六甲颪と四月馬鹿
「お奉行はん! この取組はなんなんや!」
大いに沸いた春場所を終えたその翌日である。
勧進相撲を迎えた当日の朝方。場所は同じ高津宮。
会場を見渡せる席から花相撲を眺める忠春らの元に血相を変えて親方衆5名が飛び込んできた。
「何って今日の取組表よ。ちなみに、私が書いた訳じゃないから」
「そういうことやない。なんで前頭13枚目の虎徹山が入っとるんや。しかも、相手は瀬戸海てなんなんや!」
「せやせや。それに瀬戸海は前頭筆頭。来場所は小結の三役力士やで。こいつを宛がうんやなくて、もっとええ力士がおったやろ」
天津風を始めに、陸奥海や南川、楠が口をそろえて文句を言う。
今回の勧進相撲は10本勝負。数少ない枠に十両と前頭を行ったり来たりする平幕最下層の男を使うことはもってのほからしい。
「なんでってさ、二人とも春場所に出場してた力士じゃない。それに過去に三役経験もあるし、興行頭の試合にはもってこいでしょ。平幕の試合は前座でしかないんだから別にいいじゃない。それに、最後には天桧山の取組があるんだから押さえるべき点は押さえてるでしょ?」
「ま、まぁ、そうやけども……」
「だったらいいじゃない。それに、全部私たちに任せるって言ったでしょ。だったらあなた達が口を出す理由は無いわ。それともなに、前座試合に平幕を使っちゃいけない理由でもあるの? あなた達が期待している天桧山を倒しちゃったから? どうか不勉強な私に、ご教授願いたいわね」
「別にそういうことやないけどなぁ……」
忠春が毅然と言い返すと天津風らは口ごもる。そもそもこうなることはあらかじめ想定済みだった。
春場所の最終日に事前の命令を無視して天桧山を倒した時点で、虎徹山を表に出したくは無かっただろう。それに、本来なら虎徹山は今場所は負け越して十両に降格するはずであった。
「それと天津風三太夫、陸奥海玉五郎、南川秀太、鯛の海雄吾、楠新治郎の5名。この興行が終わったら奉行所に出頭しなさい。理由は分かってるわよね?」
「なに、なにを根拠に出頭などと仰るのですか」
「実はね。匿名の投書が届いてるのよ。アンタ達の相撲は八百長ばかりだってね」
親方達の威勢は途切れた。目を何度も見開いて口をポカンと開ける。
「何度か取組を見させてもらったんだけど、なかなか狡いマネするのね。なかなか面白いものを見させてもらったわ」
「やや、八百長だなんて、それは失礼な! だったらなんですか、証拠でもあるんですか。あるんならすぐに見せてもらえまへんか」
「いい所に気が付いたわね。確かに証拠は無いわ。でもね……」
忠春が手を上げると義親が数枚の紙を忠春に手渡した。
「ここに面白い内容の瓦版があるわ。ちょっと見てもらえる?」
「なんでこんなもの見なきゃあかんねん」
「固いこと言わないでさ。とりあえず見てみなさいって」
数部を親方達に見せると、親方衆の顔色が一発で変わった。
「こ、これは……」
「不思議なことにさ。この情報が漏れちゃってたのよね。ほんとに不思議。ばらした奴をちゃんと罰しなきゃいけないわね。それでさ、こんなのばら撒かれたら人気が絶賛低迷中の大阪相撲はどうなるのかな?」
「んなことあきまへんって」
手渡したのは文がしたためた瓦版である。内容はもちろん今回の一件についてだ。
江戸に相撲人気を取られている上に、こんな不祥事が明るみになったら相撲興行は簡単に廃れていくだろう。それが春場所の直後、それもこの興行で明るみになるのはこれ以上ない損害となる。
「ちなみに、江戸で相撲の興行権を握りたいって届け出があったらしいのよ。あと数年のうちに決まるんじゃないかしら。そうなったら力士達をどう食べさせるつもり? 仮に、今の状態が続くんだったらさ、アンタたちが届け出を出したって私の所で握りつぶすからね」
「んなアホな。そんなことになったら食いっぱぐれますて」
「それじゃどうする? この興行は私たちに従うんでしょ。その上で奉行所に来るの、来ないの?」
