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女奉行捕物帖  作者: 浅井
仲夏一番!
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男二人が起こすこと

 凛は琉球の遥か西方の台湾から来たらしい。いや、来たというよりも流れついたというのが正しいかも知れない。

 親と漁に出たところ、船が大時化に見舞われた。その際に凛は海の中へと投げ出されてしまう。

 それからは受難の旅路であった。命は助かったものの、琉球に流れ着いた凛を待ち受けていたのは薩摩藩の人買いである。

 薩摩に連れ去られた後、女衒に買われて榊屋に売られた。そこで名前を手にする。それが凛という名だ。


「それ、それが、半年前のコト。トく兵衛姉サンはすごくいい人デス」


 夜露に濡れた若葉から透き通った滴が零れ落ちるほどゆっくりとした凛の喋り口調。この内容に辿りつくまで一刻は掛かった。


「凛、お前はホンマに苦労したんやな。金がありゃお前を身請けしてやりたいが、俺にそんな金はあらへん」

「……事情は把握しました。これまでの気苦労はお察しします。なんとかしてあげたいのは山々なんですが、こればっかりはどうしようもありません。法を守る。これが私たち奉行所に課せられた使命なので。龍三郎、ほら、さっさと帰るぞ」


 凛の話した半生に救いは無いし、煩雑な手続きのことを考えると居た堪れない。それに加えて龍三郎の態度である。


「なんでですか。せっかくこうやって会ったんやから料理について色々と聞きましょうって」

「……これ以上私に喋らせないで下さい。要らんことを言ったら拳が出てしまいます」


 義親の殺気の籠もった言葉に、龍三郎も二の句が続かない。すぐさま頭を下げると背筋を伸ばして立ち上がる。


「凛さん、お邪魔しました。私どもはこれで失礼します」


 義親は一礼をすると榊屋を後にした。

 幾重に織り込まれた面倒事と、何種類もの香が焚かれた室内から出たからか、外の空気が心なしか気持ち良い。しかし、その解放感は一瞬にして終わる。


「おいそこのお前、何しとるんか」


 店を出てすぐのこと。義親らに荒っぽく声を掛けて来たのは、龍三郎と変わらないような若い男。

 顔はニキビの目立つ幼い顔、張りのある頬に整えられた眉は薄い。柄糸が一糸乱れなない綺麗な二本差し姿から察するに、この男は今様の武家の子弟だろう。

 皺ひとつない眉間に必死に皺を寄せて睨み付ける若い男だが、義親は適当に受け流して相手にしない。

 だが、隣にいた龍三郎はいの一番に乗っかった。


「ああ? ワレこそなんや。ここにおるんは西町奉行所の与力やぞ。何気安く話しかけて来とるねん」


 頭に血が上った龍三郎には、すぐ横で呆れている義親など眼中にない。話しかけて来た若い男の元に薄く微笑みながら近づいていった。

 イキがる若い男二人が集まればどうなるか。そんなの一つしか無い。

 喧嘩である。


「わしゃぁ東町奉行所の稲田晋太郎っちゅうもんじゃ。オノレはなんや。見たこと無い顔やのう」

「アカン、んな名前は聞いたこと無いわ。雑魚が何イキがるなや」


 二人は相手を睨みつけながら一歩ずつ歩み寄る。

 格子内の遊女達も口に袖を当てて驚いたようにしているが、止められないだろうし止めようともしない。この争いを面白がっているようで、遊女たちの口元は揃って緩んでいた。

 先に晋太郎が真新しい刀の柄に手を掛けると、龍三郎も慌てながら刀の柄に手を掛けた。

 通りを歩く男たちの目的は女を買うことだろうが、喧嘩見物へと変わる。


「なんや、ワイとやろうっていうんか?」

「抜きたいんやらさっさと抜けド阿呆め。どうなってもしらんぞ」


