表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女奉行捕物帖  作者: 浅井
仲夏一番!
94/158

オカマ主人と異国の遊女

 新町も文政の今となっては大阪でも古い町であるが、幕府が出来た当初は閑散とした沼地であった。

 そんな発展途上の時代に、とある浪人が江戸の吉原を真似た遊廓を設置したいと届け出る。その数年後にその届け出は受理され、遊廓が設置されたのがこの新町である。

 新町遊廓は北に立売堀、南に長堀、東に西横堀ら三方を川に囲まれた狭隘な地形の中にあり、入り口となる門は東西の二つしかない。更に四方を塀に囲まれていたため、その姿は遊廓というよりもさながら城郭だ。


「それで、龍三郎はどうしたいんですか」


 降り続いた雨が止んで夜風が気持ちよい暮れ八つ。

 義親は龍三郎に連れられて新町遊廓の東門の前にいた。


「とにかく話をしましょう。同心風情の私が五曲輪年寄に話をしに行ったところで門前払いになります。しかし、義親様は西町奉行である忠春様の内与力。無理が通るかもしれません」


 元服したての龍三郎はこの年にして遊廓には通い慣れているらしい。茶屋で見せたこの世の終わりといった目つきとは全く違って生き生きとしていている。

 それ以上に、龍三郎が喋っている意味がさっぱりであった。


「……佐渡島曲輪に五曲輪年寄? 龍三郎、言っている意味がさっぱりだけども、どういう意味?」

「義親様はここに来られたことは無いんですか」


 目を丸くして驚く龍三郎。義親は頷いた。


「まぁ、見廻りで何度がこの辺りを通ったことはあるけど、そもそも私は内与力だからね。ほんの数回しか無いよ」

「え、じゃ、じゃぁ、そっちの方は……」

「経験が無いってことは無いけど、大阪に来てからはさっぱりかもしれないな」


 淡々と語る義親を見て、龍三郎は頭に手をやった。


「あんさん、頭おかしいんやないですか? それとも中身は枯れ果てたとでも?」

「……はぁ?」

「いや、忠春様なんか物凄いやないですか。見た目なんかあんな別嬪さんはそうそうおらへんで。義親様とはあそこまで仲がええんやし、一度ぐらい二人で……」


 龍三郎は無駄に流暢に喋りだした。名字が瓜原なので奉行所では「ウリ坊」と呼び親しまれているが、奉行所で見せた丁寧言葉とこの落ち着いた口調。ウリ坊は猫を被っていたらしい。

 それにこの喋る内容だ。不敬も不敬であり、内与力であると同時に譜代の家来である義親が怒らないはずがなかった。


「馬鹿言うな。私は枯れちゃいないし、あくまで内与力でしかない。私が忠春様に手を出せるはずが無いだろ。ふざけるのもいい加減に……」


 即座に義親は胸ぐらを掴んだ。小柄な龍三郎の体は軽々と宙に浮く。


「いや、調子に乗りました。ほんまにすみません。とにかくお願いします」


 新町遊廓は南北に東門から西門までは直線距離で400m弱の長方形。

 見世の主の発案で最近桜が植えられたらしく、夜遊びとともに夜桜の名所でもあった。

 梅雨の今じゃ深い緑色に生い茂った桜の木しか見られないが、花見に季節になれば掛け提灯から発せられる淡い光と、桜吹雪に包まれた格子越しの遊女たち。新町遊廓が人気なのもうなずける。


「……ほら見てください。あれが遊廓名物の太夫道中です。どんな大尽が買ったんかなぁ」


 目の前から逆ハの字の行進。前を歩く髪の垂れた幼子の海老色をした着物の袖には鈴が付けられている。自身が誰だがバレるのを防ぐために俯きがちに歩いていた道行く男たちだが、その鈴の音に聞き惚れたかのようにその行列に見惚れていた。


「前を歩くんが禿かむろっちゅう遊女見習いや。その次ん三歯下駄を鳴らしとる別嬪が太夫で、横におる婆さんは使用人の遣手、横におる若い女は引舟。後ろで傘差しとんのが妓夫です。アレが太夫を指名した大尽んところに行くんですわ」


 行列の中ほどで優雅に徒を進める太夫は白字に牡丹と揚羽蝶が刺繍された艶やかな着物、その上には光沢のある金地に白い鶴とさざ波の帯を身につけている。顔に当てた白粉も上等なのだろう。軒先に垂れた明かりに照らされるとほのかに光を帯びた。


「わざわざ旦那のところに出向くんですね。店で済ませばいいじゃないですか」

「格の高い太夫はちゃうんですよ。置屋っちゅう遊女らが住むところから、揚屋っちゅう旦那がおる所に向かってるんです。そのまま行かせる訳にもいかんのでああなったんやろうな」