天津風ら親方達の答えは一つしか無かった。
「……ホンマにすんません。奉行所へはいつ行けばええんですか」
「この興行が終わり次第すぐ来なさい。まぁ、証拠も上がってないから特別に何かしようとかそう言うんじゃないから安心して。それじゃ今日は楽しみましょう」
蒼い顔をする5名の親方達。忠春は対照的に上機嫌であった。
○
開催された天神の天満宮には六甲からの強く冷たい北風が吹いていた。四方に張られた陣幕は風を受けてハタハタと音を立てて土埃を巻き上げる。この時期にしては少々肌寒い。
奉行所後援勧進相撲の一本目は東に前頭10枚目の虎徹山、西に前頭7枚目の瀬戸海の取組。
「いてまえ虎徹山! 昨日の勢いそのままに瀬戸海なんかやってまえっ!」
天満宮にぎゅうぎゅうに詰まった観客席から聞き覚えのある声。花道を歩く二人に向けられた拍手の中、透き通った寅子の声が忠春の元にまで聞こえた。
「ぶちかませ! 天下の宝刀虎徹山、鋭い取組を頼んだで!」
「因縁の相手やろ! ちゃっちゃとやってまえ!」
「お前が勝ったら何本でも包丁を研いでやる! せやからやってくれ!」
寅子の一声を皮切りにいつぞやに野次を浴びせていた男たちも大声で叫んだ。花道を一歩一歩踏みしめる虎徹山に届いただろうか。
「八百長塗れの虎徹山に、最後の最後に真剣勝負をさせる。忠春様はこれをなさりたかったんですか」
「そもそも、この勧進自体は思いつきなんだけどね。私は相撲を見てみたかっただけよ」
「しかし、あんな風に親方衆と交渉するなんてな。俺たちの忠春様は大人になられたもんだ。草葉の陰から政憲様もお喜びになられてるだろうよ」
「アンタは本当にうるさいわね。それにまだ政憲は死んでないし。ほら、始まるわよ」
虎徹山は土俵に上がると大きく足を上げて四股を踏む。足を踏み鳴らすだけで地面が揺れた気がした。ただ、会場は観客たちの大歓声で揺れた。寅子が言っていたように、この取組は名勝負として名高いらしい。普通の相撲好事家も拳を振り上げて両者を応援している。
対する瀬戸海も同じように四股を踏む。そして、両者が腰を割り、片手を下ろした。待ったなしの真剣勝負だ。
それからは二人の間合いである。
行司も目線だけで二人の姿を確認する。
先ほどの大歓声は無い。不思議なぐらいに静けさを保っている。
「のおっったぁ!」
その静寂の中、虎徹山が動いた。
それからは大歓声の渦である。観客たちは思い思いに大声を上げて両者に檄を飛ばす。感極まって涙を流す老夫婦も見えた。
虎徹山得意のぶちかましで瀬戸海はたじろいだ。
しかし、瀬戸海も熟練の力士。試合巧者であった。虎徹山の攻めを上手くいなすと、のど輪に張り手を使って近づけさせない。
数十もの張り手の応酬の後に、瀬戸海と虎徹山はがっぷりよつと組み合う。膠着したまま動かない。
行司は右往左往としながら煽りたてる。だが、動きは無い。観客席がさらに沸く。
「なかなか動かないね」
「今はな。こっからはすぐに決着が付くぞ」
文が呟くと衛栄が答える。事実、勝敗はすぐに付いた。
がっぷり四つに組み合った両者だったが、虎徹山が組を崩して
決まり手は「外無双」。10年に一度の技と言われるほどの大技であり、虎徹山の得意技であった。
「虎徹山! ホンマに最高やで!」
「ようやった虎徹山!」
大一番では無い。ただの平幕同士の戦いではあるが、場内は名勝負とばかりに大いに沸いた。瀬戸海の腕が地に付いた瞬間、客たちは立ち上がって拳を振り上げた。それは忠春も同じで、隣に居た文と抱き合って大いに喜んだ。
行司が勝ち名乗りを上げる。
「こてぇつぅ、やまぁ!」
万雷の拍手の中、両者は礼をする。バツを悪そうにして瀬戸海は花道を去るが、虎徹山は土俵上に蹲踞。行事から軍配に載せられた懸賞を手にすると、次戦の力士に力水をつけた。
相撲興行も残すは9番勝負のみ。大男たちの白熱の戦いはまだまだ続く。
少々強い颪の大阪の真昼。真剣勝負を続ける力士たちを称える声が鳴り止むことはない。
六甲颪と四月馬鹿(完)