 龍三郎は額に汗をたらしながら薄く微笑む。向かいあう晋太郎も同様だった。二人の腰は浮き、上体だけが前につんのめっている。


「……こいつら、真剣で戦ったこと無いな」


 義親には分かった。イキがってはいるが、この二人にあるのは威勢だけだ。

 睨んだり馬鹿にして微笑んではいるが、この二人の脳裏にあるのは如何にして刀を抜かずに済まそうかということだけだと。


「こちとら江戸の一刀流千葉道場で免許皆伝や。周作先生に養子に来うへんかって言われとったくらいの腕やぞ。さっさとその手をしまえ」

「なにゆうとんねん。そんなへっぴり腰で一刀流だなんてそこらのじゃりっ子ですら騙されへんぞ。さっさと仕舞え。今なら許してやるで」


 二人は見合ったまま言葉をぶつけ合う。

 こんな情けない姿を町人達の面前で晒すのは奉行所の、いや武士の恥だろう。


「いい加減にしてくれないかな。こんなつまらない争いは見たこと無い……」


 この諍いを止めようと義親は二人の間に分け入ろうとした。その時である。


「若いの二人さっさと抜かんかい! 女子の前で何も無しなんてカッコつかんへんで!」

「せやせや! 女の子らにええとこ見せんと、二度とこの店にゃ顔だし出来んし、相手にしてもらえへんぞ!」


 見物人らから野次を浴びせられる。浴びせかけた男も酒に酔っているのだろう。ヘラヘラと顔を赤くして笑っている。

 なんてことの無いつまらない野次だろう。だが、若い二人のつまらない自尊心に火を付けるには十分すぎた。


「じょ、上等じゃねえか! う、うあああああああああ!」

「野郎っ! おおお、おおおりゃあああああ!」


 龍三郎らはたどたどしい手つきで刀を抜くと、両手でがっちりと掴んで相手めがけて大きく踏み込んだ。


「……いい加減にしろっ!」


 義親はキレた。

 まず、義親は二人が踏み込むよりも早く二人の間に入りこむと、腰に差していた二本を鞘ごと引っこ抜くと柄同士をくっつけて両者に向ける。


「う、うぐあっ!」


 二人に向けた鞘の小尻が、涙目になりながら斬り合う二人の喉元に入った。龍三郎と晋太郎は良く分からないうめき声を上げ、その場に膝から崩れ落ちた。


「……ったく、ふざけんじゃねえよ。相談を受けてみりゃこの仕打ちか。つまんねえ諍いまで起こしやがってよぉ。知らねえよ」


 呻きながら涎を垂らして横たわる龍三郎に向かって蹴りを放つ。義親のつま先は龍三郎の柔らかい脇腹へとめり込んだ。骨の折れる音がする。


「な、なにごとや!」


 見物人達のどよめきを聞いたのか、榊屋の主人が扉をけ破って飛び出して来た。

 義親は直感した。これが真新しい面倒事に発展すると。

 とはいえ、どうすることも出来ない。見物人を整理してため息を吐くと、どう謝ろうか考えながら龍三郎を担いで店の中へ入っていった。





 義親らは再度店の中に通され、気を失って横たわる龍三郎と晋太郎を運ぶと部屋の隅に置いた。

 そして、即座に頭を下げることになる。


「主人、何度も迷惑をおかけしてすみません」

「ったく、配下の躾をお願いしますよ。居合わせたのが男前な小峰様でなければ大事になってたかもしれんし。なんならあんさんらの体で払ってもらいまっせ」


 抜き身のまま斬り合っている以上、どちらかの血を見ないはずが無い。

 義親は剣の素養があった。もしもこれが剣術の未熟な男であればわざわざ両者の袂に踏み込まないし、ただただ傍観していただけかもしれない。


「ウチの同心も迷惑をおかけしたようで。主人、ホンマにすんません。叩き起こしてでもさっさと連れ帰りますんで」


 義親と同様に頭を下げるこの男の名は内山彦次郎之昌。東町奉行所の与力だ。


「内山殿と晋太郎のクソガキは何しに来たかはわからんけど、とりあえずこの部屋貸しときますんで連中が起きたら知らせちょうだいねん。被害分はこいつらからきっちり払ってもらうんで」

