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女奉行捕物帖  作者: 浅井
六甲颪と四月馬鹿
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怪我

 相撲観戦から翌日の夕方。忠春が奉行所の一室で仕事に取り掛かっていると、義親・衛栄の両名が急いでやって来た。


「忠春様、八百長の件について報告がございます」

「仕事が早いのね。報告して」


 忠春は筆を止めて二人の方を向く。まず最初に話しだしたのは義親だった。


「まず、これが今場所の今日までの取組結果、並びに過去10年分の取組表です」


 文書に書かれた升目の中には各力士同士の対戦表・並びに結果が羅列してある。その内容も丁寧で、勝ち星の多い順に並べてあった。

 忠春が提出された表を流し見ていると、たまたま虎徹山の成績が目に入った。10年前の番付は確かに関脇。成績も10勝1敗と堂々たる結果である。


「それで、これがなんだっていうの?」

「はい。見てもらいたいのは三役の力士たちの成績です」


 義親が言う。今度は三役力士の成績のみが抜粋された取組表を見せてみた。


「……6勝5敗の勝ち越しばかりね」


 過去10年間40場所分の成績。三役たち十数名が残した成績の大半は6勝5敗。パッと見ただけでもその半分以上がそうであった。これには忠春も苦笑するしかない。

 今度は衛栄が口火を切る。


「このうち、高野富士、無双山、八千代川、瀬戸海の四人は三役在籍中の4分の3は6勝5敗で毎場所を過ごしており、負け越して三役陥落が懸かった角番になると8勝3敗と勝ちだします。さっきの4人のうち2人は昨年のうちに引退しましたが、少々不自然過ぎやしませんか」

「なるほどね。その4人は切羽詰まると八百長を行っていたと」

「そういうことです。先の小結海鴎の成績は初日に勝ったものの、連敗が続いて7日目までで1勝5敗。海鴎は前場所負け越していたのでヤツも角番でした」


 それに虎徹山との取組を足せば2勝5敗となり、残りを勝てば番付の降格は無くなる。


「それを根拠に虎徹山から勝ちを買ったって言いたいのね」


 義親と衛栄は頷く。残り全ての取組が海鴎の勝ちであれば虎徹山以降の取組が八百長ではないかという論である。


「分からなくもない話ね。自身の地位を保つために番付が下の力士から勝ち星を買う。番付が下なら稼ぎも少ないだろうし、悪く無い話であると。でも大事なことが足りてないわ」

「……その通りです。私たちの論を裏付ける証拠はございません」


 見るからに不自然であり、理論的には成り立つ。だが、勝ち星の売買に関する証拠は何一つ無い。


「匿名での投げ文だからね。あの文面から察するにどこかしらの部屋の関係者なんだろうけど……」

「そもそもバレるのを避けて投げ文をした訳ですから特定して証言させるのは難しいですよ。仮に手当たり次第に聞いたとしても、どこかで外れを引いた時点で、親方衆までに行き渡って残された証拠は消されるでしょう。糸口は掴めなくなくなります」


