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女奉行捕物帖  作者: 浅井
六甲颪と四月馬鹿
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好事家の心理

 江戸相撲は回向院を中心にして定期的に開催されていたが、大阪相撲は寺社の持ち回りで開催されていた。

 文政6年(1823年)の春場所が行われるのは西町奉行所の南方にある高津宮。普段は参拝客で溢れかえる仁徳天皇を祀った小さな寺社町が、春場所中は上方中から集まって来た相撲好きで溢れかえり聖地となる。

 忠春らが観戦したのは大阪相撲の7日目。春場所の翌月に勧進相撲を組んだことから、一行は土俵間際の溜席へと案内された。


「砂かぶり席だと迫力が違うなぁ。こりゃ役得ってもんだ」


 わずか三尺ほど目の前で、力士達ががっぷりよつで組みあう。骨と骨のぶつかり合う音、吐く息の音、全てを目の前で楽しめる。力士の起こす衝撃が自分に降りかかるんじゃないかというぐらいに緊迫した取り組みである。


「なかなか凄いわね。こんなに迫力があるもんだなんて思いもしなかった」

「ホントだよ。昨日も見に来たけど、ずっと遠くの枡席とここじゃ天と地の差があるね」


 古来より大相撲は女子禁制の競技であった。太平の世に入ってからは千秋楽のみ観戦できる不文律があったが、女武士令によってその不文律は消え去り全日程通して観戦できるようになっていた。だからこそ、寅子のような子どもが出て来たのだろう。


「それで、今の取組が天桧山よね。客席からの歓声も凄かったわ」

「そりゃそうでしょう。大阪角界の希望の星で、あれだけの強さを持ちながら美男子。人気が出ないはずがありません」


 土俵から降りる際も東の花道には黄色い声と人だかり。柵越しに出される手で満足に出ることすら出来ないほどの人気っぷりである。忠春らの背後から沸き上がる歓声が観客達の期待を示していた。


「これで7勝0敗。今場所の優勝も固そうね」

「お、次の取組が始まるようだな」


 やっとの思いで天桧山が退場すると、東西から力士が登場。西側には天津風部屋の力士、虎徹山がいた。


「今度は虎徹山ね。相手は1勝5敗の小結みたいだね。虎徹山の成績はと……」


 文は相撲茶屋から買った団子をほおばりながら言う。忠春と義親は番付と取組表を見た。


「今日までで5勝1敗ですか。虎徹山さんはなかなか調子がいいみたいですね」

「だから部屋ではあんな余裕だったのね。調子を落としてたら私らを案内なんてさせないだろうし」


 虎徹山の顔つきは悪く無い。目つきは煌々としていて気合十分。戦う人間の表情である。


「……それに比べて相手の力士は見るからに調子が悪そうね。なんか背中に影を背負いこんでるみたいだしさ」


 小結の名は海鴎うみかもめ。堂々としている虎徹山に比べると、どこか焦っていた。成績も悪く、今日負ければ位を落とすことになるかもしれないので当然と言えば当然であるが。


「私、相撲を取ったことは無いけど、戦いの前にああいう風になったら勝ち目はほぼゼロよね。勝負事ってさ、当日に至るまでに、どれだけ良い準備出来てるかにかかってるようなものだし」

「さすがは忠春様。確かにそうだ。刀だって相撲だって人と人の勝負だ。それは同じだろうよ」


 衛栄は文が手にしていた団子を奪って頬張った。だが、忠春らの予想は大きく外れる。

 両者向かいあった後、ぶちかましから上手を取った虎徹山だったが、簡単に上手を切られた上に、海鴎に上手を返されてそのまま土俵際に。そのまま投げられて結果は散々なものだった。


