』のこととかー、そういう考え方とかチョーカワイクないんですけど。あたしらにとって、カワイイを求めるのはー、別に目上の人とかオトコとか別に関係ないしぃ、それにー、カワイイを取り戻すっていうよりかぁ、デカイ壁を突き抜けて生まれ変わりまくるっていうかぁ……」
「お答えいたします。幼い少女にとっての『可愛い』と大人の女性にとっての『可愛い』は、全く別の価値を持つのだと主張する方も多いですね。男性や目上の立場の者からの要請に応じたわけでもないということについても、それが一つの『可愛い』の見解であることは承知しております。この点については、話すと非常に長くなってしまいます。拙著『本当は可愛い古代の文明』や『可愛いの時代』、それから『可愛いという礼儀作法』に詳らかですので、興味がある方はそちらをご覧下さい」
「――次の方……はい、そちらの杖を持った方」
「戦争が絶えないとは言うが、この時代の日本は平和そのものだった。軍隊も持たぬ平和国家だった。どうも貴女は恣意的な解釈に偏っておいでだ」
「お答えいたします。教科書や参考書に……いえ、もっと言えば、書物の記録に書かれていることだけが歴史なのでしょうか。それぞれの歴史解釈。それで良いではありませんか。解釈が違うのなら、無理に争う必要などないと思います。洗脳のような教育によって特定の国家について誹謗中傷し続け、民同士に敵意を芽生えさせるように仕向けているのなら大問題ですが、本講演で私の語った内容は、『この時代の世界中で戦争が止め処なく繰り返されていた』という事実です。一つの事実を示したまでです。たしかに、民衆の平穏な生活が営まれていた国家も多くあったのでしょうが、まったくの孤立というわけではなく、それぞれが外国と利害関係を結んでおり、国として戦争に全く関わっていなかった所がどれだけあったのか……そのような戦争だらけの時代に生まれなくて、本当によかったです」
「ならば、あなたとしては、昨今の国際情勢をどう見ているのか。隣国との摩擦が激しいのは何時の時代も変わらぬことであろうが、現行の政治について……」
「――溺野輪先生、答えなくて良いですよ。この場はそういったことについての場ではありませんので。すみませんが質問された方はお座り下さい」
「………………」
「――次は、そちらの赤い服を着た女性の方、どうぞ」
「『出来が悪い』というのは、どういう状態のことを言うのでしょうか。たとえば、勉強が不得意ということになれば、これは立派な差別発言だと思います。人間は皆、人それぞれに個性、持ち味があります。勉強が得意な子供もいれば、スポーツが得意の子供もいる。それぞれの職分でその人なりの力を発揮することが、よりよい社会の実現に繋がっていくかと思うのですが」
「……お答えいたします。これは、あくまで、当時の意識としてですね。当時は、『出来が悪い』ということは、勉学が不足していることだったのだというのが定説です。何せ、一斉に学校に入って、一斉に卒業し、一斉に就職するのが『普通』とされる異常な社会だったようですから。
不良……という言葉で表現するのは、少しはばかられますが、大多数に含まれない者を蔑む習慣があった当時は、そういった表現がなされていたようです。余談ですが、同性愛者については、変態というレッテルを貼られることが多かったと様々な論文に散見されます」
「――次は……あ、勢いよく挙手をされた、そちらの若い女性の方」
「ちょっと待って下さいよ! さっきからきいていれば、いわゆる男性同士の同性愛について、ネガティヴな表現が繰り返されているように感じられます! 重大な性差別ではありませんか?」
「えー、えーと、お答えします。その、そのように受け取られてしまったのは、こちらの表現上のミスと言えますが、えー、もちろん、同性愛者について中傷しているわけではございません。一般論としてですね……えっと、そうですね……」