 奉行所が八百長の捜査をしているということが外部に漏れ伝われば文書の類いは処分されるし、情報提供者の力士が角界から追放は免れないだろう。

 消される前に決定的な証拠を掴まなければならない。


「私ら二人は残念ながら隠密の類いは不得手です。残された手は……」

「……話は聞かせてもらったわ!」


 襖が勢い良く開かれると両腕を胸の前で組み、笑みを堪えられない文が登場する。


「いやぁ、仕方無いなぁ。武技はからっきし分からないけど、忍び込みなら私に任せなさいって」

「まぁ、そうなるわな」

「相撲部屋に忍び込んでそれらしい文書を見つけてくればいいんでしょ?」

「そういうこった。お前なら平気だろ」


 衛栄が言うと、今度は腰に手を当てて文は誇らしげに胸を張った。


「隠密に定評のある文ちゃんならそんな仕事チョロいものよ。ついでに撲女の情報も得ちゃうしね」

「ぼ、ぼくじょだ?」

「相撲女子、略して撲女。それは別にいいでしょ。それじゃ行ってきま……」


 片手を上げて意気揚々と奉行所から出て行こうとする文だったが、忠春はそれを呼びとめた。


「……ちょっと待って。文ちゃん、今回、あなたに頼むことは無いかな」

「ええ? なんでさ。せっかくの出番だってのに……」


 文の声が裏返る。横に居た義親らも不思議そうに忠春を見つめた。


「なんでそうなるんですか。コイツに頼めばいらんものもぱっぱと手に入るって言うのに」

「そうですよ。親方衆から手紙類が見つかりでもすれば一発で解決じゃないですか」

「別に忍びたいなら忍べばいいわ。でもそれは奉行所としての仕事じゃない。瓦版記者としての仕事よ。それで、力士たちにとっつかまったらしっかり処分するわよ」


 いつになく真剣な言葉に冗談でないことが伝わった。文も忠春の面前に座り込むと問いただす。


「そのもの言いも納得できないな。はつちゃん、ちゃんとした理由を言ってよ」

「ついさっき、思いついたのよ。この一件を簡単に片付ける方法をさ」


 三人は身を乗り出す。忠春は言った。


「今話した内容をさ、全部瓦版に載せればいいのよ」

「あ、ああああ!」


 今度は声を上げた。忠春はしてやったりと微笑むと言葉を続ける。


「要はさ、八百長が明るみになればいいんでしょ? だったら文ちゃんがこの一件について全部書けばいいじゃない。そうすれば市中に広がる訳だし」

「確かにそうだね。さすがははつちゃんだ。今まで全く気が付かなかったよ。それじゃ、今すぐ記事を書こうかな……」

「でもちょっとだけ待って。まだ今場所の決着が付いてないし、奉行所後援の相撲大会もあるからさ。それが終わったら公表しなさい。いいでしょ?」


 忠春は再度ようようと出ようとした文を止める。

 来週は奉行所後援の相撲興行がある。自身が発案して奉行所が後援した手前、この興行は成功させなければならない。そんなこの時期に瓦版が流れれば集まる客も集まらないだろう。


「まぁ、はつちゃんの頼みだから断れる訳ないし、特ダネであることは間違いないから…… わかった。後援の相撲大会が終わってから公表することにするよ」

「それじゃ完成したら私に見せてね。色々と確認したいしさ」


 文は笑みを浮かべて奉行所を去ってゆく。





 自由な時間が手に入った翌々日の申の刻、忠春は思い立ち天津風部屋へ赴いた。

 部屋では10日目を終え、千秋楽に向けて力士らが稽古を行っている。突然現れた忠春を怪訝そうに見る七代目天津風だったが、稽古が終わると虎徹山を呼んで連れだした。


「お奉行様、来てはったんですか」

「……呼び出して悪いわね。少し話を聞かせてくれないかな」


 二人は近くに会った茶屋に連れだして団子と茶を買うと適当な長椅子に腰を下ろした。

 突然の話で虎徹山はどうにも落ち着かない。大きな手に似つかわしく無い小さな湯呑みを慌てながら口へと運ぶ。


「大阪に来て三月くらいしか経ってないからさ、大阪の事情とかにまだまだ疎いの。だから、市井の人たちの話を聞こうと努力してるのよ。取って食う訳じゃないだから安心してって」


 落ちつけようと先制攻撃を食らわせる。


「は、はぁ、そうですか」


 だが、虎徹山はどうにも落ち着かない。突然やってくればそうもなるだろう。


「……まぁいいわ。虎徹山さんって奥さんとかいるの?」

「ええ。三つ上のカミさんがおります」

「そうなんだ。暮らしぶりとかどうなの。上手くいってたりする?」

「ぼちぼちで……いや、お奉行様のお陰で何の不自由も……」


 虎徹山どぎまぎとして喋るとは大きな体を委縮させた。


「そういうのはいいからさ。何か困ってたら言ってちょうだい。じゃなかったらこうやって話を聞いている意味なんて無いんだからさ」

「いや、なんてことありません。穏やかに暮らせてます」


 歯切れの悪い虎徹山は小さな湯呑みに口を運ぶ。

 忠春もこれ以上聞こうとはしなかった。話題を変えて言葉を紡ぐ。


「今日の取組は残念だったわね。ぶちかましは良かったように見えたんだけど……」

「私もあのまま行けると思ったんですがね。意外と粘ってきたものですので、それに古傷の膝のほうの痛みもあって」


 虎徹山が言い返す。あの取組の後、花道で足を引きずっていた様子は無い。言葉の真偽はともかく寅子も話していたケガの件は気になる話でもあった。


「そういえば前にもケガがどうとか言ってたわね。詳しく聞かせてくれない?」

「よくお覚えで。もう10年ほど前の話でしょうか」


 忠春が義親と共に江戸藩邸で年少時代を過ごしていた頃の話だ。


「10年前の夏場所、ワシは関脇まで上り詰めました。ケガしたんは次の秋場所、場所は天神の天満様でした。その時の相手は陸奥海部屋の瀬戸海。ワシと同い年の男です。そんときのヤツも確か関脇やったっけなぁ」

「陸奥海部屋って言うと、確か新地にある……」

「そうです。上方じゃ一番大きな部屋で、大阪相撲会所の頭を何人も出すぐらい大きな力を持っとります。ヤツは陸奥海の勝ち頭でワシと同じ関脇でした」


 前に相撲部屋を回った際に忠春も訪れた。天津風部屋も小さくは無い相撲部屋だが、陸奥海部屋はその倍はあっただろう。

 虎徹山が言うには陸奥海部屋は江戸相撲にも力士を送って結果を残すほどの規模を歴史を誇り、その最盛期には50名近い弟子を持っていたという。そんな中の出世頭だというのだから相当の腕なのだろう。