「……なんだ、途中まではよかったってのに案外あっけないんだね。さっきの天桧山と違って簡単にやられちゃったし」

「まぁ、それが相撲の妙だ。いくら調子のいい力士だからといって簡単に勝てるものとは限りませんぜ。なんせ相手は小結。調子を落としたとはいえ幕内ですから」


 団子を奪い返して頬張る文に飄々と説明する衛栄。土俵から落とされた虎徹山はすごすごと退散する。勝利した土俵上の小結海鴎は一瞥することなく粛々と動作を続けた。


「いよっ、さすがはナマクラの虎徹山! 一昨日とはうって変わっていつもの取組をありがとな!」

「さっさと引退しちまえ! 昔の名を汚すだけや!」

「研ぎ師のワシでもお前は研ぎようが無いわ! もうええやろ、散り際は大事やで!」


 肩を落として去ってゆく虎徹山に飛ばされる野次。反応することなく下を向いて去っていった。

 そして、次の取組が始まった。





「それで、今日の相撲なんだけどさ」


 7日目が終了して、忠春らは高津宮付近の茶屋で詮議していた。


「虎徹山の取組、ありゃわざと負けたな」

「何よ衛ちゃん。さっきは相撲の妙とか行ってたくせにさ。それに団子だって勝手に食べちゃって。その分だけ払ってよ」

「バカ言うな。親方や関係者が沢山いるあんな場所で八百長だのなんだのって言えるはず無いだろ。俺だって場ぐらいは弁えるさ」


 衛栄は頬を膨らませた文の頭を小突く。忠春は満足そうに微笑んだ。


「義親、アンタはどう?」

「衛栄殿と同意見です。最初は真剣そのものですが、後の流れは不自然です。花道を去る姿からして、取組中にケガをしたという訳でもなさそうなので意図的に負けたんだと思います」


 花道を歩く虎徹山に足を引きずるようなしぐさは無かった。ただ俯き、とぼとぼと帰って行くのみだ。


「やっぱりね。私も二人と同じような意見よ。盛りを過ぎた力士にしても虎徹山の取組は露骨すぎる。他にも怪しい取組が沢山あったし」


 虎徹山以降も八組の取組が行われたが、虎徹山と同じように意図的に負けたのではないかと思わせる取り組みがあった。


「真っ当にやってたのは天桧山くらいか。相手は前頭6枚目とはいえ、あまりに弱すぎる気はしたけどよ」

「そりゃぁ周りの力士たちが不甲斐ない取組をしていれば、天桧山に人気が集まるのも無理はありませんよね」

「連中、それを見込んでやってるのかもな。意図的に天桧山に人気を集中させる。見た目だって悪く無いしな」

「荒削りな部分があるだけに足元を掬われかねないかもしれないしね。そうなったら毎場所ごとに昇進させられなくなるし」


 とにかく天桧山を陽のあたる場所へさっさと登らせたいのだろう。とも取れる敢えて負けるように仕向けている


「それなら親方連中の心配は杞憂な気がするんだけどな。天桧山に限って言えば、普通にやってりゃ簡単に横綱になれるだろ。あんなのは天才の類いだ」

「意外と弱気な所もあるし挫折させたくないのかもしれないわね。まぁ、その辺は私たちの想像でしか無いんだけど」


 実際どうかは分からない。今までの話だって事実とは限らないし、全く違う理由で八百長しているのかもしれない。天桧山の取組だって相手が単に弱すぎただけと言われれば反論の余地は無いし、虎徹山と海鴎の取組だって精神的に弱かった虎徹山が悪いと言われればそれでお仕舞いだ。


