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『節電の夏』と呼ばれる怪物は、警察署と言えど容赦なく襲ってくる。

 蛍光灯は間引かれ、エアコンの設定温度は二十八度を下回ることは許されず、恵美須署四階にある刑事課の部屋も、係長級から巡査に至るまで、皆が薄暗い中で扇子や団扇で自分を扇ぎ暑気を何とか近づけまいと抵抗する。

 強行犯捜査係長、原田朝輝警部補も、駅前で配っていたフィットネス・クラブの広告が入った団扇を気だるく扇ぎつつ、部下であり、この係の主任を務める北方眞子巡査部長が作成した供述調書に目をとしていた。

 癖のある纏まりのない髪、少しタレ目なおかげで何時も困ったように見える表情だが、今は文章を真剣に読んでいるせいで眉が顰まれ、余計に困り顔に見えている。

 だが、一瞬、調書に書かれた被疑者自身が、自分の逮捕された状況を供述した箇所に差し掛かると、眉の間が広がり、口元が笑いをこらえて歪む。

 そして、今朝起きたばかりの逮捕劇において、活躍の一端を担ったこの調書の作成者を見やる。

 当の本人は、ノートPCを睨み、両手の人差し指だけを使い、雨だれ様の不規則なキーボード音を立てながら、犯歴紹介の申請書を作成中。

 原田とは対照的な猫を思わせる吊眼は、親の敵のように液晶画面を睨み、意志の強さを表す引き結ばれた口元は更に硬い。

 機械に徹頭徹尾弱く。携帯電話も、今時折り畳めない物を愛用中なのは確認済み。しかし柔道は黒帯、逮捕術は府警でもトップを誇るまさに猛女。

 今朝も、思わぬ罠に狼狽し、狭いコンビニの店内で百均包丁を振り回した哀れな派遣労働者崩れのコンビニ強盗を、ジュリー審判も黙って有効と認めるような鮮やかな払い腰でリノリュームの床に叩きつけたのは彼女だった。

 その北方巡査部長の斜め前に座り、彼女とは雲泥の差の鮮やかなキーボード使いで押収品目録を作るのは、逮捕劇の主役、小磯静花巡査。

 警務課からこの春に配属されたばかりの新人。女性としては一般的な体格である北方から比べればかなり大柄、太っている訳では無いが、カラダのつくり其のものが大きいとしか言い様がなく、顔つきも童顔で温厚、性格も体格そのままのマイペース。

 そんな彼女が、今回はコンビニのユニフォームに身を包み、マスクで顔を覆った包丁男とカウンター越しで対峙したのだ。

 一番危険な役割であり、最初は武勇に優れた北方か男性警官に任せようと考えたが、被疑者を油断させるには警戒心を抱かせない彼女が適任と判断、本人も「わ、私でよろしければ、お任せ下さい」と、承諾したので任せることにした。

 これが結果的には正解だった訳で、ものの見事に被疑者は警察が罠を張るコンビニとは気づかずに、彼女のユルイ雰囲気に騙され仕事を開始してしまったのだ。

 手にした紙袋からタオルに包んだ百均包丁を取り出し、慣れた要領で切っ先を彼女に近づけ「マネー!マネー!!」と外国人を装ってカタコトで吠えたは良いが、突然、バイトの女子高生にしか見えない彼女から警察手帳を突きつけられ「ごめんね、私、警察官やの」とやられ、慌てて逃げようとすると既に背後には身構えた男二人と女一人。

 ここで彼はまた過ちを犯し、包丁を振りかざした相手が北方巡査部長。女イコール弱いと言う固定観念が身の破滅を招き、一振り目は交わされ、二振り目で腕を取られ、そのまま冷たい床に転がされる羽目に成ったのだ。

 ちなみに北方には毛ほどの怪我もなく、ただ、綺麗に結い上げたロングヘアーがはらりと解けただけ。

 これら一連の作戦に必要な下準備をそつなくこなしたのが、小磯の前に座り、営業マンのような朗らかな笑を絶やさず電話をする曽根義晶巡査長。

 多分、相手は今日世話になったコンビニの経営者だろう。

 小磯と同じ時期に地域課から異動になった彼もルーキー。

 小ざっぱりした短髪に、人あたり良さそうな容貌で、事実地域課で制服警官をやっていた時から街の住民ときめ細かい親交を結んできた人付き合いの良いマメな性格。

 逮捕劇の舞台になったコンビニの経営者とも顔なじみで、交番勤務の時も客として通い人間関係を構築し地域の情報を吸い上げてきたつまり『檀家』の一つだった。

 で、このコンビニを選んだのは、北方の前で捜索差押許可の申請書を作る白川雅也巡査部長。

 殆どがポロシャツやデニムワークシャツに釣りもしくは作業用ベストという出で立ちの係内において、唯一カッターシャツにネクタイ姿、椅子の背もたれにはサマーウールのジャケット。

 丁寧に整えられた髪に、怜悧そうな眼差しで液晶上の文字を追う。

 管内や近隣で連続していたコンビニ強盗の被害に遭った店をリストアップし、地図上に起して被疑者の行動パターンを分析、JR環状線沿いのコンビニを一週間置きに西から順番に狙っている事を突き止め、今回、舞台になった店で網を張る事を主張したのは彼だった。

 ここまで言うと、それぞれが自分の持ち味を遺憾なく発揮し、見事なチームプレーで逮捕を成し遂げた様に聞こえるが、成功に至るには紆余曲折、北方は自分が囮になると最後まで主張し、白川は半ば強引な作戦に、失敗した場合の自分のキャリヤが心配な故に徹頭徹尾反対、曽根は大事な『檀家』にいらぬ迷惑をかけぬか真剣に悩み、小磯は結局囮役を承諾するまで自分の意見は言わずに終わってしまったと言うのが真相。

 それぞれ自説、持論、自分の都合ばかりを主張する面々を、なだめすかし拝み倒して自分の立案した作戦を実行に移したのは、係長である原田の骨折りで、彼自身なんとか薄氷を踏む思いで無事な解決に胸をなで下ろしつつ調書の推敲をしているのだった。

 一字一句に目を通し、タイピングが下手くそな北方が作成した割には誤字脱字が無い事に感心し「よし、コレでエエで」と彼女に返そうと頭をあげたとき、視界に飛び込んだのは直属の上司であるこの部屋の主、刑事課課長の藤本道夫警部が、自分に向かい手招きをする姿。

 脂と汗で光る禿頭、太い眉、分厚い唇、少々立派が過ぎる体格。如何にも今まで彼が歩んできた刑事畑のキャリアを体現したような容貌風格。

 そんな押し出しの効く風貌の彼が、自慢の大声を出さずに黙って手招きを続ける。

 間違いなくいい話では無いなと思いつつ、席を立ち、北方のデスクに「コレでOK」との言葉を添えて調書を置くと、藤本のそばへ小走りで近寄る。

 近くに原田が来ると、その分厚い手で彼のなで肩を掴み、室外に誘いつつ陰に篭った小声で囁いた。

「署長が直々に君をお呼や、なんや一昨日、地域課が扱ったあべの橋駅の前で行倒れたばあぁさんの件で、話が有るらしい」

 下がった眉毛を更に下げ、怪訝な面持ちで。

「え?あれは、病死なんで事件性は無いから、おたくらの出番は無いでって、地域課の課長から直に言われましたけど」

「病死は病死でええんやが、まぁ、詳しい話は署長室でしようや、わしもいくさかいに」

 そう言いつつ、半ば強引に廊下に連れ出され、背中を押される形で原田は、訝る部下たちを残し署長室に連れ去られた。

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