「自慢やないけど、昔はワシもそれなりにやっとりました。部屋に関取はワシしかおらんかったので今の天桧山と同じです。部屋の期待を背負って結果を残しとりました」


 対する天津風部屋は20名ほどと中規模の相撲部屋。

 虎徹山は驕り高ぶる人間ではないだろうから、当時はそうだったのだろう。義親と衛栄らがまとめた書類とも寅子が話していた内容とも一致する。


「確かに。興味があって調べたんだけど、あなたは昔の番付はかなり上の方だったわね。それでケガっていうのは……」

「忘れもしません、あれは秋場所の千秋楽です。ワシもヤツも無敗で迎えた優勝決定戦や。その時は、今の親方になってから天津風部屋から優勝力士は出ていませんでした。それだけに、ワシも力んどったんやろうな」

「というと?」

「これも自慢やないけど、ワシはぶちかましは得意中の得意なんです。勝負はあの瞬間に決まるといってもええ。相手の出鼻を挫いて如何に威勢よく飛び出す。せやから最初にかちこむんかが重要やとおもっとるんです」


 虎徹山はいつになく熱心に語る。独自の理論を築いている。身振り手振りを交えて説明する。

 こればっかりは忠春も何とも言えない。だが、命を賭けた一瞬の試合と考えれば、相撲に詳しく無い忠春でも分かるような気がした。


「ホンマに甘かったなぁ。ヤツも研究しとったみたいで、ぶちかましを受け流しよったんです。ワシもヤツも関取。注目の集まるこの一戦は正々堂々とやって来ると踏んでました。せやけど、この大一番であんな戦いするなんて思ってもいなかったんで、土俵の上で焦りましたわ」

「いわゆる勝負のアヤってやつよね」

「まぁ、その通りです。正々堂々だなんてのはこっちの勝手な思い込みでしかないんや。得意中の得意を受け流されてワシの調子は狂いました。まぁ若かったんやろうな。少し落ち着けば勝負になったんやろうけど、そのまま上手を取られて土付けられました」


 勝負事は一瞬で決まる。ちょっとした気の緩みは敗北の致命的な要因になる。それは剣も相撲も同じであろう。


「残念な話ね。土俵から落ちた衝撃でケガしたのね。まぁ、それだけ体が大きければ膝を壊したっておかしく無いけど……」

「少し違います。落とされた時点では受け身を取れたんで何の問題もありませんでした。でも、その上に瀬戸海がのしかかって来たんです」

「……それって意図的にやったことなんじゃないの?」

「どうなんでしょうかね。ヤツも力んどったんやろう。ワシを投げた勢いそのままに上から降って来たんですわ。よくあることなんでしゃあないです」


 50貫ほどの大男が自身めがけて飛び込んでくる。考えただけで身震いしてしまう光景だ。


「落ちて来てヤツが手をついたのがたのが膝から脛や。勢いそのまま体重をモロに受けたお陰で足はボロボロ。場所後の1年間はケガの治療に専念しとりました」

「それで、今は大丈夫なの?」

「なんとかやれてはいます。だからこうやって立っとりますから。とはいってもまともに立ち会えるのはぶちかましから少しの間ぐらいで、土俵の上に居ればいるほどまともに戦えません」


 虎徹山はため息交じりに膝をさする。常人の倍はゴツゴツとした膝だ。治療の結果なのだろう。


「そいつはそのまま番付を駆けあがったんやけど長くは続かなかったようです。今は小藩のお抱え力士になっとりますし」

「分からないものね。やっぱり格上の相手じゃ有利不利がついたりするものなの」

「まだまだ技の甘い十両辺りになら普通に戦えます。せやけど、平幕以降は難しいなぁ。向こうも実力がありますから」

「……なるほどね。今日の試合もそうだったんだ」

「まぁ、そんな感じです。成績を落としているとはいえ相手は小結ですから。ワシなんぞの話より、お奉行様のお話もお聞かせ願えませんか。天桧山が喋っていた通り、江戸での活躍は耳に入っとります」


 虎徹山は始めて笑みを見せた。不細工な柴犬のような笑みではあるが愛嬌がある。思わず忠春も笑みを浮かべてしまう。


「……ほんとにそうなんだ。普通に仕事をしてきただけなのに大阪にまで伝わっちゃうだなんてね。自分の評判って案外分からない物ね」

「そりゃぁもう。人質解放のために単身旅籠に乗りこんだり、ご先祖の忠相公の話に一歩踏み込んだ三方一両得、江戸を荒らした義賊との対決も知ってます。それに奈良奉行所の裁きも有名や。ホンマにど偉いお人が大阪に来はったって話題ですよ」

「色々とアレな部分もあるけど、直接言ってもらう機会なんてないから嬉しいわ。ありがとう」


 そうこうしているうちに時は暮れ六つを過ぎた。西の彼方が橙色に染まり、カラスの鳴き声が大阪中を包んだ。茶屋の主人も表の看板を片づけ始める。


「日もだいぶ落ちましたなぁ。申し訳ないんけど、ワシらの部屋には門限もありますさかい。そろそろ部屋に戻らなければ」

「付き合ってもらって悪いわね。でも最後に一つだけ。いいでしょ?」

「はぁ、なんでしょうか」


 虎徹山は気の抜けた返事で答える。忠春はほのかに口角を上げて言った。


「奉行所に投げ文したのって、虎徹山さん。あなたでしょ?」

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