 太夫位の遊女と”遊ぶ”場合は、通りの至る所にある揚屋という建物で好みの太夫を指名する。

 それに、太夫を指名するのは遊ぶというだけでは無い。大店の主や武家の家老同士の談合の余興に呼ぶことが多いため、置屋の広さだけではこと足りる。だから揚屋という文化が生まれた。


「それで、目的の人っていうのはあんな太夫なんですか」

「んなわけないやないですか。オレみたいな小男は手なんか出せません。とりあえずついて来て下さい。見世は佐渡島町にありますんで」


 東大門のある通りから見てすぐ南にある通りが佐渡島町。最初にぶつかる交差路を曲がったすぐ角に目的の遊女がいる置屋「榊屋」があった。榊屋は二階建ての簡素な造り。狭い入り口の横にあるサカキの葉の深い緑が簡素さの中に粋を感じる。

 基本的に質素で派手さの無い建物なのだが、何より目を引くのは格子であった。

 心地よい明かりが灯る格子の先には白粉を付けた遊女たちが優雅に佇んでいる。格子の前で足を止める男に向かって上品に笑みを浮かべる者、梅雨の湿っぽいのを嫌って団扇をあおぐ者、黒漆に螺鈿細工がなされた手鏡で紅を引く者、日ごろの疲れが出たのか気だるそうにあくびをする者と、思い思いに過ごす女達の姿があった。なんてことの無い仕草だが、この格子の中では男たちの心根を止めるものに変わるのだから不思議なものである。


「義親様、あの人です。あの、一番奥の、髪が茶色っぽい……」


 どの遊女たちも髪は墨でなぞったような艶やかな黒色で、椿油を付けているのか光沢感もある。だが、龍三郎が顔を赤らめながら指差した女は明らかに違った。


「確かに美人だな。だけどもなぁ……」


 髪色は黒っぽいが周りの遊女達の黒とは違う。どちらかというと茶色に近い。それに、肌には白粉を付けているものの、うなじの下の地肌は常人より黒い。顔立ちも他の遊女たちの薄い顔とは違う。眼窩が深く鼻柱が高い。目鼻立ちがくっきりとしている。

 雰囲気がかなり違うとはいえ、かなりの美人であることは間違いない。龍三郎が入れ揚げるもの最もかもしれない。だが、嫌な予感が義親をよぎった。


「……この一件、もう終いにしましょう。今なら何もに無かったことにしますから」

「何ゆうとるんですか。ほら、行きましょう」


 義親が踵を返して東門へ出ようとするも龍三郎は細腕で義親をガッチリと掴んで離さない。

 そのまま、渋い顔をした義親は龍三郎に榊屋の狭い戸の中に連れ込まれてしまった。





「……店の主人に用事がある。さっさと出さんかい! それと凛を頼む。用意しといてくれや」


 玄関先で腕を組み胡坐をかいて座り込むと、龍三郎は童顔を強張らせて凄んで見せる。それに威厳など無い。隣に居る義親は恥ずかしくてイキがる龍三郎の姿を見れ居られない。

 榊屋の使用人も鼻で笑う。「へいへい。またお前かい」と薄ら笑いを浮かべて奥へと引っ込んでいく。


「義親様、どんなもんですか。これで話を付けられますよ」

「龍三郎、お前、それをさ、本気で言ってんのか?」


 いたたまれず、義親の丁寧な口調は崩れた。即座に手が出ないのは良心が残っていたからだろう。

 龍三郎は笑みを浮かべ、義親が青筋を立てて龍三郎を見ていると奥から人がやって来た。


「すんませんな。あんさんが件のお侍はんでっか。……なんや、お前かい。凛は上や。さっさと済まして帰れや」

「徳兵衛の姉さん。呼び出して悪かったなぁ。今日は頼みたいことがあるから」

「あ、姉さん?」


 出て来たのはほぼ間違いなく男だろう。だが、恰好は女である。

 立派な着流しも女物。黒地の反物に紅白色の薔薇模様は趣味が悪いとはいえ、作りは細かく丁寧な出来だ。角ばった顎には顔中に塗りたくった白粉でも隠しきれないほどの顎髭。山型の太い眉毛と厳つい目つきからは背筋がゾッとするような視線が送られる。


「ったく、瓜原んところのガキが生意気言いよって。後ろに控えとる男前はアレか。用心棒かなんかか?」

「当たらずとも遠からずやな。ワイの言うことを聞かへんかったら、この御仁がお前達を……」

「何よ男前。アンタ、アタシとヤるっていうの? だったら私も負けないわよ。ほらさっさと闘志を剥き出しにしなさい。そして、白刃を曝け出すのよ」


 龍三郎と徳兵衛の問答には義親も色々と困った。

 義親はイキがる龍三郎の頭を握り、板張りの廊下に叩きつけると同時に頭を下げた。


「コイツが色々とご迷惑をおかけして誠に申し訳ございません。私は大阪西町奉行所内与力の小峰義親と申します。この様なことになったのは……」


 一礼し、龍三郎の頭を引き戻すと事の次第を義親は説明する。

 怪訝そうに見ていた徳兵衛だったが、話を聞くにつれて余りの下らなさに笑みがこぼれた。


「何よ。そんな話だったのね。小峰はん、そりゃ災難な事を請け負ったんやなぁ。可愛い顔なくせにコイツは昔からこうなのよ。親父の金をくすねてはここに来てウチの凛を買っとるんよ。ホンマに親不孝なクソガキよねぇ」