「今回は衛栄に任せるわ。相撲の見る目はありそうだしね。補佐に義親、アンタが行きなさい。奉行所の同心も好きなだけ使いなさい」

「わかりやした。義親、やってやろうぜ」


 義親と衛栄は一礼すると茶屋を飛び出していく。


「えー、私は私は?」


 茶屋に残された文は忠春をせっつかす。首を捻った忠春は言う。


「ほんとに武技系はどうしようもないのね。江戸でも相撲は瓦版の記事になったでしょ。関わらなかったの?」

「うん。なぜかお父さんもみんな『お前は来ないでいい』って言うんだもん。この美貌が力士に悪影響を及ぼすんだって思ってたけど、こういう理由だったんだね」

「……もういいから。とりあえず団子でも食べてて」


 流暢に話す文の言葉に忠春は呆れてものが言えない。


「ああ! 昨日のお姉ちゃんやん! こんにちは」


 そんな折に寅子が陰からひょいと顔を出した。虎柄の着古された黄色い法被には『伝家の宝刀虎徹山』と書かれている。


「寅子ちゃんじゃない。今日は虎徹山の応援に?」

「そうや! でも、今日の虎徹山はらしくなかったなぁ。5日目まではもっと切れ味のある相撲を取っとったのに」


 浴びせられた野次を思い出す。『なまくら虎徹山』。そして寅子が着ている法被には『伝家の宝刀虎徹山』。名前がたまたま刀鍛冶と同名だからなのだろうが、流石は上方。上手いことを言うものだと忠春は感心する。


「へぇ、今日の虎徹山ってそんなに酷かったんだ」

「そりゃそうや! あんなん虎徹山やない。クソ親父に浴びせられた罵声通りのクズ男やわ。取組なんやけど、最初のぶちかましは悪うなかったで。あの海鴎は負け込んで焦っとったからな。あの後は普通にやれば簡単に勝てたはずなんや! それがなんやねん。あのへっぴり腰じゃお姉さんにだって負けてしまうで」


 まったりとした口調から一変する。寅子の言葉は今日の虎徹山の取組よりも切れ味がある。


「そ、そうなんだ……」

「昔はホンマに強かったんやけどなぁ。昨日まではまともにやれてたのになんでかなぁ。虎徹山ももう年やし、そろそろ引退や。最後に華を見せてほしかったのに。これからずっと格上の力士ばっかや。今の虎徹山じゃ期待できひんし」


 大好きなだけに力士生命が短いのは嫌というほど分かっているらしい。切れ味のあった口調が萎んでいく。


「アタシ、こう見えて体弱かったんよ。あの長屋でずっと寝込んでてな。そんなときにお父ちゃんが相撲を見せてくれたんよ。取れたのが遠くの席やったから豆粒ぐらいにしか見えへんかったんけど、カッコよかったなぁ」

「それが虎徹山だったんだ」

「そうやねん。そん時は関脇やったんやけど、調子にも乗らんで真面目やったわ。その取組の後、アタシに言ってくれたんよ」

「『嬢ちゃんも体を強くせい。その代わりにワシももっと強くなるさかい』って。なんとか体はようなったけど、虎徹山は取組の最中にケガしてもうた。せやからアレは堪えたわ。アタシの病気を背負いこんだって思ったしなぁ」


 11年前の虎徹山との邂逅と10年前に負ったケガは幼心に響いただろう。寅子の話は続く。


「お父ちゃんお母ちゃんはそれから興味を無くしたんやけど、アタシは虎徹山が強うなくても応援するって決めたんや。今日野次ってたおっさんもアタシと同じや。ああ言っても虎徹山めっちゃ好きやねん。実際に触れて喋った訳やないけど、あの果敢な取組に助けられたしな。だから弱くたって関係あらへん。アタシらがずっと支えるんよ」


 寅子の大きな目に涙が浮かぶ。それだけに今日の負けは受け入れがたいのかもしれない。


「なかなか鋭い事を言うんだね。寅子ちゃんだっけ、結構顔もイケそうだから私のところの瓦版に出てみない? 名付けて『相撲女子』、いや『撲女』みたいな……」

「話の流れ全く関係無いけど悪うないなぁ。周りの子はみんな、相撲に興味あらへんし、それを気に相撲好きが増えるんやったらかまへんよ」


 団子を頬張っていた文は思い出話や取組については一切触れず、違う方面で寅子との会話に加わる。忠春は苦笑するしかない。


「それじゃぁ、私は寅子ちゃんとお話してくるから。はつちゃん、それじゃあね」

「お姉さんおおきに。またお話しような」


 お茶をすすると、文と寅子の二人は手を振りながら茶屋から去っていった。

 自身の体とに生活を賭けて土俵の上で戦う男たちが重要なのか、それとも力士に自身を託して一喜一憂する少女と町の男たちが重要なのか。

 どちらでも無い忠春には分からない。出来ることと言えば、全てを明らかにすることだけだ。

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