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 やはり、二階にある署長室も暑かった。

 が、当の署長である平戸泰彦警視正は、文字通りの涼しい顔。寸分の隙もなく着こなした夏の制服の空色も爽やかで、部屋の澱んだ暑さを忘れさせてくれる。

 それにも増して、入室してきた原田と藤本の肝を寒からしめたのは、先客の有様だった。

 地域課課長の上村警部。制服のシャツの背中には広大な汗ジミ、横に並んでみれば広すぎる額には玉の汗がビッシリ、それとは対照的に顔面は蒼白。

 震える声で彼は、署長に詫びる。

「も、申し訳、ご、御座いません。今後、この様な稚拙な事件処理は一切無い様に・・・・・・」

「詫びなど必要ない。それより彼らに一昨日のあらましを説明したまえ」

 絞り出すような言葉を途中で遮り、署長は上村に冷たく命ずる。

 そして、彼から訥々と語られたのは、あべの橋駅と天王寺駅のあいだを走る我孫子筋の路上で起きた、真夏の椿事の一部始終。

 老婆の突然の発作から、部下の行なった救命処置、現場の目撃者や、後に病院に現れた家族からの事情聴取、医者から下された死亡の宣告と死因の内容等など。

「医師の診断書も、当時周囲に居った目撃者の証言も、事件性を示すものが無かったですし、血中のナトリウムが低下したことによる痙攣と昏睡、つまり低ナトリウム血症と言うことで、立派な病気やと判断して、遺体を遺族に引き渡したんですが・・・・・・」

 そう、藤本を下目使いで見つつ言う上村の言葉を再び遮り、平戸は彼に零度を下回る視線を飛ばしながら言った。

「そう言う自分に都合のいい予断が重大事件を見逃すことに成りかねんのだ」

 普段から甲高い平戸の声が更にオクターブを増し、苛立ちの濃い色がにじみ出る。二人は息を飲んだ。

「医師の診断書には、低ナトリウム血症の原因を恒常的かつ異常程の水の多飲としている。つまり水中毒だと、これだけでも異様さを感じないのかね?その上、彼女の遺留品の中には大量の水入りのペットボトル。新興宗教『聖山遥拝講』の経典二冊」

 そこで言葉を切り、今度はあの凍える視線で二人をなで斬りにしたあと、

「『聖山遥拝講』だよ、君らも名前は聞いたことが有るだろ?うちの本社(府警本部)捜査二課がマークしているカルト教団だ」

 と、言い放った。

 奈良県吉野郡天川村の大峰山脈の只中に、『根本道場』と称する教団本部を構える新興宗教。

 修験道をベースにし、陰陽道や真言密教、そのほかの東洋的神秘主義をゴタ混ぜにした教義を説き、スピリチュアルブームの追い風に乗って信者は増大中。

 特に、大峰山脈の湧水を『総先達』と呼ばれる教祖自ら行う特別な祈祷で霊力を強めた『御仙水』なる水を飲めば、万病を退け、悪霊を追い払い、運気も上昇すると言う教えは独特で、そのただの湧水を、高級洋酒並みの値段で信者に売りつけ、詐欺まがいのトラブルも起こしている、と、原田も警察学校同期の二課の刑事から聞いていた。

「では、マル害が飲んでた言う水も、大量に持ち歩いてた水も『聖山遥拝講』が売りまくってる『御仙水』やった言う事ですか?」

 訪ねたのは藤本、その彼を見据え平戸は答える。

「無論だ、彼女はこの水を多飲し、水中毒を発症して死に至ったんだ。ここまで言えば、君らなら解るだろ?」

「つまり、マル害は『聖山遥拝講』の教義が原因で死に至った。言う事ですか?」

 原田は平戸と、小さくなっている上村を交互に見ながら言う。

「そうだ、これは業務上過失致死に当たるんじゃないかね?」

 思わず天井を見上げてしまう原田。

 確かに、教義に従い水を飲みすぎてそれが死因と成ったと言えるが、それが教団の過失による物と言えるかといえばそれは少々辛い。

 教団がどれだけの量を飲めと指示した証拠が無ければ、そして『一日、どれくらい飲むかは信者の自由に任せている』と、言われれば、それ以上捜査のしようは無くなる。

「教義と、水の多飲の因果関係、立証するのがコトですなぁ」

 後頭部を掻きながら藤本、その態度が感に触ったのか平戸の声のトーンが更にアップした。

「そんな事は、百も承知だ!しかし、本社の二課が重大な関心を持っているカルトに絡んだ案件を、ただの病死で処理しスルーしたと言う事が上の耳に入れば、我々の印象はどう映るか、想像するまでも無いだろう?」

 要は、府警本部への覚えめでたくしたいが為に、こんな些細な事でも見逃していないと言う実績を作りたいが故に捜査しろと言うことか?

 原田はそう、理解した。

「原田係長、今すぐ地域課から資料全般を抽出し、君の所の強行犯係でこの件を内定捜査したまえ、捜査状況は藤本課長を通じて私に逐次報告すること、その内容を見て、送検するか否かは私が判断する」

 突然振られた話に、かなり狼狽しながら原田は平戸に言う。

「あの、今朝逮捕したコンビニ強盗の送検もせなあきませんし、大国町のひったくり、恵美須東の質屋強盗の捜査もまだ途中で、天王寺署との合同の連続放火の方も有るんですが?」

「並行して捜査しろ、人手が足りんなら地域課にも手伝わせろ」

 取り付く島もないとはこの事「はぁ」と、原田は気合の足らない返事を返すほかなかった。

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