「お手数おかけして申し訳ございません。それで件の話なんですが、遊廓のしきたりは知っておりますので、無かったことにしていただいて結構です。ですので今日はこの辺で失礼を……」

「待って下さい義親様! ワイも本気なんや。凛に美味いもん食わせたいんやって……」


 額を赤くした龍三郎は羽織の袖を引いてすがるも、義親は一瞥するのみだ。

 こめかみに浮いた青筋と小刻みに震える頬。袖を掴む龍三郎の手は自然と解けてゆく。

 義親はそのまま引き戸に手を伸ばした。だが、今度は徳兵衛が意外な反応を見せた。


「まぁまぁ落ち着いてよお兄さん。江戸じゃ知らんけど、ここは大阪よ。それに男前の頼みとあらば、遊女に何か食べさせるために連れ出すくらいは構いませんて。でも、その分の料金はきっちり払ってもらうけど」


 まさかの了承である。これには義親は当然のこと、龍三郎も目を見開いた。


「ホンマですか? さすがは榊屋の徳兵衛姉さんや。ちゃんと奉行所にも宣伝しときます」

「いや、コイツに気を使う必要なんてありません。別にいいですって。ウリ坊、さっさと帰るぞ」

「別にええですって。お奉行様の男前な内与力の手前で言っとる訳やないし、これは新町のしきたりなの。それに佐渡島曲輪はアタシの管轄。だから問題なんてなに一つないわよん。なんなら小峰様に私を連れ去ってもらいたいくらい。ま、その分のお代をしっかり払ってもらえばね」

「は、はぁ、それなら別にいいんですけど。あと、主人を連れ去る気なんて毛頭ございませんので……」


 徳兵衛は義親に流し目で視線を送ると店の奥へと消えて行った。それから使用人に通されて二階へと進んだ。


「そこです。それじゃごゆっくり……」


 廊下沿いの部屋からは布団の擦れる音、男女の激しい息遣い。時に女の喘ぎ声も聞こえた。

 使用人に案内されたのは長い道を進んだ一番奥。中はなんてことの無い部屋なんだろうけど、義親の中に嫌な予感が膨らんだ。


「……それじゃ、凛と会ってもらいしょ」


 襖の奥には一人の少女が平伏して待っていた。横には湯気の立つ風呂桶と敷かれた布団。

 恐る恐る顔を上げると、こちらが二人ということに驚いたらしい。大きな目を丸くして喋った。


「わ、わちきは、サカキ屋の凛でありんス。とと、とりあえ、ず、これを、のまんし……」


 かくかくと壊れかけのカラクリのように、凛は慣れない手つきで急須で茶を入れる。

 一連の動作もおかしいのだが、それ以上に発せられた言葉の強弱は明らかにおかしい。それに、このたどたどしい口調はどこかで聞いたことがる。


「……龍三郎、凛は異国の人間だな。顔立ちからしてきっと琉球か清国の人だろ」


 長崎屋でオランダ商館長を護衛したこともあったし、別件で琉球の使節や清国の使節団を見たこともある。間違いなくそれに近い所の人であろう。


「そそ、そうです! 出自は台湾。花蓮からきました!」

「さすがは義親様だ。一発で見破るなんて忠春様一番の与力なだけはありますね!」


 話さずとも出自を当てた義親を見て、凛は焦げ茶色の瞳を輝かせる。それと同じように龍三郎も凛の手を取って声を上げた。

 能天気に喜びあう二人を見て、義親は頭を抱える。異国人の日本への無断入国は御法度である。ここまで見させられた以上、入国までの過程を調べなければならない。それに、その異国の女に入れ揚げた奉行所の同心がいるというのも笑えない話だ。

 今となっては、榊屋の主人が予想外に協力的だったのはこの一件を適当に流させたかったからなのかもしれない。ただのイカれたの笑みと喋りの裏には、遊郭で生き抜くための冷徹な計算が隠されている。

 とにかく、飯を食べさせるという件は簡単に片付いた。だが、義親の頭痛の種は尽きない。

用語解説


『揚屋』 揚屋を今風に言えば宴会場付きのラブホです。理由は作中にかいた通りで、格式の高い花魁というのは、お大尽とすることをするだけじゃなかったそうです。

 教養やらなんやらが求められるし、高いハードルを越えたからこそ社会から尊敬されるし、浮世絵や歌舞伎・人形浄瑠璃の題材になるんでしょうね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