「――そろそろお時間となりますので、最後の質問とさせていただきます。では、最後は……そうですね、そちらの、きついことを言わない感じの、優しそうな女性の方に」
「こんにちは、溺野輪先生。非常に興味深いお話をありがとうございました。
実は私は不勉強なもので、この『出来の悪い子ほど可愛い』という言葉を知らなかったのですが、たしかに思い当たるふしがあります。私には子供はおりませんが、ひとさまの子をあずかり、教導するという立場で長年働かせていただいております。
ここだけの話、出来の良い子ももちろん可愛いものですが、どうしても構ってあげたくなるのは、出来の悪い子のほうなのです。私だけかもしれませんが、『面倒を見てあげたい』という感情が湧き起こるケースは、出来の悪い子を見た時だと思うことが、本当に、圧倒的に多いのです。溺野輪先生は、『可愛いから出来が悪くなる』というような新説を仰っていましたが、私は、変に語順を入れ替えたりせず、この言葉は、古い言葉のまま素直に解釈して後世に伝えていった方が良いのではないかと思いました」
「お答え……します。え……ええと……ええと……それは……」
「………………」
「………………」
「――申し訳ございません。お時間となってしまいましたので、質疑応答の途中ですが、次のプログラムに移らせていただきます」
「それは……だって……あんな言葉があるから……私は…………私は……うぅ……っ……ぐすっ……」
「――続いてのプログラムは…………」
★
俺の名前は、溺野輪瑠久内。小学十三年生だ。下駄箱で上履きを脱いで、運動靴に履き替える。今日の夕食は何かな、って考えながら、門を出る。
かあちゃんは、昔のことを語るとき、いつも辛そうだった。
きっかけは、ひとりの男子生徒が大昔の辞書を持ってきた時のことだった。男子生徒は、「グヘヘへ、偶然みつけちまったよ、お前の名前が入った言葉」などと言って、下種な笑いを浮かべていたらしい。そいつは、「出来の悪い子ほど可愛い」が書かれたページを見せ付けて、「おまえ辞書にのってんじゃん、まじすげーウヒョー」と言って囃し立てた。かあちゃんは、それはそれは耐え難かったと拳を握りながら語ってくれた。
その他にも、「仕方ないよな、出来が悪いんだよな、溺野輪瑠衣子だもんな」と言われることが幾度と無くあったそうだけど、これについては、勉学に励むエネルギーになったから、当時は頭に来たけど結果的に悪くなかったと思う、と拳を震わせながら語ってくれた。
何よりも嫌だったのは、あだ名。なんでも「ホドカワイイ」とかいう変な呼び方が定着してしまったそうで、もしも自分と同姓同名の人が居たら同じような惨めな思いをさせたくないと言っていた。
そう、俺のかあちゃん、溺野輪瑠衣子は、この悪魔的な言葉のせいでかなり嫌な思いをしてきたのだ。だから、「出来の悪い子ほど可愛い」という言葉を、辞書から消し去りたいと考え続けてきたんだ。
そのためにわき目も振らず勉学に励み、今も古代文明の研究者として活躍している。
改名するという解決方法を採らなかったのは、そんなことをすれば上の名を連綿と繋いで来てくれたご先祖様や、下の名を名付けてくれた両親を否定することになるからだ。
昔と違って、結婚後の混乱を招かないよう別姓が義務付けられていたため、結婚をしてもまったくの無意味だった。
若い頃、「文明を滅ぼしてしまえば言葉も消滅するじゃないか」などと思いつめた時もあったみたいだけど、俺が産まれた時に、そんな考えは捨て去ったんだそうだ。
かわいそうなかあちゃん。泣き虫なかあちゃん。俺は、かあちゃんの喜ぶ顔が見たい。苦しみから解放してやりたい。
俺は、堂々と通学路を歩く。周りを見れば、同じく下校中の同級生たちがいっぱい歩いてる。
