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原田の予想通り、署長室で待っていたのは部屋の主の、絶対零度な視線だった。
「この上申書はなんだ?」落ち着いた声だが表情は能面の様、手には紗江子の書いた上申書がある。黙っている原田に代わり北方が答えた。
「本人が希望したので書かせました。無論、私たちはその内容を信じていません、彼女は明確な殺意の元で義母に水の多飲を迫り、抗コリン剤の服用をさせていたと考えてます」
「当たり前だ!こんな間抜けな話、簡単に信じられてたまるか!だがな、今はこれしか明々白々な証拠は無いんだ。これを元にして、業務上過失致死で送検するしか無いだろう!」
そう、北方に罵声を浴びせた後、原田の隣に黙って立つ藤木に向かい署長は「自白が有ったんだ、今すぐ逮捕状を請求し、業務上過失致死で通常逮捕、速やかに送検したまえ」
「あの、それは、チョット、待っていただいてエエですか」そう、おずおずと言いだしたのは原田、署長が彼を白目をむき出し睨む「なんだね?」
「業務上過失致死の逮捕状は、いま白川君に用意させてます。ご許可さえ頂ければすぐにも裁判所に走らせます。そやけど、すんません、あと拘留期間の四十八時間だけ待っていただけますか?」
「この上なんの悪あがきかね?いい加減しろ!」原田の言葉に被せるように署長の怒声。これに対し藤木が口を開く。
「署長、すんませんコイツの我が儘、聞いたってもらえますか?他の事件がある中を、署長のご指示で捜査して、本来やったらただの病死になるはずやった案件をここまで掘り下げたんです。もうちょっと、こいつらに時間を与えたってもええと思いますが」
口調は穏やかでも、声音は重く態度も半歩前に出て、その立派な体躯で署長の目の前を塞ぐように藤木は言う。
署長は少し身を逸らせ「我が儘で捜査されたらかなわんがな」とブツブツ言いつつも結局は「で、その四八の間で何をするつもりだ?」
「はい、さっき、曽根と小磯を奈良の天川村にある『根本道場』に走らせました。あっちでまだ拾えてない証言がある可能性が出てきたんで、それに、私らはまだこの事件の最初の方で出てきた疑問を解消できてません」
「最初の疑問?なんだ、それは?」やっと、署長は原田の言葉に興味を持ち始め、少し身を乗り出して来る。
「なぜ清子さんが『根本道場』に向こうてたかです。べつに当日は講の行事のある日では無かったし、講の側も彼女を呼び出した事もない。その上、彼女の荷物には経典が二冊も有った。一冊は普段持ち歩く簡易な装丁の物で、もう一冊は本来家に置いておく用の豪華な装丁の物、なんでそんな物まで持ち出したのか?」
「そんな事、事件にどう関係が有るんだ?」署長の問いに原田は「まだ、解りません」とたんに「君はふざけてるのか!」と気色ばむ署長。原田は構わず続ける。
「しかし、この清子さんの行動の理由を明かせば、紗江子さんの中に居座ってるお義母さんへの憎悪をどないか出来る思うんです。そうすれば彼女もホンマの事を話してくれるんやないかと」
署長は、呆れ顔で頭を振り、大きなため息を一発吐いて「君は心理カウンセラーか?」と愚痴をこぼしたあと、
「まぁ、藤木課長の言うことにも一理ある。そもそもの切っ掛けは私の指示だ。私も君の我が儘に付き合う義務が有るかもしれん、まだ何かあると言うのらな、調べるといい。ただし、四十八時間以内に何もなければ、逮捕状の容疑の通り業務上過失致死で送致しろ、いいな!」
そう言い放って、署長は三人を部屋から追い出した。
デカ部屋に戻る階段の途中で、藤木は原田に問う「自分、岸川清子の行動の理由を解明したら紗江子が歌う(自供)するいう話、あれ、本気で言うてたんか?」
原田は立ち止まることなく即座に答えた「まぁ、半分半分」藤木、北方はポカーンと口を明け踊り場で立ち尽くす。
「けど、あの清子さんの最後の行動は、何か意味あり気な気がして成らんのです。恒常的に血中のナトリウムが足らんようになって、動くのもままならん状態やのに、電車とバスを乗り継いで二時間半、そこから、若者の足でも二時間掛かるような『根本道場』へ行こうとしてたんは何故か?そこを解明せん限り、このヤマの一番深い部分を明かす事はでけへん思うんです」
そう言って一旦立ち止まり、深々と会釈した後、原田は階段を駆け上がった。
その、後ろ姿を眺めながら藤木は北方に「ま、少々ボケた事言うてる思うやろうけど、しばらく付き合うたってや」
対して彼女は苦笑いを一発やって「当然です、私が居らんと何処へ行くか解らんようになりますからね」と、応じた後、原田の背中を追った。