3
3
「コンビニ強盗の送検すら済んでないのに、なんでこんな訳のわからへん案件を引き受けるんですか!?」
椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がり、署長の指示を伝えた原田に噛み付いたのは北方。
猫目の目尻を更に釣り上げ、原田に詰寄るさまはどちらの階級が上か解らない。
身を仰け反らせ、彼女の圧力から逃れようとする原田を横目に白川は、原田から渡された資料を眺めながら言う。
「署長命令ですよ、抗弁できる訳無いやないですか」
「部下の置かれた状況を考えながら、上司の命令の中身を判断するんが、中間管理職の仕事でしょ?まぁ、君は署長の覚えがめでたくなるんで大歓迎やろうけどね」
年齢は上、しかし階級は同じという、微妙な立場の上司からの嫌味を無視し白川は資料に集中する。
「亡くなりはった川岸清子さん言うたら、夕陽丘町あたりにようさん土地もってはる地主で資産家ですわ、みょうな宗教凝ってはるて、ご近所さんが言うてたけど」
そう呟いたのは曽根、よこで小磯が感心しながら「そうなんですかぁ」と相槌を打つ。
「兎も角、我が係りの現状を見れば、こんな海のもんとも山のもんとも言えん案件に時間も人員も割くわけには行けませんよ、どないしはるんです?係長?」
詰め寄る北方、対して「う~ん」と腕組みし唸るだけの原田。
「僕も、主任の意見には賛成です。大国町のひったくりは多分最近管内や西成で連続してるひったくりと同一犯やろからホシを上げれば西成署にエエ顔できるし、恵美須東の質屋強盗の被害者はうちの盗犯係の檀家さんやから、あっちに貸しが出来る。それに連続放火の件を放置したら、天王寺署に何言われるか解りませんからねぇ」
と、曽根。そんな彼と北方を交互に眺めた後、原田は切り出した。
「まぁ、二人がいうのも解るけどなぁ、僕は署長とは別の点でこの件が気になんねや」
「何処ですん?」と北方に手元の資料の一角を示しながら答える。
「岸川清子さんの遺留品の中に、薬が有るやろ?『聖山遥拝講』は近代医学にでの治療を避けるのが教義やって、資料に有るのに矛盾して無いか?」
もう一度資料を凝視する一同。「確かに・・・・・・」そうつぶやくのは小磯。
「その『御仙水』いうのだけやったら不安やったんちゃいますか?マル害も」
北方の切り返しに原田は「かもしれん」と返しつつも。
「けど、その薬『抗コリン剤』って有るやろ?これ、尿意を抑える薬効が有るらしい、つまりおしっこを出にくくする作用やな、つまり清子さんは水をガバガバ飲みながら、おしっこをを抑える薬を服用してたんや、不思議な行為やろ?」
と、言って原田は一同を見渡し、最後に自分の傍らに立つ北方を、そのタレ目で見つめる。
「ご利益のある『御仙水』を体から出すのを少しでも防ぎたかったんちゃいますか?」
なぜか不意に視線を外し、あらぬ方向を見ながら答える彼女、対して原田はまだ見上げつつ。
「かもしれん、じゃぁ、その発想は教団の指導か、自分の思いつきか、誰かの入れ知恵か?でも間違いなく言えるんは、これを服用してたから体内の水分の放出が阻害されて、水中毒の症状が出やすなった言う事や思う。医師の診断書にもそう書いたぁる」
一斉に部下の視線を集める原田、その目線を一つ一つ返しながら彼は言う。
「この件がはっきりしたら、署長の言うとおり教団の過失が問えるのかどうかが解るやろうし、もし、そうでなければ抗コリン剤の服用を勧めた人間に刑事責任を問わなあかん事態にもなりうるかもしれんと思う。そこでや、とりあえずコンビニ強盗の送検が終わったら、この件をやってみぃへんか?ひったくりと質屋強盗は合間をみて聞き込みの続行と品ぶれをやっていこう、連続放火もおんなじや」
肩をこれみよがしに落とし、大きなため息を一発漏らしたあと北方は。
「コレで、殺しの帳場(捜査本部)がうちの署で立ったら、はっきり言うてパンクですわ」
原田は、頭を深くたれ「スマン、堪えてやぁ」と、両手を合わせ皆に向かって詫びる。
「じゃぁ、私は教団の本部がある天川村に行ってきます」
まっ先に挙手をしたのは白川、そしてまだ悠長に資料を眺める小磯を指差し「君、俺に付いてこい、女性信者の話が聴きやすなる」
自分を指差し、キョトンとする彼女を気の毒そうに眺め曽根は口の中で「ええとこ取りの点取虫様の出撃やな」とつぶやいた後で。
「ほな、僕はマル害の身内に合って来ますわ、家も知ってるし」
「じゃ、私は教団と係争中の弁護士に事情を聞いてみるわ、ひょっとしたら『御仙水』とかの関わった健康トラブルが他にも有るかもしれんもんね」
そこまで言って言葉を切り、不意に原田を見下ろし。
「で、係長はどないしはります?私と一緒に行きますか?」
問われた彼はまた「う~ん」とうなって天井をしばらく睨んだ後、済まなさそうに答えた。
「僕、弁護士先生はニガテやから、曽根くんと一緒にマル害の身内に合うてくるわ」
しばらく彼を睨んだ後「あ、そうですか」と如何にも突き放したように言い捨て、北方は再び自分のデスクに付き、またあの雨だれのようなタイピングを始めた。