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初めて紗江子に有った日同様、原田は岸川家の客間に通された。違う点は同行者が北方になった点のみ。
同じように来客用の湯呑に入った『御仙水』が出され、北方は複雑な顔で原田を見つめ、原田は「ご馳走になります」と断りを入れ口を付ける。仕方なく、北方も湯呑を取った。
「今日は、どんな御用でお越しになりはったんですか?」と、萌黄色の作務衣姿の彼女が問う。
北方が、その猫目で彼女を見据えて答えた。
「失礼ですが、わたくし共は、お義母様の一件につきましてあなたを調べまして、その過程で非常に不可解な事実を事柄を見つけましたんで、その点についてお伺いしたいと思うてお邪魔しました」
「不可解と、言いますと?」二人の目の前に座りながら紗江子。
「紗江子さん、貴方、以前この原田がこちらにお邪魔した時、水中毒なんて知らないと、お答えに成られましたよね?あれ、嘘ちゃいますか?」
紗江子は、一旦北方を見つめると不意に視線を逸らし畳を見つめ出した。北方は更に、
「あなた、『特命外科医・如月美冬』いうドラマの、第二話だけを放送局のオンデマンド配信で購入して視聴しはりましたよね?その後、わざわざ『循環器学選書3』いう難しい医学書まで買うてはる。両方とも水中毒を扱った内容です。これでも水中毒いう病気についてなんの予備知識も無かったって言い張りますか?」
うつむいたまま紗江子は何も答えない。しばらく待って、また北方が切り出す。
「それに、あなた、一年前に『聖山遥拝講』を脱会しようとしはりましたね?おまけにご主人の件で弁護士立てて訴訟の準備もされてた。けど、『特命外科医・如月美冬』の第二話がオンエアされた直後、直ぐに弁護士への依頼を取りやめた。これ、何でですか?」
そう、言い終わったとほぼ同時だった。紗江子は急に正座のまま後ずさり、座布団を下りて身を起こし「申し訳ありません!」と半ば叫ぶように言ったあと、深々と頭を下げ土下座を始めた。
原田は驚きに目を見張り、北方は口角をあげる『落ちた』と、思ったのだろう。
額を畳に擦りつけんばかりの姿勢をとる紗江子は、震える声で、
「私、嘘ついてました!水中毒いう病気が有るのは、刑事さんが言うようにドラマで見て知ってました。それで『御仙水』をようさん飲むのも病気の原因に成るんちゃうかおもうて、もういっぺんドラマ見たり、本買うてみたりして調べました。けど、知らんうちにそんな事忘れてしもうて、それからお義母さんが亡くなりはって、水中毒が死因や言われて、その後刑事さんが来はって、なんか私が死なせたんちゃうか思う様になったんです。そやから捕まるのが怖なって、思わず知らんって言うてしまいました、ホンマにホンマにすんません!」
原田は密かに唇を噛み、北方は身を乗り出す。
「じ、じゃぁ、抗コリン剤をお義母さんが服用してはった件は?!」
「それは、そこの原田さんも言いましたけど、お義母さんに頼まれるままに私が買うて来たんです。まさか、まさかこんな事に成るやなんて、思いもしませんでしたわぁ」
言葉の最後は殆ど鳴き声だった。
正座した膝の上で北方が拳を固める。折り曲げられた指の関節が真っ白になるのが原田からも見えた。
原田は、一呼吸おいて紗江子に言った。
「兎も角、一度うちの署まで来ていただけますか?」
顔を上げ、涙を拭いながら紗江子はうなづく、そして。
「刑事さん、これって、業務上過失致死、いう罪になるんですか?」