狗神黒の本気
放課後。
六限目がなくなったため、空いた教室に僕と榎本、狗神はいた。
三人以外の生徒はすでに下校しているか、部活をしている。
狗神が口を開く。
「何が起こったのですか?」
榎本が携帯電話の画面を見つめている。
「どうした? 榎本?」
榎本は携帯電話の画面を僕たちに見せる。
そこには今回の騒動が榎本の友人の手によりメールという形で記されていた。
メールの内容を回想風に記してみる。
五限目。
小テストを最初に行ない、いつも通り歴史の教科担任の教師はDVDを準備室から出して机の上に置いた。
「再生しろ」
そう言うと教師は眠り始めた。
教科担当の女子はDVDの箱を開ける。
いつもは『縄文文化』など、DVDに記載されているのだが、そのDVDは無地だった。
不審に思ったが、クラスメイトの早くしろとの声にDVDを再生機器に入れる。
「え……!?」
途端にスクリーンに映し出されたのは、男女が裸で絡み合っている動画だった。
「きゃー!」
「えぇ!?」
悲鳴が視聴覚教室を支配した。
女子は顔を覆うが、その瞳は動画を観ている。
一方の男子といえば、わいわい騒ぎながら動画を見て股間を膨らませている。
「はっ……どうした?!」
ようやく教師が目を覚ました。
生徒の騒ぎを見て、スクリーンいっぱいに映し出された動画を見た。
「なんだこれは?! 動画を止めろ!」
慌てて機器を操作するが、慣れていないため止め方が分からない。
「先生。それは音量ボタンです!」
教師がボタンを長押しすると、女の嬌声が視聴覚教室の外まで響き渡った。
「わ、わたしは知らないぞ! 自習、そう、今日は自習だったんだ。そう言え!」
そして、盛大に転けながら視聴覚教室から出て行く。
今まで散々生徒をイジメてきたのだ。
教師の味方をする生徒などいるはずがない。
結果、警察に捕まることになったのだ。
「内容は分かりました」
狗神が無表情につぶやいた。
何を考えているのだろう。
「ひとつ質問させて下さい。春日野さんは昨日、本当に家に居ましたか?」
「ん?」
意味の分からない質問に、首を傾げる。
「意味が分からないな」
狗神は僕の方を見て、言った。
「歴史の教師を恨んでいる、憎んでいる生徒はたくさんいるでしょう。だから、このことは三人だけの秘密、ということにしましょう」
そう、前置きして狗神は椅子に座った。
僕らも近くの椅子に座る。
「私の予想ですが、私が転校してきた日、放課後に春日野さんはレンタルDVDの店に行ったんじゃないですか?」
「……」
答えない。
今の狗神は何か『違う』。
迂闊に返事をすれば、比喩的にだが、喉元を食い千切られかねない。
そんな危うさを狗神は醸し出していた。
「肯定と受け取ります。レンタルDVDの店は閉店セールで一枚十円だったそうですね」
「えぇ。そうだけど?」
榎本が返事をする。
榎本も本能的に分かっているのだろう。
狗神が何を言いたいのか。
「千円あれば百枚借りられます。そして、一日あれば学校に忍び込み準備室のDVDを百枚のアダルトDVDにすり替えることが可能です」
狗神がこちらを見る。
メガネ越しの視線は無感動に無表情に僕を責めているように思えて、僕は視線を逸らした。
「だから、学校を休んでいた僕が怪しいと?」
「はい」
即答だった。
その目が純粋に好きだから。
だから僕は、気まぐれに汚名を被ることにした。
「そう、僕がやったんだ。だってあの教師、ウザいだろう。だから天罰さ。自分の持っているDVDを確認もせずに再生させる愚かな、愚鈍なあいつが悪い。だから僕は悪くない」
狗神はじっと僕を見つめたあと、一言つぶやいた。
「そう、ですか。それでいいんですね?」
狗神は最後の最後で気付いた。
だけど、狗神が確認し、僕が応えた以上、もう狗神には何も出来ない。
「さあ、これで探偵ごっこは終わりだ。帰ろう」
時刻を見ると、まだ四時半だった。
「狗神、榎本、見逃してくれたお礼に何か奢るよ。何がいい?」
榎本と狗神は互いに目配せをして、それぞれ言った。
「ジャンクフードでお願いします」
「ドリンクバーがいい」
僕は二人を連れて教室から出た。
ファミレス。
狗神はハンバーガーを頼み、食べている。
「狗神はバーガー系が好きなんだな」
「はい」
榎本がドリンクバーで炭酸飲料を入れて帰ってきた。
