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 翌朝、手錠、腰縄姿で現れた紗江子を前に、原田は定番の言葉をかける「眠れましたか?」

 対して彼女はまた、あの、寂しそうな笑いを浮かべ「全然、まぁ、留置場なんかでグーグー寝れる人って、そうそう居ませんもんねぇ」

 差し障りのない微笑を返すと「食事は?食べられましたか?」

「やっぱり、食欲が無うて、それに頂いたお弁当のがんもどきの煮物、塩辛ぅて一口頂いただけで残してしまいましたわ」

 申し訳なさげに答える紗江子に相槌を打ちながら原田。

「ここの警察署がいつも取ってる弁当屋の幕の内でしょ?あそこ味付けが濃すぎて適わんのですわ、気にせぇへん署員は皆あそこの弁当買うんですけど、僕は苦手やし、血圧も気になるんで家から弁当持ってきてます」

「へぇ、奥様の手弁当ですか?」少し表情を緩めつつ紗江子。原田は即座に、あっさりと答えた。

「いいえ、娘の手弁当。十一歳の娘が学校行く前に早起きして作ってくれる弁当です。妻は娘が五歳の時に家出ました」 

 途端に紗江子の瞳が伏せられ、机の上を左右に泳ぐ。原田はその視線の行方を注視しながら言葉を続ける。

「まぁ、大学教授の娘で、お嬢様で、キャンパスでもアイドル的な存在で、それが何が気に入ってくれたか解りませんけど僕と付き合ってくれて、結婚までしてくれたんですよ。でも、やっぱり僕は退屈な男やったんでしょうねぇ、見事にげられました」

 その後、頭を掻きながらあははとあっけらかんと笑ってみせつつ紗江子の様子を盗み見る。じっと動かず、机の上か自分の膝を見つめる。

「助かったんは、彼女はなんの執着も無い人でしてね、お父さんも僕に同情してくれて、離婚の話し合いもスムーズに済んで、今住んでるマンションも彼女のお父さんが買うてくれたんですけど、それも手元に残って、僕の被った迷惑いうたら、警察内部で「女房に逃げられた男」いうレッテルが貼られた事くらいですでしたわ。保守的で古臭いところのある組織ですからここは」

「そんな人、さっさと別れて良かったんですよ、刑事さん」突然、紗江子が話し出す。

「ご主人も投げ出して、娘さんも捨るような人、もし、その後も結婚生活が続いたとしても、ロクなこと無かったんちゃいますか?今は娘さんが居はるからええですやん、娘さんの将来を楽しみに出来る」

 原田はまた頭を掻く。

「親ばか承知で言いますけど、まぁ、僕に似ずべっぴんで、クラスの人気者らしいですわ、ただ、気ィが強いのが玉に瑕で、あれの旦那さんになる人は将来尻に敷かれること間違いなしですわ。まぁ、将来楽しみなんは、間違いないですけど」

 ここで彼は照れ笑いを辞め、穏やかな表情を崩さずに、しかし、真摯な視線を紗江子に向けて言った。

「あなたのお父様も、きっと将来を楽しみにされてたでしょうね」彼女の体が、明らかに硬直した。原田は続ける。

「失礼ながら刑事の仕事上、あなたの身上を調べさせて頂きました。それでビックリしたんですよ。あなたの子供やった頃の境遇が、うちの娘そっくりやったんに、お母さんは四歳の時に家を出て、あとはお父さんと父一人娘一人の暮らし・・・・・・。銀行の融資係と、ノンキャリの警察官とはレベルはちゃう思いますけど、責任の重さとアホみたな忙しさは一緒でしょう。お父さんのご苦労、僕も身にしみて解ります。まぁ、流石に教育に悪い職場なんで、お父さんみたいに自分のデスクの横にベビーベッドおいてまで面倒は観ませんでしたけどね」

 紗江子は一言も発しない。ただ視線はひたすら原田を見つめる。彼も、決してその視線を離さない。

「大きくなられたてからは、逆にあなたがお父さんを支えはった。学校や職場が終われば飛んで帰って家事。遊びもせず、恋もせず、ひたすらたった二人の家族の暮らしを守り抜いた。その姿も。僕の娘と被るんですよ、まぁ、あっちは父親に気に入らんことが有ったら「税金ドロボー」呼ばわりする根性のキツさを持ってますけどね」

 自虐的なネタを入れ、紗江子の反応を見る。何も変わらないのを確認して、原田はここから本題に入る事を決めた。

「そんな、大事なお父さんが亡くなられたのは、ショックやった思います。そんで、間もなくあなたの前に現れた涼一さんに惹かれた理由も。雰囲気、お父さんにそっくりですね。お年もそんなに大差ない。周辺で聞き込んだ評判も、生前のあなたのお父さんそっくり、真面目で気が優しい大人しい努力家」