「主人、本当に申し訳ありません……」


 小間使いを連れて榊屋の主人は去っていった。

 背中を見送ると、彦次郎はため息を吐いて義親の方へ向かい合う。


「……確か小峰殿やったな。前に奉行所で何度か見かけたことがあるわ」

「覚えてくださったんですか。お久しぶりです内山殿。まさか、こんな形で再会するとは思いもしませんでした」


 大阪西町奉行所と東町奉行所は協力関係にあるので、東西奉行所の与力が互いの奉行所に立ち入ることがしばしばあった。

 内与力である義親は、東町奉行所へは忠春に付き添って何度も訪れていた。そこで彦次郎の姿を何度か目にしている。


「ごもっとも。ちなみに、小峰殿はどのような用事で新町遊廓へ?」

「いや、本当につまらない話なんですけどね……」


 ため息交じりに義親は事の次第を彦次郎へと話した。

 彦次郎は個の件を笑い飛ばすかと思いきや、義親と同じように力無く嘆息を吐いた。


「……なるほど。このクソ忙しい時期に面倒事を掴まされましたなぁ」

「全くです。こんな下らない話で時間を割くなんてことが有り得ない。内山殿のように毅然と対処するべきなのかもしれません」

「いや、そうとも言ってられんのや」


 義親は首を傾げた。


「まさかなぁ、こんな下らない話が被るとは思ってなかったわ」

「と、ということは……」


 彦次郎は恥かしそうに頬を指先でかくと、顔を赤らめて頷いた。


「あそこで呑気に寝ている稲田の野郎も小峰殿の所の同心と同じ理由でここに来たんや。入れ揚げた遊女をどうにかしてくれないかってな」


 稲田晋太郎もこの梅雨前に元服した新米同心らしい。

 それから、義親と彦次郎は深いため息をついて言い合う。


「もう止めにしましょうよ。やっぱりそんな話聞く必要はありませんて。当人同士の問題なのに私たちが担がれる理由なんてありません」

「小峰殿の言う通りかもしれんな。稲田の野郎にキツく言い聞かせて無理やりにでも分からせるしかあらへん」


 水野忠邦の対処ですら厄介だというのに、無駄な気苦労は負いたく無かった。

 そんな折に異国人の遊女が居るのを見てしまった。しかもそれに同心が入れ込んでいる。これ以上なく面倒な問題である。


「私もそうします。とりあえず異国人の遊女については何とかしましょう。同心に関しては無理やりにでも諦めさせれば……」

「確かに。異国人の遊女がいるなんて思いもしませんでした。とりあえず身柄だけでも確保しなければ……」


 襖が音を立てて勢い良く開かれる。その先には徳兵衛がいた。


「……話しは聞かせてもらいましたわ。アタシの出番のようやなぁ」

「なんでまだいるんですか。さっき帰ったはずじゃ」


 彦次郎が言うと徳兵衛は気にも留めずに笑って見せた。


「細かいことはええやないですか。男前二人が顔突き合わせて何話すか気になったからちょいと聞かせてもらっただけですって」

「酷い理由やけど、主人を探す手間が省けたんでええわ。とにかく、凛とかいう遊女はしかるべき所に預けてもらいたい。あんさんも知っとるはずや。異国人の入国は御法度だと」


 彦次郎は目を光らせる。しかし、徳兵衛は意味ありげに微笑むのみだ。


「まぁまぁ落ち着きなさい。要は凛の取りあいっちゅうことやろ。それならこうしましょ。凛にそこで寝とるお二人が飯を食べさせるんや。それで決着つけましょ」

「は、はぁ?」


 義親と彦次郎は揃って気の抜けた声を上げる。主人は口角を上げつつ話を続けた。


「二人の血は見たか無いやろ。それに色々と問題になるからな。同心が異国人に恋慕だなんてこんな面白い話を隠しとくのはどうかしら」

「主人、話がかみ合っとらんで。我々が言っているのは異国人の取り扱いであって、同心二人の決着やない」

「それともなんですか。この一件を奉行所に伝えたってえんですよ。かき入れ時に店の前で喧嘩をされたんじゃこっちだって堪りません。起こされた騒動んせいで何人もお客を引っ張る機会を逃したんやからな。なんなら所司代でも城代でもええ。むしろそっちのほうがええかもしれませんな」

「……ワシらを強請りたいんか?」


 彦次郎は言葉の怒気を強める。徳兵衛は仰々しく手を振って言った。


「んなことあらへん。凛が異国の人間にせよ私らが集めた訳やない。女衒から買っただけです。それに、そんな事実は知らんでしたから」

「いい訳する気か? あまり奉行所を舐めへんほうがええで」

「せやったら証拠を見せてください。こちとら、凛はただ言葉の不自由な子ぐらいしか思ってなかったんで。証書には出自は薩摩ってありますから。なんならワシらが買った女衒を教えますよ。文句を言うならそこにお願いします。ほら、証書を持ってこんかい!」


 徳兵衛も同じように強気に出た。女衒からの証書を若い使用人に持って来させた。

 書かれていたのは徳兵衛が喋っていた通りの内容だった。出自は薩摩の伊作田。本名はとよと書かれている。

 だが、彦次郎は納得しない。


「こんなものいくらでも偽造が利くだろ。主人、ふざけるのも大概にしてもらいたい」

「内山殿がそう出るなら別にええ。寝とる二人を返す訳にはいかへんな。明日にでも奉行所に届け出ますわ。そんで何の音沙汰もなければ城代に訴追します。それがええな」

「このカマ野郎、ふざけんのもええ加減に……」


 彦次郎は睨みつける。徳兵衛は着物の袖をめくって隆々と鍛えられた拳を固めた。


「……まぁいいです。これじゃただの水掛け論でしかない。話が進展しようがないです」

「さすがは小峰様。江戸で修羅場を潜っただけのことはありますね」

「世辞は結構。とにかく分かりました。とにかくこいつ等に料理勝負をさせりゃいいんですよね?」


 義親は泡を吹いて寝そべる二人を指差す。徳兵衛は気味悪い笑みを浮かべると満足そうに頷いた。


「それがええ。凛はちゃんと奉行所に差し出しますんで安心して下さい。それじゃ勝負の立会人は小峰様と内山様でワシでええな」

「は、はあぁ?」


 義親と龍三郎は声を揃えて間の抜けた声を出す。


「何驚いとるんですか。勝負なんやから立会人がおらへんと話しになりませんでしょ。ちょうど東西奉行所の与力がここにおるし、ワシはどちらの側に与しとらん。これ以上ない面子でしょ」


 徳兵衛の軽快な喋り口調とと不気味な笑みに面食らう義親と彦次郎だったが、話そのものは筋が通っている。


「……いいですよ。分かりました。やればいいんですよね」

「小峰殿の言う通り仕方ありません。二人に料理対決をさせましょう」

「期限は来週末。場所は榊屋の前。そんじゃここに一筆書いて下さい」


 義親と彦次郎は徳兵衛の提案に仕方なさそうにして呑んだ。隣で苦労を重ねたやり取りを知らない呑気に寝ている同心が憎かった。

 そんな感情を抱えつつも義親と彦次郎は出された誓紙に名を書きこんだ。その筆先はひどく重たい。

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