「榎本。本当にドリンクバーだけでいいのか? 榎本の親、今日は遅い日だろ?」
なんで知っているのよ、と榎本は軽く僕を蹴り、ストローで炭酸飲料を飲み始めた。
「では、私は帰ります」
狗神がバーガーを食べ終わり、席を立った。
それを榎本が横目で見る。
完全に狗神が視界から消えてから、榎本は僕の方を向いた。
「……ありがと」
感謝されることをした覚えはない。
いや、あのことか。
「ん?」
一応気付かないフリをする。
だが、榎本は覚悟を決めたのか、しゃべり始めた。
「実はわたしが、百枚のDVDすり替えをやった」
実際は十枚だけだけど、と付け足す。
どれが再生されるか分からないから、と付け加え、遥はピンポイントで再生するDVDを予測出来てすごいねと言った。
「でも、よく考えたらバレるよね。誰がDVDを借りたのか。それにDVDにちゃんとタイトルが印刷されているから、再生する時に気付くよね」
「そうだね」
僕は水を飲みながら相づちをうつ。
「でも、DVDは無地だった。それに、確認したら、準備室の他のアダルトDVDも抜かれていた」
「へぇ」
榎本は僕を見た。
その目は狗神と違い、苦悩から解放された人のようだった。
「遥がわたしがDVDをすり替えた後、またすり替えた。でしょ?」
「なぜ僕だと思うのかな?」
榎本は今日の僕のセリフを反すうした。
「榎本。僕は風邪が再発したっぽい。だから、フラフラな僕を保健室まで連れて行ってくれないかな」
「僕のセリフだね」
僕はこの時点で自分のミスに気付いた。
だが、後の祭りだ。
「遥。風邪は昨日治ってたんじゃないの? それで、最初から性交シーンがあるDVDをわたしに見せたくなくてワザと嘘をついたんでしょ?」
アダルトDVDの多くは性交シーンの前に前戯のシーンがある。
今回僕が仕込んだのは『動画編集して、最初から性交シーンのあるDVD』だ。
だから、榎本には見せたくなかったし、狗神にも見て欲しくなかった。
「榎本がやらなきゃ、DVDのすり替えは僕がやってた。今日の朝、準備室に入った時に榎本のDVDに気付いたんだ。その時は榎本だとは気付かなかったけど……」
「嘘つき!」
榎本が大声を出す。
店中の客の視線が集まる。
それに気付いた榎本は小声で言った。
「……わたしがDVDを借りたとこ、見ていたでしょ」
「なぜ断言出来る?」
榎本は僕を見た。
あぁ、この目は嫌だ。
僕を信じている者の目だ。
「だって、遥はそんな方法で教師を逮捕させたりしない」
「人間性の話かな? だけど、僕があの教師を嫌いなことは榎本も知っているだろう」
まあ、実際榎本がアダルトDVDを借りるのを見るまで、実行するかは半々だったけど。
半分はやる気だったのだ。
「すり替えた証拠ならある」
「証拠?」
戯けて返事をする。
既に話題は榎本がアダルトDVDを借りたことを見たかどうかではなく、僕がすり替えたかどうかに変わっている。
榎本は有無を言わさず僕のカバンを開けた。
「……やっぱり」
そこにはゲーム機数台と、十枚のアダルトDVDがあった。
「遥。まだ言い逃れをする?」
言い逃れもなにも、途中から犯人だと言っているようなものだが。
「いや、無理かな」
アダルトDVDは後で処分する予定だったのだが、見つかってしまえば仕方ない。
「確かに僕がやった。けど本当にアダルトDVDを借りたのが榎本だとは知らなかったんだ」
「最後まで嘘つきなんだね」
榎本は新しくジュースを入れにドリンクバーコーナーに向かった。
僕はそれをいつまでも眺めていた。
翌日の木曜日。
榎本が嬉しそうに何かの券を見せつけてくる。
「実は商店街のくじ引きで二泊三日の旅行券を近所のおばさんが当てて、その券を貰っちゃった!」
僕はゲームをしながら上の空で返事をする。
「出発は明日の夜七時だよ」
「へぇ~」
だから、と榎本が僕のゲーム機を奪う。
「遥も狗神も行くの!」
「私もですか?」
何時の間にか登校して席に座っていた狗神が首を傾げた。
「だって、荷物持ちが必要じゃない」
狗神は分かりましたと言い、了承の意を示す。
「遥、は当然行くよね」
「なぜ?」
榎本は水を得た魚のように言った。
「アダルトDVD。口止め料」
本来なら、口止め料を払うのは榎本なのだが。
「分かった」
僕は了承した。