 原田が一旦口を閉じ、ひと呼吸置くと紗江子はすかさず言葉を挟む。

「私みたいな女には、過ぎた人でした。そやけど、優しいしてもらいまいました。お義母様も、やっと家にも嫁が来たいうて、ホンマに喜んで頂きました」

 彼を見ず、そう言ってのける紗江子への観察を続けながら原田は再び口を開く。

「勿論、ご主人の死についても、調べました。膵臓がんやったんですね、それが解ったのはあなたが半ば強引にご主人を病院に連れて行ったからと、以前あなたが相談された弁護士の先生から聞きました。それ以前もそれ以後も病院で処置せへぇんかったのは、お義母さまのご指示ですか?」

 黙ってうなづく紗江子。原田は続ける「あなたは、どうされました?」

「あの頃、わたしは信仰に対して、すこし懐疑的なところもありましたから、お義母様とは主人の病気をめぐり何回かやりあいました。そやけど、主人はお義母様の言うことを聞いて、病院にはかかろうとしいへんかった。私みたいにブレが無かったんですよ、主人もお母様も」 

「では、そのブレが紗江子さん自身から亡くなったんは、いつ?私らが調べた範疇では、ご主人が亡くなられてからも、あなたは信仰への懐疑を捨ててなかかった。それどころか、お義母様や講を相手取って裁判の準備もされてた。では、いつ、何で信仰を篤くするする様に成ったんですか?」

「主人が亡くなって、もう何もかも世の中のモノが憎くて憎くて、刑事さんが仰るように一時期は講やお義母様も憎みました。はっきり言うて、心は闇の中ですよ。そんな時、ふと、お経を読み始めたんです。最初は主人の霊を慰めるためやったんですけど、講から頂戴した経典には、総先達様がされたお経の解釈がきっちりと載ってるんでそれを読み始めたら、自分の心の中の暗い霧がさーっと晴れるような気がして、そうしたらお義母様や講に対する憎しみは消えて、主人の死をやっと平常心で受け入れりことが出来る様になったんです」

 そう語る彼女の顔は原田を向いていたが、視線はその目を見ては居なかった。彼はじっと彼女を見据え、訪ねた。

「紗江子さん、本心から、そう思うてはるんですか?」

「はい、本心です。私は、総先達様のお言葉に導かれ、気付いたんです」

 今度は、原田の目を睨むように見つめ、紗江子は答えた。

「紗江子さん、私はあなたが本当のことを言うてるとは、これっぽっちも思うてません、あなたはご主人の死が、お義母様の行き過ぎた新興のせいであると思い、彼女を憎んだ。そんな中であなたはテレビドラマで水中毒の存在を知り、それが復讐に利用できないかと考え、専門書を取り寄せ調べ、信仰を利用してお義母様を死に追いやる計画を立てた。そのためにあなたは講の教義を熱心に勉強し、足繁く根本道場に通い、総先達や幹部信者の信頼を勝ち取り、教団での地位固めを行い、お義母様を逆に指導できる立場についた。そして、お義母様に今まで以上に御仙水を飲むように強要し、効果を失わないようにと偽って、抑尿作用のある抗コリン剤の服用を始めさせた。それが私らの考えてるお義母様の死の本当の経緯です」

 そこで言葉を切り、彼女の反応を見る。先ほどと同じ、原田のほうを見て、しかし彼の目は見ず微動だにしない。

「紗江子さん、私らは、あなたをこのまま業務上過失致死の容疑で検察庁に送ることもできます。あるいは、強引に殺人の容疑で送検することも出来る。けど、それでは私らの居る意味がない。私らの仕事は、あなたがあなた自身のやった事をきっちり認識して、行くべきところへ行き、罪を償ってもらうようお手伝いをする事です。もし、このままあなたがご自分のしたことを隠し続け、起訴されて有罪になれば、法律上はあなたは本当の罪から逃れる事は出来たとしても、あなた自身の罪の意識から逃れる事はできない。死ぬまで永遠に自分の作った嘘言う名前の牢獄に収監され続けることになる。僕は、それは、無期懲役よりも死刑よりも辛いことや思います」

 北方の雨だれのようなタイピングの音が止まると、原田の、紗江子の、北方の息遣いだけがかすかに聞こえるだけで、取調室は重苦しい沈黙に支配された。

 原田は紗江子を見つめ続け、紗江子は彼の胸元を睨む。

 長い、長い静寂が続き、それに耐え切れぬように紗江子が口を開いた。

「証拠、証拠は、有りますか?私が嘘を吐いてる言う証拠、私がお義母様を殺したいう証拠、有ったら、見せてください」

 原田は、深くため息を着いて、大きく二度、頭を振った。そして、下唇を噛んで悔しげに黙り込んだあと、意を決した様に顔を上げた。

「仰る通り、これは私らの集めた状況証拠による推論です。物的証拠は無いです。けど、同じ結論に至った人は、実はもう一人おられます」

 途端に紗江子の顔に緊張が走り、今まであえて避けてきた原田の視線に自分の瞳を合わせる「その人って、誰ですか?」

「岸川清子さん、お義母様ですよ」

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