俺も、かあちゃんの遠大で崇高な志を継いで生きるんだ。
だから、俺に対して、
「おまえのかあちゃん、出来の悪い子~ほどかわいい~!」
などと言って走り去って行く輩には、この言葉を返してやることにしている。
「俺の脳内辞書には出来の悪い子ほど可愛いという言葉はないんだよォ! いつか全ての辞書から、消してやるからな! 見てろよ!」
だけど、そうすると決まって、年下のメガネ野郎が現れて、こう言うんだ。フレームの上下を掴んでクイクイ持ち上げながら。
「フッ、そうは言うけれど、其の言葉を口にしてしまった時点で、君の脳内にはもう、其の言葉がインプットされてしまっている証明になるんだよ」
「な、なに?」
「自分の頭の中からすら其の言葉を追い出せないのに、全ての辞書から消すだなんて、ププッ。笑わせてくれるね溺野輪瑠久内くんは」
「くそぉぉぉぉお!」
俺は、いつものように電柱に頭を打ちつけた。
「うおおお、出て行け、出て行くんだ、俺の脳内から出て行けぇ!」
がんがん頭をぶつけていると、遠くから馴染みのある甲高い声がきこえてきた。コラーとか言いながら、竹箒を片手に走ってくる。いつも俺を守ってくれる近所のおねえさんだ。名を常壇輪ヨシコさんという。一応、幼馴染ってことになるのかな。
ともあれ、いじめに厳しい近所のヨシコねえさんが駆けて来たので、メガネは、ぬぅまずいと言って走り去っていった。
「瑠久内、大丈夫? 怪我は無い?」
別にいじめられていたわけではない。けれど、怪我はある。少し頭にたんこぶができているくらいだ。
「ねぇ、いじめられてること、瑠久内のママには言ってあるの? 瑠久内が言えないなら、わたしがかわりに言っておいてあげよっか」
「……よしてくれ。別にあれは、いじめじゃないし、心配させたくないんだ。研究に集中させてあげたいし」
「優しすぎるよ、瑠久内は」
「うーむ、そうでもないとおもうが」
「あらまぁ、謙遜なんかするようになっちゃって。……それにしても、あのメガネボーイ、また瑠久内を超能力で操って電柱に頭突きさせるとか……あぁ、こんなにコブできてる。なでなで」
今日も優しく撫でてくれるおねえさん。俺の大好きなおねえさん。これだから自爆はやめられない。いつだって俺にときめきをくれる。
今だ。今しかない。言うんだ。俺はヨシコねえさんに長年温め続けてきた想いを伝えよう。唐突だなんてことはない。ずっと言いたかったんだ。今まで勇気が出なかったけど、頭がぼーっとしてる今なら言える。いつも守ってくれるおねえさんのことが大好きだと。
「あ、あのさ、ヨシコさん。なんで、俺に、こんなに構ってくれるんだ?」
「ん? どうしたの?」
「まさかとは思うが、俺のこと、好き……なのか?」
「うんにゃ、全然。そういうのは無いよ。ゼロ。何言ってんの」
わおショック。初恋あっさりやぶれたり。やっぱり告白とかやめよう。
「けど……」
「え……? けど……何?」
次の言葉を待つ。今はまだだけど、未来はわからないみたいな言葉を浴びせてもらえるんじゃないかと期待しながら。
「瑠久内のこと、すっごく可愛いとは思ってるよ。ほら、よく言うでしょ……」
待て。
まさか。
やめてくれ。
その言葉は。
ヨシコねえさんの口からは聞きたくない。
「『出来の悪い子ほど可愛い』って」
にこにこしながら。
嗚呼、この町には、思った以上に、かあちゃんを苦しめる悪魔的な言葉が浸透してしまっている。
最悪の気分だぜ。
もっともっと賢く育って、いつの日か、全ての人間の脳内辞書から、あんな言葉を消滅させてやる。それが、溺野輪家の悲願。俺ができなかったら、俺の子孫がこの熱き志を受け継いでくれると信じよう。
「お、俺の脳内辞書に! 出来の悪い子ほど可愛い! などという言葉は! なぁい!」
【おわり】